37代目の魔女にされたので、

弥湖 夕來

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12・初めて失敗したので、 -後-

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「お二人とも、というか殿下はお忙しい方ですからね。
 当然お側のキューヴも暇はないかも知れません」
 慰めるように将軍は言ってくれる。
「魔女殿、私でよければ乗馬のお手解きいたしますが? 」
「本当? 」
 わたしは顔を上げ男の顔を見上げた。
「ええ、馬に乗れるようになっておけば、この先殿下のお出かけの際にはお連れしてもらえるかも知れませんよ」
「じゃ、お願いしていい? 」
「もちろんです。
 お任せください」
 将軍は笑みを浮かべる。
 その笑顔が本当にぎこちなくて、この人の仏頂面は生まれつきの物だって思わせる。
「どうしました? 」
 その笑みに釣られて笑みをこぼしたわたしの顔に将軍は首を傾ける。
「将軍その顔の方がずっといいのにって思ったの」
「あ、あそこですよ、男の家は」
 呟いたわたしの言葉に照れ、それを隠すかのように将軍はわたしから視線をそらすと道向こうの一軒の小さな家を指差した。
 小さな庭の門先では一足先に戻ったあの痩せた男が待っている。
 
「こちらでございます」
 男は挨拶もそこそこにわたしを玄関先の土間の片隅に案内した。
 麦わらを敷いた寝床に寝かされていた犬は一目見てわたしにも分かる程の瀕死の状態だった。
 牛を追うどころか立って歩く以前の問題なほど。
 怪我をしてから何日か放置されてでもいたのか傷が膿み爛れている。
 わたしは犬をなるべく刺激しないようにそっと近寄るとその前に膝を着く。
「ウゥ~ 」
 犬は警戒心丸出しでわたしを見据えたまま低い唸り声を上げる。
「……そんなに警戒しないでくれると嬉しいな」
 わたしは出来るだけ笑みを浮かべたまま犬に話し掛ける。
「大丈夫だよ。
 もしかしたら君の傷治せるかも知れないからちょっと見せてね」
 言いながらわたしはそっと傷口に手を伸ばそうとした。
 途端に犬は唸り声を上げていた口を開き、牙をむき出してわたしの手に噛み付こうとする。
 反射的にわたしは手を引っ込めてしまった。
 犬はまだわたしを睨んだまま唸りつづけている。
「どうですか? 魔女様」
 犬の飼い主の男がわたしの手元を見て訊いて来る。
「どうって言われても…… 」
 わたしは息を吐いた。
 ここまで人を信用してもらえないとなるとどうしていいのかわかんない。
「ごめんなさい。ティヤは人見知りなんです」
 側で見つめていた十歳くらいの少年が前に進み出て犬の頭をあやすように撫でながら言う。
「一番上の息子のラリマーでさ。
 この犬、こいつの言うことだけは何故かきくんで」
「お姉ちゃん、ティヤ治る? 」
「う…… ん」
 向けられた問いにわたしは直ぐに答えることが出来ない。
 こんなに警戒心をむきだしにされたら触る事だって出来ないんだもん。
「お願い、お姉ちゃん。
 ティヤを治して」
 わたしの隣に座りこみ少年は小さな声で言う。
「父さんさ、ティヤの怪我が治らなかったら始末するって言ってるんだ。
 家には仕事の出来ない犬まで養う余裕はないからって」
 苦しそうに言う言葉に少年の顔を見ると目元に涙が溜まっていた。
「……そうなんだ。
 だけどこの子…… 」
 犬は少年にあやされわたしに唸るのだけはやめたけど、何かを訴えている。
 はっきり言葉になっているわけじゃないから、どうって言えないんだけど、まるで治療を拒むような、そんな感じが伝わってきた。
「とにかくやってみるね」
 犬自身には触れさせてもらえないから、犬の傷のある辺りにそっと手をかざす。
 瞼を綴じ精神を集中させると周囲を流れる紅い糸が浮かび上がった。
 わたしはそれを一本一本探る。
 だけど今日は何か妙な膜のようなものがわたしを包み込んでいた。
 そのせいで視界がクリアじゃない。
 細い糸ほどぼやけて見えて行き先を追うのが困難だ。
 だけどそれを追わないと犬の怪我にはたどり着けない。
 不意に妙な不安がわたしの胸を占める。
 胸に下がった石がちりちりといつもとは違う熱を伝えてくる。それは刺激を通り過ぎて痛いほどに熱くなる。
「痛っ…… 」
 耐えかねてわたしの口から声がこぼれた。
 同時に紅い流れが消えうせ、その背景にあった現実の光景がはっきりと象を結ぶ。
 パシン! 
 何か衝撃を伴う乾いた音が、わたしの頭の中で弾けた。
 同時にわたしの意識も飛び、視界が闇に包まれたのを最後に思考が途絶える…… 
 
 
 開いた目に飛び込んできたのはアゲートの顔だった。
 何故か今にも泣き出しそうな顔をしている。
「珊瑚さま、気がつかれましたか? 」
 周囲を見渡すわたしを前覗き込みアゲートは言う。
「ここ…… 」
 口には出すが訊くほどのこともなく、見知った自分の寝室だった。
「お倒れになったんだそうですよ。
 犬の怪我を治している最中に、覚えていらっしゃいますか? 」
「うん…… 」
 のろのろと起き上がりながらわたしは頷く。
「驚きましたよ、突然将軍からの使いが来て…… 
 それで馬車でお迎えに上がってこちらにお帰りいただいたんです」
 どうして自分のベッドにいるのかをアゲートはかいつまんで説明してくれる。
「詳しい話は後ほどサードニクス将軍にお聞きになってください。
 今お呼びしますから」
 言うとアゲートはわたしの肩にショールを掛け部屋を出て行った。
「そっか、わたし失敗しちゃったんだ」
 誰に訊かなくてもわかる、この後味の悪さ。
 確か何かに全力で拒否されて…… 
 ううん、あれは…… わたしの周囲が何かを拒んでいた。
 胸に広がっていた妙な不安だけは覚えている。
 それでも介入しようとしたわたしの魔力が暴走した? 
 
 ベッドを下りる気にもならずぼんやりと考えているとすぐにアゲートに伴われた将軍が顔を出した。
「ごめんなさい。
 迷惑を掛けてしまって…… 」
 わたしはまず頭を下げる。
「それは構わないが、本当に大丈夫ですか? 
 殿下のお留守中に魔女殿に何かあったとあっては…… 」
「うん、本当に平気。
 起きようと思えばこのままベッドを下りられるから」
 わたしは首を横に振ると笑顔を浮かべた。
「ちょっと魔力が暴走したって言うか…… 
 まずいところを見せちゃったよね」
 本人のわたし自身だってまだ自分の力に確信が持てているわけじゃないから失敗しても仕方がないんだけど。
 あの男の子をがっかりさせてしまったことが悔やまれた。
「まだ覚醒したばかりで魔力が安定していないのではないかと、先王陛下は仰っていました。
 それと、犬の怪我そのものは治っていましたよ」
 わたしを安心させようとするかのように将軍は言ってくれる。
「本当? 」
「はい、治療もせずに放置して酷いことになっていたあの傷自体は見事に塞がっていました。
 ただ、後遺症というか…… 
 あの犬がもう全速力で走ることは出来ないと思います」
「……やっぱりわたし失敗したんだ」
 わたしは肩を落とす。
 あの時の少年の言葉が頭に浮かんだ。
「そんなに気を落とさないで下さい。
 魔女殿が完璧に治してやったところであの犬はもう使い物にならないと思います。
 一度怪我を負わされた相手を怖がる犬は少なくありませんし、あの犬自体がそもそも苦手だったんだと思います。
 ですからしくじって怪我を負ったものかと…… 」
「今、なんて? 」
「はい、あの犬はもともと牛が苦手だったので怪我が治っても使い物にならないかと…… 」
 将軍の言葉に言い訳を思いついたわけじゃないけど、それであの時の拒まれたような心証の訳が理解できた。
 あの犬は怪我が完治すればまた仕事を押し付けられることを知っていて、怪我を治すこと自体を拒否してたんだ。
「ご心配なさらないで下さい。
 あの男には別の犬を用意しました。
 子供はどうかわかりませんが男にとって、犬は仕事がきちんとできるかどうかが問題だったようですから文句はないかと思います」
「ティヤは? 」
 わたしの顔から血の気が引く。
 男は仕事の出来ない犬まで養う余裕はないって言っていた。
 もしかしたら厄介物とみなされて処分されてしまう? 
「あの犬でしたらこちらで引き取りました。
 あのくらい臆病で用心深い犬でしたら脚を引きずっていたとしても番犬位にはなるでしょうし。
 少年にはいつでもここに犬の顔を見に来ていいと言って置きましたから」
「本当にごめんなさい。
 何から何まで面倒掛けさせちゃって」
 わたしはあまりの申し訳なさにうなだれる。
「いいえ、このくらいのことでしたらいくらでも…… 」
 将軍は慣れないような笑顔を浮かべる。
「それに何から何までではありませんよ。
 あの犬の怪我を治したのは魔女殿です。
 その、言いたくはありませんがあのまま放っておけば感染症であと三日の命と言ったところだったでしょうから」
 将軍は完璧なフォーローの言葉までわたしに残して部屋を出て行った。
 
 
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