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第一譚:無垢純白の勇者譚
モノクロの慟哭
しおりを挟むまず先手を繰り出したのは魔王だった。
既に体内の魔素炉心をフル回転させている魔王は、今の性能で出しうる最大、最速の暴威をもって勇者に斬りかかる。
激しい剣撃とともに魔素が爆発を起こしたかのように拡散していく。それに伴い高濃度の魔素を浴びた周囲の草花は瞬く間に死滅していった。
しかし、その全力の一撃を、勇者は聖剣で受け止めてさえいなかった。
魔剣は勇者の肩口に確かに斬り込んでいた。
だが本来であれば袈裟切りにされていたであろう一閃が、傷一つ付けられずに勇者の聖衣によって阻まれていた。
「くっ。」
斬撃を止めても、さすがにその衝撃までは殺しきれなかったのだろうか。勇者からわずかに苦悶の声が漏れる。
しかし本当に堪らないのは魔王の方だ。
必殺の意思を込めて振り込んだ一刀が容易く止められ、そして勇者は今まさに、受けに回らなかった聖剣で彼を斬り返してきたのだから。
相手の渾身の一撃をいなして無防備な相手を斬る。これでは前回の戦いの焼き直しだ。違うとすれば立場が逆転していることと、今回の魔王には勇者の聖剣を止めるすべがない。
「はぁっ!」
勇者の一撃は、まさしく魔王のそれと鏡写しだった。
ただひとつ違うのは、その剣撃は見まごうことなく魔王の肉体を袈裟切りに裂いていたことだ。
「グァッ!」
魔王の口から苦痛の声があがる。
聖剣は魔王の魔素骨子すら容易に切り裂き、傷口からは魔素と血が赤黒い霧のように噴き出した。
しかし魔王もさるもの、さらに追撃を受けかねないところを彼は踏みとどまらずに、あえて後方に吹き飛ばされることで距離をとっていた。
「その辺の紛い物とは違う由緒正しい聖剣の味はどうかしら、魔王様。前回と違って完全に守りが疎かになってたわよ。そんなに貴方の攻撃が通らなかったことに驚いた? イリアはレーネス・ヴァイスを防御兵装と言ったけど、ひとつ言葉が抜けていたわね。今彼女を覆っているのは絶対防御兵装。魔素量の多寡は関係ない。いかなる魔剣、魔装であろうとも、魔のカテゴリーに入っている以上この守りを突破することはできないわ。」
今まさに魔王を切り裂いた聖剣が誇らしげに語る。
あらゆる魔を弾く。それは本来、概念的、抽象的な話だ。
魔を払い、魔を殺す。聖剣や勇者に備わるとされている機能ではあるが、それは形となって目に見えるようなわかりやすい力ではないし、その仕組みを余人に説明できるようなものでもない。
ただ、魔性に類するモノを寄せ付けず、退け払うという結果をもってして、人々はそういう力があるのだと漠然と認識しているに過ぎない。
だからこそ、これは奇跡の産物なのだ。
二つの無垢結晶の共鳴、そして勇者の高潔な意志と祈りが編んだ決意の聖布。
レーネス・ヴァイス。白く無垢なりし花嫁衣裳。
誰の目にも明らかな物質化した神秘を纏った少女。生まれ持った力だけでは届かない高みへと、穢れなき純真をもって至った勇者こそが、聖剣アミスアテナにとって何よりの誇りだった。
「ゼェ、ゼェ。絶対防御とか、何でもありだな。だがその力が勇者の根源にあるというのなら確かに、魔族も魔獣もお前に傷を与えることはできなかっただろうな。勇者、貴様は、紛うことなき俺たちの天敵だ。」
息も絶え絶えな様子で魔王は言う。
……いや、本当にそうだろうか?
確実に致命傷と言えるほどの深い傷を受けたはずの魔王は既に片膝をついて立ち上がろうとしている。
わずか数十秒程度の会話が終わるころには、魔王の呼吸は平常時と変わらぬほどに整っていた。
「嘘!? 何でまだ立ち上がれるのよ。」
驚愕に満ちた聖剣の声。それもそのはずだ。先ほどの勇者の一撃は十分すぎるほどの手ごたえがあった。 聖剣の封印の関係で魔王を殺しきることはできないが、数十分は身動きがとれないほどの深手を与えたはずだった。
「ハッ、この程度で驚くなよ。お前たちは一体誰を相手にしてると思ってるんだ。今までどれほどの魔族とと戦ってきたかは知らんが、魔王を、そこら辺の連中と一緒にされては困る。」
先ほどのダメージなどなかったかのように、再び魔剣を構える魔王。
この戦闘が開始されてから、一度もアクセルを緩めることなく魔素炉心を回しているのだろう。時間当たりの魔素生成量は増す一方であり、手にする魔剣からは尋常ではないほどの魔素が溢れ出している。
今の魔王が纏っている魔素の量は封印される前の状態と比較しても全く遜色がないほどだ。
「あ˝ー、もう本当に馬鹿げたスペックしてるわね。イリア、次からはしっかり打ち合いなさい。レーネス・ヴァイス自体は傷つかなくても、衝撃や魔素の余波は貴方の身体に届くかもしれない。いや、それも普通の敵ならありえないことなんだけど。あいつはありえないのカタマリみたいな奴だから。もうあの魔王が弱体化してるなんて思っちゃだめよ。」
聖剣の言葉に返事はせず、ただ呼吸を整えることで勇者は応える。
「ふんっ!」
その勇者の静かな呼吸を捉えるように、魔王は鋭い一撃を繰り出す。
先ほどは一撃必倒の気構えで臨み、その後の虚を突かれた為、一太刀の重さよりも速さに重点を置いた攻撃だ。
「はぁ!」
対する勇者は、今度はレーネス・ヴァイスに頼ることなく聖剣にて魔剣を打ち返す。魔剣から溢れ出る魔素と、それを打ち消さんとする聖剣の波動のせめぎ合いによって周囲に無色の衝撃が広がっていく。
勇者と魔王が激しい剣戟を繰り広げる中、聖剣アミスアテナは内心で自身の見通しの甘さに舌打ちをしていた。
魔王への二重の封印の一つが解けたところで勇者の属性的優位は揺らがないと予測していたが、今ではその算段が完全に崩れている。
仕方ない状況であったとはいえ、今では第一の封印を解除してしまったことを悔やんでしまう。
魔王の能力、その本質を見誤っていた。
初回の戦いの際の魔王の戦闘力を基準に判断していたのがそもそもの間違いだったのだ。
今ならわかるが、おそらくはあの時の圧倒的な力でさえ彼のフルパフォーマンスからは程遠いものだったに違いない。
「真の聖剣」という魔族、魔物に対して絶対的なアドバンテージをとれるはずの力をもってしても彼に対して明確な優位を示せなくなっている。
今のこの世界において、人間は魔族に勝つことはできない。これは200年もの時の経過の中で誰しもの意識の根底に敷かれた常識である。
それを決定づける根幹となったのが魔素骨子の存在だ。
この世界のありとあらゆる生命はHP(存在基盤)を完全に損傷・磨耗することで死に至る。それは魔族や魔物も同様だが、彼らにはMP(魔素骨子)と呼ばれる防御機構が存在する。
このMPには個体差があり、体内、体表、体外と存在する部位や形が様々であるが、共通する特徴として魔素骨子の内部を魔素が流動することによって強固で絶大な防御性を持つというところがある。
仮に人間同士が争った場合、当然HPの削り合いとなる。その場合HPの高い方、力の強い方、防御の上手い方が当然有利となる。
しかし、魔族や魔物を通常の武器で攻撃した場合は直接HPに対してダメージを与えることはできずに、まずMPに対して攻撃の判定が行われる。
魔素を内包しているMPは強固であるが、攻撃が加えられることで魔素を徐々に消費していく。そして完全に魔素骨子内の魔素を空にし破綻させて初めて、敵のHPを減らすことが可能となるのだ。
つまり、人間と魔族がお互いに同じように攻撃をした場合、人間の攻撃は敵のMPを削減しきるまでは相手に届かず、魔族の攻撃は人間のHPを直接削っていく。
さらに魔素に満ちた空間や高位の魔族たちであればMPは自然と回復してしまう為、実質的に人間が魔族にダメージを与えることは不可能なのである。
また、大気に魔素が存在したり、魔族の攻撃による魔素の侵食を受けると、通常の人間にとってさらに深刻な毒のダメージとして残ってしまう。
このような事情により、一般的な人間と魔族の間にはまっとうな勝負が成立しないほどの性能差と相性の悪さがあるのだった。
しかし、この理不尽を覆す武器が存在する。
それこそが「聖剣」である。
聖剣とは、伝説では湖の乙女から譲り渡されるとされており、現在では各国がそれぞれ十数本を秘匿している。
200年前に魔族が現れるまではただの神秘的な美しい剣として観賞用くらいにしか扱われていなかった聖剣たちだが、それらの魔族に対する有効性が知れ渡るや否や、相応しい騎士や戦士たちに下賜されるようになった。
そしてその効果とは魔族や魔物の防御の要たるMP(魔素骨子)をものともせず、MPとHPに対して同時にダメージを与える性能を有していることだ。
黒騎士アベリアの聖剣イグニスを例に挙げれば、通常の武器で魔族を攻撃すればわずかにMPを減らすだけのところを、イグニスであればMPを大きく削減した上でHPにもダメージを与え、さらにイグニスの属性である炎の付与効果によるダメージも追加で加えることができる。
これらの聖剣が戦の表舞台に現れたことにより、人間は魔族に対抗する手段を手に入れ、聖剣を所持する騎士や戦士たちが多くの武勲を残していった。
だが、目の前に立つこの男は異常だ。
「貴族」と呼ばれる高位の魔族と比べてさえ、魔素の生成量が圧倒的に多すぎる。
魔王が防御に費やしている魔素を剥ぎ取っても、すぐに大量の魔素で生成されてMPを修復されてしまう。もしその防御を越えて本人に有効な攻撃を与えたとしても、その膨大な魔素で瞬く間にダメージを回復してしまう。
そして何よりも恐るべきことに、ありえないほどに生み出される魔素を纏った魔剣にて、勇者の絶対防御を今にも破らんとしている。
あまりにも規格外過ぎる。
「無垢結晶」、魔素に決して侵されることのない純粋無垢の輝石。その奇蹟によって形作られた真の聖剣が、単純な物量によって押し込まれてしまうなんて。
そんな聖剣の焦りとは裏腹に、その使い手たる勇者はただ一心不乱に魔王の剣撃を打け止め、斬り返している。
受け方を間違えば、その聖衣は破られずとも今度は骨が砕けるだろう。
それだけの力が込められた魔王の暴威を前にして、心身ともに一歩も引かずに少女は強大な敵と向き合っている。
そんな彼女の在り方に、追い込まれていたのは誰だったのか。
息が苦しい。
早く楽になりたい。
何故こんなことをしている。
早く倒れろ。
早く倒れたい。
お前は誰だ。
俺はどこだ。
息が、息が。
眩暈がして何も見えない。
でも、目の前にはきっと勇者が。
何も見えないなかで、この少女だけが眩しく光のように輝いて────
勇者と互角に打ち合い、あるいは追い込んでいるようにも見えて、その実は魔王の方こそ倒れ込む寸前だった。
何しろ彼は、今の肉体に許された限界を、この戦いが始まった時からずっと、自身のエンジンをフルスロットルで回し続けているのだから。
これは言うなれば、何十kmという終わりの見えない距離を常に100m走のつもりで走り続けるようなものだ。
常人なら1kmだってもつはずがないこの行為を、彼はすでに体感で10km以上は走破している。
しかし、それもここまで、
これ以上は、いかな魔王の肉体、魔素炉心とてオーバーヒートして使い物にならなくなるのは必然である。
限界を迎えた彼の力は……
ここでさらに加速した。
「いい加減に堕ちろー!」
心、技、体、全てが揃った渾身の一撃は、それを正面から受け止めた勇者を十数メートル後方にまで弾き飛ばす。
両者の間合いが大きく開き、魔王はようやく呼吸を挟むことが許された。
戦いにおいてこんなに苦しい思いしたのは彼にとって初めての経験だった。
心も身体も限界まで酷使したことで、あらゆる虚飾が剥がれたのか。
「…………なあ、どうしてお前は、誰かに与えられた理由で生きていられるんだ?」
聞くべきではない言葉が漏れていた。
「俺がどうして人間の世界に城を築いて10年間も閉じこもっていたか知ってるか?
俺はな、逃げてたんだよ。魔王の使命って奴から逃げてたんだ。俺がやらなければいけないことを全部むこうに置き去りにしてきたんだ。
大体魔王ってなんだよ。俺はただそこに生まれただけだ。たまたま受け継いだ力が周りの連中よりも強かっただけだ。ただそれだけのことで、なんで俺が何もかも背負わなくちゃいけないんだ。
……それでも仕方ないから背負ってきた。この責務から逃げたいだなんて気持ちを抱く暇もないくらい戦ってきた。100年以上も戦いの先頭に立ち、軍を率い、国を盛り立て、誰もが憧れる英雄ってやつを気取ってきた。
…………だけどそれも疲れたんだ。……もう疲れたんだ。だから何もかもを投げ出して、もう誰の邪魔も入らない場所で一人静かに引き籠ってたんだ。
なのにお前は、そんな俺をまたあそこへと連れていくと言う。『みんな』なんていうよく分からない連中の為に、不都合とあらば恩義ある勇者すらも躊躇いなく切り捨てる連中の為に。
……なあ、お前は何で、他人の都合の為に足を前に進めることができるんだ?」
きっと、これまで誰にも話してこなかったであろう自身の剥き出しの感情を吐き出した後、もう一度魔王は問いかける。
他人に望まれたから、そう望まれて生まれたから、勇者として万人を救うという。その人生のどこにお前がいるのかと。
「誰かの都合で、などと、そのように考えたことはありません。
何故でしょうか。あなたの言葉は私にはとても難しい。そうすることが正しいと教えられ、そうすることが正しいと信じ、私は今のように生きてきました。だから皆を苦しめている元凶を取り除くまで、私は歩みを止めることはできません。
……ですが、私はあなたが少し羨ましい。自分が背負いきれないほどの多くの期待に、それでもあなたは100年以上応え続けてきたのでしょう? もちろん魔王と勇者では立場が違いますから、あなたの功績を素直に褒め称えるわけにはいきませんが、その尊さだけは理解できます。
……ですから、私もそのように在れるのならと思うのです。」
拙いながらも、精一杯の誠実さを込めて少女は返答する。
その、虚飾がないが故の、突き刺さるような純真さに、
魔王は、自壊をもって結論とした。
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