からかぜ

七草すずめ

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4.楓GAMES

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 真面目な桃葉にとって、こんなにも血の気が引く感覚は久しぶりだった。まず、カーテンの隙間から差す光の具合で、いつもの時間ではないことだけは確信した。目をそらしたい思いでスマホを見、寝坊を確認すると、重たい上体を勢いよく起こし、化粧もそこそこに家を飛び出した。
 昨晩というべきか、今朝というべきなのか。桃葉が布団に入ったのは、四時をとっくにまわった頃だった。結局、その配信の目的である「ポプリくんからの特別アイテムをもらう」まで、見守ってしまったのだ。
「ポプリくんのアイテム、これかよ!」
 朝方ようやくもらえたポプリくんからの親友の証――巨大な哺乳瓶を街に飾り、楓は腹を抱えて笑った。それにつられ、隣人のことも気にせず大笑いしてしまったことを、桃葉は徹夜でハイになったせいだと言い分ける。新聞配達のバイクの音が、いっそすがすがしかったことを思い出す。
 配信が終了し、画面が暗くなってからもその熱が冷めなかった桃葉は、その投稿者のプロフィールにアクセスし、チャンネル登録を済ませた。「楓GAMES」という文字を見て、楓という名前は本名にしろハンドルネームにしろ、どこか古風な黒髪である彼にぴったりの名前だと思った。
 桃葉が講義室後方の扉を開けたのと、前方で先生がスクリーンの電源を入れたのは、ほとんど同時だった。何人かがこちらを振り返り、桃葉は息を一瞬止める。酸素をほしがる心臓に苦しさを感じながら、切れ切れになった呼吸を無理矢理おさえ、重い扉をゆっくり閉めた。
 ゆるやかな階段状になっている座席をそろそろと降りながら、桃葉は雪子を探すことを諦め、代わりにあいている席を探す。十人がけの長机の、真ん中あたりには空席があるのに、端が全て埋まっているため入れない。ちょうど、バスの入り口付近だけ混んでいるときのようだった。詰めてくれればいいのに、と思いながら十五列ほど降りて、講義室の中ほどでようやく空席を見つけ、腰かけた。端をひとつだけあけて座っていた男子学生と隣り合う格好になり、桃葉はいちおう、すみません、と会釈した。
 茶髪の男子学生は桃葉を一瞥し、ふたつ右の席にずれた。ありがたいと思う気持ちと、最初から詰めて座ればいいのにという気持ち、どちらも矛盾なく感じながら、今度はお礼のつもりで、会釈をする。男子学生はボールペンを回しながら前を向いており、桃葉の礼には目もくれなかったけれど。
 黒板の前では先生が、心理学の基礎用語について説明し始めていた。文字だけのスライドをレーザーポインタで指し、「心理学の基礎的なことば」を、難しい用語を交えて説明している。
 ノートを取りはじめた男子学生をちらりと見て、桃葉も授業に集中しようと背筋をのばした。そこでようやく、筆記用具もノートも、家に忘れてきたことに気が付いた。
「遅くまで何してたのよ。彼氏でもできた?」
 右手のフォークでカルボナーラを巻きながら、雪子が聞く。桃葉は苦笑いを返した。
「振り付け考えてたら、夜更かししちゃったの」
 高く白い天井は、開放感がある。二限が終わったあとの学食は賑わっていて、二人はこの、狭い座席を確保するので精一杯だった。
 Aランチのハンバーグをつつきながら口にした夜更かしの理由は、筆記用具もノートも忘れた桃葉が、眠気と戦いながら授業中に考えていた嘘だった。何食わぬ顔をしながら、皿に広がったデミグラスソースを最後のひときれですくいとり、口に運ぶ。雪子は驚いたように食事の手を止め、桃葉をまじまじと見つめると、ため息をついた。
「それはありがたいけど、さっきみたいなのはまずいでしょ。ダンスサークルのやつは、って言われちゃう。さっき派手に舟こいでたのだって、先生、絶対気付いてるからね」
 一限のことを思い返し、桃葉は顔を赤らめる。眉毛を書いていない、髪もぼさぼさの自分が、舟をこぐ姿が目に浮かんだ。雪子は容赦なく続ける。
「ダンスなんて、ただでさえ、ちゃらちゃらしてるって思われがちなんだから。行動は気をつけてかないと。……って、先輩も言ってたでしょ」
 桃葉がしゅんとしたのに気付いたのか、きまりの悪いときにいつもそうするように、雪子は横髪をかきあげる。そしてフォークを置くと、安っぽいプラスチックのコップを手に取った。
「確かに桃葉は、四人の中でも一番上手いと思うけど。だからって、桃葉だけががんばらなきゃいけないわけじゃないでしょう?」
 言い切って、勢いよく水を飲み干す。うん、ありがとう。桃葉は目を伏せ返事をしながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
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