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23話:東北にガソリン、軽油、灯油をおくろう!2
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磐越西線ルートでの石油輸送が始まった。3月25日、根岸・横浜市を出発
した石油列車は20両のタンク貨車タキ1000を牽引して北へ進む。
20両の内訳はレギュラーガソリン8両、灯油2両、軽油6両、A重油4両
となった。同日深夜、新潟貨物ターミナル駅に到着。
ここからタンク貨車10両が切り離され、ディーゼル機関車DD51・重連
に連結された。運転士はJR貨物の東新潟機関区所属の斉藤勉さん。
キャリア30年のベテランが慎重にブレーキを解除し、ノッチ・アクセルを
上げていく。26日午前1時。予定通りの出発だった。会津若松駅近くの
ホテルに宿泊していたJR貨物郡山総合鉄道部所属の運転士、遠藤文重さんは
、午前3時に起床。食事を取り、会津若松駅に歩いて向かった。
傘を差すほどではなかったが、みぞれ交じりの小雨がぱらついていた。
「山の上はどうかな…」。歩を進める遠藤さん。気が張っているせいか、
寒さは感じなかった。会津若松駅には線路を管理するJR東日本の関係者
が20人ぐらい集まり、出発の準備が進められていた。
午前4時近く、暗闇の中から石油列車が発着場にやって来た。
機関車の前には「たちあがろう 東北」のヘッドマークが飾られている。
運転席から斉藤さんが降りてきた。腹に響くようなDD51のエンジン
音が会話を邪魔した。「この先は気をつけて。天候悪そうだから」。
斉藤さんのその言葉だけが、遠藤さんの耳に残った。遠藤さんは運転席
に乗り込み、いつものように指さし確認をしながら、運転手順をこなす。
ふと時計を見ると、発車時間を15分ほど過ぎていた。機関車を付け直す
作業があり、それが原因かもしれない。「くそ、遅れてるじゃないかよ」。
いやな予感がする。運転席には遠藤さんのほか、JR東日本の運転士が
指導員として同乗。万一のトラブルに備えた。もう一人、JR東日本の
会津若松駅の運輸区長も乗り込んできた。実は石油列車の初便には、
多くの関係者が乗りたがっていた。あっけにとられる遠藤さんをよそに、
運輸区長は「マニアだからさ、俺は。まあ、役得ってやつ?」とおどけた。
当然、緊急時の連絡などのミッションを担っているのだが、その雰囲気で
、遠藤さんの緊張は少しほぐれた。「出発進行!」午前4時過ぎ、遠藤さん
の号令とともにDD51にタンク貨車の重さが伝わっていく。10両の
タンク貨車は全部で600トン。重連のDD51の定量は700トンで、
100トンの余裕があるはずだが、遠藤さんは「重い…」と感じた。
通常の荷物に比べ、石油の様な液体は密度が高いせいか、手応えが重い。
それだけだろうか。整備しているとはいえ、DD51は廃車寸前。
馬力が落ちている懸念が拭えない。窓をたたく雨粒は徐々に大きさを
増していく。郡山まで、あと六十数キロもあるのに。速度を上げていく
石油列車を、関係者たちが祈るような気持ちで見送った。
前日の3月25日。会津若松駅の会議室では、JR東日本側のミーティング
が行われていた。石油列車のタイムスケジュールや異常時の対応手順などを
確認した。会議終了後、当時の会津若松駅長の渡辺光浩さんは部下に声を
かけた。「JR貨物からは何か言ってきたか」
「いや、何も。駅長、何か気掛かりでも」「DD51の牽引定数、平地で
800トンだろ。今回の600トンの石油タンク、重すぎないかな…」
渡辺さんは国鉄に入社し、最初の職場は貨物の連結などをする部署だった。
直接運転することはなかったが、ディーゼル機関車の力強さや石油を
積んだタンク貨車の特殊な揺れ方を記憶していた。会津若松駅長に就任
し、磐越西線の難所も体感してきた。春遅くまで雪が舞い散る気候。
石油列車の車輪はかなりの確率で空転し、最悪、停止する。
そんなときには、後ろから別の機関車で押して脱出するしか手がない。
「JR貨物側は大丈夫だと踏んだんでしょう? 要請もなくサポートの
機関車を用意するのはちょっと…」。部下の意見はもっともだった。
しかし、JR東日本の会津若松駅長だった渡辺光浩さんが
「おい、DE10を用意しとけ」と部下に指示を出した。
DE10は中型のディーゼル機関車で、ローカル線の客車牽引のほか
、駅構内の貨車運搬などに多く使用される、予備的な機材だ。山道で
石油列車が動けなくなったら、後ろからDE10で押して脱出する。
DD51の運行に合わせ、26日早朝から運転士を待機させ、暖機運転
までしておけという指示だ。今回の石油輸送は、背景に政府の意向がある
ものの、基本的にはJR貨物の仕事だ。JR東日本は磐越西線のインフラを
管理、提供しているにすぎない。1987年の国鉄民営化前は1つの会社
だったが、今は違う。非常時とはいえ、それぞれの枠の中で分業すべきだ。
JR東日本としては磐越西線の緊急修理などで既に十分な役割を果たした。
JR貨物からの要請がない状況で、JR東日本が機関車を待機させる必要
はない。しかし明日、列車が止まってJR貨物から要請が来てからDE10
を用意すれば、運転士や整備士の確保など準備に丸1日かかる。
被災地に石油が届くのが1日遅れるだけ。そうじゃない。非常時だから
こそ、一秒でも早く届けろ。鉄道マンの魂がそう言っている。明日の待機を
運転士に告げるため、受話器を握る社員の顔にも決意が宿っていた。
3月26日午前4時過ぎ、会津若松駅のプラットホームを出発した
石油列車。DD51を運転するJR貨物の遠藤文重さんには、窓越しに
DE10が見えた。「ああ、準備しているのかな。そんな話はなかったけど」。
遠藤さんのつぶやきに、同乗していたJR東の職員は何も答えなかった。
会津若松駅を出てすぐ、みぞれが大きくなった。同日未明、日本石油輸送
・JOTの石油部、渡辺圭介さんは会津若松駅付近にいた。
JOTは石油元売り最大手のJXグループなどが出資する石油輸送専門の
企業だ。JXとJR貨物の間に立ち、被災地向けの臨時石油列車の機材調達
などにも深く関わってきた。渡辺さんはその日、震災後初めての休暇だったが
、磐越西線ルートでの石油輸送を自分の目で見届けたいと自費で現地に
駆け付けていた。目の前の踏切を予定時刻通りに通過した石油列車初便を
見送って、安堵のため息をついた。携帯電話のメールで、上司で当時の
石油部長の原昌一郎さんに「今、列車が通過しました」と伝えた。
メールに起こされた原さんは「了解」とだけ返信した。待っていた
友人の車に乗り込む渡辺さん。「次はどこに行く?」
「猪苗代湖畔のポイントに先回りしよう」。曲がりくねった山道を
四輪駆動の車が進む。山間部に入るとみぞれは雪に変わった。
「タイヤはスタッドレスだよな」。渡辺さんの問いに友人は
「そうだけど、あんまり積もると走れないからね」と顔を曇らせた。
会津若松駅を出発した石油列車は広田駅、東長原駅を通過。ようやく
白み始めた空の下、目を凝らすと線路脇にはかなりの積雪が見て取れた。
深い霧で視界が悪い。大粒の雪が舞い始めた。出発してまだ30分も
たっていない。これから本格的な山道に入るというのに。磐梯町駅付近
に差し掛かったとき、運転席の空転ランプが初めて点灯した。
した石油列車は20両のタンク貨車タキ1000を牽引して北へ進む。
20両の内訳はレギュラーガソリン8両、灯油2両、軽油6両、A重油4両
となった。同日深夜、新潟貨物ターミナル駅に到着。
ここからタンク貨車10両が切り離され、ディーゼル機関車DD51・重連
に連結された。運転士はJR貨物の東新潟機関区所属の斉藤勉さん。
キャリア30年のベテランが慎重にブレーキを解除し、ノッチ・アクセルを
上げていく。26日午前1時。予定通りの出発だった。会津若松駅近くの
ホテルに宿泊していたJR貨物郡山総合鉄道部所属の運転士、遠藤文重さんは
、午前3時に起床。食事を取り、会津若松駅に歩いて向かった。
傘を差すほどではなかったが、みぞれ交じりの小雨がぱらついていた。
「山の上はどうかな…」。歩を進める遠藤さん。気が張っているせいか、
寒さは感じなかった。会津若松駅には線路を管理するJR東日本の関係者
が20人ぐらい集まり、出発の準備が進められていた。
午前4時近く、暗闇の中から石油列車が発着場にやって来た。
機関車の前には「たちあがろう 東北」のヘッドマークが飾られている。
運転席から斉藤さんが降りてきた。腹に響くようなDD51のエンジン
音が会話を邪魔した。「この先は気をつけて。天候悪そうだから」。
斉藤さんのその言葉だけが、遠藤さんの耳に残った。遠藤さんは運転席
に乗り込み、いつものように指さし確認をしながら、運転手順をこなす。
ふと時計を見ると、発車時間を15分ほど過ぎていた。機関車を付け直す
作業があり、それが原因かもしれない。「くそ、遅れてるじゃないかよ」。
いやな予感がする。運転席には遠藤さんのほか、JR東日本の運転士が
指導員として同乗。万一のトラブルに備えた。もう一人、JR東日本の
会津若松駅の運輸区長も乗り込んできた。実は石油列車の初便には、
多くの関係者が乗りたがっていた。あっけにとられる遠藤さんをよそに、
運輸区長は「マニアだからさ、俺は。まあ、役得ってやつ?」とおどけた。
当然、緊急時の連絡などのミッションを担っているのだが、その雰囲気で
、遠藤さんの緊張は少しほぐれた。「出発進行!」午前4時過ぎ、遠藤さん
の号令とともにDD51にタンク貨車の重さが伝わっていく。10両の
タンク貨車は全部で600トン。重連のDD51の定量は700トンで、
100トンの余裕があるはずだが、遠藤さんは「重い…」と感じた。
通常の荷物に比べ、石油の様な液体は密度が高いせいか、手応えが重い。
それだけだろうか。整備しているとはいえ、DD51は廃車寸前。
馬力が落ちている懸念が拭えない。窓をたたく雨粒は徐々に大きさを
増していく。郡山まで、あと六十数キロもあるのに。速度を上げていく
石油列車を、関係者たちが祈るような気持ちで見送った。
前日の3月25日。会津若松駅の会議室では、JR東日本側のミーティング
が行われていた。石油列車のタイムスケジュールや異常時の対応手順などを
確認した。会議終了後、当時の会津若松駅長の渡辺光浩さんは部下に声を
かけた。「JR貨物からは何か言ってきたか」
「いや、何も。駅長、何か気掛かりでも」「DD51の牽引定数、平地で
800トンだろ。今回の600トンの石油タンク、重すぎないかな…」
渡辺さんは国鉄に入社し、最初の職場は貨物の連結などをする部署だった。
直接運転することはなかったが、ディーゼル機関車の力強さや石油を
積んだタンク貨車の特殊な揺れ方を記憶していた。会津若松駅長に就任
し、磐越西線の難所も体感してきた。春遅くまで雪が舞い散る気候。
石油列車の車輪はかなりの確率で空転し、最悪、停止する。
そんなときには、後ろから別の機関車で押して脱出するしか手がない。
「JR貨物側は大丈夫だと踏んだんでしょう? 要請もなくサポートの
機関車を用意するのはちょっと…」。部下の意見はもっともだった。
しかし、JR東日本の会津若松駅長だった渡辺光浩さんが
「おい、DE10を用意しとけ」と部下に指示を出した。
DE10は中型のディーゼル機関車で、ローカル線の客車牽引のほか
、駅構内の貨車運搬などに多く使用される、予備的な機材だ。山道で
石油列車が動けなくなったら、後ろからDE10で押して脱出する。
DD51の運行に合わせ、26日早朝から運転士を待機させ、暖機運転
までしておけという指示だ。今回の石油輸送は、背景に政府の意向がある
ものの、基本的にはJR貨物の仕事だ。JR東日本は磐越西線のインフラを
管理、提供しているにすぎない。1987年の国鉄民営化前は1つの会社
だったが、今は違う。非常時とはいえ、それぞれの枠の中で分業すべきだ。
JR東日本としては磐越西線の緊急修理などで既に十分な役割を果たした。
JR貨物からの要請がない状況で、JR東日本が機関車を待機させる必要
はない。しかし明日、列車が止まってJR貨物から要請が来てからDE10
を用意すれば、運転士や整備士の確保など準備に丸1日かかる。
被災地に石油が届くのが1日遅れるだけ。そうじゃない。非常時だから
こそ、一秒でも早く届けろ。鉄道マンの魂がそう言っている。明日の待機を
運転士に告げるため、受話器を握る社員の顔にも決意が宿っていた。
3月26日午前4時過ぎ、会津若松駅のプラットホームを出発した
石油列車。DD51を運転するJR貨物の遠藤文重さんには、窓越しに
DE10が見えた。「ああ、準備しているのかな。そんな話はなかったけど」。
遠藤さんのつぶやきに、同乗していたJR東の職員は何も答えなかった。
会津若松駅を出てすぐ、みぞれが大きくなった。同日未明、日本石油輸送
・JOTの石油部、渡辺圭介さんは会津若松駅付近にいた。
JOTは石油元売り最大手のJXグループなどが出資する石油輸送専門の
企業だ。JXとJR貨物の間に立ち、被災地向けの臨時石油列車の機材調達
などにも深く関わってきた。渡辺さんはその日、震災後初めての休暇だったが
、磐越西線ルートでの石油輸送を自分の目で見届けたいと自費で現地に
駆け付けていた。目の前の踏切を予定時刻通りに通過した石油列車初便を
見送って、安堵のため息をついた。携帯電話のメールで、上司で当時の
石油部長の原昌一郎さんに「今、列車が通過しました」と伝えた。
メールに起こされた原さんは「了解」とだけ返信した。待っていた
友人の車に乗り込む渡辺さん。「次はどこに行く?」
「猪苗代湖畔のポイントに先回りしよう」。曲がりくねった山道を
四輪駆動の車が進む。山間部に入るとみぞれは雪に変わった。
「タイヤはスタッドレスだよな」。渡辺さんの問いに友人は
「そうだけど、あんまり積もると走れないからね」と顔を曇らせた。
会津若松駅を出発した石油列車は広田駅、東長原駅を通過。ようやく
白み始めた空の下、目を凝らすと線路脇にはかなりの積雪が見て取れた。
深い霧で視界が悪い。大粒の雪が舞い始めた。出発してまだ30分も
たっていない。これから本格的な山道に入るというのに。磐梯町駅付近
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