カーテンコール

碧桜 詞帆

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《優しいレン君ルート》

【シーン11〔優〕】悪魔の中

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 暗闇。
 
 しかし、どんな理屈なのか、自分の姿ははっきりと見えていた。
 ここはどうやら物理法則が成り立つ空間ではない、らしい。

レン「俺、喰われたんだよな?」

 レーズィを庇って、悪魔の影に飲み込まれたはずだ。
 だとすれば、ここは悪魔の中。
 なんとか意識だけでも残れば上々だと思ったのに、ここまでなんともないとは。
 一応覚悟はしたんだが、これじゃ拍子抜けだ。

レン「それとも、こいつのおかげか?」

 虫取り網に似た悪魔祓いの道具は、今その力を発揮しているのか、淡く発光していた。
 ――――。
 顔を上げると。
 いつからいたのか、そこには人がいた。
 誰だろう、と疑問に思うまでもない。

 アードルフはその場にうずくまって、頭を抱えていた。まるで脅えた子どものようだ。
 ……良かった。精神はまだくっきりと残ってる。
 まだ、助けられる。
 イクスはいつも悪魔に取り付かれた人間に、色んな方法で呼びかけていた。
 レーズィの父さんは今、俺の目の前にいるんだ。
 若造の俺じゃどこまでできるか分からないが、やれるだけやってみよう。
 必要以上に警戒させないよう、ゆっくりと近づいていく。
 レーズィの父さんはずっと何か呟いていた。近づくにつれ、はっきりと聞こえてくる。

アードルフ「……すまない、レーズィ。全部、私が悪いんだ。私が……」

 それは……。

レン「…………」

 イクスに聞いた話では、レーズィの父さんは愛鳥家で、よく森に出かけていたという。

 レーズィはそんな父が大好きで。物心つく頃には父と一緒に森へやってくるようになっていた。
 鳥たちを観察している父のそばで、邪魔をしないようにレーズィはよく1人で遊んでいた。
 そのうち、森に住む小動物たちが寄ってきて。仲良くなって、一緒に遊ぶようになった。

 父に手を引いてもらっていたレーズィも、そのうち1人でも森へ遊びに来るようになって……。
 そして、レーズィは――。

 偶然、怪我している子ネコを見つけた。
 介抱しようと思った矢先、タカがその子ネコをくわえて飛び去ってしまった。
 レーズィは子ネコを助けようと、その後を必死に追いかけて。
 その先の崖に気付かず、足を踏み外した。

アードルフ「すまない。すまない、レーズィ。すまない……」

 …………。
 こういう時。
 優しい人ほど、自分を責める。
 優しい人ほど、後悔と悲嘆の渦に埋もれて、絶望に打ち拉がれる。

レン「…………」

 次の瞬間、背後から尋常じゃない邪悪な気配がした。
 とっさに振り返る。

 何かが、俺の横を駆け抜けていった。
 それをかろうじて視界の端に捉えた俺は、追って元の向きに戻る。
 真正面にはレーズィの父さんが見えた。
 そして、その隣に。

 人間より一回り程度大きい、鳥の悪魔が立っていた。

悪魔「悲シイカナ。悲シイカナ。愛シイ君ガイナクナッテ、世界ハ灰色ニ覆ワレタ」
 
 悪魔がレーズィの父さんに囁きかける。

レン「! しっかりしろ! そいつの言葉に耳を貸すな!」

 悪魔の囁きを受け入れてしまったら、精神を侵食され、最終的には魂を喰われてしまう。

悪魔「此処ハ静カデ、トテモ寂シイ。苦シイカナ。苦シイカナ。君ノイナイ世界ナンテ、生キラレナイ。ズット一緒。ズット一緒。今、君ノ許ニ行クヨ」

 レーズィの父さんを喰らおうと、悪魔の口が開く。

レン「違う」

 ――シャン。 

 レーズィの父さんを背にして、悪魔の前に立ちはだかる。
 悪魔の口の中に、神器を突き立てた。

レン「死者俺たちがいなくても、世界は回るんだ」

 ――ああ。そうだ。

 深夜に忍び込んだ町のホールには、誰もいなかった。
 俺たちは窓から差し込んでくる月明かりを頼りに、舞台へ上がった。
 彼女は目当てにしていたグランドピアノを見つけて、嬉しそうに弾き始めた。
 嬉しそうだった。本当に。幸せそうだった。
 俺も、彼女の傍らで歌うことが、何よりも幸せだった。
 観客はいない。それは、2人だけのコンサートで。
 2人だけの、優しい思い出……。

 ――君は今も、その世界の中にいる。
 どうか時を止めないで。
 もう一度、前を向いて。
 今を、生きてくれ――。

レン「これ以上、生きていくやつを苦しめるなよ!!」

 今まで虚ろな眼をしていたレーズィの父さんが、わずかに顔を上げた。

レン「…………っ!」

 悪魔が容赦なく神器に負荷をかけてくる。
 こっちだって歯を食いしばって耐えているが、形勢は厳しい。
 レーズィの父さんが反応を示したことで、悪魔はさらに力を込めてきた。

 神器がぎりぎりと軋む。
 ありったけの力で踏ん張っているのに、後ろに下がっていく。まずい。押されてる……。

レン「……っ、……くそっ!」

 神器が噛み砕かれた。

 悪魔が勢いもそのままに突進してくる。
 俺は体当たりをもろにくらって、後ろに突き飛ばされた。
 もし生身の人間だったら、肋骨の1本や2本折れていただろう。
 唐突に視界が激しくブレたものの、痛みはない。意識ははっきりしていた。

アードルフ「……え……、あ……」

 真横にはレーズィの父さんがいた。
 レーズィの父さんは焦点の定まらない眼でどこともつかない場所を見ているが、先ほどとは違い表情に混乱の色がうかがえる。
 正気に戻りかけてるのか……?
 どのみち神器は壊れた。悪魔に対抗するすべはもうない。
 一か八か、賭けてみるか。
 俺は起き上がって、レーズィの父さんに向き合う。

レン「つらいなら、忘れてくれてもいいんだ」

 俺はレーズィじゃないけど、でも、同じ幽霊だから。
 俺だから言える言葉も、ある。

レン「死者俺たちはただ――」

 あの日、あの時。
 目の前に広がる青が、空だと気付くのには数秒かかった。
 町の通りで仰向けに倒れている俺。
 そばには彼女がいた。ひどく取り乱した泣き顔で、俺をのぞき込んでいる。
 それに、何か叫んでいた。
 そんな必死に何を言っているんだろう。こんな近くにいるのに。
 そんな大きな声を出さなくたって、聞こえてるよ。
 そう言おうとした時、声が出ないことに気付いた。
 遠くには横転した馬車が見える。
 起き上がろうにも、身体が言うことをきかない。
 俺は、唯一自由が利く両目を動かして、自分の身体を確かめた。
 俺の身体は、ちぎれかけの人形みたいになっていた。
 腹部を大きく引き裂かれ、真綿なら可愛らしいところだが、赤黒い物体が崩れるように飛び出していた。
 辺りには鼻をつく鉄の臭いがして。
 乾いた地面の上に、赤黒いシミが広がっていく。
 …………そうだ。
 そこの角から、馬車が急に飛び出してきて。
 俺は、彼女を庇って間に合わず車輪の下敷きになったんだ。

 あの時。
 耳が痛くなるほど聞こえていた彼女の声が、どんどん遠退いていく中で。
 一言だけ、たった一言だけ、伝えたかった。
 彼女に伝えることは叶わなかったけど、今、目の前に同じ悲しみで苦しんでいる人がいる。
 伝えるよ。それで君たちが少しでも、救われるのなら。

レン「死者俺たちはただ、遺された生者あんたたちの幸せを願ってる」

 痛かったけど。とても残念だけど。
 でも。決して、責めてなんかいない。それよりも――。

アードルフ「あ、……わ、私は……、レーズィ……」

 レーズィの父さんが悶える。
 もう少し、もう少しだ。
 悪魔が、今度こそ俺たちを喰らおうと迫ってくる。
 それに俺自身も、まずいことになっていた。
 足先から少しずつ闇に飲み込まれていく。
 これが〝喰われる〟ということかと、いまさら実感する。
 しかしまあ。
 こんな状況ではあるけど、自然と気持ちは穏やかだった。

レン「なあ。あんた、長いこと空、見てないだろ。――顔、上げろよ」

 悪魔が再び大きな口を開ける。
 もう逃げられない。
 俺とレーズィの父さんを一口に喰らってもまだ余裕のありそうな巨大な口が、視界を覆う。
 喰われる、まさにその瞬間。
 俺はレーズィの父さんの肩を、力いっぱい掴んだ。

レン「――目を覚ませっ!!」

 ――――。
 ――なあ。
 それよりも――。
 君らしい笑顔で、また笑って。

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