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4話:PC9800誕生と安田と律子の結婚

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 製品名の「PC9821」のうち「21」部分だけが白抜き文字となっており、「21世紀に向けたPC9800シリーズ」という意味が込められていた。1993年頃から1997年の秋までの4年間におけるNECのPC製品の主力機種だったが、21世紀を待たずに新しいソフトウェアとハードウェアの基本的な設計概念をもったPC98NXシリーズが1997年9月24日に発表、10月23日に発売された。

 なおNXの由来は「ニュー・エクセレント」の略で、キャッチフレーズとしては「新世界標準パソコン」と銘打った。事実上、設計にはインテルが加わり、当時のインテルの最新技術が盛り込まれた製品群でもある。時代が交錯したが1977年にNECに就職した安田武夫は東京の浜松町のアパートに住んで自転車で会社まで通っていた。

 しかし、年末年始は実家のある橫浜に帰り、ゆっくりした。入社当初は1979年9月に発売したPC8001の開発のために会社に泊まり込んだりして、目一杯、働いていた。幼なじみの清水律子も2年遅れて1979年にM物産に就職して米国に派遣されていたが年末年始は帰って来て橫浜の実家に戻って来た。

 そこで1980年1月2日、安田武夫が清水律子の家に電話して橫浜のレストランで誘い出して食事しながら、いろんな話しをした。特に清水律子はパーソナルコンピューターの開発の話を安田から興味深げに、じっくり聞いていた。そして安田が中学時代の清水律子の英語でアメリカ人に通じるのかよと笑いながら言った。

 じゃー、ここから英語で話しましょうと、彼女が言い英語の会話になると安田は完全に主導権を清水律子に奪われた。すげーなと驚くと、橫浜市大・国際教養学部は伊達じゃないのよと言った。これには、安田も苦笑いするしかなかった。こんど日本に戻ってきたら東京で会いましょうと律子が言うのでわかったと安田が答えると銀座の高いレストランでも連れて行ってと、律子が笑いながら言った。

 その後、安田も新製品開発で忙しい日々を律子は米国での1年が終わり1980年4月からロンドンのシティでの勤務が始まった。そして1981年4月に日本に戻って来て、東京・日比谷のマンションに住むようになった。その後も安田はNECパソコンの開発やビットイン秋葉原で市場調査をして、その結果をまとめたりと残業時間が月に100時間を超える日も珍しくなかった。

 そのため、お金は貯まるが、休みの日は寝てばかりだった。たまに外食するのは清水律子と会うときだけだった。律子の方は若手の教育がかかりと言うことで定時に仕事を終えたり、若手と飲み会として銀座や日本橋などで食べたり飲んだりする自由な時間も多く、楽しく仕事をこなしていた。

 そんな1983年4月10日・日曜に清水律子が安田を呼び出して、付き合ってる人がいるのと聞くと仕事が忙しくて君以外と外食することはないよと言うと遠回しに結婚しないとアプローチをかけると結婚しても良いけど、今は忙しくて、もしかしたら新婚旅行も、行けないかも知れないぞと言うと構わないと言った。

 そこで6月12日、日曜日に清水律子さんの両親に話すことにした。朝9時、清水律子が清水さんの実家に電話して10時に、安田武夫さんと一緒に訪問すると伝えた。安田は、10時に、清水家を訪問して結婚したいと、安田が清水律子の両親に話すと了解していただいた。

 次に安田の家に行って、安田武夫が両親に清水律子と結婚すると報告すると喜んでくれた。結婚式に日時と場所は決まり次第、連絡することにして、夕飯をご馳走になって、早々に東京へ帰った。翌週の日曜に銀座で会って、律子が結婚式が、東京帝国ホテルで6月12日、日曜日にしたいと言うので了解して、安田が、往復はがきにパソコンで、結婚式の案内状を印刷して送る事にした。

 しかし、安田の都合で、新婚旅行の予定がたたず、後日、新婚旅行に行くことにした。結婚式には、52人の参加の返事が返ってきて安田と律子が帝国ホテルの結婚式場を見に行き、結婚式ののコースを決めた。そして6月12日を迎え、安田と律子が、前泊して8時過ぎから、化粧、衣装合わせを始めた。

 結婚式の司会を安田の高校時代の友人の山根庄司君に、お願いした。その後、打ち合わせして、10時となり結婚式場で12人の参列で和式の結婚式を挙げて、披露宴会場の宴会場へ入った。その後、司会の挨拶や祝電、余興、歌などが披露され、洋食のコースの食事がふるまわれた。そして、型どおり、新郎新婦の両親への感謝のスピーチでは、母の涙が印象的だった。

 結婚式を終えてから、2次会は16人で銀座のビアホールに場所を移して陽気な飲み会となり、午後4時には終了して、帰って行った。新居は律子の住んでる日比谷のマンションに、安田が同居することになった。その後も、安田はPC9800シリーズの開発と市場調査などで、忙しい日々が続き、週に1-2回は会社に、泊まり込みの日々が続いた。

 その後、8月17日から、5日間の北海道へ新婚旅行に出かけた。最初に、羽田から、函館空港へ飛んで、函館空港からバスで函館駅近くのホテルに入り、一休みして、タクシーで、函館山へ行き、100万ドルの夜景を眺めて、多くの写真を撮った。その後、ホテルに戻り、近くのラーメン屋に入り、イカソーメンと塩ラーメンを食べた。

 翌日、列車で、札幌に入り、藻岩山や円山公園を散策して、北海道神宮をお参りして、夜は、名物のジンギスカンとサッポロビールで祝杯をあげた。2日目は、北海道大学の広いキャンパスを散策して、クラーク像の前で写真を撮り、夕方は、寿司屋に入り、夕食をとった。

 そして、3日目の朝、早く出て列車で滝川まで行き、レンタカーを借りて富良野のラベンダー畑と美瑛の美しい丘を散策して、多くの写真を撮って帰りは滝川でレンタカーを返して、札幌にに帰って来た。その晩、ジンギスカンと札幌生ビールを楽しんだ。翌朝、ホテルを出て、千歳空港から午後2時に羽田について、タクシーで日比谷のマンションに帰って来た。新婚旅行後、忙しい日々が続き、1983年が過ぎて1984年を迎えた。
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