その溺愛は青ざめた月の見せる幻影のようで、

弥湖 夕來

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 やっぱり、一度家に帰してもらおう。
 そして、ゆっくり冷静に考えて、返事を出したい。
 今のまま流されるように、ジュリアスの言うがままになるのはどうしても納得がいかない。
 
 とにかくジュリアスに逢って帰宅を許してもらいたい。
 どう切り出そうかと考えながら、闇雲に広い廊下を走り抜け、階段を下りて角を曲がる。
 まるで見覚えのない場所にでてリュシエンヌは足を止めた。
 そういえば、ジュリアスの私室の場所を知らない。
 この城の中で庭とそれに通じる通用口以外で、知っているのは大広間と玉座の間、そして自分の私室くらいだ。
 隣国の城にいた時のように私室から出ることを禁じられていたわけではなかったが、周囲を侍女に取り囲まれ身の回りの世話を侍女に任せ毎夜ジュリアスが来てくれたことでその必要性がほとんどなかった。
 食事さえ私室で、一人摂っていた。
 そういえば、ここに戻ってから誰かと食卓を共にした事がない。
 食事もお茶も必ず一人だ。
 以前は部屋でじっとしているのが一番の苦痛だったはずなのに、隣国にいる間に一人でいることに慣れてしまっていたらしい。
 そっとため息をついて周囲を見回す。
 場所が悪かったのか、この階には衛兵一人、使用人一人の影も見当たらない。
 部屋に戻るにしても、ジュリアスの私室に行くにしても誰かに聞かないとたどり着けそうになかった。

 白漆喰で塗られた廊下の長い壁には無数の肖像画が掛かり、片方の壁には所々にドアがある。
 その中の一つから僅かに灯りが漏れ出ているのを認めリュシエンヌは息をついた。
 ドアに歩み寄り一つ大きく息を吸ってノックをしようと拳を上げた。
 
「いいの、ジュリアス? 
 婚儀の近い人が他の女とこんなことしてて…… 」
 くすくすとかすかな笑い声をこぼしからかうように言っている。
 部屋の中から響いてくる妖艶な女の声にその手が止った。
「構わないよ。
 君だってそんなこと気にする女じゃないだろう? 
 レディ・オルガ」
 どこか冷めたような至極冷静な男の声が響いた。
 男が呼んだ名前から察するに相手は昨夜と同じ女だろう。
 
「それにしたって、自分の従妹なんてよく抱く気になれるわよね。
 わたくしにも従兄はいるけど、うんざりよ。
 触られでもしたら虫唾が走るわ」
 僅かに開いたドアの隙間からは中央に置かれたベッドが見える。
 その上で白い女の肢体がうごめいている。
「従妹じゃないかも知れないよ? 」
 女の無礼な言葉に怒り出すでも動揺するでもない淡々としたジュリアスの声が答える。
「なに、それ? 
 何を言っているのあなた。
 従妹の定義を知らないわけじゃないでしょ?  
 あなた方の父親同士って兄弟じゃないの」
「僕が本当に父上の子ならね」
 耳を疑う言葉が男の口からこぼれ出る。
「冗談も程ほどになさってくださる? 」
 それは女にしても同じだったのだろう? 
 呆れたように取り合わない。
「こんな噂聞いたことない? 
 王妃が異国から嫁いできて一年もしないうちに産んだ王子は月足らずに割には大きくて、おまけに王にも王妃にも全く似ていないって」
「それって単なる噂でしょう? 
 そのブロンド、あなたとあの娘そっくりじゃないの」
「ああ、おかげで助かったよ。
 血の繋がった一族の中に同じ色の髪を持つ兄妹がいてくれて、さ。
 家臣の中には僕の出生を怪しんでいた人間もいたようだからね。
 母親譲りのあの髪色、よく考えれば、あれはクローディオ王家の血じゃなくて、王弟妃のシャルタン家の物だってわかりそうなものなんだけど。
 ま、気が付いていても口には出せずに、そう言うことにして黙っておいたってところかも知れないけどね」
「王妃様が? まさかそんなことありうるの? 
 あなたの思い過ごしじゃなくて? 」
「真相は誰も知らない。
 だけど、血が繋がっていようといまいと、僕がリュシーを気に入っていたのは確かだけどね。
 初めて見たのはまだ子供の頃だったけど、綺麗な子だったよ。
 大人になったら誰も適わないような美貌の持ち主になるのが一目見てわかるような」
「そういえば、あなた昔っから綺麗な物好きだったものね。
 さしずめ、あの小娘はあなたのお人形さんってところ? 」
 納得したように女は息を漏らす。
「それだけじゃないけどね。
 リュシーは今、この国で正真正銘たった一人クローディオ王家の血を引く人間なんだよ。
 もしこの先、万が一僕の出生の事実が明らかになってもリュシーが妃なら皆口を閉ざす。
 例え父親が誰であれ次代の国王はクローディオの血を引く者になるわけだからね」
「たいそうな入れ込みようだこと。
 それにしてはその溺愛のお人形、随分とあっさり隣国に差し出す気になったわね? 」
 女は首をかしげたようだ。
「知ってるかい? 
 あの国には我が国にない広大な岩塩坑があるんだよ。
 その塩を近隣の国に高値で売りつけて相当潤っている。
 あの土地を咽から手が出るほど欲しがっていたのは、僕だけじゃないよ」
「それとあの小娘を差し出したのってどう関係してるのよ? 」
「あれだけの美貌だろ? 
 せっかく僕が年頃になるまではって苦労して隠しているのにさ、目をつけた人間が出てきて、これ以上隠して置けなくなったんだよね。
 そんな時に、丁度向こうから停戦協定の申し出があった」
「それで人目に付かないように隣国へ送り出したって訳? 
 で、寝取られていれば世話はないわよね」
 呆れたようなため息が続く。
「ま、そこは読みどおりかな? 
 少なくとも、年寄りの下級貴族の後妻や妾にされるよりはましだろう? 
 それに、どうせ寝取られるんなら、少しは役に立ってもらわないとね。
 案の定、隣国王はリュシーとの正式な婚姻を要求してきたよ」
「で、他人のお下がりを妃に迎えるあなたのメリットはなに? 」
「お下がりじゃないけど。
 隣国の統治ってところかな? 
 遅かれ速かれ僕はあの国を手に入れるつもりだったからね。
 ただ、あの国の民は国土全域一つの民族で結束が固いんだ。
 余所者の統治者は受け入れられない。
 だけど、リュシーの産んだ次期国王が、かつての自分達の王の子かも知れないとなれば黙らせる事ができる」
「呆れた、そんなところまで計算していたの? 」
「僕の大切な宝石を預けるんだ。
 そのくらいの見返りは貰わないとね」
 
 耳に入ってくる会話に背筋が寒くなる。
 聞いてはいけないことだ。
 今すぐこの場を立ち去らなくては。
 そう思うがリュシエンヌの足は床に縫い付けられたかの様に動かない。
 
「ジュリアス、それでいいの? 
 そんなことしたら、自分の子供が後を継ぐことできなくなるんじゃなくて? 」
 
 肌が粟立ち、額にどっと脂汗が滲む。
 強引に足を動かしその場を立ち去ろうとしたリュシエンヌには全く気付かずに女が続けた。
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