真夜中の片隅で、ずっと君の声を探していた

風久 晶

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それぞれの光、青空へとアンコール

39.それぞれの光、青空へとアンコール①

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「今日で終わりかな……」
 俺は白い紙袋を眺めて、ゴミ箱にポイと投げ入れた。
「長かったな……」
 壁にかけたカレンダーはもう新しくなっていて、真冬の寒さも厳しい二月になっていた。
 家に引きこもって一週間近く、俺は伸びをしてから、眼鏡を指で押し上げて勉強の予定を考えた。
 金曜日の夕方は、真冬の街をあわいコーラルに染めるサンセット――
 シャーペンを手に取って、ノートを開くと、窓の外から賑やかな小学生の声や、自転車の通り過ぎていく音。
 階下からチャイムの音が聴こえて、俺はすぐに立ち上がって、階段を降りていった。
 ドアを開いて、見上げれば、そこには誰より愛しいひと。
 紺のブレザーの上に、同色のコートを着て、うすいブルーのマフラーを巻いて、すらりとした姿が立っていた。
「優、また来てくれたんだ?」
「うん、そりゃもちろん。だって、今日はあれじゃん」
「え?」
 優はもう慣れた仕種で、俺の家に入って来ると、ダイニングで鞄やコートを手早く置いた。
「インフルエンザ、どう?」
「今日で薬も終わりだし、もう大丈夫だよ。優に移らなくて良かった」
 四十度近くまで発熱した日に、優が病院へと連れて行ってくれて、その後は、移ったらいけないからと断っていたけど、二日空けずに、学校の帰りに来てくれていた。
「俺、元気だもん。あんまり病気になんないし」
「そりゃあ、あの優のお母さんが管理していれば元気だろうね」
「だから、大丈夫って言ったじゃん?じゃあ、もう、葉司は元気?」
「うん」
「じゃあ、キスとかしていい?」
 にこーっと笑う顔は無邪気だけど、その言葉にドキッとする。
「もう一週間は、キスもなーんにもしてないから、葉司が足りない」
「あ……」
 長い指が、俺の眼鏡を取っていって、テーブルの上にことりと置いた。
 そのまま、その指が俺のあごを捉えて上を向かせると、どこか熱さを秘めた沈黙が二人に落ちた。
 久しぶりに、優の顔がすぐ近くに寄ってきて、その吐息がかかるくらいに近くになって、高鳴る胸を抑えきれずに、俺は思わず瞳を閉じた。
 久々の距離の近さと、熱っぽい空気に、くすぐったいような気恥しさと、もう今すぐに優の温もりのすべてを感じてしまいたい誘惑に揺れている。
 そっと、唇が今、触れようとして――
「葉司!」
 玄関から鈴の鳴るような声が聴こえて、俺たちは、ビクッとして慌てて離れた。
「あっ、鍵開いてる? 葉司、入るよー」
 パタパタと軽やかな足音がして、ひょい、と白い小さな顔が現れた。
 一度帰ってから着替えてきたのだろう、真っ白なワンピースに、モーブピンクのコートを着た瑠奈が、長い黒髪をさらりと揺らして、ダイニングのドアから足早に入って来た。
「えッ、また来てるの? 小山田優!」
「そっちこそ、昨日も来てただろっ!」
「私は、葉司にご飯持って来てるんですー。はい、葉司。私のほうが気が利くもんねぇ?」
 瑠奈はテーブルの上に、荷物を置いて、パッと優のほうに向いた。
 最近、瑠奈と優は、会話が増えて、軽口を叩くくらいの距離になっていた。
「特優男子なんて言われてるから、どんなに凄いんだろうって思ってたけど、葉司のほうが全然できる男じゃないッ」
「それは女子が勝手に言ってるんですー。俺じゃありませんー」
「あッ、なんか腹立つッ」
「ま、俺のステータスだよ。それに騒いでるだけじゃん」
「結構、中身ヒネてるとこあるよね? 私のことも、最初、こわーい顔して見てたでしょ?」
「そりゃあ、葉司にベタベタしてたから」
「ふふ、そうなんだ、へーえ」
 瑠奈は黒い大きな瞳を、何か思いついたようにキラキラさせると、テーブルの上の荷物に向かった。
 優と瑠奈が、こうして言い合うくらいになったのは、なんだか不思議な気分だ。
 瑠奈が誰かに、そんなに言い募るのもたぶん初めて見たし、それは優のあっけらかんとしたところと、今までの積み重ねが、瑠奈の心を開いたのかもしれない。
 優はたぶん、瑠奈がストレートに、取り巻く環境を取っ払って、優自身だけを見ているのを感じているんだろう。
「あ、葉司、ここに立って」
「え? うん」
 俺が瑠奈が指し示したテーブルの前に立つと、瑠奈は涼やかな目元の、長い睫毛を何度か瞬いて、黒い瞳をキラキラさせて俺を見つめた。
「葉司、はいっ――バレンタイン!」
 背中に隠していた、綺麗にピンクのリボンをかけられた袋を、両手に乗せて、瑠奈は俺の前へと差し出した。
 白い頬は幼な子みたいにピンクに染まっていて、そのままバストアップのフォトにおさめてしまいたいくらいの、花ひらくような清らかな微笑。
 俺はしばらくその姿に見惚れた後、そっとその袋を受け取った。
「ありがとう」
「今年は、りんご入りショコラ・ブラウニーを焼いたの」
「本当に、瑠奈は上手だなぁ。すごくセンスが良いし」
「ふふ。毎年、葉司が褒めてくれたからだよ」
 そう言いながら、どこか得意そうにしている瑠奈の姿は、可愛らしかった。
「だって、本当に瑠奈が上手だから」
「葉司って私に甘いね」
 くっくっと子鳩のように喉で笑う瑠奈は、俺の頬をつついた。
「はい、そこまで」
 優が、ぐいーっと瑠奈の肩をつかんで、横へと押しやった。
「あ、もうッ」
 驚いたのは、瑠奈は、優が触ったことに対して、そう嫌がっていなかったことだった。
「わざとやってるだろう? 葉司は騙せても、俺は騙されない。あざとい。安住瑠奈」
「あッ、呼び捨てた! 瑠奈さんと言いなさいよ、瑠奈さんと」
「言うわけないだろ」
「ゆーう。そんなこと言ってて良いのかなぁ?バレンタインあるんだけど」
「チョコレートなら要らない。いっぱいもら……」
「えッ? まさか、今日もらってきたわけッ? これッ?」
 瑠奈は、優の鞄の横に置いてあった紙袋を、二つ両手で持ってずいっと差し出した。
「あっ、こっちは葉司にあげるやつなんだから、雑にすんなよっ」
「え……優」
「あーもうっ。後でビックリさせようと思ってたのに、台無しじゃん!」
「嘘……俺、何も用意してなくて……」
 そもそも、バレンタインは、男が何か準備するものだとも思っていなくて、驚いて優の顔を見上げた。
「いや、俺も初めて買ったけど。なんか葉司が美味しそうにチョコレート食べたら可愛いだろうなーって。あ、今のビックリした顔もすんげぇ可愛い」
「え……」
 俺は何と返して良いかわからずに、戸惑った。
「葉司、騙されたらダメだよッ。じゃあ、こっちは何なのよッ?」
 瑠奈は、もう一度、ずいっと残った一つの紙袋を差し出した。
「え……っと」
 優は、くるりと瞳を回して、俺と瑠奈から視線を反らした。
「優?」
「バレンタインで、女子からもらったんでしょッ? 普通、こいうの、恋人ができたからって、断らない? もらわないよね? というか、何個あるのよッ?」
「いやもう、だって、机とか、ロッカーとか、勝手に入ってたから、返しようないじゃん。わざわざ返しにいくほうが失礼じゃん? ちゃんと手渡しは、断ったっつーの」
「えっ、それでこれなの……あッ、なんかやっぱり腹立つッ。存在が腹立つッ」
「それはこっちの台詞だっつーの。バレンタインなんだから、早く鷹宮さんのとろこへ、しっしっ」
「ゆーうくーん。そんなこと言ってて良いのかなぁ? 後悔するよぉ。だって、君へのバレンタインは、葉司の子どもの頃の写真だもーん」
 ふふ、と笑った瑠奈を、俺はまじまじと見返した。
「えっ、ちょっと待って。そんな写真あった? というか、何でそんな写真持ってきてるんだよ、瑠奈」
「だって、前に欲しいって言われたから」
 瑠奈は、優を指差した。
「ください、瑠奈さん」
「いやだぁ。だって、偉そうに言ったもーん」
「ごめんなさい」
「仕方ないなぁ」
 瑠奈は、鞄から一枚の写真を取り出して、目の前に見せた。
 三人で頭を寄せて、その写真をじっと覗き込んだ。
 そこには、俺と瑠奈が二人並んで、振り返った瞬間が切り取られて写っていた。
 背景には神社の朱色の鳥居、その後ろにずらっと並ぶ賑やかな色彩の屋台。
 二人寄りそうように、まとった浴衣は白地で、瑠奈は薄紅、俺は薄青で、蔦の葉柄を描いた色違いになっていた。
 写真の中におさまった九歳の瑠奈と俺は、どこか似ていて、背の高さもあまり変わらず、黒い前髪も同じくらいの長さで、双子のような雰囲気さえしている。
 笑顔は無垢な子どものままで、何も知らない明日を待っている。
 そこでは、幸福な瞬間の二人が、ずっと笑っている。
 三人で、しばらく、しんとして、ただ黙って写真を見つめていた。
「はい、プレゼント」
 瑠奈は静かにそう言うと、優の掌に、その写真を置いた。
「ありがとう――葉司、前髪が短いのも良いじゃん」
「え、そう? まあ今は切りに行ってないだけだけど……」
「なんかこう、凛々しくて良いかも。子どもの葉司、やばいな」
「え、なんかヘン?」
「……まじで、可愛いじゃん。やばい。えっ、俺はロリなの?ショタなの?えっ」
「勝手に悩みなさいよ。あッ、鷹宮さんとの約束の時間になっちゃう。じゃあ、葉司。またねッ」
 瑠奈は、ほそい指で鞄をつかむと、スカートの裾をひらりと翻し、その白い顔の微笑みを残光みたいに最後に向けて、軽やかに駆けていった。
「瑠奈、気をつけて」
 それだけ声をかけることができて、瑠奈が玄関を飛び出していく音が聴こえた。


 優と二人きりになって、俺はしばらく静けさに身を委ねた。
「瑠奈、ちょっと変わったかも」
「まぁ雰囲気ちょっと変わったかも?」
「だよね……」
 二人隣り合って座って、膝と膝が触れている。
 そこから温もりがじんわりと広がっていって、もっとその感触を確かめたくて溢れていく。
 俺は優の手をとって、膝に置いて、指で指をなぞっていった。
 窓からの夕焼けは、いつの間にか、オレンジから薄明のラベンダーになって、まどろむような色をしている。
 この先、俺たちは何処へ行くんだろう?
 俺も、優も、瑠奈も。
 この十七歳のボーダーラインを飛び越えて、いつかへと続く先には、何があるのだろう?
 そして、俺と、優の関係は。
「優……」
「ん?」
 呟けば、すぐに返事の帰ってくる距離に、優はいて。
「レンアイのゴールって何処なんだろうね……」
 溜め息は、幾重かになって、細く重なって落ちていった。
「ゴールって、何?」
 あっけらかんと返されて、俺のほうが戸惑った。
「え……」
 優は、俺の瞳を覗き込んで、その茶色い瞳はまっすぐで澄んでいた。
 俺の指に指をからめて、ぎゅっと握りしめ、ひどく生真面目な顔で言った。
「そんな、これで終わり、みたいなのあんの?」
「それは……」
「そんなの決めなくていいじゃん。こうやって」
 優は穏やかな微笑で俺の手を取った。
「手を繋いで、同じ時代を、色んな景色も、色んな瞬間も見て、歩いていければいいや。俺は」
 俺は言葉も返せずに、ただ優に抱きしめられて、その肩に唇をうずめた。
「葉司と一緒に幸せになりたい。幸せの向こうに、まだ幸せが欲しい」
「優……」
「道がなければ歩いていけばいいよ。振り返ったら、それぞれの道が出来ているから」
 雲ひとつなく、星もまだない、ラベンダーの空に、白い月だけがうっすらと浮かんでいた。
 穏やかな微笑は、俺にとって一つのメルクマール――
 いつまでも、俺の隣で笑っていて、優。
 きっとその運命へと歩いていくのは、自分自身。

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