薔薇紳士の興じ事

世万江生紬

文字の大きさ
42 / 79

忘れられない思い出だけは

しおりを挟む
 カランカラン

「いらっしゃいませ~。」

「いらっしゃいませ。」

 ここは悩みを抱えるお客様だけが来店される喫茶店。本日のお客様は40代くらいでしょうか、主婦の方のようです。どこか疲れたような顔をしています。

「お席こちらへどうぞ~。」

「ありがとうございます。」

いちごは女性をカウンター席に案内します。

「ここのおすすめはこの紅茶なんですけどいかがですか?」

「あぁ、じゃあそれを。」

女性は紅茶を注文すると、肘をついてはぁっとため息を吐きます。

「なにかお疲れ...お悩みですか?」

「え?ええそうね。疲れているから雰囲気のいい喫茶店で落ち着きたくて。...良ければお話聞いてもらえる?なぜだか不思議と、このお店に入ったら全部吐き出したくなっちゃった。」

「もちろんです!聞きますよ!」

いちごは元気いっぱいに返事をします。あまりにも元気な返事に、女性はふふっと笑います。

「ありがと。じゃあ...貴方名前は?」

「自分いちごです!」

「そう、いちごさん。私は中山透子と言います。いちごさん、貴方今いくつ?」

「今17ですね。」

「そう...将来のこととか考えていたりするかしら?その、一人暮らしとか。」

「んー、今はまだ何も。もしかしてお子さんが家を出るとかですか?」

「そう。思春期反抗期だからね、こんな家嫌だ、みたいな感じでね。去年出たんだけど...一回も帰ってこなくてね。お盆も正月も。寂しいのよ。あの子がまだ小さかった時のことだって覚えているのにね。」

「そうだったんですか...。」

透子が力なくそう吐きだした時、淹れたての紅茶の香りがふわっと漂いました。

「こちら、どうぞ。落ち着きますよ。」

「あ、ありがとうございます。...うん、確かに、落ち着く味ね。」

「光栄です。時に中山様、お子様が巣立たれたとお聞きしましたが。」

「えぇ。まあこれだけ近くにいれば聞こえるわよね。」

「忘れられない思い出は今もしっかり覚えているのですね。お子様のこと、大切に育てられたのだと思います。愛情いっぱいに育った子は、今はまだ気づけていなくても、その愛にいつか気づくと私は思いますよ。子育て、お疲れさまでした。」

薔薇紳士はそう言うと、深々と頭を下げます。お疲れさまでした、よく頑張りました、と言われているようで、透子は目頭に涙を浮かべます。しかし、決してその涙を流すことはありませんでした。

「確かに。私頑張ったわ!あんなに大変で、手がかかって、てんやわんやで、一生懸命頑張ったんだもの!反抗期ごときで音を上げないし、いつか私の頑張りも帰ってくるわ!」

「透子さん、いいお母さんですね。」

「いちごさん、可愛いこと言ってくれるわね。私の子どもになる?」

「自分にも大好きな母がいるので!」

「ふふ、それは残念。」


 どんなに目の前がつらくても、上手く思い出せないことがあっても、忘れられない思い出だけは今もしっかりと覚えています。その思い出は、今の自分を応援してくれる、奮い立たせてくれる、寄り添ってくれる、大切な宝物なのです。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

秋月の鬼

凪子
キャラ文芸
時は昔。吉野の国の寒村に生まれ育った少女・常盤(ときわ)は、主都・白鴎(はくおう)を目指して旅立つ。領主秋月家では、当主である京次郎が正室を娶るため、国中の娘から身分を問わず花嫁候補を募っていた。 安曇城へたどりついた常盤は、美貌の花魁・夕霧や、高貴な姫君・容花、おきゃんな町娘・春日、おしとやかな令嬢・清子らと出会う。 境遇も立場もさまざまな彼女らは候補者として大部屋に集められ、その日から当主の嫁選びと称する試練が始まった。 ところが、その試練は死者が出るほど苛酷なものだった……。 常盤は試練を乗り越え、領主の正妻の座を掴みとれるのか?

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...