瑞稀の季節

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序章

靴を買う

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歩く?
歩くねぇ。

まぁうちの社長は、暇な時はひたすら寝っ転がっているけれど、あれで歩くのも大好きな人だ。
あの靴底ぺったんこコンバースで10キロくらい平気で歩いている。
さすがに小型犬のチビでは付き合い切れないので、その時は部屋でお留守番。
そして社長は1人で何処までも歩いて行く。

高校生の私にはそんな気力はない。
体力は有るかもしれないけど、一応女の子だし、脚が太くなったらどうするんだ。責任とってもらうぞ。

…一瞬、それで責任取らせた未来が見えて自分にげんなりだ。
何故18歳の女子高生がそんなに焦る?
大体、私の純潔を奪って行ったんだから、それだけで責任を取らせる理由には充分だろう。

……ええと。
どうしよう。私の記憶では、どう考えても自分の純潔を社長に押し付けてるわ。
というか、何?今日の私。
さっきパンツ一丁(それもブーメランブリーフ)で寝てる社長を見たから?

「わん」
「あ、こら、チビ。呆れないで。」

さて、まずは社長のお仕事チェック。
社長秘書の私は、たとえ役立たずでも社長の原稿や企画書に目を通す許可を貰っている。

「ほら、基本的に頭の中だけで捏ねくり出したものだから、アウトプットの際にブラッシュアップするとはいえ、独りよがりになっていてもわからないだろう?」
「社長、高校生にわかりやすい言葉で話して下さい。ちんぷんかんぷんですよ。」
「え?ええと、そうだな。自分のミスは何度見直しても気が付かないけど、他人のミスは光って見える、的な?」
「もの凄くわかりやすくなりました。」

私はなんだかんだで社長に色々教育されているんだろうなぁ。

で。
企画内容は?

「無闇矢鱈と歩いて、ゼンリン住宅地図を塗り潰す」

……。
例えばさぁ、東海道を歩くとか、箱根駅伝のコースを歩くとか、この手の企画本ならきちんと企画が立ってるでしょ。

ていうか、私、この部屋で見た事有るよ。その手の本。

なので寝室・仕事部屋・ダイニングキッチン、それに物置部屋でこの3LDKは成り立っている、その物置部屋に入ってみる。

ここは社長のコレクション(コンビニで面白半分に買った任天堂のフィギュア)や、読み終わった書籍、見終わったDVDをしまいこんであるのだ。
邦画やバラエティのDVDが端からきちんと順番に並べてあるのが如何にも細かい社長だね。

水曜どうでしょうやoffice cueのDVDは私はわざわざ通販で買うまでもなかったけど、この部屋には全部揃っている。
TBSで放送していたリンカーンとか、関西地方で放送していた(る)浜田雅功やよゐこのバラエティDVDなんか、この部屋で初めて知ったし、BSで放送している世田谷ベースとか、内村光良のDVDも全部揃っているらしい。

もっとも本人は、ネット配信をだらしがない格好で、ドクターペッパーを飲みながらダラダラ見ている事がお気に入りみたいで、ここにあるDVDは大抵私が居間(寝室)のモニターで、もっとだらしがない姿で見ている事が多い。

「僕のお嫁さんになりたいのなら、もう少し隠して欲しいなぁ。特にパンツ。」
「こんな私を見れるのは貴方だけだよ。」
「そんな少年ジャンプの柱みたいなこと言われてもなぁ。」

おっと。余計な事、多分私的に黒歴史を思い出してしまった。
だってうちの社長、私の女子としての緊張感とか他所行き感とか、自然に引き剥がすんだもん。
少しは猫を被らせて欲しいニャン。
(我ながら気持ち悪い)

ええと、書籍コーナー書籍コーナー。
あぁやっぱり。
東海道は久住昌之が、箱根駅伝は泉麻人が歩いてる。

さて、となると。
うちの企画として相応しい展開は、と。

★  ★  ★

「痩せたの?」
社長のお腹が割れ気味なのと、太腿に陰が付いて見える。
「ん?体重は増えてるな。多分筋肉が付いたんじゃないかな?」
この人は、私のいないところで何してんだろう。

2時間経って寝起き早々、パンツ一丁で部屋の中をうろちょろし始めた社長にクローゼットから引っ張り出した作務衣をぶつけよう。

「私がいるのに、そんな格好でウロウロするな!」
「ここは僕んちだぞ。別に全裸で居ても良かろうが?」
「私の仕事場でもあるんじゃ。」
「わん!」
「そうだよね、チビ。」
「あ、チビ、裏切りやがったな。」

洗濯機の中身とか、シンクの洗い物とか見ると多分夕べは徹夜で仕事していたのだろう。(食器は全部洗ってあげたし、洗濯物は今乾燥機を回しているよ。)
湯船には暖かいお湯が抜かれずに溜めたままだったから、担当さんと打ち合わせをした段階で力尽きたのだろう。

仕事モードの私が無礼な口をわざわざきいているのは、まだ寝ぼけている社長の頭を動かす為でもあるし、多少は恥ずかしく思っているであろう社長の照れ隠しを被せた私なりの優しさだ。

困った事にこの男、たかが女子高生の気の使い方なんか百も承知で、さりげなくカウンターのお寿司とか、サシで真っ白な分厚いステーキとか、良い物を食べさせてくれたりするのだ。

こっちがお礼目当てでやってるように見えてくるから、やめてくれないだろうか?
「ありがとう。」
の一言で、私は充分舞い上がれるから。

★  ★  ★

社長が起きたあとのベッドメイキングをしながら、ヒロにおやつのチューブ入り乳酸菌をあげると、喜びのあまり寝室中をぴょんぴょん走り回ってしまった。

「駄目だよ、これから掃除機かけるんだから。」
「ちぃちぃ」

うわ、枕が社長の匂いだ。
まさか20代中盤で加齢臭発生?
これはいかん。後で髪を洗ってやらんと。
無理矢理にでも入浴させてやる。(私も一緒に)

チビがヒロを部屋から追い立ててくれたので、ダイソンの掃除機のスイッチを入れる。
私が中高大一体型の私学に通っている事からわかるように、我が家はそれなりに裕福だ。
なのにこの成金野郎、私んちの日立製掃除機は私が小学生の頃から使ってる骨董品なのに、ルンバまで使ってやがる。

おかげで、このダイソンちゃんの軽さと吸引力に惚れてしまい、我が家の掃除機が不満で不憫で。

ベッドサイドに資料として目を通したのだろうか。
何やら小難しそうな資料がごちゃごちゃに山になっている。

どれどれ。
千葉県の古い地図の山だなぁ。
この辺は昭和の40年代から平成末期。
こっちの紙の山は、うわ、古い!
どこから引っ張り出したんだか、多分明治の頃から昭和初期の地図が印刷されていた。
表示された地名と地形からすると、この辺ではあるか。
でも道路が無いぞ。
あ、一番古い地図には向かいにあるお寺さんも無いや。
へぇ、新しいお寺さんなんだ。

この紙地図はスキャンしてPDFデータに落とし込んでおきましょ。
社長の使っているタブレットはどこにあるのかかしら。

★  ★  ★

「カラー2ページ白黒4ページやるから、何か1年間ヒキになる様な企画を出してくれって言われたんだよ。」
「で、歩く、ですか?」
「あぁ。最近興味がある事ってなんですか?って聞かれて、困った事に何っにも浮かばなかった。」
「私が知る限り、社長って結構な趣味人だと思っていましたが?」
「君は僕の私生活を多少は知っていると思うけど。」
「ええと、アレ?アレ?アレレレ。大体、そこで寝っ転がってAmazonプライムを見てますね。チビとヒロが身体の上に乗って。」
私も乗っかって抱き付きたいのは内緒。

で、そうだった。
この男はその気にならないと、何にもしない男だった。
そう言う時は、同じ部屋で大体私も軟体動物に変化してるので、立派な事は言えないけどさ。

「で、咄嗟に口から溢れたのが''歩く''だった。」
「歩くと言っても、企画としてはもはや味がなくなっていると思いますよ。ゼンリンの塗り潰しってメールに書いてありましたけど?」

誰がそんな物読むんだ?
 
「なぁ。」
「なぁじゃありませんよ。」

今は社長が言うところのブレインストーム、要は会議と銘打ってしっちゃかめっちゃか意見交換会。
ここでは遠慮なく好きな事を言うように指示されている。

私は何も形にする事はまだ出来ないけれど、茶々を入れる事くらいは出来る。
それが何の役に立つのかわからないけれど、社長のクリエイターとしての何処かが刺激されるみたいで、間違えて思いついた様な事も、とりあえず言ってみなさいと、とりあえず言ってくれる。

だから私はさっきから考えていた事をまず口にした。

「社長、靴を買いましょう。」
「はい?」
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