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2章 ふたりの生活

昔話と義脚の完成

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薬屋での仕事は想像以上に大変だった。


ユンリーにラミスカは滅多に泣かない子どもだと説得して、ラミスカを連れてきて働くことを渋々ではあるが了承させることに成功した。

そこまでは良かった……。

癒し魔法で治療を施してきたメルルーシェにとって、薬の知識は殆どないも同然だった。メルルーシェが言われたものを用意できないと、ユンリーは嬉しそうに悪態をつくのだった。

ユンリーは教えてくれなかったのだが、本の館には軍での様々な用途を見越して薬草についての本も置いてある、と魔具工房の職人アルスベルが教えてくれた。

ラミスカへ癒しを終えた後に、夜遅くまで薬草の種類が載った本を読み漁るのがメルルーシェの日課になった。

ふたりで暮らす家にも徐々に家具が増えて、生活感がでてきた。

元々、空の本棚が置かれていた小さな部屋はラミスカの部屋にした。
ラミスカが転けても問題ないように毛皮の敷物を敷いて、薬草の勉強ついでに書いていた落書きを綴った絵本もどきを棚へと入れていくことにした。上段に手が届く頃になればラミスカが読むかもしれない。

居間には寛げる柔らかな長椅子と食事の為の机が増えた。居間の一角では乾燥した薬草が吊るされ、調合を行う机が設置されている。よく注文を受ける類の薬の調合を試したり、ラミスカの火傷痕を治す治療法を薬学の観点からも調べてみたりと、メルルーシェは努力を惜しまなかった。

庭の雑草は綺麗になくなって、突き出した小屋根の下には薪が沢山積まれている。

エッダリーでは数日間急激に冷え込むことがあり、そんな日は薪を割る必要もあったが、斧の扱いが怪しいメルルーシェを見かねて近くの製材所の職人が薪を分けてくれるようになった。

雑草は、近くの人が飼っているヤギたちが定期的に皆の家をまわって処理してくれている。


メルルーシェの一日は、朝起きると家からすぐの林を抜けた森へ薬草を採りに出て、太陽が登り始めると薬屋に向かい、日の入りと共に家に帰るという繰り返しだった。

メルルーシェは一生懸命働いたし、赤ん坊のラミスカも奇妙なほど泣かないため、ユンリーは次第にメルルーシェに対して嫌味以外にも口を開くようになった。


「あたしが神殿を嫌ってる理由を話してやろう」

ある日、突然ユンリーがそんなことを口にしたので、メルルーシェは驚いて顔を上げた。

「え?話してくれる気になったんです?」

常々ユンリーから言葉遣いが神官臭いと文句を言われるせいか、メルルーシェは少し砕けた言葉でそう返した。

目を三角にしたユンリーは、手についたソンジュラの葉の粉末をメルルーシェに振りかけるように手を払った。

「やっ、ユン様!やめてください。全く」

慌てた様子で粉を防ごうとしたメルルーシェが、何度もくしゃみをした。ソンジュラの葉は鼻を刺激する。

横で寝かせているラミスカもくしゃみをしたため、涙目になってユンリーを睨むメルルーシェ。

「神殿は魔力回復の薬を独占しているだろう?」

魔力回復といえばーーー
メルルーシェの脳裏によぎったのは清め湯のことだった。

「神殿に魔力を回復する薬はありませんよ?清め湯というものはありますが」

「あんた、何も知らないんだね」

呆れを通り越して唖然、といった様子で言葉を続ける。

「まさにその清め湯ってのが、神の加護を賜った魔力回復の薬だ。
その湯がある場所には神官しか入れないだろう?」

「あ…」

ユンリーの言う通りだった。
神官以外は神の庭はおろか、森にも立ち入ることは許されない。

「神官以外の人間が魔力を回復する必要があるとき、どうやって回復するか知ってるかい?」

メルルーシェは黙って聞いていた。

「あたしら薬屋が調合する。
モルフリドの花を神殿から買い付けるんだ」

ユンリーはそう言うと、たくさんある薬箱からひとつ引き出してメルルーシェの前に出した。清め湯に近付いたときに香る良い匂いがした。

「元々神官だったあたしの娘は枯れ木病で死んだ。
清め湯を使わせることはできないと言われてね」

枯れ木病は魔力が枯渇し続けることで生命力を代わりに失う病だ。
名前の通り、枯れた木のような姿に変わっていく難病だった。

「神官たちは”神の森から持ち出すと効力を失うから、清め湯を神殿外で使うことは出来ない”と言う。その代わりに薬効を持つモルフリドの花を売るとね。最初はそれを信じていた」

「そうではないのですか?」

「南のトナン国を知っているかい?
あそこのヤンガラという都市では清め湯を民に開放していてね。
うちらとは関係が悪い国だから、病に伏せった娘を連れていくことは出来なかったけどね。そこから旅してきたという旅人が瓶いっぱいの清め湯を売ってくれた」

メルルーシェもヤンガラという都市の清め湯のことは話に聞いていた。自分もいつか行ってみたいものだ、と呑気に考えるだけだった。

ユンリーは怒りを必死に抑えるように静かに口を開く。

「娘はその湯に効果がある間は、みるみるうちに回復したよ」

握りこまれた拳が、彼女の悔しさを体現していた。

「自分たちの権威と利益のために独占する。
神に仕えるなんて、腐った連中がよくもいけしゃあしゃあと抜かすもんだよ。分かったかい?禄でもない神殿が嫌いだって理由が」


メルルーシェは神殿がどのようにして資金を手にしているのか、など考えたこともなかった。日々祈りを捧げ、身体に不調をきたした人を癒し、神殿を清潔に保つために掃除をする。そんな毎日だった。

ユンリーにかける言葉も見つからなかったが、少なくとも清め湯の香りがするモルフリドの花を売るための作業をしたこともなかったし、遠いどこか別の神殿の話のように聞こえた。癒し手だったメルルーシェが関わってなかっただけかもしれないし、そもそもモナティ神殿では売りに出していなかったのかもしれない。

メルルーシェの感覚からすると、神の庭に存在するものを勝手に持ち出して売ることの方が違和感を感じてしまうのだ。魔力の自然回復速度も人によって全く異なっていて、メルルーシェは回復が早い方だった。

神殿を離れてから毎日ラミスカに癒しを行っていても不便を感じたことは無かった。だが回復が遅く必要とする人がいるのもまた事実だった。

「分かったわ、ユン様」

メルルーシェは何も反論することが出来ずそう返した。


****


ある日、薬屋に腕に手ひどい怪我を負った男性がやってきた。


腕の様子を確認するに、鋭い木片が深く刺さっている。
不純物を取り除いて止血しなければ後で熱を出して死に至ることもあるだろう。

(薬だけでの治療よりも、癒しをかけたほうが確実だわ……)

メルルーシェは、腕の具合を確かめるユンリーに声をかける。

「ユン様、この怪我は癒し魔法を使ったほうがいい。
コアトコの塗り薬では追いつかないわ」

「お黙り」

ユンリーは口は悪いが腕は確かだった。メルルーシェもユンリーがどの工程の調合を行っているのかが分かるようになってきたが、鮮やかな手さばきはすぐに真似できるものではない。

今までも、骨折や裂傷といった癒し魔法に軍配が上がる症状を、薬だけで問題なく治療する姿を見てきて感心した。それでも、今回は薬だけでは不十分だと感じたのだった。

「ユン様、今まで私が口を挟んだことはないでしょう?
この人のためにそうしたほうが良いと思うの」

引き下がらないメルルーシェを睨みつけるユンリー。
困惑している男性が固唾を呑んでふたりを見つめる。

「筋を損傷してるから、コアトコでは繋がりきらない可能性がある。
筋の部分だけでも自己治癒を助けてしっかり繋いだ方がいい」

ユンリーがふっと睨みつけるのをやめてメルルーシェに席を譲った。

意識を削がれる可能性が低い店の奥の薬棚で治療することを告げて、ラミスカの揺りかごをユンリーに任せた。

少し時間がかかることを男性に説明して癒しに取り掛かる。

メルルーシェは深呼吸すると、赤く染まった布をほどいていく。
ここには催眠の魔具は設置されていないので、乾燥したグヌの粉末とアッカの実を煎じたものを飲ませて痛みを感じないようにする。

男性の意識が朦朧としてきたのを確認すると、メルルーシェも意識を集中させて魔力の流れを探り始めた。

赤黒い魔力が停滞している木片が刺さった場所に、少しずつ自分の魔力を注いでいく。血の流れを止めながらゆっくりと木片を取り除いて、筋に入った傷が修復するように正しい流れを自分の魔力で押し流していく。男性の魔力が弱々しく巡り始めたのを確認すると、息をついて顔をあげた。

(ここまでやれば、あとは薬で十分だわ。)

うとうとと眠っている男性を起こそうか悩んでいると、後ろから声が降ってきた。

「終わったのかい」

顔を向けると、不愛想な顔でユンリーが立っていた。

「ユン様……。後はいつも通りの処置で大丈夫です」

ユンリーはメルルーシェの言葉に頷くと、容赦なく男性を叩き起こした。

「次は薬の治療だ。こっち来な」


****


男性が帰った後に、ユンリーが自分をじっと見つめているのに気が付いた。

「あ、ユン様。ラミスカのことありがとうございました」

癒しの最中ラミスカを見ていてくれたことにお礼を告げる。

ユンリーは、ラミスカの肌の色や火傷痕、右脚のことを知っても特に何も言う素振りすら見せず、何なら興味すらない様子だった。

一度、市場でせがまれて屋台の店主にラミスカを見せたことがあった。決して大きな町ではないエッダリーでは、ラミスカの容姿に関する噂が広まるまで時間はかからなかった。

混血と一目で分かる容姿に、右脚もなく顔には焼け爛れた火傷痕があるのだ。不気味に思うのも当然だった。

今まで気軽に挨拶をしてくれていた人も、よそよそしい態度に変わったり、しばらく肩身の狭い思いをしたのだった。


『あんた母親にそっくりで憎たらしい顔だね』

そんな言葉とは裏腹に、そっと優しい手つきでラミスカに布をかけるユンリー。
落ち込んでいたときも、そんなユンリーの全く変わらない態度に救われた。


町の人たちも、薬屋で甲斐甲斐しく働くメルルーシェの姿と、何ら変わりなく接するユンリーを見てか、次第に元の態度に戻っていったのだった。

そんなこともあって、メルルーシェは意地の悪い所もある老婆だが、ユンリーに心から感謝していた。

「坊やは別にいいさ、放っておいたからね。
それよりあんた…」

何か言い淀んで口をつぐむ。

「まぁ判断は良かったよ。薬に比べたら大したことなかったけどね」

メルルーシェはユンリーのいつもと変わらぬ憎たらしい物言いに苦笑しながら頷いた。ユンリーが自分を褒めるなんて、明日は天から雷でも落ちてきそうだ、と。




そうして働く内に2年はあっという間に過ぎた。


ラミスカは2歳を過ぎた頃から、メルルーシェに身体を触られることを極端に嫌がるようになった。毎日欠かさず癒しを行っているからか、生え際から右目にかけての皮膚の爛れは随分と良くなり、右目にも睫毛が生えてくるようになった。

ラミスカがどれだけ嫌がっても、薬屋には連れて行ったし、毎晩癒しを行った。

突然はっきりとした意識を持った様子でよく動くようになったラミスカは、それ以降お漏らしをしたこともなければ、自分で用を足そうとするのだ。湯あみも特別嫌がった。少し前までは無理やりにでもメルルーシェが洗っていたが、見よう見まねで自分で出来ることを主張するので、好きにさせることにした。

なんでも自分でやってみたい年頃なのだろう。少し早い気もするが、メルルーシェは基本的にはラミスカがやりたいようにやらせた。



ある日ユンリーの指示ではやく薬屋を閉め、魔具工房へと顔を出した。

工房主のアルスベルとはラミスカの脚のことがあるため、ちょこちょこと顔を合わせる。

ラミスカは、工房へ行くといつも触られることを嫌がるのが嘘みたいに大人しくしている。メルルーシェはそんなラミスカのことをアルスベルに相談しているのだった。

「何故この子、アルスベル様には大人しく触られるのかしら。
私に触れられることはとても嫌がるのよ」

アルスベルは仰向けに寝転がったラミスカの脚を曲げたり、幅を図ったりしながら苦笑を溢す。

「どうだろうね。あまり子どもには詳しくないが、母親に触れられるのを嫌がるには時期が早すぎる気もするね」

嫌がる素振りも見せず、されるがままにアルスベルに測られているラミスカを見つめながらメルルーシェは深いため息をついた。

「ラミスカは本当に利口な子だよ」

アルスベルが微笑みながら、短い固定具をラミスカの右腿に取り付ける。

1歳と半年を過ぎてもラミスカは意識朦朧とした様子で、歩こうともしなかった。メルルーシェはご飯を食べさせるのに苦労したが、歩けないのは脚のことがあるからだろうと思っていた。
なので歩こうとする様子のラミスカに安堵したし、とても喜んだ。

アルスベルは固定具に脚の形の魔具をはめ込んだ。関節部分を調整しながらメルルーシェに説明する。

「要望通りに、怪我をしないように柔らかい素材でまわりを覆っている。
一応中に一本の芯が通っているだけだから、触るとこうやってへこむ」

脚をきゅっと握りつぶして見せる。

「ラミスカはどんどん大きくなると思うから、これぐらいまでは伸びるようになってるんだけど、とりあえず伸ばすときはここをこうやるんだ。膝上と膝下を上手く調整しながら伸ばしてあげてね。何かあったらここに来てくれていい」

丁重な説明と実演を見ながらメルルーシェは頷いた。


アルスベルは長さの調整を終えると、作業台からラミスカを降ろして立たせた。

ラミスカはふらつきながらもメルルーシェの手を握ってしばらく立っていたと思うと、おぼつかない足取りで左右の足を動かしはじめた。


ゆっくりとたどたどしく歩くラミスカに、メルルーシェは涙ぐんで喜びの声をあげた。

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