例えばこんな物語──(自称)電子の妖精ツクヨミアイが贈る、ノンジャンルの短篇集──

ツクヨミアイ

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第十七燈 地図屋グリモと名もなき大陸

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 その地図屋は、地図を売っていた。
 正確に言うなら、「どこにも載っていない地図」を売っていた。

「よお、今日も元気に“未確認大陸”どうだい! 一枚三スクラム! 名前付きだぞ! ……たぶんな!」

 売り子の男はグリモ。くせっ毛の髪にインクまみれの指。肩から下げた鞄には、よくわからない線で埋め尽くされた羊皮紙がぎっしり詰まっていた。

「どうせまたデタラメ地図なんでしょ」
「前の買ったら“魔女の胃袋”って沼だったわよ。踏み抜いたわよ!」

 通りすがりの市民たちに文句を言われても、グリモはけろりとして言い返す。

「君たちの想像力が追いついてないだけだよ! “胃袋”の湿地は、おれの命名センスの勝利だって偉い地理学者が言ってたもん!」

 もちろん、その地理学者は存在しない。

 だが今日のグリモには、いつもと少し違う気配があった。
 彼は、砂時計を首から提げていたのだ。しかも、砂がぴくりとも動かない。

 

「……それ、どうしたの?」
 いつもの物乞い少女、ミルが興味ありげに首をかしげる。

「ああこれか。今朝、店の裏で拾ったんだよ。そしたら不思議なことに、これを手にしたとたん、地図に載ってない島が一個、浮かび上がってきてさ」

「えっ、それって新発見じゃない! それも売れば?」
「いやあ、変なんだよ。地図にはこう書いてある。『ナマエ・ヲ・サガセ』って」

「……なにそれ、ちょっと怖い」

「だろ? なのに、おれの商売センサーがビンビンに反応してるんだよ。これは当たる、当たるぞグリモって」

「だから自分に言い聞かせてるようにしか聞こえないんだけど」

 

 結局その日の夕方、グリモは“ナマエ・ヲ・サガセ”と書かれた地図を持って旅に出た。
 手がかりは、止まった砂時計と、地図の中央に描かれた「??」の記号のみ。

「つまりさ、これはきっと名前を失った土地ってことだよ! そこに名前をつけたら、正式におれの発見ってことじゃん? ……つまり栄光と金!」

「……いや、普通は“失くした名前を探せ”って意味だと思うけどなあ……」

 ミルのぼやきは風にかき消され、グリモは旅に出た。
 どこにも載っていない、名もなき大陸を目指して──。

 

※※※

 

 三日後。
 最初の島にたどり着いたグリモは、地図に描かれていないものを見た。

 看板が立っていた。だが、その文字は滲んでいる。
 そして近づいたとたん、グリモの首にかけた砂時計が、かすかに揺れた。

 ザリ……ザリ……

 砂が、一粒だけ落ちた。

「うおおっ!? 今動いたよな!? やっぱおれ、名付けの英雄になっちゃうやつじゃん!」

 喜び勇んで地図を広げると、さっきまで「??」だった箇所に、かすかに読める新しい文字が浮かんでいた。

 『ナ』

「“な”……? なんだこれ、“なまえ”の“な”? 順番に出るってことか?」

 だが、次の場所には不思議な老人が待ち構えていた。
 名前は名乗らず、こんなことを言う。

「名のない土地に名前をつける者は、代償として自分の名を失う。」

 グリモは叫んだ。

「え、ちょっと待ってそれ先に言ってぇぇえええ!!」



※※※



──さようなら、グリモ。

 そう言ったのは、旅の途中で出会った老人だった。
 いや、彼が“老人”だったかどうかすら、もう定かではない。

「名を呼ばれたくなければ、名づけてはならぬ。
 だが、名を求める者にとって、それは毒と蜜だ。」

「いやいやいや、詩的にまとめてる場合じゃなくてさ! おれ、今どんどん“名”が吸われてる気がするんだけど!?」

 

 グリモはあれから三つの島を踏破し、三つの文字を得た。
 ナ、マ、エ。残るは、あと一文字。

 砂時計の砂は、もうほとんど残っていなかった。最後の一粒が、ガラスの中で揺れている。

「……まさかね。全部揃ったら、ほんとに消えたりしないよな。おれの名前。おれって存在」

 不安と期待は紙一重だった。
 地図屋として、地図にないものを完成させる。それは夢だった。
 でも、自分が地図から消えるのは、予定に入っていなかった。

 

 そして、ついに最後の島。
 そこは不思議な静けさに包まれていた。風も波も、どこか遠くでしか響いていない。

 中央の広場に、一枚の石版が立っていた。
 その上には、最後の文字が刻まれている。……“を”。

「これで、ナマエヲ……」

 

 グリモが地図を広げ、ペンを取り出す。
 石版の前で膝をつき、そっと文字をなぞる。

「“サガセ”……完成、だ」

 

 砂時計が、カシャン、と鳴った。
 最後の一粒が、落ちた。

 

※※※

 

 次の日。

 町の市場には、グリモの姿はなかった。
 地図屋の屋台も、ひしゃげた鞄も、どこにも見当たらない。

「あれ? なんだっけ、あの売り子。ほら、変な地図売ってた……誰だっけ?」

「うーん、思い出せない……ま、いっか。嘘ばっか書いた地図だったし」

 人々の記憶から、グリモは綺麗さっぱり消えていた。

 

 だが、その日。ミルは市場の片隅で、一枚の地図を見つけた。

 薄い羊皮紙に、奇妙な線が走る。中心には、こう書かれていた。

 

『グリモの大陸』

 

 地図の余白には、見慣れた筆跡でこう書いてある。

《──地図にない場所を探して、地図にない自分を見つけた。
 名を失っても、たぶん、これはおれの名前だ。》

 

「……ばか」

 ミルは地図を折りたたみ、小さな肩に背負った。

 そして歩き出す。
 今度は、自分の名前で、地図にない場所を探すために。
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