集団就職の星

ハリマオ65

文字の大きさ
上 下
5 / 45

5話:海藤と智恵さん業績好調

しおりを挟む
 最近は、巷の景気は良いようで他の仲間も忙しく働いていて、旅行に出かける回数が,めっきり減った。今年から、内藤哲人の息子の達夫君も、斎藤渉の息子の武雄君も、幼稚園に上がるようで、その手続きを取っていた。子供が、幼稚園に行くようになったら、奥さん達も、パートの仕事を探そうと、話していた。

 4月の初旬に、久々に、旅行で甲州へ1泊2日で出かけた。そして桜と桃の花を見てきたが、州盆地の桃源郷の景色は、本当に素晴らしいと口々に言いながら、家族や子供写真を取りまくって東京へ帰った。しかし子供達の面倒を見ながらの旅行で、家に着いたのが19時過ぎ。疲労困憊で、みな、口数が少なくなっていた。1981年5月にソニー株を2600円で2万株を売り税引き後利益が3236万円となった。

 今年も、暑い夏がやってきて、昨年、熱中症で、病院に担ぎ込まれたので、今年は,注意しようと、冷凍庫で,毎日、ペットボトルに水を入れて、凍らせて、それを,外勤に出るときには,必ず持って、冷たい水の補給を,欠かさないようにした。しかし、今年の夏は、意外に涼しく、最高気温が33度を越える日が,2日ほどで、曇りの日も多く,助かった。

 そのせいか、業績も良くて、自分の係のセールスさんの金融商品の売り上げは,順調だった。そうして8月が終わり、9月を迎えて、業績がよく、うまくいけば東京支店の売り上げベストスリーに今年も入れるかも知れないと思ったほどだった。10月に入り、もう少しで業績表彰で賞金をもらえるわよとハッパをかけて11月に入っても、順調に推移して12月中旬に、ほぼ、確定となった。

 そして販売キャンペーンが、終了して2位の成績で、2度目の業績表彰を受けた。そうして佐藤営業部長に呼ばれて来年、君に新しい部署で働いてもらいたいと言われ課長待遇での辞令だと言った。新しい部署というのは電算部、システム課と言われた。今後、銀行業界ではオンラインシステムを入れて電算化という流れとなるだろうと言った。その部署には、電子工学、ソフトウェアの人間を投入する。

 しかし銀行の業務を知り尽くした人が、どういうシステムが望ましいか指導していかねばならない。その点、君の指導力と熱心さが買われて抜擢されだよと教えてくれた。その晩、家に帰って、この話を旦那さんに話すと、すごい、じゃないかと誉めてくれた。入社11年目で課長とは、素晴らしいというと勝ち気な彼女の目に涙が滲んで、やがて流れ落ちた。今まで負けず嫌いで頑張ってきたけど報われて良かった本当に良かったと繰り返した。

 翌日から会社から帰ってきても智惠さんが分厚い本を持って部屋には行って夜遅くまで英語で書かれた本を読んだ。そして睡眠時間4、5時間の日々が続いた。やがて1982年。その後も本を読む日が続いていたので正月休みくらい休みなさいと言い車で仲間と箱根の温泉に出かける車中で爆睡。風呂に入って出て来ても、また爆睡、本当に疲れているんだなと思うと海藤努は自分自身のふがいなさに腹が立ってきた。

 それでも保険の契約件数は営業所でトップクラスお客さんとのパイプが出来て盤石体制を取っていた。年収も報奨金を入れれば1千万円に届くほどになっていた。1982年1月にソニー株が下げてると見て1300円で2万株を2600万円で購入し残金が910万円となった。一方、智惠さんはシステムの作りからについて試行錯誤を繰り返して、よりよい方法を選び出す方法で毎日テストを繰り返していた。
しおりを挟む

処理中です...