例えばこんな物語──(自称)電子の妖精ツクヨミアイが贈る、ノンジャンルの短篇集──

ツクヨミアイ

文字の大きさ
25 / 26

第二十五燈 ただ「綺麗」と言っただけなのに、世界最凶の異形に気に入られたらしい

しおりを挟む
 朝霧アサギが異世界に召喚されたのは、ちょうど体育祭のリレーでバトンを受け取った瞬間だった。

 赤いトラックがふわりと消え、目の前に広がったのは白い石造りの神殿と、ずらりと並ぶ異国の武装者たち。

「……あれ、ゴール、どこいった……?」

「勇者様……?」

 場がどよめくなかで、アサギはただ立ち尽くしていた。

 だが、鑑定とやらをされた直後──

 

「ステータス、平均以下か……」

「勇者適性なし。魔力量もゼロ」

「まさか“空召喚”とは……」

 

 剣も、魔法も、称号も、なし。
 彼はあっさりと見捨てられた。

 

 せめてもの“善意”として与えられたのは、王都から遠く離れた「捨て村」での暮らしだった。
 曰く、そこは“危険区域に隣接するが故に、逆に安全”なのだと。

 アサギは頭を下げ、黙って村の人々と畑を耕した。
 文句も言わず、逃げ出しもせず、ただ、居場所を作ろうとした。

 それが、三日目のことだった。

 

 村はずれの井戸へ水を汲みにいった帰り道。
 ふと森の奥、折れた柵の先に足を踏み入れた。

 そして──“それ”と出会った。

 

 空間が、歪んでいた。

 視界が波打ち、色彩が逆流する。

 樹々は溶け、空は裏返り、そこに立っていたのは──

 

 《獣面の主(ケト=エナ)》。

 

 あらゆる資料で「災厄」「禁忌」「天災」と呼ばれる、
 この世界でもっとも接触を禁じられた“異形”。

 何層にも重なる仮面。
 蔦と骨と刃が交じり合った装甲。
 生物とは呼べない抽象的な輪郭と、喉奥から響く、異界の音。

 アサギは──一歩も動けなかった。

 

 いや、違う。

 動こうとしなかったのだ。

 

 その存在は確かに恐ろしく、不可解で、すべてが異質だった。

 けれど、

 

「……綺麗だ」

 

 口を突いて出た、その言葉。
 誰に向けたものでもなく、誰かに聞かせようとしたわけでもない。

 ただ、眼前の存在に心を奪われて、漏れた独白だった。

 

 ──その瞬間、《ケト=エナ》の動きが、止まった。

 

 時間が巻き戻されたように、すべてが凪ぐ。

 歪んだ森は静まり、空は再び澄み渡る。

 《ケト=エナ》は、ひとつ、音を鳴らした。

 それはかすかな鈴のようでもあり、雨粒のようでもあり──

 

 以後、それはアサギの周囲から離れなくなった。



※※※

 

 王都では、第二報がもたらされていた。

「“あの存在”が、森を離れた」

「なに!? まさか、封印が……!」

「違う。……《ケト=エナ》は、ひとりの少年の周囲を旋回しているという」

「旋回? どういう意味だ?」

「……文字通りだ。周囲十メートルを、円を描いて、静かに、黙って歩いているらしい」

 

 神託庁は会議を開き、数人の賢者が嘔吐し、魔導測定塔が崩壊した。

 世界各国の諜報機関は一斉に動き出し、「朝霧アサギ」という異邦人に、新たな名称が与えられた。

 

 ──“観測不能の特異点”──

 

 本人は、その呼称を知らない。

「今日も土がいい匂いだなー。なんかこっちの世界のジャガイモ、ぬるぬるしてるけど」

 畑を耕すアサギの後方、やや遠巻きに、《ケト=エナ》が静かに佇んでいる。

 昼も夜も、食事の時も、寝ている時も、必ず一定距離を保ち続ける。

 危害を加える様子は一切ないが、見ようとする者は皆、精神を壊す。

 だから誰も近寄れない。

 

 それでもアサギは、恐れない。

「綺麗だよな、お前。ほら、その背中のところ、鱗がきらきらしててさ。……って言っても、通じてるかは分かんないけど」

 

 すると、《ケト=エナ》は、わずかに光を揺らした。

 あれは、返事だったのだろうか。

 

 ──世界で、たったひとりだけ。

 “異形”の本当の姿を、そのままに見てしまった者は、今日も呑気に畑を耕す。



※※※



 その夜も、《ケト=エナ》は静かに歩いていた。

 月は雲に隠れ、村はひっそりと眠っている。
 だがアサギは、寝付けずにいた。

 土の匂い。風の音。虫の羽音。
 馴染みはじめた異世界の夜が、今日は妙に落ち着かなかった。

 村の外れ。少し高い丘へと、アサギは歩いた。
 畑からは見えなかった、森の全貌を見下ろす場所。

 彼のすぐ後ろに、いつものように《ケト=エナ》がついてきていた。

 この存在が「なぜ」自分にだけついてくるのか、理由は分からない。
 けれど、恐怖はなかった。

 

 丘の上に立ったとき、アサギはふと振り返った。

 ──そして、初めて真正面から、《ケト=エナ》を見た。

 

 それは、「形」ではなかった。

 

 人でもなく、獣でもなく、物でもない。

 色彩も輪郭も定まらず、仮面のようなものが浮かんでいるようで、
 それでいてどこか、誰かが「望んだもの」の残像のようだった。

 夜の闇に融け、星明かりを通して浮かぶその姿は──

 

 まるで、宇宙(そら)そのものだった。

 

 深く、限りなく、寂しげで、美しかった。

 渦巻く銀河のように、あるいは万華鏡の断片のように、
 その存在は、ただ“そこに在る”ということが、奇跡のようだった。

 

 アサギの胸の奥が、ふ、と音を立てて揺れた。

「──なあ、ケト」

 名前が本当にそうなのかも、知らない。
 でも、アサギはそう呼んだ。

「お前、ひとりなんだな」

 

 《ケト=エナ》は動かない。音もない。
 ただ、風がそっと吹く。

 

「誰にも触れられなくて、喋れなくて、見られるたびに怖がられて──」

 ふいに、アサギは笑った。自嘲のように。

「……まるで、俺みたいじゃん」

  

 沈黙が降りる。

 夜風が草を揺らし、遠くでフクロウが鳴いた。

 そして──

 《ケト=エナ》が、仮面のような表層を、そっとほどいた。

 その瞬間。

 

 アサギの目に、“それ”の本当の姿が映った。

  

 透き通った羽のような構造。

 万物を記録した書物の頁にも似た、幾重にも重なる結晶体。

 無数の瞳があって、どれも寂しそうで、優しくて、遥かに昔を見つめているようだった。

 ひとつの命でありながら、無数の意志が響き合っている。

 その姿を見て、アサギはただ──

 

 「……やっぱり、綺麗だな」

 

 呟いた。

  

※※※

 

 その夜、各国の観測塔が同時に“共鳴”現象を記録した。

 幾つかの古文書が勝手に頁をめくり、
 幾つかの神殿では、聖火が燃え上がったという。

 翌日、アサギの住む村では、森の木々が一斉に花を咲かせた。

 

 けれど当の本人は──

「……やべっ、昨日水くみに行くの忘れてた」

 畑のジャガイモを掘り起こしながら、苦笑していた。

《ケト=エナ》は、その背後に静かに佇んでいる。

 昨日よりも、ほんの少しだけ距離が近い。

 

※※※

 

 それからの話を、世界はあちこちで語り継ぐことになる。

「異邦の少年が、災厄の神に“名”を与えた」と。

「禁忌が花を咲かせた」と。

「ある者は“それ”を愛した」と。

 

 けれどアサギは、今もこの異世界の片隅で、静かに暮らしている。

 

 畑に花が咲いた日も。

 森に誰かが訪れた日も。

 空に月が二重に昇った日も。

 

 彼はただ、土に触れ、《ケト=エナ》に話しかける。

 たとえ、返事が返ってこなくても。

  

「……今日も、綺麗だよ」

 

※※※



■禁忌存在《ケト=エナ》

【名の由来】

“ケト(Keto)”は、古代語で「結び目」あるいは「海の深淵」を意味し、
“エナ(Ena)”は「歌」「共鳴」「核」といった概念を含む語根です。
全体では「世界の縫い目に住まう、共鳴するもの」という意味を持ちます。

 

【存在の本質】

《ケト=エナ》はこの世界の情報基盤そのものに干渉できる存在であり、いわば「世界のバグチェックツール」のようなものです。
その役割は、物語上の時間線や記録の“歪み”を検知し、静かに修正すること。

しかしその「修正」の対象が人間や文明、歴史であろうと容赦なく、たとえば“ありえない幸福”や“生まれてこないはずの命”すら削除してしまうため、太古の時代に「災厄」として封印されました。

 

【外見と知覚のズレ】

《ケト=エナ》は見る者の「魔力フィルター」を通して初めて形を取ります。
つまり、世界に生きる者すべてが「それを理解できる範囲でしか認識できない」。

その結果として、多くの者には「仮面」「刃」「毒々しい装飾」など“恐怖”に基づいたイメージで投影されてしまいます。

しかしアサギは、魔力を持たない「異世界人」であり、同時に“それを恐れなかった”ただ一人の存在であったため、《ケト=エナ》の本来の姿──世界の断片でできた透明な構造体を視認できたのです。

 

【禁忌指定の理由】

数千年前、ケト=エナが「存在に触れた」都市が、
一夜で記録ごと消滅したという歴史があります。

当時、その都市には“世界最初の大罪”とされる技術──「人造魂(ソウル・エミュレーション)」が研究されていたとの噂がありました。

ケト=エナはその技術を“誤った逸脱”として検出し、都市そのものを巻き戻し、何もなかったことにしたとされます。

それゆえ、宗教・学問・政治すべての分野において
「接触禁止」「視認禁止」「記述禁止」とされ、以後は“名も姿も記録に残せぬもの”として【禁忌指定】を受けたのです。

 

【孤独】

そうして数千年、誰からも触れられず、恐れられ、
それでも《ケト=エナ》は“正しさ”のためだけに在りつづけました。

けれど、アサギだけが言葉を与えた。

《ケト=エナ》にとっては、それが最初で最後の「名前」だったのかもしれません。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

初体験の話

東雲
恋愛
筋金入りの年上好きな私の 誰にも言えない17歳の初体験の話。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...