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 この国の第一王子……ということは、彼は次の国王ということになる。

「リリアンナ」
「は、はい……っ」

 慌てて姿勢を正す。今更かもしれないが、彼への態度を変えねばならない。優しくしてくれた人だが、王子とわかった以上、昨日のような態度はできない。

「君を迎えにきた」

 突然の発言に、「え?」と声を上げる。

「君を城につれていきたいんだ」

 その言葉には私だけではなく、義母やナディルターシャも唖然とした。

 にこやかな笑みを浮かべながら、目の前に座るアーヴェント様は「悪い話ではないだろう?」と言葉を続ける。

 驚愕し目を瞬かせている私に、彼は目を細め薄い唇を開く。

「君に、こいつの世話係になってほしい」

 青年の隣に座る、一匹の小さな生き物。青年に撫でられ、呑気に欠伸をしている。

 夢であってほしい。そう思ったが、隣にいる義母とナディルターシャの表情を見ると、どうやら夢ではないようだ。


「何故、私なのですか……?」

 しんと静まり返った部屋の中、漸く吐き出せたのは疑問。

 どうして、ナディルターシャじゃなく、私なのだろうか。

「こいつは滅多に懐かない。そんな奴が君に心を開いたんだ。君に頼みたい。いや、君にしかして欲しくない。そう俺が決めたんだ」

 告白のようにも聞こえる、アーヴェント様の言葉。頼られることもなかった私にとって、彼の言葉は胸に響いた。

「待ってください!」

 慌てて、ナディルターシャが口を開く。視線を移したネロさんは不機嫌そうに眉を潜めた。

「なんだい」
「お姉さまは見てもわかる通り、亜人です。最底辺の亜人なんかよりも私の方が役に立ちます!」

 最底辺……その言葉が、胸に突き刺さる。決して誰かが決めたわけでもないのに、亜人だからとそう言われる。それが悲しい。

 小さく唇を噛み締めていると、アーヴェント様の隣で欠伸をしていたあの子が起き上がり、ナディルターシャに威嚇をしだした。

「な、なに……」

 虎のような子の威圧感に後退さるナディルターシャに、アーヴェント様は深く溜め息を吐いた。

「はっきり言う。君を選ぶことはない」
「……っ!」

 彼の言葉に、ナディルターシャも義母も言葉を失う。

「俺が欲しいのは、リリアンナの許可だけだ」

 再び、アーヴェント様が私を見る。真っ直ぐ凛とした視線に、どきりとした。

「リリアンナ。共に来てくれ」
「わ、私は……」

 どう答えればいいのだろう。義母たちの視線が痛い。頷くなと言わんばかりの視線だ。

 誰かに必要とされてこなかった私にとって、アーヴェント様の言葉は本当に嬉しい。でも……。

「お待ちください」

 言い淀んでいると、義母が先に口を開いた。

「何か?」
「リリアンナの許可よりも、義父の許可が必要です。彼女の母は、義父の雇った使用人だったのですから」
「ああ、そのことか」

 そんな些細なことを気にするのかと言わんばかりの表情を浮かべた後、にこりと微笑むアーヴェント様。満面の笑みを浮かべるアーヴェント様に、義母はたじろぐ。

「既に彼からは許可をとってある」
「なっ」
「後はリリアンナ次第だ。それと……」

 一度言葉を区切り、彼は義母とナディルターシャを見た。

「これは俺とリリアンナの話だ。お前たちには関係ない」

 その言葉を最後に、アーヴェント様は二人を見ることもせず私だけに視線を向ける。真っ直ぐ見つめてくる瞳は困惑する私だけを映していた。

「……本当に、私でいいんでしょうか……?」

 不安から来る恐怖。一度では信じられず、疑うように訊ねてしまう。

「さっきも言ったが、君だからこそ選んだんだ。君に頼みたい」

 アーヴェント様を後押しするように、先程までナディルターシャを威嚇していたあの子も「ギャウ!」と鳴いた。本当に、必要とされているんだ。誰でもなく、私自身を。

「お役にたてるかわかりませんが、よろしくお願いします」

 嬉しさに涙を滲ませながら、深々と頭を下げた。



「さて、話は終わりだ。リリアンナ、支度をしてくれ」
「え?」

 顔を上げると、弾けるような笑顔を浮かべるアーヴェント様と視線が交わる。どういう意味だろうか?

「既に城には君の部屋も用意してある。簡単な荷造りだけしてくれ」
「ええ!?」

 思わぬ事態にぎょっと喫驚する私を余所に、彼はスチュワートさんの方を見やる。

「執事長、彼女の荷造りの手伝いを誰かにさせてやってくれ」
「かしこまりました。さあ、行きましょう」

 スチュワートさんに背中を押されながら、動揺する私は部屋から出される。静かにドアが閉められた後、スチュワートさんは私の両肩をがっしりと掴んだ。

「良かった……ようございました……!」
「スチュワートさん……」

 喜びを噛み締めるスチュワートさんにどう返事を返せばいいか悩む。城に行ってしまえば、スチュワートにもう会えない。そう思っていると、スチュワートさんは乱暴に袖で目元を拭い、私の肩に手を添えた。

「さあ、行きましょう。身支度の準備をしなければ」
「で、でも、私は何も持っていないわ」

 そう、私は何も持っていない。服もメイド服のみだし、大切なものといえば、常に持ち歩いている形見の懐中時計だけだ。

 歩きながら話をしていると、向かった先はスチュワートさんの部屋だった。部屋に入れて貰い、スチュワートさんから一つの鞄を手渡される。

「これは……?」
「お嬢様に何かあったときの為にと、私めが用意しておいたものです」

 開けると、中には服やアクセサリー、文具など様々なものが入っていた。

「服のサイズは支給されているメイド服を参考にしてあります。獣人の服ですから、尻尾も今後は出せますよ」

 メイド服には、尻尾用の穴は空いていない。だから、いつも尻尾はスカートの中に窮屈に仕舞っていた。そこも考慮して用意してくれていたなんて。頭が上がらない。

「でも、こんなには頂けないわ」
「私めから、今まで渡せなかったお嬢様への誕生日プレゼントとして、どうか受け取ってください」

 誕生日プレゼント……そうは言われても、毎年スチュワートさんは、誕生日には小さなケーキを用意してくれていた。それだけでも、私は幸せだったのに……。

「スチュワートさんっ」

 嬉しさに、彼に抱きつく。そっと腕を回され、背中を擦って貰う。

「お嬢様……どうか、お幸せになってください」
「うん……っ」

 後頭部を撫でられながら、彼の肩口に顔を埋める。ずっと父親のように接してくれたスチュワートさんに、ありがとうと感謝を込めて、時間の許す限り抱き締めた。



 スチュワートさんから頂いた鞄を持ち、メイド服のまま玄関ホールへと向かう。その道中、ナイアさんと料理長、フラウに挨拶をしてきた。皆、頑張れと応援してくれた。

 その気持ちに応えられるように、頑張ろう。そう思いつつ、玄関ホールで待ってくださっていたアーヴェント様と合流する。

「出来たかい?」
「はい、大丈夫です」

 頷き、彼に続き玄関ホールを出ると、外には真っ白な馬とその馬が牽引する豪華な馬車が停まっていた。

「さあ、掴まって」

 先に馬車に乗ったアーヴェント様に手を差し伸べられ、恐る恐るその手に自身の手を重ねる。ぐいと引き寄せられ、馬車に乗り込む。

 乗り込むと、御者によってドアが閉められる。そして、静かに馬車が動き出した。

 窓から屋敷を見つめると、屋敷の窓からスチュワートさんが見つめ手を振ってくれていた。彼に見えるかわからないが、私は懸命に、見えなくなるまで手を振り続けた。

 屋敷の敷地から出て、街中を馬車が進む。馬車に乗ることも初めてなので、馬車から見える街の風景というのが新鮮だ。つい、きょろきょろと辺りを見渡してしまう。

「新鮮かい?」
「あ、すっ、すみません……」

 周りを見ることに夢中になっていて、彼のことを忘れてしまっていた。申し訳なさそうに謝罪すると、「気にしなくていい」と微笑んでくれた。

「さて。君に、これからのことを話そう」
「これからの、こと……?」

 これからのこと。それは、お城での私のすべきことだろう。

 馬車のふかふかな座席に座り直し、アーヴェント様の方へと向き直った。
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