その溺愛は青ざめた月の見せる幻影のようで、

弥湖 夕來

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「構わないよ。
 僕はね、仮にも自分の息子になった人間に寝首をかかれるのだけはごめんだし…… 
 とりあえず僕が生きている間だけ、国王としての権力が僕のところにあれば満足だよ」
「! あなた、もしかして? 」
「そう、父上を殺したのは僕だよ」
 空気に広がる冷たい声がリュシエンヌの頭の中で何度となくこだまする。
 
「さっきも言っただろう? 
 僕は父上の血は引いていないって。
 父上も僕を産んだ後、二度と子供を産むことを拒否していた母を疑っていたみたいだよ。
 叔父上に王位を継がせて、他の男の血を引く自分の息子は他国へ人質か婿に追い払うつもりだったようなんだ。
 だから正式に王太子が決まる前に手を打った」
 
 意地で動かそうと思ったリュシエンヌの足は完全に止ってしまった。
 自分は悪い夢でも見ているんじゃないかと思う。
 いや、それとも性質の悪い冗談か。
 普段穏かで優しいあのジュリアスの口からそんな言葉が出たものだから、悪夢のように聞えるのかもしれない。
 必死でそう自分自身に言い聞かせる。
 
「父上も愚かだよね。
 身持ちの悪い姫君を、孕んだ子共々大国から押し付けられて黙るしかなかったにしてもさ。
 もう少しやりようがあったんだよ。
 自分とできるだけ近い血縁の者に王位を譲りたかったら、気付かぬ振りをしてリュシーと僕を娶わせる、とかね。
 それなのに僕をあからさまに邪険にするからあんなことになるんだよ。
 正直計画を立てるのは苦労したよ。
 父上を殺して、呼び出しておいた叔父上にその罪を被せ、現場を第三者に発見させるまでの手順を考えるのはね」
 
「ひっ…… 」
 声にならない音が咽に張り付く。
 
「それと、重罪を犯した王弟の血族は全て処罰すべきだって主張する頭の固い老人を説得するのにもね」
「ねぇ、じゃぁあの小娘が一人だけ釈放されたのって、あなたのおかげ? 」
「そういうことになるかな? 
 苦労しただけのことはあって、あの年になるまで国境の片田舎で誰にも顔を見せない引きこもり生活してくれたから、助かったよ」
「……怖い人」
 
 女はジュリアスの話を面白がっているようだ。
 嗚咽を漏らしそうになるリュシエンヌとは反対に、小さな含み笑いをもらす。
 
「そうだよ、知らなかった? 
 望まれずに生まれて、肉親だと思っていた親に疎まれるとこういう人間ができるんだろうね」
 
 呟くジュリアスの何時にも増して低い声に背筋が寒くなる。
 嫌な予感がして部屋の中を凝視すると、しどけなく横になる女の上に男の影が重なる。
 これから始まる営みは予想できた。
 そのまま覗き続ける悪趣味は持ち合わせていない。
 ふらつく足でこの場を離れようとしたリュシエンヌの耳に、女の悲鳴にも似たうめき声が届いた。
 
「な、に…… を、する…… 」
 途切れ途切れの女の声は明らかに睦事の喘ぎ声とは違う。
 むしろ息をすることもままならなくて、ようやく呼吸をしているようだ。
 
「君が言ったんだよ、レディ・オルガ。
 怖い男だって。
 どうして、僕が君に全部話したと思った? 
 君は僕の弱みを聞き出したつもりだったのかも知れないけどね。
 王妃はリュシー一人でいいんだよ。
 君はもう用済み。
 だからさ、僕の前から消えて欲しいんだよね…… 」
 女を組み敷いたまま、ジュリアスが振り上げた手には鈍い光を放つ刃物が握られている。
 それから逃れようとするかのように女は必死にもがく。
 長い爪が枕を引っ掻きでもしたのだろう、周囲に羽毛が飛び散り視界を覆った。
「君は狙っていた王妃の座を、犯罪者の小娘に奪われたことに逆上して僕に襲い掛かり返り討ちにあうんだ」
 言い聞かせるように呟いたジュリアスの振り上げられた手が一気に女の胸元へ振り下ろされた。
 言葉にならないくごもった声が女の口から漏れる。
 
「お兄様、やめて! 」
 その光景を目にリュシエンヌは置かれている状況を忘れて部屋に駆け込んだ。
 
「リュシー? 」
 予期せぬ訪問者に驚いたのかのようにジュリアスが女の躯を押さえつけたままリュシエンヌに瞳を向ける。
「どうしてここに? 人払いはしてあったはずなのに…… 」
 
 呆然と自分に視線を向けるジュリアスは、まるで知らない人間のようにリュシエンヌには見えた。
 これがあの優しくて、穏かな笑顔をいつも自分に向けてくれていた男なのかと疑問になる。
 だが、その虚ろな顔はすぐにいつものあの笑顔に戻った。
「駄目だよ、こんなところにまで来ては…… 」
 組み敷いていた女の体を視界から隠すようにシーツで覆い、ジュリアスはベッドを下りる。
「今頃侍女が探し回っているはずだ。
 部屋に帰ろう、送っていくよ」
 床に脱ぎ捨てられていたローブを拾い上げ、羽織ながらジュリアスはリュシエンヌに歩み寄った。
 思わず躯が震え、あとずさる。
「君が気にする必要はないんだよ。
 別れ話がこじれただけだ」
 強引に引っ張り出した言い訳をしながら男はリュシエンヌに手を伸ばす。
 
「来ないで! 」
 恐怖に誘発されるようにでる叫び。
 向けられるたびにいつも幸せな気分になれた普段と変わらないこの笑顔が、初めて恐ろしいと思った。
 
「……何時からそこにいた? 」
 リュシエンヌの叫びは男にとって予想外の反応だったのだろう。
 浮かんでいた笑みがすっと消える。
「言うんだ! 
 何時からそこに、何処から話を聞いていた? 」
 怒気を含んで男の声が大きくなる。
 
 全てを聞いていた。
 だけど、それを素直に言う気にはなれない。
 その前に口を開くことさえできない。
 
「安心して、いいよ。
 リュシーに危害を加えるつもりはないからね。
 君は黙って僕の妃になって、ずっと隣に居てくれればいいんだ」
 口を開こうとしないリュシエンヌをなだめるように言う。
 
 ただその言葉はリュシエンヌの脳裏を通り抜けてゆく。
 もうひと言もこの男の言うことなど信用できない。
 ジュリアスの本性を間の辺りにして動揺しているはずなのに、どこか冷静なもう一人の自分が呟く。
 どうしていいのかわからずに、ただそこに立ち尽くして目の前の男を見据える。
 逃げることなど不可能だろう。
 走ったところで簡単につかまってしまうのは目に見えている。
 僅かに走っただけで息が切れるようになってしまった自分の身体が今更ながらに恨めしい。
 逃げおおせたとしても、この男は何処までも追ってくるだろう。
 そうなったら圧倒的な力を持つこの男から逃げる術などない。
 
 まるで見えない鎖に縛られたように立ち尽くすしかないリュシエンヌの身体にもう一度ジュリアスの手が伸びた。
「嫌っ! 」
 恐怖に支配され強張る身体に強引に力を込め、男を突き飛ばす。
 僅かな隙を縫って男から距離を置こうと走り出そうとした。
 しかし何時の間にか、出入り口のドアは男の背後に回り部屋から出ることができなくなっている。
 僅かでも可能性のある逃げ道を探しているうちに、少しずつ間合いを詰めてくる男によって窓際にまで追い詰められた。
「追いかけっこは終わりだよ、リュシー。
 そろそろ部屋に帰って休むんだ」
 何処にも逃げ道のなくなったリュシエンヌとの間合いを着実に詰めながら男は呟く。
 その背後で何かがゆるりと動いた。
 リュシエンヌは思わず目を見開く。
 今にも手が届きそうなほど間近に迫ったジュリアスが突然身体を折り曲げ崩れ落ちる。
 押さえた腹部から赤黒い血液が漏れ出し、徐々に衣服を染めて行く。
「ジュリアスは、渡さなくてよ…… 」
 顔をゆがめ床に蹲るジュリアスを足元に、すらりとした半裸の女が立っていた。
 手には先ほどジュリアスが振り上げた剣が、血まみれになって握られている。
 その女の腹部にも滲み出した血液がべっとりと張り付いていた。
「前国王殺しの大罪人の娘であるあなたより、わたくしの方が王妃にふさわしいと思わなくて? 」
 錯乱しているのか、どこか狂気に似た声をあげる。
 発作を起こした時の母の姿がそれに重なった。
 明らかに憎しみを込めた瞳がリュシエンヌを睨み付け、握られていた剣の切っ先が真直ぐに向けられる。
 逃げなければその刃が自分に向かうのは明らかだ。
 だが今の状態では逃げ場がない。
 どうしていいのかわからずに立ち尽くしたままぎゅっと目を瞑った。
 恐らく胸か腹部に走るだろう未知の痛みを覚悟した途端、耳もとで激しい空気が動き、窓が粉砕する儚い音が響いた。
 先ほどまで部屋に充満していた殺気が消える。
 恐る恐る目を開いて破られたと思われる窓を見た。
 ほぼ同時に、何かが地面に叩きつけられる鈍い音が闇に包まれた中庭の地面からかすかに響いた。
「い…… やあぁぁぁ! 」
 たった今まで目前にあった男と女の姿が消えていることにリュシエンヌは悲鳴をあげる
 悲鳴に反応するかのように窓枠からかすかな物音がした。
 
 まだ、助かる? 
 
 僅かな希望が湧いて暗闇に覆われた庭を覗き込んだリュシエンヌの窓枠においた華奢な手首を何かがいきなり掴んだ。
「ひっ…… 」
 予告のない出来事に反射的にその手を振りほどこうと力いっぱい引き寄せるが、握られた手首に掛かるあまりの重さに動かすことさえできない。
「リュシー…… 
 頼む、力を、貸して…… 」
 闇の中からジュリアスのうめくような声が響いた。
 普段のジュリアスならこの状態でここをよじ登る事など簡単だろう。
 しかし、たった今女に刺されたと思われる傷がそれを妨げているようだ。
 
 表情は見えないが、呼びかける声がそれを物語っている。
 
 わかっている。
 今すぐにこの男を引き上げなければいけないことは。
 深手を負っていたとしてもこの男のことだ。
 引き上げるのに少しだけ力を貸してやれば自力でこの壊れた窓を登りあげるだろう。
 そうしたら誰か人を呼んで、医師を手配してもらう…… 
 
 最低限、それだけのことを今やらなければいけないことは理解していた。
 
 促すかのように握り締められた手首に力が篭った。
 同時に重みも増す。鈍い痛みが手首に広がる。
 
 だが、リュシエンヌの身体はその思考に反して全く動こうとはしなかった。
 まるで何かを決めかねているようにただ棒のように硬くなる。
 
「リュシー? 」
 どこか怯えたような男の声。
 そして手首を握る男の手の力が緩みするりと解ける。
 手首に掛かっていた重みと痛みが消えると同時に、先ほどと同じような何かが地面に落とされた鈍い音が闇に広がり消えた。
 
 その音を耳にぼんやりと窓の下を覗き込む。
 何も見出せない真っ暗な闇の中に、今まで向けられた男の優しい笑顔がぼんやりと浮かんで見えた。
 
 どれほど、この笑顔を心待ちにしていただろう。
 身を隠すようにして暮らした祖母の館の押しつぶされそうなあの子供部屋で。
 どれほど、この笑顔に慰められただろう。
 忘れるほど間遠だが完全に忘れ去る前には必ず訪れて抱きしめてくれたその温もりに。
 全てがつくりものだったとは思いたくない。
 だけど…… 
 全てを本人の口から聞いてしまった今、どれが本当だったのか、全てが信じられない。
 
 
「……ごめんなさい、お兄様」
 どれほど男の消えた窓から地面を覗き込んでいただろう。
 やがてリュシエンヌはゆっくりと身体を起こすと呟いた。
「小さなリュシーが大好きだったお兄様はもういないの。
 だから、お兄様のお人形ももういらないわよね」
 貰ってから一度も外すことのなかった襟元に下がる鎖にそっとリュシエンヌは手を伸ばす。
 指先に触れた小さなリングに手を掛けると、それを鎖ごと引きちぎる。
 壊れた窓から投げ捨てると、城中に響き渡る大きな悲鳴をあげた。
 
 
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