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3章 わかたれた道

目覚め

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メルルーシェの穏やかな寝顔を眺めていると、気持ちが落ち着いた。

それも意識が必ず戻るとユンリーが保証してくれたことが大きかった。

ラミスカは、横たわるメルルーシェの薄い色の髪を手に握って、その顔をずっと眺めていた。

メルルーシェが目覚めないのは体内の魔力が減ったせいで、外傷が直接的な原因ではないらしい。勿論、身体が傷を治そうとして活発に魔力をするが、それは薬で賄っているため、ラミスカの炎から身を守るために魔力を消耗したのが原因だろう、とユンリーがアルスベルに話しているのを聞いた。

それを聞くまでは、もうずっと目が覚めないんじゃないかと、胸を鷲掴みにされているような感覚に苛まれた。

メルルーシェの髪を引っ張る兵士を思い出すと今でも怒りが胸の奥に燻るが、ラミスカの脳裏に浮かぶのは悲しそうなメルルーシェの顔だった。メルルーシェには笑顔でいて欲しい。早く目覚めて優しい声で自分の名前を呼んで欲しい。

胸に何かがのしかかったようで、食事も喉を通らなかった。やはり自分はどこかが悪いのかもしれない。それでも怪我を負って目を覚まさないメルルーシェを前に、自分の体調のことを相談する気にもなれなかった。

メルルーシェの診察の時間になったのか、扉が軋む音と共にユンリーが現れた。

「ラミスカ、心配するのは当然だが、そこにあんたが座ってようがいまいがメルルーシェはいずれ目を覚ます。さっさと飯を食ってきな」

疲れの滲んだ顔のユンリーがラミスカの頭をはたいた。

ラミスカは頭を押さえながら、邪魔にならないようにユンリーに席をゆずる。

(そうか、自分はメルルーシェを心配しているんだ。)

ユンリーの後ろでメルルーシェの赤らんだかさぶたに覆われた頬をじっと見つめていると、後ろから肩に手を置かれた。

「ラミスカ君、少し休んだ方がいいわ。
昨日からずっと起きているじゃない」

上品な声の主はメルルーシェの同僚のスーミェだった。

困ったように眉を下げるスーミェを振り返ることなくユンリーが呟く。

「いつも金魚の糞のようにくっついて、全く…」

ユンリーは手際よく薬を塗っていく。

「スーミェ、あんた一緒に市場に行ってやりな」

薬を塗り終えても後ろでじっと立ち尽くしているラミスカを見て、ユンリーがため息交じりに呟いた。



スーミェと西側の市場に向かうも、町の人々からの突き刺さるような視線を肌に感じる。アルスベルが動いているようで、事件の詳細は公にはなっていない。だからこそあらゆる憶測が飛び交っていて、ラミスカはその噂の中心に立っているようだった。


串焼きの香りに顔を上げる。
メルルーシェと薬屋からの帰り道にたまに食べながら家に帰るのだ。
屋台の甘辛い串の味を真似しようと家で試行錯誤したことも記憶に新しい。

じっと屋台を見つめていたのに気が付いたのか、スーミェが屋台へと近づいて行った。

「ひと串頂けるかしら?」

店主はラミスカをちらりと見て微笑むと「メルルーシェちゃんとこの…いつも買ってくれるからな、おまけだ」と言って2本ラミスカに手渡した。

お礼を述べたスーミェがラミスカに「こけたときに喉に串が刺さらないように横向きに食べてね」と言った。

メルルーシェが横向きに食べろと言っていた意味を今更理解して串を見つめる。帰り道にふたりで一緒に食べたときのように、甘辛い肉で挟まれた焼き色の付いたムチの実にかぶりついた。

薬屋に戻るまでには串を食べ終え、スーミェの水魔法で手を洗い流すとメルルーシェの眠る奥の部屋に向かった。

扉を開けようと手をあげたが、既に扉は開いていた。隙間からふんわりとした金髪に近い明るい茶色の髪が見えた。アルスベルがメルルーシェの隣の椅子に腰かけてじっと顔を見つめていた。

「弟はどうだったんだい?」

隙間からは姿が見えないユンリーの声がアルスベルに向けられる。

「クラインは…無事ですよ。傷も自業自得だ」

アルスベルが悲し気にそう呟いた。

クラインを含む4名の兵士はモハナの神殿へ運ばれた。北の関所から近く、本隊が駐屯している町だ。そこで治療を受けているらしい。

「あっちはこの件をどう片付けようってんだ?」

「ラミスカの魔力の暴走として片付けようとしています。
クラインを筆頭に救出に向かった兵士が負傷したと」

「ハッ」

ユンリーが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「あんた、そういえば聞いたよ。昔名をあげた魔導兵だったんだってね」

「しがない殿しんがりですよ」

自嘲気味にアルスベルが呟いた。

ラミスカも殿部隊は知っていた。撤退の際に戦線に立つ兵士を助ける部隊だ。ラミスカとは入れ替わりに本陣へ戻って行く部隊。

「まさかあんたが我が弟可愛さに庇い立ててるとは思わないさ。
が、奴らがこの子を襲った事実は公表されないんだろう?
正当に身を守ったこの子とラミスカは一体どうなるんだい」

ユンリーが冷たい口調でアルスベルを責めるように問いかけた。

「公表するように詰めても無駄でした。
ラミスカが投獄されないように今取引をしています」

他人事のように会話を聞いていると、後ろからスーミェがやってきた。戸惑った顔でラミスカと空いた扉の隙間を見て状況を把握したようで、ラミスカの背を押しながら部屋の扉を叩いて中へと入る。

「あら、ロランさんもいらっしゃったのですね」

スーミェが穏やかな声で挨拶を行う。

アルスベルはスーミェに挨拶を返してからラミスカを見た。
どこかぎこちない笑みを浮かべてラミスカを手招きする。

「お母さんはもうすぐ目を覚ますよ。
ラミスカ、しっかり食べているかい?
起きたときにお母さんを心配させないようにしなければね」

「さっき食べた」

「それは良かった」

アルスベルは2、3言交わすとすぐにメルルーシェに目をやった。


次の日も、その次の日もメルルーシェは目を覚まさなかった。
アルスベルも毎日訪れてはメルルーシェの傍らにしばらく座り、鐘1つ分顔を見つめてから帰っていく。

自分と同じくアルスベルもメルルーシェが“心配”なのだ。

ラミスカが頼まれたお使いから戻ると、メルルーシェの眠る部屋にまたアルスベルが来ていた。ユンリーもスーミェも客の対応をしていて部屋にはアルスベルひとりのようだった。

アルスベルが戸惑う素振りを見せながらもメルルーシェの手に自分の手を重ねた。

それを見た瞬間、煮えたぎる鍋のように怒りと嫌悪感が噴き出してくる。

(メルルーシェに触れるな。)

なぜ自分がこんなにも苛立つのかは分からない。今すぐにでもアルスベルに炎を放ちたかった。

けれど怒りは生気を失った花のようにしぼんでいくのだった。メルルーシェを傷つけたのは紛れもなく自分で、ユンリーの所まで運び助けたのはアルスベルなのだ。


昨晩のスーミェとユンリーの会話を思い出して拳を握りしめる。

『メルルーシェさん、顔に傷が残ったら…
あんなにも気立てが良い子なのに。ただでさえ子どもがいて、結婚は難しいですよね。ロランさんはどうするおつもりなんでしょうか』

『アルスベルかい?
まぁその気はあるようだが、メルルーシェがどうだか。
あの子はいつもラミスカラミスカ。自分の子でもない子が、何がそんなに可愛いんだかわかりゃしないね』

『自分の子じゃない?』

スーミェが驚いたように聞き返した。

『本人から聞いたわけじゃないよ。あの子はモナティ神殿の出だ。西へ行った話もない。出産についての知識も持ってなかった。託されたのか拾ったのかは知らんが…まぁあたしの勘だ』

ユンリーが火傷の塗り薬に使う草をぱんぱんと机に叩きつけて、左右に仕分けていく。

『そうなのですね…。
でも良かったです。私はてっきり乱暴されたものだと……』

スーミェが葉っぱをむしって枝と分けながら、少し明るい声で続ける。

『でもロランさんはラミスカ君のことも可愛がっているでしょう?
誠実で素敵な方ですし、ふたりが上手くいくのが一番望ましいとは思いますけれど』

ぞわぞわと何かが絡まっていくような感覚がした。空が分厚い雲で覆われたときのように、気が重くなっていく。ラミスカはふたりの話を聞くのをやめて、仕事場から離れてメルルーシェの眠る部屋へと戻ったのだった。


アルスベルの手がメルルーシェの手から離れて頬に触れようとするのを見て、過去から引き戻された。

メルルーシェが目を覚ましたら、アルスベルはきっと自分の思いをメルルーシェに告げるだろう。

メルルーシェと共に読んだロゼッタ恋物語が頭に浮かんだ。
強く優しいリオベルトに思いを告げられたロゼッタは、喜びのあまり涙を浮かべてリオベルトを抱擁するのだ。

ラミスカはこの話で嬉しくても泣くことがあると知ったのだった。


メルルーシェが笑うと嬉しいはずなのに、何故こんなに胸が苦しいのだろうか。

自分の胸で揺れるスファラ鉱石の首飾りをぎゅっと握りしめた。

ーーーメルルーシェに触れてほしくない。

ラミスカが部屋の扉に手をかけて押した。アルスベルが慌てて手を引いて振り向く。


ふいに、メルルーシェの睫毛がふるふると動いたように見えた。
ラミスカがすぐに駆け寄ったので、アルスベルもメルルーシェに目を向ける。

メルルーシェの光に透けた睫毛が何度も小刻みに揺れて、淡い紫が現れた。

「メルルーシェ!」

アルスベルが椅子を飛ばさん勢いで立ち上がって地面に膝をつく。
ラミスカも反対側でメルルーシェの顔を覗き込んでいた。

何度かぱちぱちと瞬いたメルルーシェは、ぼんやりとした様子でアルスベルを見てから、空を辿るように目を動かしてラミスカを捉えた。ラミスカの顔を見ると、一気に覚醒したように大きく息を吸い込んで起き上がろうとした。

「メルルーシェ、だめだよまだ安静にしていないと。
ラミスカは大丈夫だ」

アルスベルが察したように諭して、メルルーシェの肩を優しく抑えて寝かせた。ラミスカはメルルーシェに水を渡す。目が覚めて喉が渇いているはずだった。

ゆっくりと水を飲みほしたメルルーシェが、唇を濡らしたまま「ありがとうラミスカ」と呟いた。

少し掠れた声で自分の名前を呼ばれて、鼻の奥が痛んだ。喜び、安堵、胸の痛みは罪悪感。自分が学んできた感情と紐づけていく。


メルルーシェが驚いたように目を見開いて微笑むとラミスカの頬を拭った。

「泣かないで、私は大丈夫よ」

メルルーシェの言葉で自分の目から涙が流れたことに気付いた。



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