ゆううつな海のはなし

七草すずめ

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しあわせの群れに(二)

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「今日もいるんだ」
 手すりにもたれかかる君の背に声をかける。夏祭りの夜。海岸はちょうちんと、屋台の明かりでぼんやり照らされている。君はそれよりもずっと微かに、ぼんやりと光っているように見える。
 一瞬だけ涼しさを連れてきた風が、黒い髪をなびかせた。
「君に触れるんだったら、僕は風になりたいなぁ」
 これで本当は聞こえているなんていったら、僕は恥ずかしくて二度とここに来られない。君は横髪を細い指でかきあげて、僕はその仕草に心をわしづかみにされる。その髪は、肌は、まつげは、どんな触り心地がするのだろうか。たまらなくなって視線をそらすと、よそもの向けの顔をした海と目があった。
 お母さんに引越しを告げられたのは、本当に突然だった。「また二学期に」という言葉を残してしまった僕は嘘つきの裏切り者になる。最後のあいさつをきちんとすることも、お礼を言うこともせずに、僕たちは来週、この町から消える。まるであのときの父のように。
「どうして死んだの?」
 ずっと心にしまっていた一言がこぼれ落ちてしまったのは、もう会えなくなってしまうからだろうか。失礼だろうと思って言わないようにしていたこと。スカートから伸びる脚の向こうには、いつだって屋上のフェンスが透けて見えた。
「心残りがあるの?」
 一度こぼれてしまった言葉は拾うこともできず、かわりにぽろぽろとあふれだしてとまらなくなる。君の、半透明でもはっきり感じられる髪のつや、ほんのり赤い頬。死んでるなんて思えないきらめきで海だけを映す瞳、ゆび、腰、くちびる。
「僕といっしょに来てくれればいいのに」
 だけど僕が逃げる街に海はない。
 お父さんがいなくなった朝。僕も捨てられたということよりも、泣き崩れたお母さんを見ることの方が辛くてたまらなかった。
 いつも暗く後ろめたそうな表情をしていたお父さんが残したメモには、東京で人の群れに埋もれてしまいたくなった、とだけ書かれていた。死んでいるかもしれないし、新しい家庭があるかもしれなかった。
 頭のいいお母さんが本気で、東京に行けば見つけられると思っているとは考えられない。ましてや、連れ戻せるなんて。お母さんは、どこかで少しずつ歯車を狂わせている。捨てられた僕らを快く受け入れてくれたおじいちゃんたちを、今度は僕らが捨てるのだ。
 遠くを見つめる君も、誰かを探しているのだろうか。
 瞳が、かすかに揺らいだ気がした。初めて見る表情に心臓の音がうるさくなる。わずかに体を前のめりにし、目を凝らして遠くを見つめた君は、明らかに目の色を変えた。
 にぎやかな海岸の向こう、規則的に並んだブイのずっとずっと向こうに見える、水しぶき。
 それは、イルカの群れだった。
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