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しおりを挟むきらきらと朝露が緑の濃い葉の上で輝く。
そっと手を伸ばすとそれはころりと地面に転がり落ち、黒いしみとなって地面にしみ込む。
「こりゃあ…… 」
半ば呆れたような感心したような声にエミリアは枝に掛けた手を戻す。
視線を向けると、時々顔だけ見たことのある下働きの男がものめずらしそうに室内にはびこる植物を見上げていた。
「何か? 」
剪定中の手を休めエミリアは戸口に立つ男の傍に歩み寄る。
「あ、ええ、毎年祭りに神殿に飾る花をここから分けてもらっているので、今年もそうできないかと思って来て見たんですがね」
男は困惑気味に言う。
「噂以上の有様ですな」
これでは花は望めないと言いたいのだろう。
そう言えば……
エミリアの脳裏にかつて一度だけ見た、祭り最中の神殿の様子が浮かび上がった。
たくさんの色とりどりの花で飾られ、ふんだんに焚かれた香がそれに更に色を添えた、この上なく華やかな空間だった。
「そっか、もう祭りが近いんだよね」
呟いて男に向き直る。
エミリアがここに連れてこられた時、祭りはまだかなり遠かった。
それこそ、祭りの日一日もらえる休みとわずかな小遣いに、兄妹と一緒にどこに行こうかとか何を買おうかなんてわくわくしはじめる予兆もない程に。
きっと家に居たら、今頃齢の近い妹と一緒に、一張羅の余所行きドレスにどんな飾りを縫いつけようか、どんな花を髪に挿そうかといったことに余念がない頃だ。
思い出すだけで、なんだかとても懐かしい。
「花なら無事よ。
どうぞ…… 」
やんわりとした笑みを浮かべてエミリアは男を室内へ招き入れた。
入り口付近の豆の蔓を掻き分けると青臭い草の匂いにまぎれて華やかな花の芳香が香ってくる。
目の前には手入れの行き届いた何本もの薔薇が咲き誇っていた。
「いいんですか? 」
傍目にはこの一角だけ絶え間なく手を入れているように見えたのだろう。
男は困惑気味にエミリアの顔を見る。
「どうぞ、ここだけは何故かごちゃらまにならなかったのよね」
首をかしげながらエミリアは説明する。
先日の騒ぎのあと手を入れながら気がついたのだが、エミリアの手ずから植えた葉物野菜や実野菜、それに可愛がっている林檎の木はものの見事に乱繁殖してとんでもないことになったが、この一角前の巫女が残したという花園の部分だけはなんの変化も見られなかった。
「木の傷まない程度に好きなだけ持っていってくれてかまわないから」
こともなげにエミリアは言う。
正直花は嫌いではないが、興味は持てない。
ここの花も、生きていてまだ元気なことから『可哀想』くらいに思って残しておいただけだ。
積極的に植えるのなら、薬草か野菜のほうがいい。
「その、足りなかったらごめんなさい。
なんだけど…… 」
いつかの花であふれた神殿内をもう一度思い返して言う。
「いや、いや。
足りないのは毎年のことなんで、お気になさらずに。
前の巫女様は剪定で出たあまりの枝くらいしか出してくださらなかったですし」
男は恐れ多いとばかりの様子で頭を下げた。
「それとね。
良かったら、これ食べてくれる? 」
エミリアは奥へ向かい泉の傍に置いてあった大ぶりの籠を手に男の傍に戻るとそれを差し出した。
「ここで採れた野菜。
こんなことになっちゃったから食べ切れなくて…… 」
周囲に視線を泳がせながら言う。
「味は悪くないはずなのよ」
中の紅い実野菜をひとつ取り出して口に運んで見せた。
この、通常では考えられないほどに枝葉を伸ばした植物がつけた実だと言わなければおそらく普通の野菜にしか見えないだろう。
見た目だけでなく、味だって香りだって全く通常の野菜と同じだ。
むしろ味に関してはいいかもしれない。
「いいんですか? 」
おずおずと男が言う。
「どうぞ」
首をかしげてエミリアは男に籠を押し付けた。
「それじゃ、遠慮なく頂いてきます。
オレのばあさんが昔食ったことがあると言ってたんですが、この庭で取れた野菜はそりゃ旨かったって。
ばあさんきっと喜びます! 」
男は顔を綻ばせる。
「おばあさんによろしくね」
エミリアは笑い返した。
部屋に戻ると、今夜もまたウォティの姿はなかった。
「祭りも近いことですし、多分遅くなると思いますよ。
降誕祭の最中は異国からの商売人もたくさん入国してきますから、どうしても警備を強化せざるを得ませんから。
殿下のお仕事も増えてしまって……
お寂しければ、他の方をおよびしてはいかがでしょう? 」
女の最後の言葉にエミリアはわずかに身を震わせた。
「だ、大丈夫…… 」
わずかに顔をひきつらせて答える。
「どうせ、あの人どんなに遅くなってもくるんだもの。
たまには一人でって思うけど、誰か代わりって言うのは遠慮します」
「そうですか? 」
女は困惑気味の表情を隠そうともしない。
きっとその『代わり』の人間にせっつかれてでも居るのだろう。
エミリアはその顔を前にこっそりと息を吐いた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
窓を開くと風に乗って街の賑わいが聞こえてくる。
風向きにもよるが、祭りが近くなってからその賑わいが更に増したような気がする。
「じゃ、巫女様、頂いていきます」
先日花をもらいに来た男が抱えられるだけの花を抱えて頭を下げた。
「ね? わたしにも何かお手伝いすることある? 」
いかにも手が足りなさそうなその様子にエミリアは訊く。
「巫女様に? とんでもない! 」
男は目を丸くした。
「だって、ほら。
見ての通り暇なんだもの。
わたしだけ何もしないでただ見ているのはちょっと、ね」
いつもなら庭の手入れに来てくれる人の数もずいぶん減った。
一時的なものだとは思うけど、それだけ今は手を必要としているということだ。
幸い、あの騒ぎの後植物の状態は落ち着いていた。
むしろ体力を使いつくして一休みしているとでも言うのか、元気がないわけではないけどどことなく成長が通常よりもゆっくりになったような気がする。
「大事な祭りの前に、巫女様に万が一怪我でもされたらそれこそ大事です。
できるだけおとなしくしていてください」
言い聞かせるように言って、男は足早に去っていった。
「なんて、言われてもねぇ…… 」
一人残されてエミリアは泉の傍に腰を下ろし、傍で地面をつついていた雌鶏の頭に手を伸ばした。
数日後に迫った祭りの準備は佳境を迎え神殿に居合わせた人々は顔色が変わるほど走り回っている。
そのせいでエミリアは話し相手にも事欠いていた。
それが退屈だなんて言えば非難を買ってしまうのかも知れないけれど……
だからせめて何かお手伝いをしたいと思うのだけど、誰に声を掛けても返ってくる答えは皆一緒だった。
だったら、せめて……
ふと思い立ちエミリアは立ち上がるとスカートの裾の埃を軽く払った。
もしかしたら、今なら……
庭を出ると部屋に戻るような顔をして廊下を急ぐ。
確か、この先を真っ直ぐに行けば神殿の祭壇に行き着くはずだ。
常に開かれている扉を潜れば街に出られる。
あんな形で「行ってきます」も「さよなら」も何の挨拶もなしに家を出てもう数ヶ月。
両親はきっと事情を知っているだろうけど自分はと言えば、納得がいかない。
別れて暮らすことになるのならもっと話しておきたいことがたくさんあった。
両親だけじゃない、小さな弟の声や笑顔ももっとしっかり頭に焼き付けておきたかった。
「少しくらいならいいよね?
何も帰ってこないなんていっている訳じゃないし…… 」
誰も居ないのを承知で了承をとるかのように小さく呟く。
多分面と向かって誰かに言おうものなら絶対に引き止められる。
簡単に許しが出るくらいならとっくに一度や二度外出できていたはずだ。
だから、悪いとわかっていても誰かに行き先を告げていくわけにはいかない。
何もやることがないとわかっているのなら、祭りの当日まで姿を消しても支障はないはずだ。
そう自分に言い聞かせて、足を急がせた。
祭壇のある礼拝室は扉が閉まっていた。
すでに準備が整っているのかお誂え向きに人のけはいがない。
エミリアはそっとその大きな扉に手を掛けると自分の躯が通り抜けられるだけわずかに開く。
途端に生花の華やかで甘い芳香が鼻をくすぐった。
視線を向けると祭壇と言わず壁と言わずたくさんの花綱が施され、豪華に飾りつけられていた。
何列ものベンチの並んだ中央を真っ直ぐに向かうと、やはり大きな扉がある。
その扉の向こうには、見慣れた街並みが広がっている。
そう思うだけでわくわくした。
今すぐにでも駆け出してそのドアを開いてしまいたい。
はやる気持ちを抑えてようやくドアまで辿りつく。
見上げる程に大きなそのドアに手を掛けエミリアは一息ついた。
悪いことをしているという自覚があるせいだろうか、妙に早まる呼吸を大きく深呼吸して整えると、ドアに添えた手に力を込める。
思ったよりも重いドアがかすかにひらいた。
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