《五鳳繚乱~運命の紅い痣~》

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第四章:血染めの聘礼(へいれい)

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第四章:血染めの聘礼(へいれい)

赫連翊の輿が去った後、宰相邸は異様な静寂に包まれた。蘇玲瓏は自室で震える手を抑えながら、赫連翊が残していった真紅の箱を見つめていた。箱の縁からは、未だに生臭い鉄の香りが漂っている。

「開けてはならぬ」

突然、扉際から裴雲昭の声が響いた。彼は官服に着替えており、腰には龍鱗剣が揺れていた。額には薄く汗が浮かび、紫水晶の瞳が不自然に輝いている。

「中身はもう見てしまったわ」蘇玲瓏が箱を指さした。「六つの心臓と、空の札。あれは...私の『前任者』たちなのね?」

裴雲昭の眉が微かに震えた。彼は箱の前に跪き、複雑な印を結んだ。箱の鍵穴から漏れる赤い光が、ゆっくりと消えていった。

「これは『心臓』ではない。『魂の器』だ」

宰相が箱を開けると、中には確かに六つの赤い塊が並んでいたが、近づいて見ればそれらはむしろ水晶に近い質感だった。それぞれの内部には、微かな光の粒が漂っている。

「七世にわたって赫連翊が集めた、あなたの魂魄の欠片」裴雲昭の指が七つ目の空の場所をなぞった。「最後の一つが埋まれば、彼の術は完成する」

突然、蘇玲瓏の眉間が鋭く疼いた。視界が歪み、またあの幻覚が襲ってくる――赫連翊が金の短刀で、彼女にそっくりの女の胸を切り開く情景が。

「あぁっ!」

彼女が倒れそうになるのを、裴雲昭が素早く受け止めた。宰相の腕の中で、蘇玲瓏は奇妙なことに気付いた。彼の心臓の鼓動が、普通の人間の半分以下の速度で打っていることを。

「大丈夫か?」

冷たい手が彼女の額に触れた。その瞬間、蘇玲瓏の意識は再び幻覚に引きずり込まれた。今度は、紫の官服をまとった裴雲昭が、赫連翊の胸を剣で貫く情景だ。しかし、流れる血の色がおかしい――赫連翊の血は黄金色に輝いている。

現実に戻ると、裴雲昭が奇妙な形の香炉を捧げ持っていた。中から立ち上る紫煙が、蘇玲瓏の痣の痛みを和らげている。

「赫連翊は人間ではない」裴雲昭が静かに言った。「西陵国の皇族などと偽っているが、実は...」

突然、窓ガラスが割れる音がした。外を見やると、庭の池の水面が沸騰するように泡立っていた。水の中から、金の仮面を付けた無数の手が伸びてきている。

「早すぎる...!」裴雲昭が龍鱗剣を抜きながら呟いた。「まだ満月まで十日もあるというのに」

蘇玲瓏が箱を抱えて立ち上がった時、寝室の壁紙が不自然に波打ち始めた。赤い染みが広がり、やがてそれは六つの肖像画と同じ死に様の女たちの姿になった。

「逃げろ!」裴雲昭が叫んだ。「東棟の祭壇へ!香炉の煙が道を示す!」

蘇玲瓏が扉を飛び出した瞬間、背後で雷鳴のような轟音が響いた。振り返れば、裴雲昭の剣から放たれた紫電が、壁から現れた仮面の群れを薙ぎ払っていた。しかし、その光景もすぐに見えなくなった――廊下のあちこちから、血の滴る金の仮面が浮かび上がってきたからだ。

香炉の煙が示す道を必死に駆けていく蘇玲瓏の耳に、赫連翊の声が囁きかけてくる。

『逃げても無駄ですよ、花嫁様。あなたの魂はもう半分、私のものなのですから』

その言葉とともに、蘇玲瓏の左手が勝手に動き、自分の喉を締め始めた。視界の端で、薬指の輪郭が不自然に光っているのに気付いた――あの指輪痕が、赫連翊の術の媒介になっていたのだ。

「離れろ!」

自分でも意識しない叫び声を上げながら、蘇玲瓏は箱の中の「魂の器」の一つを掴み取った。赤い水晶が手のひらで砕け、中から漏れた光の粒が、薬指の輪郭を覆った。

赫連翊の呪縛が解け、蘇玲瓏はようやく祭壇の間へ辿り着いた。そこには、彼女と同じ痣を持つ少女の像が安置されていた――おそらく最初の「鍵の持ち主」だろう。

像の前で蘇玲瓏は箱を開き、残る五つの「魂の器」を取り出した。一つを犠牲にした今、完全な術は組めない。だが、逆に言えば...

「これで、私から魂を奪うことはできなくなるわね」

水晶を床に叩きつけると、中から解放された光の粒が渦を巻き、像を包み込んだ。遠くで赫連翊の怒りの叫びが響き、建物全体が激しく揺れた。

崩れ落ちる天井の下、蘇玲瓏は最後の「魂の器」を胸に抱きしめた。その中には、最も新しい時代の光の粒が漂っている――おそらくは、六代前の「蘇玲瓏」の魂の一片だ。

「よかった...これで裴雲昭も...」

意識が遠のいていく中、蘇玲瓏は紫の影が自分に向かって駆けてくるのをかすかに見た。彼の叫び声が、ゆっくりと暗黒に消えていった。

『――蘇玲瓏!』

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