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8.「今日はあったかくして寝てね」
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その日、桃葉が通知――待ちわびていた。他愛もない投稿の通知なら一日中受け取っていたが、ライブ配信開始の通知を受け取ったのは八日ぶりだった――、を受け取ったのは、二十一時をまわった、学校の敷地内だった。
十月の夜風は、涼しいを通り越し、冷たい。だけどその場にいる四人はみな、汗だくだった。雪子はトレーナーの袖をまくっていたし、美波はパーカーを脱ぎ、タンクトップ姿で踊っていた。桃葉も同様に上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていたが、寒いとはちっとも感じなかった。
サークルとしての練習は七時頃に終わったのだが、アンダンテのメンバーで少し残り、振り付けの最終調整をしようという話になった。学祭発表まで、あと一ヶ月を切っている。振り付けこそ完成したものの、踊れば踊るほど、それが格好いいのか滑稽なのか、わからなくなってくることに悩まされていた。
サークルの活動場所である剣道場はとうに施錠されているため、野外で冷されたコンクリートの上、四人は小さな音量で曲を流しながら、踊っている。
若菜が休憩をとりたがったのは、当然とも言えた。サークル練習が終わってから二時間ほど、水分もろくにとらず練習し続けていたのだ。美波は、休憩を取るくらいなら今日はもう終わりにしようと主張したが、若菜はもう少し練習したいと言い張った。疲労が蓄積していると、空気がぴりついてくる。
「じゃあちょっとだけ休憩とって、そのあと一回だけ踊らない? 動画撮って、課題点見つけてくるのを、宿題にしようよ」
雪子の提案に、美波もそれならと納得し、五分の休憩を取ることになった。雪子と美波は近くの自動販売機に飲み物を買いに行き、若菜はかばんから取り出したチョコレートををつまんだ。
桃葉はというと、冷えた風で体が熱を失っていく感覚を味わいながら、かばんからスマホを取り出した。眩しすぎる光が、一瞬目を刺す。思わず瞑った目を薄く開けたその先に、楓の投稿通知を見た。
「どうしたの、大丈夫?」
若菜が心配したのは、桃葉が思わず小さな声をあげたからだった。
「ごめん、なんでもないの」
そう言いながらも、頬が引きつっているのがわかった。楓は一週間以上も動画投稿やライブ配信をしておらず、桃葉はずっと気にしていたのだった。
久々にライブ配信します、という旨の投稿があったのは、一時間前だった。その後、「ありがとうございました」という投稿があった様子はないので、まだ配信中のはずだ。だけど、開始時間もまちまちであれば、長さもまちまちである――五分で終わったこともあった――楓の配信だ。本音を言えば、今すぐにでも視聴を開始したい。
用事ができたと言って帰ろうか、それともトイレにこもって配信を少しだけ聞こうか。一瞬で、桃葉の頭は楓でいっぱいになる。
戻ってきた雪子と美波も心配するほど、桃葉の様子は普通でなかったらしい。
「なんか桃葉、体調悪そう。動画はまた明日にして、今日はこのまま解散する?」
雪子に言われ、桃葉は慌てて首を横に振る。ダンスとゲーム実況を天秤にかけられて、私欲にまみれた後者を選ぶことはできない。
「じゃあ、動画撮ったら桃葉はすぐ帰りなよ。みんなで見て反省したあと、桃葉にも送るから。明日の朝にでも見ておいて」
美波が言った。体調が悪いわけではないのだと言おうとして、もごもごしているうちに、
「もし風邪なら、うつされて四人全滅しても困るしね」
と、雪子にとどめを刺され、桃葉はありがとうと、弱々しく口にした。
ミニ三脚で固定した雪子のスマホを使い、ダンスを撮影し終えると、桃葉は三人に何度も謝りながら、帰る支度をはじめた。
「今日はあったかくして寝てね」
そう言って若菜が手渡してくれたビタミンドリンクを受け取りながら、桃葉は軽く咳きこんでまでみせる自分を、情けないと思った。
暗い構内を、一人で校門に向かって歩く。建物の角を曲がり、自分が三人の視界から消えたことを確認すると、桃葉はすぐにイヤホンを取り出した。急いでアプリを起動し、楓のライブ配信を開く。
「俺小学生のとき、このゲームすごいほしかったんだよねー。これ持ってるやつはそれだけで人気者、みたいな時期なかった?」
いつもと同じ、楓の少し低い声が、耳に流れ込む。今日はスローライフゲームではなく、格闘ゲームをしているらしかった。ふう、と長い息を吐き、緊張していたことに気付いた。嘘をつくのは、気が張るし、息が詰まる。だけど、楓のくすぐったい笑い声と、意地悪なことを言うときの独特な色気が、いつものように、裸で毛布に包まったときのような、安心感を与えてくれた。
「格ゲーは苦手だけど、このゲームだけはがっつりやりこんだから、結構強いよ。俺にやられたい人いる?」
コメント欄にはきっと、わたしやりたいとか、負けないですとか、そんな言葉があふれているのだろう。画面を見ず、耳だけに意識を傾けながら、桃葉は自転車のロックを外し、サドルにまたがった。
住宅街である大学周辺は、街灯があってもほんのりと暗く、しんと静まりかえっている。十月の気温に溶けた楓の声だけが、桃葉の耳を通り、疲労した筋肉をするするとほぐしていく。
「待って、俺の好きなキャラってそんなに人気ないの? 嘘だろ、みんなこいつのよさわかんないの?」
楓くんが好きなら、わたしもそのキャラ好きだよ。桃葉はもう、どこまでだって自転車で行けてしまいそうな気分だった。先ほどまで踊っていたダンスの振り付けなど、夜の空気に溶けていくようだった。桃葉は夜空にオリオン座を見つけ、微笑んだ。
十月の夜風は、涼しいを通り越し、冷たい。だけどその場にいる四人はみな、汗だくだった。雪子はトレーナーの袖をまくっていたし、美波はパーカーを脱ぎ、タンクトップ姿で踊っていた。桃葉も同様に上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていたが、寒いとはちっとも感じなかった。
サークルとしての練習は七時頃に終わったのだが、アンダンテのメンバーで少し残り、振り付けの最終調整をしようという話になった。学祭発表まで、あと一ヶ月を切っている。振り付けこそ完成したものの、踊れば踊るほど、それが格好いいのか滑稽なのか、わからなくなってくることに悩まされていた。
サークルの活動場所である剣道場はとうに施錠されているため、野外で冷されたコンクリートの上、四人は小さな音量で曲を流しながら、踊っている。
若菜が休憩をとりたがったのは、当然とも言えた。サークル練習が終わってから二時間ほど、水分もろくにとらず練習し続けていたのだ。美波は、休憩を取るくらいなら今日はもう終わりにしようと主張したが、若菜はもう少し練習したいと言い張った。疲労が蓄積していると、空気がぴりついてくる。
「じゃあちょっとだけ休憩とって、そのあと一回だけ踊らない? 動画撮って、課題点見つけてくるのを、宿題にしようよ」
雪子の提案に、美波もそれならと納得し、五分の休憩を取ることになった。雪子と美波は近くの自動販売機に飲み物を買いに行き、若菜はかばんから取り出したチョコレートををつまんだ。
桃葉はというと、冷えた風で体が熱を失っていく感覚を味わいながら、かばんからスマホを取り出した。眩しすぎる光が、一瞬目を刺す。思わず瞑った目を薄く開けたその先に、楓の投稿通知を見た。
「どうしたの、大丈夫?」
若菜が心配したのは、桃葉が思わず小さな声をあげたからだった。
「ごめん、なんでもないの」
そう言いながらも、頬が引きつっているのがわかった。楓は一週間以上も動画投稿やライブ配信をしておらず、桃葉はずっと気にしていたのだった。
久々にライブ配信します、という旨の投稿があったのは、一時間前だった。その後、「ありがとうございました」という投稿があった様子はないので、まだ配信中のはずだ。だけど、開始時間もまちまちであれば、長さもまちまちである――五分で終わったこともあった――楓の配信だ。本音を言えば、今すぐにでも視聴を開始したい。
用事ができたと言って帰ろうか、それともトイレにこもって配信を少しだけ聞こうか。一瞬で、桃葉の頭は楓でいっぱいになる。
戻ってきた雪子と美波も心配するほど、桃葉の様子は普通でなかったらしい。
「なんか桃葉、体調悪そう。動画はまた明日にして、今日はこのまま解散する?」
雪子に言われ、桃葉は慌てて首を横に振る。ダンスとゲーム実況を天秤にかけられて、私欲にまみれた後者を選ぶことはできない。
「じゃあ、動画撮ったら桃葉はすぐ帰りなよ。みんなで見て反省したあと、桃葉にも送るから。明日の朝にでも見ておいて」
美波が言った。体調が悪いわけではないのだと言おうとして、もごもごしているうちに、
「もし風邪なら、うつされて四人全滅しても困るしね」
と、雪子にとどめを刺され、桃葉はありがとうと、弱々しく口にした。
ミニ三脚で固定した雪子のスマホを使い、ダンスを撮影し終えると、桃葉は三人に何度も謝りながら、帰る支度をはじめた。
「今日はあったかくして寝てね」
そう言って若菜が手渡してくれたビタミンドリンクを受け取りながら、桃葉は軽く咳きこんでまでみせる自分を、情けないと思った。
暗い構内を、一人で校門に向かって歩く。建物の角を曲がり、自分が三人の視界から消えたことを確認すると、桃葉はすぐにイヤホンを取り出した。急いでアプリを起動し、楓のライブ配信を開く。
「俺小学生のとき、このゲームすごいほしかったんだよねー。これ持ってるやつはそれだけで人気者、みたいな時期なかった?」
いつもと同じ、楓の少し低い声が、耳に流れ込む。今日はスローライフゲームではなく、格闘ゲームをしているらしかった。ふう、と長い息を吐き、緊張していたことに気付いた。嘘をつくのは、気が張るし、息が詰まる。だけど、楓のくすぐったい笑い声と、意地悪なことを言うときの独特な色気が、いつものように、裸で毛布に包まったときのような、安心感を与えてくれた。
「格ゲーは苦手だけど、このゲームだけはがっつりやりこんだから、結構強いよ。俺にやられたい人いる?」
コメント欄にはきっと、わたしやりたいとか、負けないですとか、そんな言葉があふれているのだろう。画面を見ず、耳だけに意識を傾けながら、桃葉は自転車のロックを外し、サドルにまたがった。
住宅街である大学周辺は、街灯があってもほんのりと暗く、しんと静まりかえっている。十月の気温に溶けた楓の声だけが、桃葉の耳を通り、疲労した筋肉をするするとほぐしていく。
「待って、俺の好きなキャラってそんなに人気ないの? 嘘だろ、みんなこいつのよさわかんないの?」
楓くんが好きなら、わたしもそのキャラ好きだよ。桃葉はもう、どこまでだって自転車で行けてしまいそうな気分だった。先ほどまで踊っていたダンスの振り付けなど、夜の空気に溶けていくようだった。桃葉は夜空にオリオン座を見つけ、微笑んだ。
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