犬と猫が握手する

駿心

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36話 警告音と決意

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◇◇◇◇

「住所からして……ここ?」


年賀状のために前もって住所を聞いていたシヅのナビゲートでなんとか着いた。

舞い上がる白い息と共にシヅが言った場所を見上げた。

ビルっぽいところ……だけど一階が『辻田整骨院』となっている。

多分、ここだ。

タマの家。

でも……


「これ、家のインターホンないん?整骨院に入るんかな?」


ウッチャンの疑問はまさに私も思っていた。

入るなら入るで別にいいんだけど……少し緊張が増すよね。

どうしようかと悩んでいたら「あの」と声を掛けられた。

ここら辺の中学校の制服を着ているスラッとした女の子。

色素の薄い髪色と目。

顔立ちもキリッとしていて

……タマに似ていると思った。


「……桜田の制服ですよね?兄の知り合いですか?」


そう聞かれたってことはこの子……似ていると思ったし、やっぱりタマの妹さん……かな?

先に反応出来たのはウッチャンだった。


「せやで!お兄ちゃんいる?」


屈託のない雰囲気でそう言ったウッチャンに妹さんかもしれないその子は「少し待っててください」と整骨院入り口に入っていった。

なんとなく落ち着かないけど、三人とも黙って待っていた。

しばらくして、ビルの階段から降りてくる足音が聞こえてきた。

手をパーカーのポケットに入れ、少しダルそうに降りてくるタマが見えた。


「タマ……」

「どうしたの、わざわざ」


いつもの抑揚のない声。

突っ返されている感覚になる。

でも負けない。

もう見てみぬフリは辛い。


「あのね、タマ!」

「……」

「……ッ」


見つめられるだけで、何て言葉が正解なのか迷ってしまう。

タマに言いたいことって?

タマに聞きたいことは……



『ポチ』



夏休みを明けた夜の学校を思い出す。

その時、タマに聞かれたこと。

私も知りたいと思った。


「タマは、何でジチシコに入ろうと思ったの?」


タマは「え?」僅かに眉毛を動かして怪訝そうに私を見た。


「タマはいつも私達の話を聞くけど……タマのことも教えてよ」

「……」

「タマは何で……一人で解決しようとするの?」

「……わざわざ皆が心配することじゃ…」

「一人で耐えて、一人で頑張って……一人で生きる。そんなの……」


タマが珍しく笑っていた体育祭。



――――『俺もそういう人間になりてぇ』


今のタマはタマが願う形とは……


「タマが言う自主自律とは違うでしょ!?」


声が大きくなってしまった。

だけどタマは黙って私を見ていた。


「そんなの違うよ……私達は、ジチシコでしょ?」

「……」



『ジチシコだから』


口癖みたいにそう言ってたタマ。

今がタマの理想の自主自律の形なんだろうか。


「正直、ジチシコの来年なんかより……今のタマの方が…ほっとけないよ!!だから関係ないとか、俺一人が気を付けたら大丈夫とか……私、そんなの嫌だ!!」

「……ほんと、ポチって……」


長い沈黙の中、


「ジチシコ向きだよ」


タマが笑った。

やっと、

笑った。

心臓がドキッドキッ…って、動いたのがよくわかった。

誰かが私の背中にソッと手を置いて、ビクッとした。

振り返るとシヅが笑顔でゆっくり頷いてくれた。

そ…そうでした。

シヅもウッチャンも二人いたよね……。

忘れるくらいタマに見とれていた

……って思うと恥ずかしい。


「少し……場所変えようか」


タマの提案にとりあえず全員が頷いた。

どこに行くかなんて考えてもないけど、今はただタマに着いていく。

物静かなタマの背中を見るだけだった。


「多数決……」


歩きながら、タマがぽつりと呟いた。


「え?」と聞き返したのはシヅだった。

それに対して、タマはゆっくりと喋り出した。


「多数決って平和的解決……って思うかもしんねぇけど……俺は無理だ」


タマの背中を見たまま、タマが話すことを聞いていた。

こんな話…前にも聞いたような気がする。


「なんでなん?」


ウッチャンは迷いなくそう聞いた。


「……」


タマはなかなか…口を開かない。

変な間が流れていく。

タマがそれを切ったのは更に変な単語だった。


「……エビフライ」


……エビフライ?


「『エビフライだよ』って小学校の時……友達がある友達の口に運んだ」


話している途中なのに、タマが急に口に手を当てた。

背中を丸めたのを見て、焦った。

急いでタマに近寄り、背中をさすった。


「タマ?気分悪いの?どうしたの、大丈夫!?吐きそう?」


青い顔なのにタマは小さく「大丈夫」と言った。


住宅が続き、腰をおろすどころか踏みとどまれてない道の途中だからどうしたらいいのか不安で余計にオロオロした。

短く息を吐いたタマは自分の腕をギュッと握っていた。


「嫌がる友達を数人で押さえ付けて、口に運ぶのをやめなかった。俺は何も出来ずに見てるだけだった」

「エビフライを?」

「…………エビフライだと言って、手に持っていたのは……トンボだよ」


背筋が……

ゾッとした。


「高速道路が走る鉄橋下の公園で友達が嫌がる声が妙に反響して……生きてるトンボを顔に近付けていったんだ」


青い顔のタマは何度も息をつき、何度も自分を落ち着かせようとしているのがわかる。

タマの背中を擦っても、意味がないようなほどそれでもタマの顔色が悪い。


「俺は……」


冬なのに脂汗をかくタマに私達三人とも言葉を失う。


「いけないとわかっているから、一緒に押さえ付けなくても、『やめろ』と言う勇気もなかった」




『おい!足も押さえろって!!』

『ひゃはは!!こいつビビりすぎ、マジでウケる!!』

『でもホントに口入れちゃったらどうする?』

『ぎゃははははっ!!グロテスク!!』

『おい!マサトもこっち押さえろって!!』

『…………俺は』





「……俺は、そして逃げた」


寒い風が私達の間を吹いた。


ゆっくりと歩いて、その歩調と同じ感じでタマはポツリポツリと話を続けた。


「俺は背中を向けて、走った。踏み切り音が鳴り響く中」

「……踏み切り」

「踏み切り棒が降りる直前を駆け抜けて、逃げて、そして……友達の叫び声を電車が走る音で掻き消したんだ」




カンカンカンカンカン…



『ああああああああああぁぁぁぁーっ!!』



子供の時のタマとこないだのタマの絶叫が重なった。

そんな耳鳴りが聞こえた気がした。

タマはついに足を止めた。


「俺は友達を見捨てたんだ」


眉間にシワを寄せ、タマの目はただ遠くを見つめて悲しそうだった。


「俺は確かに逃げたんだ。踏み切りの警告音を聞きながら……」


私は何故か涙が出た。

苦しくて苦しくて……。

タマは、タマには似合わない眉を下げた弱々しい笑顔で私の頭を撫でた。


「泣くなよ……だから言ったろ……俺の問題だって」


ウッチャンも苦しそうに顔をしかめて聞いた。


「その友達は?今は……」

「引っ越したよ……そのイジメが問題になって」


シヅもタマの顔を見る。


「……マー君、大丈夫?」


それを聞きたくなるほどタマの顔は青い。


「ちょっと向こうの公園で休もう」


私の提案にタマは首を振った。


「大丈夫。イジメられたわけじゃない俺が気分悪くなるのもオカシイ話だしな」

「え?」

「俺はただ逃げただけなのに……狡いだろ?」


タマのいつものニヒルな笑顔も本気の自嘲に見えた。


「俺に出来た唯一は……多数決で多数にならなかった……ぐらいだよ」


……多数決?

三人顔を見合わせたのがタマにもわかったようで、深呼吸を繰り返しながら続きを話していく。


「クラスでも問題になったんだよ。担任が『我がクラスでイジメが起こってる』っつって」

「それって……それでイジメは解決できるもの?」

「……んなわけねぇだろ」


タマは吐き捨てるように言った。


「熱血すぎて担任は子供の世界を理解していなかったんだよ。だから言ったんだ」



『このクラスでイジメを見た人……もし知ってる人はいるか?』


そこで素直に答えることを選ぶ子供が何人いるのか。

クラスの一人が声を張った。


『そんな奴いねぇよな?なぁ、みんな!!』


それはプレッシャー。


『このクラスでイジメなんて見たことないって奴……手ぇあげろ!』


一番の首謀者で権力者。

空気を読むクラスメイト。

一人が手を挙げると、パラ…パラ…と皆も後に続いた。


『はい!このクラスにイジメはない!!』


クラスメイトが仕切ってそう言ったら、なんとなく拍手が起こった。

そんな中──


「俺は手を挙げなかった。だけどそこに意味はなかった。必死の抵抗……のつもりだけど」


手をコートのポケットに入れ、タマは遠くを見つめた。


「でも所詮、多数決には勝てない社会なんだよ……この世は。少数になった時点で存在の意味なんか無くなるんだ」

「……タマ」


何かを言いかけたところでタマはやっぱり自嘲的な笑みをこぼす。


「教師がそれを信じたのか本当はわかっていたかはわかんねぇけど、それはどうでもいいんだ……教師にとって。クラスで『一応』イジメについて話し合ったという事実が……言い訳が欲しかっただけなんだよ」


あとから何か起こる前に。


『やるべきことはしました』と。


「ジチシコの形を残したいっていうのは、俺のエゴだよ……ただの」


タマの焦点がようやく私達に戻ってきた。


「多数に勝てなかった俺の……一人勝手な意地なんだ」


だけどその笑顔はやっぱり嘲笑を含んでいた。


「悪い……こんな…話」


私は、タマの手を握った。

タマは驚いた顔で私を見つめたから、もっと力を入れてギュッと握った。


「タマ!」 

「な……に、」


なんでタマは遠くを見つめるのか。

なんで私は何も出来ないのか。

タマのこの手はいつだって、私を助けてくれたのに。


「ジチシコ、やるよ」

「……え?」

「今のタマに必要なら、ジチシコ絶対に守らなきゃ」

「……」

「全部なんて無理だけど、多数も少数もどっちかが間違っているってことはないよ!!」


タマが何故ジチシコに入ったのか……。

きっとタマは自分で自分を見つめ直したかったんだ。


「体育祭の時だって、桜光祭の時だって!私達は諦めずにやってこれたよ?」

「……」

「そして私達はそれぞれ、自分を見つめ直してきた」

「……」

「私はそう思ってる」

「…………あぁ」


タマが頷いてくれたから、私は止まらない涙を流しながら一緒に頷いた。


背中を叩かれた。

その手はタマの肩も叩いた。


「よっしゃ!俺らの気持ちは全員一つだよな?」


シヅも頷いた。


「もちろん、このまま終わる気はないよ」


自分の涙を拭い、目を閉じ深呼吸をし、そしてゆっくりと目を開け、全員の顔を見た。


「どこまで何が出来るかわからないけど……皆で守ろう」
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