鑓水商人の子孫達

ハリマオ65

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24話:東北にガソリン、軽油、灯油をおくろう!3

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 磐越西線を郡山へ向かう石油列車。磐梯町駅を通過すると上り坂の傾斜が増し、カーブもきつくなる。レール上で車輪が空回りしていることを知らせる空転ランプが何度も点灯した。速度を上げれば一気に登り切れると考えるのは素人の発想。正解は逆だ。運転士の遠藤文重さんは列車の速度を時速40キロから30キロ、25キロと落とし、車重を使って車輪とレールの摩擦を稼いでいく。同時に砂まきも開始した。車輪の横に装着された小箱には10kg程度の砂が詰められており、ホースから車輪に向けて少しずつ砂をまき、レールとのかみ合わせをよくする。今回のDD51は九州など雪のない地域から集められている。

 砂まき装置には急ごしらえで凍結防止のヒーターが装着されていた。遠藤さんは、運転席の窓を開け耳を澄ます。空転ランプだけでは分からない車輪とレールの摩擦、砂のかみ具合を耳で判断するためだ。いつの間にか外は吹雪だ。吹きすさぶ風の音、ディーゼルエンジンの排気音に交じって甲高い金属音が聞こえる。
「もっと速度を落とせ。砂をまけ」間もなく翁島の駅だ。急カーブが眼前に迫る。速度は既に10キロ程度まで落ち、それでも空転ランプは消えない。パワーを微調整しなんとか切り抜けようとしたときひときわ甲高い音を立てて車輪は空転し、石油列車は前進をやめた。

 傾斜が落ちるカーブの出口まであとわずかだった。遠藤さんは坂道をずり落ちないよう、ブレーキをかけた。まだ終わりじゃない。列車が完全に停止したのを確認してから、再度ノッチ・アクセルを入れ、機関車、貨車のブレーキを少しずつ解除しながら脱出を試みる。自動車の坂道発進の要領だ。車輪はレールと激しくこすれあい、甲高い金属音がこだました。動かない。後退する前に再びブレーキをかけた。「これ以上は車体が傷む」。同乗していた指導員が首を横に振った。ノッチを戻し、顔を上げた遠藤さん。辺りを見回すと、谷のような地形に雪が積もり、急カーブが迫る景色が見えた。昔、停車したあの場所だった。悪夢が再来した格好だ。

 同乗していたJR東日本の会津若松運輸区長が線路に降りて現場を確認する。車輪周辺の雪がさびを含み茶色い。「レールの上に5センチも雪が積もってるわ。ほかの列車が走っていないからさびまで浮いて…。こりゃ石油積んで走れる状況じゃないよ。しようがないって」。雪まみれで運転席に戻ってきた運輸区長の明るい口調に、遠藤さんは少しだけ救われた気がした。石油列車の運行の前に、レールは磨き上げられているが、震災以降ほかの列車が走っていないだけに予想以上にさびが発生し、ただでさえ乏しい摩擦係数を引き下げたのかもしれない。

 遠藤さんは無線を取り、会津若松駅司令室を呼び出した。
「空転しつつ運転を継続するも、ついに止まってしまい、救援要請します」。
できるだけ冷静に告げたが、悔しさが込み上げてきていた。会津若松駅の指令室には、駅長(当時)の渡辺光浩さんらJR東の職員数人が集まり、運行情報表示装置で石油列車の運行を見守っていた。同装置は列車が
信号機などを通過するたびに画面に表示されるもの。なにごともなければ一定のテンポで画面が動いていく。磐梯町付近で画面の動きが遅くなると、職員から声が上がった。「頑張れ。登れ、止まるな」。

 しかし、翁島近くの更科信号所を列車が通過したデータは受信されず、画面は動かなくなった。「止まったか? 雪だな、たぶん」間もなく無線で救援要請が寄せられた。
「了解しました。救援車両を派遣しますので、待っていてください」。
 駅長の渡辺さんが指示を出す。「DE10、準備いいな」。
「いつでもいけますよ」。部下の声が心なしか弾んでいた。

 鉄道による歴史的な石油輸送を目撃すべく、猪苗代湖畔で列車到着を待っていた日本石油輸送・JOT石油部の渡辺圭介さんも、異常を察知。過去に何度も冬場の停車事案が発生している地点は調査済みだ。同行の友人とともに、翁島手前のポイントに車を走らせた。現場は激しく吹雪が舞う。

 驚いたことに、そこには既に5、6人の鉄道ファンが先着していた。 視線の先にはDD51を先頭にした石油列車が立ち往生していた。「脱出をトライしていたけど、無理っぽい」。渡辺さんに気付いた先着者が心配そうに話しかけてきた。「雪の磐越西線、やはり甘くないな」。用意してきたカメラを向けるのも忘れ、呆然と石油列車を見つめるしかなかった。会津若松駅で待機していたディーゼル機関車DE10が排気音を響かせながら力強く動き始めた。

 狭い車内に運転士2人のほか、線路整備、機関車接続技師など5人が搭乗し、郡山方面にひた走る。2時間もあれば停止場所に到着するはずだ。「頼んだぞ」。JR東日本会津若松駅長・当時の渡辺光浩さんは、DE10に手を合わせたい心境だった。停止場所近くの橋から見守るJOT渡辺さん。 会津若松方面のレールを眺め「応援が来るとしたらこちら側からだろう」。独り言をつぶやく。「あ、なんかきたぞ」。現場にいた誰かが叫んだ。
「こんなに早く、嘘だろ」。

 渡辺さんは眼鏡についた雪を払いながら、遠くを見た。停車してからまだ2時間ほどしかたっていない。DE10は石油列車の最後尾に近付き停車。警笛が2回鳴った。乗車していた職員らが線路に降り、状況を確認、再び警笛が2回鳴り、DE10がさらに接近し、石油列車の後尾に接続された。DD51の運転席と通信しながら、DE10が動き出しのタイミングを合わせていく。立ち往生していたDD51運転士の遠藤文重さんが無線で叫ぶ。「お願いします」DE10が押す力がタンク貨車から機関車側へ伝わっていく。

 遠藤さんは再びノッチを入れ、ゆっくりブレーキを解除していく。一瞬甲高い金属音が響いたあと静かに、しかし力強く石油列車が動き始めた。「よし、動いたぞ」。遠藤さんが声を上げた。「おお、すごい」。現場にいたJOTの渡辺さんらも思わず叫んだ。予想より早く到着した救援機関車。近くで待機していたんだと思うと、胸が熱くなった。

 再始動した石油列車は何ごともなかったようにカーブの向こうへ消えていった。午前10時前、石油列車が郡山貨物ターミナル駅に入線した。遠藤さんは時計に目をやった。約3時間の遅れだった。やり遂げたという思いとともに、停車の悔しさも込み上げてきた。駅にはテレビや新聞など報道陣が集結している。カメラのレンズが運転席を狙い、盛んにフラッシュがたかれた。JR貨物郡山総合鉄道部の幹部が運転席に声をかける。ご苦労さんだったね。

「無事に運べて良かった。ところでマスコミが運転士のインタビューしたいっていうんだけど、どうする」。
 遠藤さんは「ごめん、なんか遅れちゃったし、そんな気分じゃないんだよね。すんません」。運転席にこもったまま、遠藤さんは目を閉じた。停車までの手順に誤りはなかったか、ノッチやブレーキの操作、速度を思い返した。石油輸送は明日以降も続く。

 次こそは時間通りに石油を運ぶ。そう誓った。3月27日早朝、会津若松駅長の渡辺さんは、磐越西線の翁島駅付近を歩いた。昨日朝、石油列車の初便が走行不能となった場所はすぐに分かった。苦闘を物語るように、レールには車輪の空転による幾筋もの傷がついていた。渡辺さんは氷のように冷えたレールを指でなぞりながら郡山方面に視線を向けた。
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