薔薇紳士の興じ事

あなたの隣に君がいる時

 カランカラン

「いらっしゃいませ。」

　ここは悩みを抱えるお客様が来店される喫茶店。今日のお客様は少し背伸びしたおしゃれをしている、といった印象を受けるコーディネートの男性。しかしその顔はどこか悲しそうです。

「お客様、こちらのお席へどうぞ。」

薔薇紳士が優雅にカウンター席へ案内します。男性は促されるままに席に座ります。

「お客さん、もしかして今日デートだったんですか？服も靴も高いブランドのやつだし、髪型とかすごい気合入ってる！」

この店のバイト、野咲いちごが朗らかに笑いかけます。しかしそのいちごの言葉を聞いた途端、男性は目に涙を涙を溜め、やがてこらえきれなくなり泣き出してしまいました。

「うう...！今日、付き合って３年の記念日だし、そろそろかなって、指輪、プロポーズ...ううぅ...。」

男性はとぎれとぎれな言葉を発しながら泣きじゃくります。

「あちゃー、プロポーズしたら振られちゃったんですね...。それは...。」

「結婚してください、って、言う前に、指輪、出そうとしたら、彼女から、ごめん、わ、別れてって...。」

「うわぁ、プロポーズも出来なかったんだ？お兄さん辛かったね。」

「うぅ、慰めてくれるんですか...。」

「さすがに目の前に傷ついてる人がいて何もしないのは気分が悪いですからねー。お兄さん名前は？」

「ああ、日下部健也です。すみません、店主さん、とりあえず落ち着けるものを何か...」

「はい、淹れたてですよ。」

薔薇紳士は話を聞きながらも淹れていた、淹れたての紅茶を健也の前にコトリと置きました。

「あ、すごい、仕事が早い...。」

「日下部さんの話が長いんですよ？」

「ゔっ...。話が長い、彼女にも言われたなぁ。言いたいことをスパッと言えないのかって...。思えばプロポーズの言葉もタイミングをはかったり無駄に迷ったりしなければ言えていたのかなぁ...。プロポーズの言葉だって、散々迷って考えて、格好いいこと言わなきゃ、男らしい一面魅せなきゃとか考えずに『これからもずっとそばにいて下さい』って、心から思ってた一言を言えばいいだけだったのになぁ。はぁぁぁぁ...俺はずっと彼女のそばに寄り添ってたはずだったのになぁ。彼女はそうじゃなかったのかなぁ。...うぅぅぅ...。」

いちごの悪気の無い一言に、健也は悲しみを言葉にして泣き出してしまいました。

「ご、ごめんなさい...そういうつもりで言ったわけじゃ...」

「日下部様。良ければこちらのハンカチーフをどうぞ。」

オロオロと狼狽えるいちごに変わって薔薇紳士が優しくハンカチーフを差し出します。

「あ、ありがとうございます...。」

「日下部様。私にはあなたの苦しみや悲しみを分かって差し上げることはできません。ですが、一言だけ。あなたは彼女のそばに寄り添っていた、そう仰いましたね？彼女はそうではなかったのか、とも。日下部様、あなたが彼女の隣にいた時、彼女の隣には必ずあなたがいたんですよ。それは違えようのない事実ですよ。」

薔薇紳士の言葉を聞いた健也は、ハンカチで拭ったばかりの涙を、また流し出しました。

「彼女の隣に俺がいたこと、意味はあったんですよねぇ...？この三年は、無意味じゃないですよねぇ...？」

「無意味なわけない！自分だったら好きでもない相手と三年も付き合ってられないもん！」

健也の言葉に、いちごが声を大にして返します。

「はは...そうですよね、無意味じゃないですよね...。」

そう言うと健也はカップに残った紅茶をグイっと飲み干しました。そして、

「店主さん！俺！新しい恋を探します！んで！絶対幸せになって！俺を振った彼女を後悔させるんです！」

と声高らかに宣言しました。

「では、新しい恋のお相手と、またこの店に来ていただけるのをお待ちしております。」

「日下部さん、自分も待ってます。頑張ってくださいね。」

「はい！」



　自分の思いは一方通行、相手に届かないこともあるでしょう。でも、自分が誰かの隣にいるとき、必ずその誰かの隣にはあなたがいます。それはきっと無意味じゃない。結果に結びつかなくても過程に結びついている。たとえ一方的だったとしても、そこには必ず意味があるのです。