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第六章 一晩中踊れたら(music by Shelly Manne & His Friends)
第六章 一晩中踊れたら(music by Shelly Manne & His Friends)6
しおりを挟むほとばしる雷のように轟いて、悲嘆のように叫ぶ音。
「俺のところへ戻って来い」
その心の、その言葉の替わりに振動して、律動する。
はっきりと、狂えるように指の動く、奔流のようなサックスの音色が舞って、走っていく。
リズムは一度、休符を取ると、メゾピアノにまで音量を落とし、一つのイントロダクションを吹き鳴らした。それは嵐の前の静けさのように、音をひそめ窺っている。淳史が吹き続ける旋律を、文彦は聴いたことがある、と思った。
徐々に音はこまかでいて激しい音調になっていく。
(オネス……ティ……)
それは今や淳史の代表曲ともいっていいオリジナルナンバーだ。
文彦はぜんまい仕掛けの玩具のように、のろのろとぎこちない動きでピアノへとよろめき、手をかけた。倒れるようにして座り、ぼんやりと鍵盤に手を伸ばす。文彦は左手で無意識にコードをつけた。
淳史の音は軋むようにダイナミズムをもって、難解な音をすべることなくあらわしていく。
からの手を上げて、指先は鍵盤を行き交い、淳史の放つ旋律へと追い上げていく。
文彦にとっていつもゲームは、ブラフでノーカードでスタートしていた。幼いうちから狩られ、食われる側で、その容姿もちいさな顔の繊細さも、愛でられるよりは獲物になった。そうして、石もて追われるのは、買った側の人間ではなく、そういう側の人間なのだ。
(汝ら罪なき者まず石を擲て……)
悲しい慟哭、苦しい現実、かすかな希望、それらが混じり合い、胸に昇り、頭上へと奔流して、またたく間に指先へと還元されていく。
(ただ対等な、一人の人間になりたかった……)
それは何処だ、それは何時だ――
メロディはサビへと移り、パァン! と叩きつけるほどの音量で、淳史は身を折って吹き鳴らした。再誕なほどのセンセーション――烈しい嵐は荒れ狂い、頭脳も理性も超えた向こうに、むき出しの魂が見えた。
文彦の瞳の焦点がかちりと合ったようにわずかに動いた。
手を伸ばせば届きそうなもの。そこには確かな熱い激しさ。
(本当なんて何処にある?)
(え?)
ただ一人、両脚で立つ長身の中から、幻聴のように文彦へと聴こえた声。
(真実の誠意なんて誰が持っている? 計算、私欲、下心――そんなもののない人間なんて)
(あ……だから)
オネスティなのか、と文彦は突然に心が回転した。それを歌ったものではなかった――無い、と思いながらも希求し、諦めきれないからこそ、淳史は吹くしかなかったのかと文彦は思い至った。
それを求める淳史の魂の純粋さ、繊細さは、文彦の目の前に手放しで開け放たれていた。
(淳史)
それはなだめたいような愛しいような感覚へと、文彦の中へと湧き上がっていく。
文彦は両手をひらいて鍵盤をすべるように弾いていく。
弾けるようなメロディを支え、追い上げ、共鳴しては突き放す。
(ち――指が戻ってない)
右手は怪我のあとに、まだ思うように動かずなまっていたが、左手でそれを舞うようにカバーする。
(今、弾かなかったら死んでしまう)
歯を食いしばって、胸を痛ませるほどの狂乱は、体なのか、心なのか。
すぐに淳史のアルトサックスが被さり、掛け合いのパートを、サックスとピアノでたたみこむように鳴らしていく。
淳史の切れ上がったまなじりが、白黒の鍵盤を制圧している文彦の姿を見据え、それからソロをピアノに委ねた。
物憂い大きな瞳の奥できらりと妖しさを光らせて、端然とピアノの前に座った文彦は、しかしソロには優しいといってよい音色でスウィングした。切れるようなリズムでふいとピアニッシモ、それからまた空気を収縮されるような緊張を音に乗せてクレシェンド、そして、再び強いタッチで「honesty」のテーマ。
それを、背後から支えるように響いていたサックスが、激しく奪うように後を継いだ。
(あっ)
文彦は短く息を切った。
(ファイア・ワルツ)
サックスは休符もなく次の曲へと繋げていってしまう。
絞られた音量から、狂えるように押し流していき、空気を割りひらいていく瞬間。
(いい――)
舌なめずりするように尖った舌で唇を舐め、文彦は両腕を広げて、哄笑しそうなほど胸が踊っていく。
意のままに風を吹かす風神アイオロスの如く、サックスの息吹は高まり、渦巻いていく。
焔のようにゆらめき、風を吹かせ、また火花をあげて、そして黄金色に燦然と輝く炎の音。消えかけてはひらめくようにまたたき、激しく燃える。
ソロパートは、エリック・ドルフィーの刺激的でほとばしるエネルギーのサックスとは違う、ひしひしと滴るようなすすりなくような、それでいて憤怒をも秘めたファンキーさだった。
(あぁ……いい!)
喘ぐような切れ切れな息で、文彦が最も好む曲のうちの一つを奏でていく。ドルフィーのジャズの可能性を探求した調べに痺れるように魅せられたのは、十代も半ばだった。
淳史は押し上げるようにサックスを吹き続ける。いつもの都会的なステージとはまったく異なる、嵐のように激情ともいえるほとばしりが文彦の胸を突いた。
それはまた転回して、「I could how dance all night」へと、淳史が一瞬も空けずに繋げていく。メロディを切れあるサックスで身を折って、ダイナミックに吹き鳴らす。
あまりに有名な空前のヒットのミュージカルナンバーは,ダイナミックさはそのままに、淳史の手によって狂おしく艶麗な息吹が加えられていく。もとはピアノ曲であるそれに、文彦は合せてコードを響かせ、激しいリズムで追い上げる。
(一晩中踊れたら)
そのタイトルのままに興奮冷めやらぬ熱いテンポは、すでに原曲をはなれ、二人の指でもって新たな展開を広げた。激しい狂乱と、錯綜に満ちた胸しめつける律動。
曲を択び取った淳史の奏でる音が、心の渇望となって、懇願となって押し寄せ、文彦を呑もうとしていく。
(この、まま……)
流されてもいい、と心あらずに、文彦は思った。
放埓に投げ出したいような、この狂えるサックスに正気をあずけて、一晩中踊れたら。
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