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しおりを挟む「王太子妃様がお越し下さったそうですね」
夕食を終え、湯船に手足を伸ばしていると、控えていた侍女が隣室から話しかけてきた。
「うん…… 」
視線を落としてエミリアは呟くように答えた。
「どうかしましたか? 」
「もしかして、わたし。
ものすごくひどいことしてるって、思われてるよね? 」
事実はどうであれ、実際に毎晩妻のある男と同じベッドで眠っている時点でもう完全にアウトだ。
もしかしなくても、そう言うことになる。
だから今夜からでも、遠慮してもらわないと……
「お気になさらなくても大丈夫ですよ。
それも殿下達のお勤めのうちですから」
女はやんわりと笑ったようだ。
その『達』という言葉に、エミリアは身震いする。
そうだった……
脳裏に今朝ほどの神官のあのなめるような視線がよみがえる。
これだけ毎日同じベッドで横になっていて、ウォティが言葉通り無害なのはわかったけど、他の男も同じとは限らない。
むしろ危ないって考えるほうが妥当だろう。
だけど……
それなら自分はどうしたらいいんだろう?
「巫女様? 大丈夫ですか? 」
「え? なに? 」
侍女の呼びかけに答えた途端に躯がずるりと滑り、大きな水音と共に頭がお湯の中に沈む。
「ぐ…… ゲホン! 」
喉の裏側に意図せず流れ込んでしまったお湯にむせながら、湯から上体を起こす。
「巫女様! 」
水音に驚いて侍女がバスルームに駆け込んできた。
「けほんっ、なんでもない。
けっほっ…… 大丈夫だから」
軽く咳き込みながら立ち上がる。
「……本当に、気をつけてくださいね」
部屋に戻りながら侍女が気遣わしげに言ってくれる。
「うん、ごめん。
なんかちょっとぼーっとしちゃって、ね」
ウォティを帰して代わりの人間をどう拒否しようか考えあぐねているうちに長湯になってしまったなんて、神官に繋がっていると思われるこの女には言えない。
結局、あわやバスタブで溺れかかるまで考えていたというのに、何も思い浮かばなかった。
「ずいぶん長風呂だったね」
部屋に戻るとウォティが待ち構えていた。
余程暇をもてあましていたのか、部屋には酒が運び込まれていた。
「ねぇ、王子様。
奥さんのところに戻らなくていいの? 」
その顔を見ると同時にエミリアは口にする。
「え? ああ…… 」
男は曖昧に言葉を濁し視線をおもむろに逸らせた。
「ごめんなさい。
わたしあなたに奥さんがいるってこと、忘れてたって言うか、気がつかなかったって言うか……
言ってくれればよかったのに! 」
「なんだって今頃急に…… 」
手にした杯を置くと、男は睫を瞬かせた。
「いらっしゃったんですよ。
今朝、急に。
礼拝のついでとかおっしゃって」
まだ湿り気の残るエミリアの髪を整えながら、侍女が簡潔に説明する。
「隠していたわけじゃないんだけどね…… 」
男は困惑気味に息を吐く。
「ううん、
忘れてたのはこっちだし……
ほんっとうにごめんなさい。
お妃様、きっとものすっごぉく気を悪くしてるわよね」
本当は、
『だから家に帰って』
そうはっきり言い切りたかった。
だけど毎晩睦言のように繰り返された『他の男が来る』という言葉が引っかかってどうしてもその一言が言い出せない。
「もしかして、妬いてる? 」
男は首をかしげて苦い顔をしながら訊いた。
代わりに他の言葉が矢継ぎ早に出てくるのを男はそう勘違いしたらしい。
「そんなわけ無いじゃない。
常識的に考えてわたし、非常にやっちゃいけないことをやっているってことだもの。
それが心苦しいだけ」
「ん~、でもね。
彼女は僕個人の妻である前に、公妃なんだよね? 」
「だから? 」
エミリアは首をかしげる。
どっちにしてもこの男の伴侶であることには変わりはない。
「国の事のためなら多少のことなら自分のことは後回しにするのが当たり前ってこと」
もっともだとばかりに男は言い放つ。
「でも……
だからって……
そんなの…… 」
言葉が見つからない。
変わりに握り締めた手に涙がポツリとこぼれた。
自分がその立場だったら、何が何でも絶対嫌だ。
たとえ一国を背負う国王に連なる系図の人間であったって、絶対許せないし我慢できない。
今朝方、女が自分の顔だけ見て何も言わずに立ち去ってしまった気持ちが痛いほどわかった。
「……まぁ」
男の腕が、立ち尽くすエミリアの腰に伸びるとふと抱き寄せられた。
「君の気持ちは有難いけどね…… 」
言いたいけど口にできない言葉を読み取ったように、男は耳元でそっと囁く。
「そう言うものだって割り切ってくれたらいい」
「……そんなの、できない」
「いいんだよ」
搾り出すように言った言葉を簡単に制された。
「でも…… 」
「『でも』は聞かないから、おとなしくベッドに入ってくれないか? 」
「嫌! 」
エミリアはどこか裏のありそうな笑みを浮かべる男の顔を睨み付けて言い放つ。
「いいから来るんだ」
少し強い口調と共に最初の晩のように抱えあげられる。
「や! 」
躯を捻って抵抗するが、効果はない。
あの時と同じようにベッドに運び込まれると髪を押さえつけられ身動きを封じられた。
「君は余計なことに気を遣わなくていいんだ。
むしろひどいことをしているのはこっちなんだから、遠慮なんかしないで堂々としていればいい」
耳元で囁かれると次いで唇を塞がれる。
「ゃ…… 」
声にならない声で抵抗を試みる。
しかい、大きな胸板に組み敷かれた躯はもちろん身動きさえままならず、恐怖が湧きあがる。
ぞくりと背中に冷たいものが走り肌が粟立つ。
嫌だ……
怖い……
声にならない声。
今まで、知らずに信用していた男の一面にエミリアは身を竦ませる。
その背後で、ため息と共にパタンとドアが閉まる。
侍女が出て行ったけはいを察して、ようやく男が距離をとった。
躯を押さえつけられていた重みがふと離れ、エミリアはようやく安堵の息を吐く。
男がどんなに紳士的でも、いつどうなるかわからない。
そんな不安は常に付きまとっていた。
まさか、それがこんなに不意に来るなんて思ってもみなかった。
「すまない、悪かったね……
こうでもしないと君、あの女の前で余計なこと口走りそうだったから…… 」
ベッドの上で上体を起こすと男が心底申し訳なさそうに口にした。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの? 」
同じように起き上がるとベッドの上で膝を抱えてエミリアは訊いた。
相手が自分に好意を持っているとか、そういう一面が少しでも見られればわからないでもない。
けれど、この男にはその様子は全くないし、どう見ても自分の利になることもなさそうなのに。
「見ていられなかったんだよ。
突然何の説明も無く連れてこられて、意の染まぬ相手に抱かれる恐怖。
君にはわかるだろう? 」
エミリアは頷く。
「……三ヶ月で気を病んだ者が居た。
一晩で身投げした娘も居たよ」
「じゃ、巫女の寿命が短いのって、力を使いつくしてとかじゃないの? 」
「確かに、君たちの持つ魔力には底がある。
これだけの国土の作物を維持するために祈るんだ。その魔力が数年で尽きるのは当たり前なんだけどね。
それだけじゃないんだよ。
もうひとつ別の要因があったってこと」
男は深い息を吐く。
「中にはよっぽど気が座った娘も居ないことは無いんだけど。
彼女たちだって皆同じなんだ」
「同じって何が? 」
「よそう、この話はここまでだ」
苦い顔をして口を噤むと男は背中を向けてしまった。
その物言いには何かまだエミリアには聞かせたくない事情が含まれていそうだ。
気にならなかったわけではないが、これ以上訊いても無駄だろう。
確かに、ここに連れてこられたあの日。
もし隣に横になっていたのがこの男でなかったら、目が覚めた時に事が済んでしまった後だったら、自分だってどうなっていたかわからない。
その男に身籠るまで毎晩抱かれ続けなければならないなんて、考えるだけで肌が粟立つ。
ましてや、家に新婚の夫や赤子。もしくは婚約者が居たら……
エミリアは小刻みに震える体を抱えて、横になる男を横目に寝具にもぐりこんだ。
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