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しおりを挟む全く手をつけられていない朝食のテーブルを前に侍女が困惑気味に眉根を寄せる。
「お嬢様、せめてスープだけでもお口に入れてくださいませんか? 」
暖かだった筈のスープはすっかり冷め切り、後から注がれたお茶さえ湯気を失っている。
「何も召し上がっていないじゃないですか。
昨夜もほとんどお休みになられなかったようですし。
ご気分が優れないようでしたら、お医者さまをお呼びしますよ」
侍女は食事に手を出さないのは体調でも優れないのだろうと勝手に決め付け伺いをたててくる。
眠れなかったのは確かだ。
昨夜のあの光景と会話が何度となく頭の中をよぎり、寝付くことなどできなかった。
ずっと、ジュリアスが抱くのは自分ひとりだと思い込んでいた。
そう言うものだと。
冷静に考えれば、正妃を持たない国王に愛妾がいたっておかしくはないのだろうとは思う。
それでもあの場をまともに見てしまっては動揺する。
自分もその中の一人だと身にしみて酷く惨めな気分になった。
それだけでも食事など咽を通らないのに、おまけにあの言葉。
隣国王は呪い殺されたわけではなく、毒を盛られた。
それも自分の手を介して。
呪いといわれた時にはそんな不確かなものとまだどこかで思っていたが、事実を突きつけられるとようやく府に落ちる。
確かにあの時、隣国王はかすり傷を負った。
そして封書が炎にくべられた時に上がった妙な色。
それをまともに吸い込んだ後暫く食欲が湧かなかった。
思い返すと全てがジュリアスの言葉を裏付けている。
そして……
その先の会話はなんだかよく憶えていない。
確かにこの耳で聞き取ったはずなのに、耳を疑うようなことだったはずなのに、頭にかすみが掛かったようになる。
無理に思い出そうとすると頭痛がする。
なんだろう?
ずっと昔から優しかったジュリアスが、ここに来てからまるで別人に思える。
「……家に、帰ったらいけない? 」
誰に言うとでもなくポツリと呟いた。
「急にどうなさったんですか? 」
「まぁ、何を仰るんですか?
あれほど陛下にご寵愛いただいていらっしゃるのに。
ご婚約も整って、後は神託の下りた日に婚礼の儀を迎えるだけじゃありませんか。
お式の準備ももうほとんど整っておりますのよ」
侍女達が口々に大げさな声をあげる。
「そんなの、知らないもの…… 」
ジュリアスからは何も聞かされていない。
「そんな筈、ございませんわ。
現に陛下がお式の準備をなさっているのは皆が知っております。
お嬢様がご存知ないなんてこと、ありえません! 」
侍女がはっきりと言い切った。
「嘘よ。お相手、誰か別の方よね? 」
侍女に自分がからかわれているとは思えない。
だけど、夕べのあの光景を目の当たりにしてしまえば、その言葉をそっくりそのまま信じることもできない。
「いいえ、お式のドレスもきちんとお嬢様のサイズに誂えて作らせておりますよ」
侍女が首を横に振る。
「何かの、間違えよ」
震える声で呟く。
そんな筈はないと思う。
確かにジュリアスは以前そう言ってくれた。
胸元に下がる贈られた指輪に無意識に手が伸びる。
だけど、話はそのまま立ち消えになったはずだ。
少なくとも自分を抜きに話が進んでいるなんてこと信じられない。
「賑やか、と言うよりなんだか険悪な雰囲気だね。
何かあった? 」
背後で空気がざわめいたと思ったら、ジュリアスがふらりと姿を現した。
その姿に侍女が慌てて頭を下げた。
「おはよう、リュシー」
足早に歩み寄るとジュリアスはリュシエンヌの額に軽くキスを落す。
リュシエンヌはその顔を見なくていいように視線を逸らした。
「朝から機嫌が悪いのはお姫様の方みたいだね」
その様子にジュリアスは首を傾げた。
「それが、お式のお話をご存知ないとか仰って。
それどころか、ご実家に突然お帰りになりたいなんて仰るんですよ」
困惑気味に侍女が告げる。
「何だ、話しちゃったのか。
驚かせようと思って内緒にしてたのに。
残念、リュシーの驚く顔見そこねたな」
苦笑いを浮かべ、呟くとリュシエンヌの耳もとに顔を寄せる。
「悪いけど、暫く退出していてくれるかな? 」
ジュリアスの言葉を受けて、困惑気味に立つ侍女達は軽く頭を下げると部屋を出て行った閉まった。
「……ったく。
せっかくの僕の楽しみを大なしにして」
女達の背中に忌々しそうに呟いた後、ジュリアスは笑みを浮かべた顔をあげる。
「おいで、リュシー」
手近にあった椅子を引き寄せると、腰を落ろし、手招きする。
言われるままにジュリアスの正面まで歩み寄ると、手を引かれ抱き寄せられ、そのまま膝の上に座らされる。
「ごめん。
隠してた事は謝るよ」
肩を抱かれ頭部に頬を寄せて呟かれる。
「驚かせるって言うよりさ、本当は怖かったんだ。
君に断られるんじゃないかって」
片手でポケットの中を探りながら、肩に廻ったもう片方の手がリュシエンヌの手を捉える。
「受けて、くれるよね? 」
頬を寄せたまま、ジュリアスの持ち物にしては質素な飾り気のないリングをリュシエンヌの指にはめ込んだ。
「お兄様、わたし、まだ…… 」
昔ながらの形式の婚約リングにリュシエンヌは震えた声で呟いた。
どうして、別の令嬢とあんなことをしながら自分にこんな申し出ができるのだろう?
訳がわからなくなる。
「ん? どうかした、やっぱり僕の妃になるのは嫌? 」
「今、お返事しなくちゃ駄目? 」
リュシエンヌは震える唇でようやく絞り出す。
これが一年前、祖母の館での何も知らないままの自分だったら疑いもせず頷いていただろう。
だけども、今は……
「……いいよ。
こんな顔のままの君に承諾してもらってもね。
それに拗ねているのはあれだろう?
おばあ様がなかなかお顔を見せてくださらないから、不安になっているんだよね?
大丈夫、君のお母様は元気だよ。
おばあ様には婚姻の式にご招待してある。
それまでいい子で待っておいで」
無理に浮かべたような笑顔で言ってジュリアスは膝の上のリュシエンヌをおろし立ち上がる。
「ごめん、今日は執務の予定が日中入っているんだ、もう行かなくちゃ。
少し疲れているのかも知れないね。
今夜はゆっくり休むといいよ。
侍女にもそういいつけておくからね」
優しく言って部屋を出てゆく。
「……一度も」
その背中を目にリュシエンヌは呟いた。
「どうかしましたか? 」
かすかな声を入れ替わりに戻ってきた侍女が聞きつけ訊き返す。
「ううん、なんでもない」
言いかけた言葉をリュシエンヌは飲み込む。
ここに戻って以来ジュリアスは一度も食卓を共にしてくれたことはない。
食事どころかお茶さえも。
ゆっくり話をすることさえない。
ただベッドで肌を重ねるだけだ。
人に言ったら贅沢だと言われてしまうかも知れない。
だけど、そんな些細なことをしてもらえないのがたまらなく淋しい。
「これ、片付けてしまってね」
すっかり冷めてしまったお茶をそのままにリュシエンヌはテーブルを離れた。
その後、どうして一日を過したのかはわからない。
この機会を待っていたのだろう。
次々と運び入れられてくるドレス。
パリュールにそれを納める宝石箱。
どれも上品でありながら華やかで優美なジュリアスの趣味そのもの。
華やかな品物を目に興奮気味の侍女をよそ目にリュシエンヌはただため息をつくだけだった。
「また、このように残されて…… 」
晩餐のテーブルを目に今夜もまた少し非難の篭った侍女の声に顔をあげる。
「お疲れになられましたか?
今日は色々ありましたものね」
部屋の片隅に積まれたままのまだ片付けきれなかった贈り物を目に侍女が首を傾げた。
「今夜の晩餐はお嬢様の食が進まないと聞いた殿下がご用意してくださったのですよ。
もう少しお口に入れていただけませんか? 」
「ありがとう。
お兄様にはお礼を言っておいてね。
でも、こんなに食べきれる量じゃないから…… 」
テーブルの上にはこの城でもあまり目にしたことのない珍しい高価な食材を使った手の込んだ料理ばかりが並ぶ。
食材だけではなく、どれも食器一枚盛り付け一つとっても上品で優美だ。
これだけ贅をつくした料理なら、きっと誰かと向かい合い会話でも弾めば間違えなく食べ過ぎてしまうだろう。
だけど、一人で突付く皿はどんなに見た目が豪華でも味気ない。
傍らには何種類課のデザートも用意してあった。
真っ赤なベリーを使ったタルト、砂糖で煮詰めきらきらした異国の果物。
真っ白なクリームを乗せたパイ。
だけどもその中に素朴なハニーケーキの姿はない。
やっぱりどこか間違っている。
今のジュリアスは、祖母の館で淋しい思いをしていた自分を忘れずにいてくれたあのジュリアスじゃない。
そのときより、ずっと遠い、まるで初めて会う他人のようだ。
そう思い始めるともうどうしていいのかわからなくなった。
だけど、こんなこと相談できる相手なんて誰もいない。
知らずに握り締めた手に力が篭る。
唇を噛み締めると脳裏にテニエ伯爵の顔が浮かんだ。
……こんな時、伯爵ならなんて言ってくれるだろう?
ただ、黙ってこの状態を受け入れろと言うだろうか?
こんな気持ちのままジュリアスの申し入れに頷くなんてやっぱりいけないことだと思う。
「そうよね」
ポツリと呟いて、リュシエンヌは立ち上がる。
「お嬢様? 」
不意に動き出したリュシエンヌを引きとめようと追ってくる侍女の声を跡に部屋を駆け出した。
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