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第二十四燈 狼の娘に目をつけられました
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春日廉《かすがれん》が朝の通学路で犬にまとわりつかれるのは、もはや日常であった。
小型犬、中型犬、大型犬。
リード付きもいれば野良もいる。血統書付きも雑種も関係なく、なぜか彼を見かけると駆け寄ってくるのだ。
廉が入学してから一月経つが、同級生も先輩も、「ああ、またか」というような顔をするのみ。
「わかった、撫でるから落ち着けって、よしよし……あー、制服にヨダレ垂れてんぞ、ちょっ……おまっ、ズボン噛むなァ!」
今朝も例外ではなかった。
通学バッグを咥えられながら、いつも通り必死で犬と格闘していたその瞬間──ふと、視線を感じた。
電柱の陰から、銀色の髪が揺れていた。
じっと、こちらを見ている少女がいる。
整った顔立ち、凛とした瞳。制服のスカートから伸びる脚もすらりと長い。けれどそれ以上に、視線の圧が凄い。
……とにかく“強い”気配のする少女だった。
その後、彼女は何も言わず、犬と戯れる廉を一瞥したあと、無言で踵を返して去っていった。
次の日から、彼女はなぜか毎朝、廉の前に現れるようになった。
そしてさらに翌週。
放課後の昇降口で、突然、彼女は言ったのだ。
「春日廉。……我が名は大神 灯《おおがみ あかり》。
今日から貴様を“監視”する」
「……え?」
「貴様は、我らが一族にとって、非常に“危険な存在”だ。だが同時に……“可能性”を秘めている。
ゆえに観察する。逃げるな。よいな」
「…………ええと……何を言ってます……?」
そうして始まった、彼女の“ストーキング的見守り”生活。
授業中、窓際の席からじっと見つめられる。
昼休み、学食の列に並べば、いつの間にか彼女が背後にいる。
部活に行けば、外部生なのに理由をつけて見学に来る。
どんなに避けても、「お前の“匂い”は消せない」と言い残してついてくる。
そしてある日、教室で騒動が起きた。
校内に入り込んだ大型の野良犬が、廊下で吠えながら暴れていたのだ。
「おい! 誰かあの犬止めろって! こっち来たぞ!」
「っていうか目が赤い! なんか変じゃないか!?」
その異様な迫力に、生徒たちは逃げ惑った。
だが──その犬は、廉を見た瞬間、ピタリと動きを止めた。
ワン、と一声。
次の瞬間、しっぽを振ってぺたんと座り込み、廉の足元にじゃれついた。
騒然とする廊下の中で、ただひとり、灯だけが驚愕していた。
「まさか……今の個体を、“一瞥”で屈服させた……?」
その夜、廉は呼び出された。
校舎裏の人気のない空き教室。
ただひとり待っていたのは、あの少女──大神 灯。
彼女はいつものように、真っすぐに言い放った。
「春日廉。……貴様を我が一族へ迎えたい」
「迎え……えっ、なんだって!?」
「お前には“主の気”が宿っている。犬が、お前を見て逆らえぬのはそのためだ。おそらく、血の底から語られざる血統が──いや、“狼”の意志そのものが、貴様に……」
「待って待って待って待って! 俺は普通の男子高校生なんですけど!? なんか、族とか主とか言ってるけど……!」
「ふむ。では説明しよう。──我ら“狼の一族”は古より──」
「やめて!? 絶対長いやつだよね、それ!!」
それでも彼女は語り続けた。
“狼の血”を継ぐ一族のこと。
かつて“主”と呼ばれた存在に仕えていたこと。
そしてその“主”の“魂の欠片”を、彼が宿している可能性があること。
「だから私が、“監視”しているのだ。……いや、もう“監視”とは呼べないかもしれない」
「えっ」
「貴様が犬に見せる、あの柔らかな目。貴様の笑み。撫でる手。声の調子。……我ら狼も、それを知っている。……あれは、我らの“遠き記憶”の、光だ」
そのとき、教室の外。
誰もいないはずの廊下から──獣のような気配が走った。
灯の眉が、わずかに動いた。
「……ついて来ている。気づかれぬよう、我らの動向を見張っている者がいる。生徒か教師かは分からないが……一族の者だろう」
そして彼女は、静かに廉を見つめた。
「覚悟を決めろ、春日廉。お前はもう、犬どころか……狼の標的なのだ」
「……いやいや、なんの覚悟だよ!?」
※※※ それからそれから ※※※
翌朝、春日廉はいつも通りの通学路で、いつも通り犬に囲まれていた。
柴犬にしがみつかれ、ダックスフントにズボンの裾を引っ張られ、大型の秋田犬には顔面を舐められ。
「……ほんと、いつか俺、犬に埋もれて死ぬんじゃないかって気がする……」
そんな彼を遠巻きに見つめる通行人のなかに──昨日、教室裏に現れた大神灯の姿があった。
相変わらず無表情。けれど、ほんの僅かに口元が緩んでいる。
校舎に入ると、何やらざわついていた。
昨日の“暴走犬”騒ぎの続報かと思いきや、今度は「校内に何かいる」という噂が広まっていた。
「誰もいない教室から唸り声が聞こえたらしいぞ」
「階段の踊り場に、爪痕があったって……」
廉はあまり気にしないようにしていたが、灯は違った。
ホームルームのあと、彼女は唐突に廉の机をバンと叩き、低い声で言った。
「春日廉。放課後、第二体育倉庫だ」
「え? なに、また変なところに呼び出すの?」
「……匂う。明らかに“血族”の気配が増している。貴様の存在が、彼らを惹きつけているのだ」
「うん……? なんか俺、よく分からないうちにフェロモン出してるみたいになってない? 猫で言うマタタビとか、そんな感じ?」
「······否定は、できない」
そして放課後。
二人は校舎裏手の古びた体育倉庫へと向かった。
そこは誰も使わない、木材と埃の匂いが染み付いた場所だった。
なのに、明らかに空気が異質だった。
「気をつけろ。……すぐ近くにいる」
灯がそう言ったとき──倉庫の奥、重ねられたマットの影から“それ”が現れた。
灯と同じ制服姿。胸元のリボンの色を見るに、ひとつ上の二年生だろう。
──けれど眼が赤い。
歯は鋭く、爪は狼のように伸びていた。
灯と同じ、一族の者。
けれど彼女は、理性を失っていた。
「“主の気”を纏う者……ッ……! 我らが求めて、求めてやまぬ……!」
「下がれ、廉! あれはもう、言葉が通じない!」
「えっ!? 無理! 無理無理! 無理ですってば!!」
けれどそのとき。
廉がふらりと一歩前に出た、その瞬間だった。
──獣が止まった。
狂気に満ちていた瞳が、たった一拍で沈静化する。
鼻を鳴らし、しゅん、と耳を伏せて、しっぽを……いや、制服の裾を震わせながら座り込んだ。
「……ぁ……あれ……?」
灯は唖然としていた。
「やはり……間違いない。貴様には、理性すら狂わせる“獣性”を鎮める力がある……。いや、“主の残響”と呼ぶべきか……!」
「……俺、犬のおまわりさんになれるのでは……?」
「違う。お前は──“王”の器なのだ」
「いやいや、今の全部含めて聞きたくなかったわ!!」
とりあえず、その“同族”は保健室へ搬送された。
教師には「発作」と説明されたが、実際は灯が裏で手を回したらしい。
その日の夕暮れ。
屋上にて、夕日を背にした灯は静かに言った。
「……春日廉。貴様に、我が一族の“守護の証”を授けたい」
「なにそれ、結婚指輪的なやつ?」
「違う。首輪だ」
「もっとヤバいわ! なに、同級生をペット扱いしろと!?」
「違う。我らの誓約は、首に巻くことで成立するのだ。……犬も、狼も、首が弱点ゆえに、そこを委ねる者にこそ忠誠を誓う」
「なるほど……って納得してたまるか!!」
彼女は笑っていない。
けれど、目元にわずかな柔らかさがあった。
「お前の“匂い”は──少し、懐かしい。……あの遠い森で、“主”と見上げた空のような、匂いだ」
その言葉が何を意味するのか。
廉にはまだ分からなかった。
ただひとつ分かったのは──
この先も、彼は犬に懐かれ、狼に目をつけられ続けるのだろう、ということだった。
── to be continued ?
小型犬、中型犬、大型犬。
リード付きもいれば野良もいる。血統書付きも雑種も関係なく、なぜか彼を見かけると駆け寄ってくるのだ。
廉が入学してから一月経つが、同級生も先輩も、「ああ、またか」というような顔をするのみ。
「わかった、撫でるから落ち着けって、よしよし……あー、制服にヨダレ垂れてんぞ、ちょっ……おまっ、ズボン噛むなァ!」
今朝も例外ではなかった。
通学バッグを咥えられながら、いつも通り必死で犬と格闘していたその瞬間──ふと、視線を感じた。
電柱の陰から、銀色の髪が揺れていた。
じっと、こちらを見ている少女がいる。
整った顔立ち、凛とした瞳。制服のスカートから伸びる脚もすらりと長い。けれどそれ以上に、視線の圧が凄い。
……とにかく“強い”気配のする少女だった。
その後、彼女は何も言わず、犬と戯れる廉を一瞥したあと、無言で踵を返して去っていった。
次の日から、彼女はなぜか毎朝、廉の前に現れるようになった。
そしてさらに翌週。
放課後の昇降口で、突然、彼女は言ったのだ。
「春日廉。……我が名は大神 灯《おおがみ あかり》。
今日から貴様を“監視”する」
「……え?」
「貴様は、我らが一族にとって、非常に“危険な存在”だ。だが同時に……“可能性”を秘めている。
ゆえに観察する。逃げるな。よいな」
「…………ええと……何を言ってます……?」
そうして始まった、彼女の“ストーキング的見守り”生活。
授業中、窓際の席からじっと見つめられる。
昼休み、学食の列に並べば、いつの間にか彼女が背後にいる。
部活に行けば、外部生なのに理由をつけて見学に来る。
どんなに避けても、「お前の“匂い”は消せない」と言い残してついてくる。
そしてある日、教室で騒動が起きた。
校内に入り込んだ大型の野良犬が、廊下で吠えながら暴れていたのだ。
「おい! 誰かあの犬止めろって! こっち来たぞ!」
「っていうか目が赤い! なんか変じゃないか!?」
その異様な迫力に、生徒たちは逃げ惑った。
だが──その犬は、廉を見た瞬間、ピタリと動きを止めた。
ワン、と一声。
次の瞬間、しっぽを振ってぺたんと座り込み、廉の足元にじゃれついた。
騒然とする廊下の中で、ただひとり、灯だけが驚愕していた。
「まさか……今の個体を、“一瞥”で屈服させた……?」
その夜、廉は呼び出された。
校舎裏の人気のない空き教室。
ただひとり待っていたのは、あの少女──大神 灯。
彼女はいつものように、真っすぐに言い放った。
「春日廉。……貴様を我が一族へ迎えたい」
「迎え……えっ、なんだって!?」
「お前には“主の気”が宿っている。犬が、お前を見て逆らえぬのはそのためだ。おそらく、血の底から語られざる血統が──いや、“狼”の意志そのものが、貴様に……」
「待って待って待って待って! 俺は普通の男子高校生なんですけど!? なんか、族とか主とか言ってるけど……!」
「ふむ。では説明しよう。──我ら“狼の一族”は古より──」
「やめて!? 絶対長いやつだよね、それ!!」
それでも彼女は語り続けた。
“狼の血”を継ぐ一族のこと。
かつて“主”と呼ばれた存在に仕えていたこと。
そしてその“主”の“魂の欠片”を、彼が宿している可能性があること。
「だから私が、“監視”しているのだ。……いや、もう“監視”とは呼べないかもしれない」
「えっ」
「貴様が犬に見せる、あの柔らかな目。貴様の笑み。撫でる手。声の調子。……我ら狼も、それを知っている。……あれは、我らの“遠き記憶”の、光だ」
そのとき、教室の外。
誰もいないはずの廊下から──獣のような気配が走った。
灯の眉が、わずかに動いた。
「……ついて来ている。気づかれぬよう、我らの動向を見張っている者がいる。生徒か教師かは分からないが……一族の者だろう」
そして彼女は、静かに廉を見つめた。
「覚悟を決めろ、春日廉。お前はもう、犬どころか……狼の標的なのだ」
「……いやいや、なんの覚悟だよ!?」
※※※ それからそれから ※※※
翌朝、春日廉はいつも通りの通学路で、いつも通り犬に囲まれていた。
柴犬にしがみつかれ、ダックスフントにズボンの裾を引っ張られ、大型の秋田犬には顔面を舐められ。
「……ほんと、いつか俺、犬に埋もれて死ぬんじゃないかって気がする……」
そんな彼を遠巻きに見つめる通行人のなかに──昨日、教室裏に現れた大神灯の姿があった。
相変わらず無表情。けれど、ほんの僅かに口元が緩んでいる。
校舎に入ると、何やらざわついていた。
昨日の“暴走犬”騒ぎの続報かと思いきや、今度は「校内に何かいる」という噂が広まっていた。
「誰もいない教室から唸り声が聞こえたらしいぞ」
「階段の踊り場に、爪痕があったって……」
廉はあまり気にしないようにしていたが、灯は違った。
ホームルームのあと、彼女は唐突に廉の机をバンと叩き、低い声で言った。
「春日廉。放課後、第二体育倉庫だ」
「え? なに、また変なところに呼び出すの?」
「……匂う。明らかに“血族”の気配が増している。貴様の存在が、彼らを惹きつけているのだ」
「うん……? なんか俺、よく分からないうちにフェロモン出してるみたいになってない? 猫で言うマタタビとか、そんな感じ?」
「······否定は、できない」
そして放課後。
二人は校舎裏手の古びた体育倉庫へと向かった。
そこは誰も使わない、木材と埃の匂いが染み付いた場所だった。
なのに、明らかに空気が異質だった。
「気をつけろ。……すぐ近くにいる」
灯がそう言ったとき──倉庫の奥、重ねられたマットの影から“それ”が現れた。
灯と同じ制服姿。胸元のリボンの色を見るに、ひとつ上の二年生だろう。
──けれど眼が赤い。
歯は鋭く、爪は狼のように伸びていた。
灯と同じ、一族の者。
けれど彼女は、理性を失っていた。
「“主の気”を纏う者……ッ……! 我らが求めて、求めてやまぬ……!」
「下がれ、廉! あれはもう、言葉が通じない!」
「えっ!? 無理! 無理無理! 無理ですってば!!」
けれどそのとき。
廉がふらりと一歩前に出た、その瞬間だった。
──獣が止まった。
狂気に満ちていた瞳が、たった一拍で沈静化する。
鼻を鳴らし、しゅん、と耳を伏せて、しっぽを……いや、制服の裾を震わせながら座り込んだ。
「……ぁ……あれ……?」
灯は唖然としていた。
「やはり……間違いない。貴様には、理性すら狂わせる“獣性”を鎮める力がある……。いや、“主の残響”と呼ぶべきか……!」
「……俺、犬のおまわりさんになれるのでは……?」
「違う。お前は──“王”の器なのだ」
「いやいや、今の全部含めて聞きたくなかったわ!!」
とりあえず、その“同族”は保健室へ搬送された。
教師には「発作」と説明されたが、実際は灯が裏で手を回したらしい。
その日の夕暮れ。
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「なにそれ、結婚指輪的なやつ?」
「違う。首輪だ」
「もっとヤバいわ! なに、同級生をペット扱いしろと!?」
「違う。我らの誓約は、首に巻くことで成立するのだ。……犬も、狼も、首が弱点ゆえに、そこを委ねる者にこそ忠誠を誓う」
「なるほど……って納得してたまるか!!」
彼女は笑っていない。
けれど、目元にわずかな柔らかさがあった。
「お前の“匂い”は──少し、懐かしい。……あの遠い森で、“主”と見上げた空のような、匂いだ」
その言葉が何を意味するのか。
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