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しおりを挟む「巫女様?
巫女様…… 」
軽く躯を揺さぶられてエミリアは目を開く。
目の前全体に心配そうにゆがめられた侍女の顔があった。
「え? 」
「え? じゃ、ありませんよ。
声をおかけしてもお目覚めにならないので、どうかなさったと思いましたわ」
女はようやく安堵したように深い息をついてエミリアから離れた。
「どうにかならないほうが不思議かもよ? 」
皮肉を込めて言ってみる。
潔斎だとこの庭に閉じ込められて三日、一度も食料どころか水の差し入れさえなく、肌寒い季節なのに毛布一枚もらえなかった。
巫女だなんていっても生身の人間である。
空腹も感じるし、寒さも応える。
幸い泉はあるし、植えつけてあったのが生でも食べられる葉野菜だったのでかろうじて空腹は間逃れたけど、さすがに毛布もなしで夜を明かすのはこの薄い衣装一枚では辛かった。特に明け方になると空気がしんと冷えてきて眠りから引き戻された。
それでも躯を丸めてようやく眠りなおしたところをこうしてたたき起こされるのだからたまったものじゃない。
「お時間です。
いらしてください」
「え? あ、はい! 」
先に立って庭を出てゆく女の後を慌てて追う。
「それと、このお部屋をお出になった後は儀式が終わるまで絶対に口をお開きになりませんように…… 」
またしても詳しい説明もなしに一方的に言われた。
いつものように、早朝にもかかわらず湯の張られた浴槽に放り込まれる。
そして、真新しい真っ白なトーガを着せ付けられ、初めての日と同じように礼拝堂の入り口に立たされる。
違ったことと言えば今日はウォティの姿がないことくらいだ。
「手順は、先日の認定式と同じですから」
侍女が耳元で囁いた。
それを合図に礼拝堂のドアが左右に最大限開かれる。
一斉にこちらを向いた居合わせた人々の視線が痛いほど突き刺さる。
それでも、侍女の一言でやることはわかっていた。
先日と同じ茶番をもう一度やれということだろう。
腰を下ろして頭を下げる侍女をその場に残して進み出る。
一歩足を前に踏み出すたびに、視線がついてくる。
これでもかというほどに焚かれた濃厚な香の匂いが躯を包み、エミリアは軽い眩暈を覚えた。
いや、もしかするとこの眩暈は香のせいじゃなくて空腹と寝不足のせいかも知れない。
礼拝堂を祭壇まで真っ直ぐに伸びる通路を、一歩一歩足を進めながらエミリアはその眩暈のする頭でぼんやりと考えていた。
とにかく無性に眠い。
早いところこの茶番を終わらせてベッドにもぐりこみたい。
いつの間にかそのことばかりが頭を占めた。
祭壇の前にたどり着き跪くとあの時と同じように小さな種の乗った鉢を手渡される。
しばらくその種を見つめていると、またしてもそれは勝手に芽吹き葉を広げ枝を伸ばす。
小さな茎は太い幹へと姿を変え、幾重にも別れた枝には真っ白な花が開く。
やがて花びらが落ちると小さな実を結び、それはたちまち大きくなり紅く色づく。
実を鈴なりにつけた木は確かにそこに存在するのに全く重みを感じない。
掌に伝わる重みは先ほど手渡された時から少しも変わっていない。
……どういう仕掛けになっているのだろう?
今すぐにこの鉢をひっくり返して調べてみたい衝動に駆られるが、とりあえずここはじっと我慢だ。
我慢というよりは、それよりも先に一眠りしたい。
そのほうが最優先に思えた。
「……すごいな、先日よりも大きくなっていないか? 」
観客の誰かの口から、ため息と共に声がこぼれた。
それを耳に首をかしげつつもエミリアは手にした鉢を大神官に返す。
それが祭壇に掲げられると、礼拝堂にどっと歓声があがった。
「つ、疲れたぁ…… 」
部屋に戻ると一緒にエミリアはベッドに突っ伏した。
先日もそうだったが、好奇な人目に晒されたせいか大したこともしていないのに異常なほど疲弊している。
眠気に至っては半端な状態ではなかった。
着替えを手伝いに来てくれるはずの侍女を待つこともできず、エミリアはそのまま眠りに引き込まれていった。
躯を覆う不快な重みにエミリアは目を覚ます。
いつものウォティの、こちらの動きを制するように強引にのしかかられた重さではない。
しかし、この重みは確かに人の物で、すぐ間近に誰かの息遣いと熱が感じられる。
だけどそれはずっと慣らされてきたウォティのものではない。
しかも妙な動きでその手が躯を這う。
「ひっ…… 」
それを認識した途端エミリアは顔をひきつらせ身を捩った。
だがそれは躯にのしかかった重みで無駄に終わる。
「……もう、香が切れてきたか」
忌々しそうに耳元で囁かれた。
顔を向けるとそこには目じりに皺を刻んだ男の顔がある。
白髪交じりの濃い茶の髪色のはっきりしない黒に近い瞳は大神官の職を擁した男の持ち物だ。
「や…… 」
あげた悲鳴は男の無骨な手で塞がれた。
「まぁ、あの広さで焚いた香だ。
薄まっても無理はないか…… 」
勝手に納得するように男は呟く。
「それに、そうでなければ面白くない。
寝たままの女など人形も同じ…… 」
呟き声と共にその乾いた手が胸元に差し込まれる。
「ひっ…… 」
声にならない声と共にエミリアの肌が粟立つ。
「ああ、あの小童に操立てしておるなら心配はない。
王族の血を引いた人間との間になら誰だろうと『神子』は望める。
ゆえに、巫女が複数の人間と関係を持つことになんら支障はない」
言い聞かせるような口調で耳元で囁かれた。
って、冗談じゃない。
そもそもそこが問題のわけではない。
「閨事の途中を邪魔される心配をしておるのならそれも今宵は考えなくて良い。
奴は祭りの客人の相手に手一杯で、今夜ここを訪れることはないからの…… 」
その言葉にエミリアの顔がひきつった。
きっと男はこの機会を待っていたのだろう。
侍女を通じて何度エミリアに声をかけても応じないのに痺れを切らし、王太子がどうしても動けない晩が来るのを狙っていたのだ。
とにかく逃げないといけない。
必死に躯を捩るけど男の体重を掛けられた上に四肢を絡めとられ身動きさえままならない。
それどころか動けば動くほどそれを逆手に取られ、男の腕が執拗に絡んでくる。
「嫌っ! 」
男の舌が耳朶を這う。
その気味の悪い感覚に嫌悪感を覚え目を見開、顔の間近に男の首筋が迫っていた。
エミリアは迷うことなくその首にかぶりついた。
四肢を押さえられていて自由になるところといったらそのくらいしかない。
思い切りかぶりついた皮膚に力を込めて歯を食い込ませる。
口腔内に鉄錆臭を含んだ生臭い匂いが広がる。
「くっ…… 」
男がわずかに顔をゆがめると躯を起こす。
「おとなしくせぬか、可愛がってやろうといっておるのに…… 」
エミリアの顔を睨み付けながら言う。
その反動か、抑えられた躯の重みがわずかに緩む。
緩んだ男の体重の下から強引に躯を引っ張り出した。
「嫌!
誰か! お願い、助けて…… 」
もがきながら、祈る充ても明確にならないままに必死に祈る。
途端にベッドがゆるりと揺れた。
次いで断続的ながたがたとした軽い衝撃が走る。
と同時にベッドの柱やヘッドボード、ありとあらゆる木材の部分から新芽が芽吹き見る間に枝葉を伸ばして茂ってゆく。
茂るどころの話ではない、生い茂った枝葉は複雑に絡み合い、まるで檻でも造るかのようにベッドの周辺を取り囲んでゆく。
「な、何だ! 」
男が叫ぶ。
見る間に行く手を阻むように伸びた枝葉は男の手足に絡みつき身動きを奪う。
それを目にエミリアは一気に駆け出した。
「お願い!
誰か、助けて…… 」
涙の滲んだ視界の端に見え隠れするウォティの姿。
だけどその姿がここにあるわけが無くて……
部屋を飛び出し、暗い廊下をはだしのまま走る。
背後で枝葉が揺れ動く音が絶え間なくするが、振り返ってそれを確認する余裕は無い。
どこをどう、走ったのだろう?
無意識に大きな扉を開けていた。
ようやく躯が潜るだけ開けた扉の隙間から躯を滑り込ませると、後ろ手に扉を閉める。
むき出しの地面の感覚がはだしの足の裏に広がった。
しかし、戸外へ逃れられたわけではなかった。
目の前で絶え間なく流れ出す噴水がそれを物語っている。
祈祷室だ。
毎日通ってきていたからわかる。
出入り口は先ほど入ったドアしかなく、換気はすべて半開きにしか開かず、子供はともかく大人の体格では出入りはできない。唯一開くのは天窓だけだが、出たところで地面に降りられないのは先日確認済みだ。
暗がりの中足が何かに引っかかった。
意図せずエミリアはつんのめり地面に転がる。
「あ…… 」
起き上がりながら後ろを確認する。
とりあえず追手は来ないようだ。
だけど……
もう、どうしていいのかわからない。
転んだ時に足をくじいたのか、足首に鋭い痛みが走る。
これ以上走れない上に出口も無い。
「や…… 」
ほとんど闇の広がる虚空を呆然と眺めて、エミリアは呟く。
その瞬間、目の前を多量の木々や草の枝葉が覆った。
「どうし、て…… 」
まだ震えの止まらない手にぎゅっと力を込め握り締めてエミリアはようやく口にする。
「どうして、こんな目に遭わなきゃならないの? 」
ずっと普通の暮らしをしていた。
裕福とは言いがたかったけど、それなりに満ち足りて幸せだった。
なのに……
あの日すべてが壊れてしまった。
それがどうして自分だったのか、どうしても納得ができない。
巫女と呼ばれて寓されて、豊かな生活が約束されても少しも幸せじゃない。
むしろ嫌なことばかりだ。
呟いても答えてくれる人はいない……
目の前だけではない、それは際限なく伸び茂りエミリアの躯全体を包み込んでゆく。
視界が完全な闇に閉ざされるまでそう時間は掛からなかった……
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