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双子
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セルシスが高熱を出して寝込んでしまった。真夜中、『西の離宮』を私やニンファと探検して数日後に体調を崩しそのまま病床にある。セルシスが床に臥せるとニンファはセルシスの居室から出てこなくなる。双子でもセルシスとニンファの居室は別々なのだけれど、それは表向きでニンファが自分の居室にいることは少なく大抵はセルシスの居室に入り浸っている。
大切な双子の兄が病で倒れるとニンファは私に軽口も言わなくなり、生意気な態度もとらなくなり、ひたすらセルシスの傍から離れず、看病に明け暮れるので、お母さまもニンファを杖で殴らなくなり、忙しい政務をこなしつつ時間を作り、セルシスの居室を訪れ、容態を確認して回復を祈っているのだ。
病弱なセルシスが床に臥せると王家に緊張が走り、王太子であるライラックお兄さまも軍人として日々鍛練と戦争に備えて戦略を練ることに明け暮れているイリスお兄さまも落ち着かなくなり、ダリア姉さまも笑顔が少なくなってしまう。勿論、私もセルシスが心配で仕方がない。
「ダリア姉さま、セルシスは大丈夫よね? まさか命を落とすなんてこと……」
あまりに不安で思わず口に出すとダリア姉さまにやんわり窘められた。
「ヴィオラ、それ以上言ってはいけないわ。セルシスが回復することだけを祈ればいいの」
「ごめんなさい。ミモザお父さまが見守っているからセルシスは助かるわ。お父さまはお優しいもの。きっとセルシスを救ってくれる」
次の満月の夜に亡霊となったお父さまと再び『西の離宮』でお逢いする約束なのだ。でも、セルシスが病気で苦しんでいるのに愛しいお父さまの許に行くことはできない。初恋のお相手であるミモザお父さまとお逢いしたいけれど、セルシスが苦しんでいるときそんな勝手な行動は決してできない。
「お父さま、どうかセルシスを守ってください。できれば次の満月までにセルシスを完全に治して。でないと『西の離宮』にいけないわ」
「ヴィオラ、セルシスを本気で心配しつつ私情が漏れていてよ。亡霊になられたミモザお父さまに恋をしていても純粋にセルシスの身を案じてね」
ダリア姉さまに再度窘められ、私は口をつぐんだ。以前はセルシスが病に臥せると心の底から心配できたのに恋をした途端に自分勝手になるなんて妹として失格だ。しかし、セルシスのことを案じつつもどうしてもミモザお父さまにお逢いしたくて我慢ができなくなる。
「本当に私は自分勝手ね。ニンファは侍女たちと一緒にセルシスの看病を続けているのに」
自己嫌悪で私が俯くとダリア姉さまが少し微笑んでくれた。
「そうやって自分を省みることができるヴィオラは優しい子よ。だから俯くのはお止めなさい。それより、セルシスが病で寝込んでると知ったお義兄さま……皇帝陛下から書簡が届いたの。一刻も早い快癒を心から願っているって」
「まあ! お義兄さまから? ローズ姉さまではなくて?」
皇帝陛下の妻で皇妃であるローズ姉さまは歳の離れた病弱なセルシスを嫁いでからも心配して度々、セルシスを心配するお手紙をくださるけれど、何故、ローズ姉さまに先んじて皇帝であらせられるお義兄さまから書簡が届くのか訝しんでいるとダリア姉さまが微笑みながら教えてくれた。
「お義兄さまとセルシスは文通をしていて親しいのよ。ローズお姉さまが杖でお義兄さまを殴りそうなタイミングをセルシスは読めるみたいで、ローズお姉さまをなだめるお手紙を度々送っているわ。ローズお姉さまはセルシスの説得ならば耳を貸すからお義兄さまは撲殺されず済んでいるの」
「知らなかったわ。セルシス……ニンファをお母さまから庇って、お手紙を通じてお義兄さまをローズ姉さまから庇って。身体はご丈夫ではないけれど、全力で撲殺を防いでいたのね」
優しい義弟が庇ってくれているから皇帝陛下はローズ姉さまから致命傷をうけず、何とか生存しているのだ。そんな背景があるのならば皇帝陛下が義弟であるセルシスの快癒を心から祈るのも腑に落ちる。セルシスが死ぬと云うことはローズ姉さまの歯止め役が消えるのも同然であり、皇帝陛下にとっては命の危機だ。
「お義兄さま、いまは毎日断食をなさってセルシスの快癒を祈ってくださっているわ。愛犬のポピーも餌を食べないそうよ」
なんて義弟想いでお優しい皇帝陛下なのかしらとダリア姉さまは感激なさっているけれど、私は心でこんなことを考えてしまった。
(お義兄さまはセルシスの病状を本気で案じてくださっていると思うけれど、お心のどこかでセルシスが亡くなった後のことが怖くて食事が喉を通らないのではないかしら? 愛犬のポピーも)
皇帝陛下の最低限の安全はセルシスにかかっていると言っても過言ではないらしい。病弱で性格も控え目だけれど、もしかしたら王家で最も気丈で強い影響力を持っているのはセルシスなのかもしれない。そんなことをひっそりダリア姉さまにお話しするとダリア姉さまは久々に優しい声で笑ってくださった。
「ミモザお父さまもそういうお人柄だったわ。お父さまと容姿が最も似ているのはニンファだけれども、内面を1番濃く受け継いだのはセルシスなのかもね」
そう告げるダリア姉さまのお顔は幼い頃に優しいお父さまを失った悲しみをたしかに浮かべていた。
高熱でうなされている双子の兄の額に冷水で湿らせた布をのせながらニンファは強い不安に襲われていた。セルシスが病で寝込むことは頻繁でその度にもうダメかもしれないと絶望的な気持ちになる。侍女たちはニンファを心配して看病を止めて休むよう勧めてきたがニンファは頑なにそれを拒んだ。
「セルシスがいなくなったら俺はどうなる? 1人になる。それは絶対に嫌だ……」
兄と姉と妹はいるがやはり双子の片割れであるセルシスは別格の存在で、ニンファにとって心の支えであった。容貌は美しいと持て囃されるニンファだが、その実、己にはセルシスのような優しさも聡明さも持ち合わせていないとニンファは自覚していた。セルシスには生来の高い知性と思慮深さがある。控え目だからそれをひけらかすこともせず、いつもニンファの陰に隠れ穏やかに微笑んでいるのでセルシスは病弱で内気な王子だと誤解されているが大間違いだ。ニンファはセルシスとチェスなど盤上遊戯をして遊ぶことがあるがセルシスが手加減しているのは明らかだった。
「いつも俺を勝たせて花を持たせる。少し本気出せば圧勝できるのに」
ニンファは確信していた。王太子は現状では長兄のライラックだが、セルシスが健康体であったら王位継承者候補にセルシスは挙がっただろう。
セルシスが大病で死にかけ、後遺症で顔に痕が残ってしまったのは5歳の頃だ。ニンファはセルシスを失う恐怖で泣き叫び、母であるダイアナに杖でぶん殴られた。ちなみにこの杖での撲打がニンファの人生で初の母からの制裁である。5歳のニンファを本気で杖で殴り飛ばした母ダイアナはこう怒鳴り付けた。
「狼狽えるでない! ニンファエア、あなたがいくら泣いてもセルシスは回復しません。セルシスを真に想うのであれば黙りなさい!」
女王らしい迫力でニンファを叱りつけた母を見ていてニンファは悟ったのだ。母上はおそらく父上が死んだときも泣くことさえも許されなかったのだと。
「でも、普通5歳のガキを杖で殴らねーだろ。母上の虐待……もとい教育的指導が始まったのはあの時からだ」
幸いにもセルシスは5歳で死ぬことはなかったがニンファと同じく整った綺麗な顔に病気の厄介な置き土産である痕が残り、それ以降は病弱な身体になってしまった。それでもニンファを含め家族はセルシスの命が助かったことを心から喜び、病弱なセルシスを何とか健康にしようと心を配るようになる。王太子のライラックは万病に効能があるという怪しい薬をどこからか入手してセルシスに飲ませ逆に殺しかけ、母ダイアナにぶん殴られていた。軍人を志していた次兄のイリスはセルシスに無茶な鍛練をさせやはり殺しかけ、まだ輿入れ前だった長姉ローズに前歯が折れるほど激しく殴られていたのをニンファは憶えている。
「兄上たちが母上やローズ姉上に次々殴られている。僕が病ばかりするから」
心優しいセルシスは兄2人に2度も殺されかけてもなお、兄たちを怒るどころか自分のせいだと苦悩していた。そして、双子なのに病らしい病に罹らず、健康で容姿も美しいと口々に褒められるニンファに一切嫉妬をしなかった。
こんなセルシスをニンファは誰よりも大切にして、内心では敬意を持って接している。セルシスに付きまとう顔の痕もどこか神聖な聖痕のようで公式行事でセルシスが貴族や民衆の前に姿を見せても誰1人としてセルシスの顔の痕を醜いと嘲る者はいない。むしろ病に負けず穏やかに微笑むセルシスの芯の強さを賞賛する者は多いのだ。
「並外れた知性に加えて穏やかそうで外交力も強い。皇帝陛下である義兄殿もセルシスを単なる義弟じゃなく国同士を結びつける鍵だと頼りにしてやがる」
本来ならば国同士の結び付きの為に姉のローズは政略結婚したのに、その同盟関係の証である当の姉ローズは滅法気が強く、皇帝さえも尻に敷いている恐妻なので実質、皇帝一族とニンファたち王家の人間の関係性が破綻しないよう陰で働きかけているのはセルシスであった。病弱な身体を引きずりながらも王家の繁栄に一役買っているセルシスを母ダイアナが溺愛するのは無理もないことだとニンファは思う。
「俺はいずれ政略結婚の駒にさせられる。そうなったらセルシスとも離ればなれになるのか」
セルシスは健康上の理由で結婚はせず、聖職者になる道を選択している。ニンファだってセルシスと一緒にいるためならば聖職者になりたいが母であり女王であるダイアナがそれを許さないだろう。セルシスが隣にいない未来なんてニンファにとっては絶望でしかないと鬱々としていたらセルシスの居室に侍女が急ぎ足で駆け込んできた。
「ニンファエア王子! 女王陛下のお成りです」
そう侍女が告げて間もなく女王ダイアナが姿を現したのでニンファは椅子から立ち上がり跪いた。女王はニンファの姿を見ると一言「楽にせよ」と声を出す。
「セルシスの容態は?」
「熱が下がりませぬ。母上、杖で殴り殺されるの覚悟でお願いがございます」
生意気な態度を取らず、頭を下げるニンファに女王ダイアナは「申してみよ」と言ってくれたのでニンファは正直に本心を告げた。
「俺は、セルシスほど才知がなく凡庸な息子です。政略結婚しても役に立たない。だから! 俺も聖職者になりたいのです!」
ニンファがそう願った瞬間には女王ダイアナの杖が炸裂していた。
「愚か者が! 凡庸で才知がないから聖職者になる!? 戯言もいい加減になさい! ニンファエア、聖職者は甘くないのです。あなたのように容姿意外に何も取り柄がない子どもがなれるようなものではない。恥を知れ!」
女王ダイアナの杖での激しい撲打を見ていた侍女はニンファが撲殺されるのではないかと悲鳴をあげかけたが、ニンファは危機一髪で撲殺を免れた。
「母上……。ニンファを殴るのは止めてください。これ以上、ニンファを殴るのなら僕は死にます」
なんと、高熱で意識が朦朧としながらもセルシスの意識が戻って母ダイアナを諌めている。セルシスの意識が回復したのでダイアナはニンファを殴るのを止めてセルシスを抱き締めた。
「可愛いセルシス! 少しは落ち着いたのですね。あなたのお願いならば母はニンファをこれ以上は打ちませんよ」
「ありがとうございます……母上」
ニンファを殴らないという確約を手にするとセルシスは安心したように微笑み、眠ってしまった。顔色もよくなり、寝息も正常に戻っている。
「高熱をおしてまで俺を庇ってくれるのか」
やはりセルシスに自分は敵わないと改めて思い知ったニンファの横で母ダイアナは静かに告げた。
「ニンファエア、あなたにはあなたの役割と責任があります。セルシスが築いた他国との信頼関係を活かすも殺すもあなたであると心得なさい」
それだけ言い聞かせると女王ダイアナは侍女がひれ伏すなかセルシスの居室から去っていった。未来の国王である王太子ライラックでなく4男である自分がセルシスの陰での献身を左右するとはどういう意味なのか。
「母上は何をお考えなんだ?」
答えがまだ出ずに戸惑いながらニンファは安心したように眠るセルシスの寝顔を見つめ続けた。
To be continued
大切な双子の兄が病で倒れるとニンファは私に軽口も言わなくなり、生意気な態度もとらなくなり、ひたすらセルシスの傍から離れず、看病に明け暮れるので、お母さまもニンファを杖で殴らなくなり、忙しい政務をこなしつつ時間を作り、セルシスの居室を訪れ、容態を確認して回復を祈っているのだ。
病弱なセルシスが床に臥せると王家に緊張が走り、王太子であるライラックお兄さまも軍人として日々鍛練と戦争に備えて戦略を練ることに明け暮れているイリスお兄さまも落ち着かなくなり、ダリア姉さまも笑顔が少なくなってしまう。勿論、私もセルシスが心配で仕方がない。
「ダリア姉さま、セルシスは大丈夫よね? まさか命を落とすなんてこと……」
あまりに不安で思わず口に出すとダリア姉さまにやんわり窘められた。
「ヴィオラ、それ以上言ってはいけないわ。セルシスが回復することだけを祈ればいいの」
「ごめんなさい。ミモザお父さまが見守っているからセルシスは助かるわ。お父さまはお優しいもの。きっとセルシスを救ってくれる」
次の満月の夜に亡霊となったお父さまと再び『西の離宮』でお逢いする約束なのだ。でも、セルシスが病気で苦しんでいるのに愛しいお父さまの許に行くことはできない。初恋のお相手であるミモザお父さまとお逢いしたいけれど、セルシスが苦しんでいるときそんな勝手な行動は決してできない。
「お父さま、どうかセルシスを守ってください。できれば次の満月までにセルシスを完全に治して。でないと『西の離宮』にいけないわ」
「ヴィオラ、セルシスを本気で心配しつつ私情が漏れていてよ。亡霊になられたミモザお父さまに恋をしていても純粋にセルシスの身を案じてね」
ダリア姉さまに再度窘められ、私は口をつぐんだ。以前はセルシスが病に臥せると心の底から心配できたのに恋をした途端に自分勝手になるなんて妹として失格だ。しかし、セルシスのことを案じつつもどうしてもミモザお父さまにお逢いしたくて我慢ができなくなる。
「本当に私は自分勝手ね。ニンファは侍女たちと一緒にセルシスの看病を続けているのに」
自己嫌悪で私が俯くとダリア姉さまが少し微笑んでくれた。
「そうやって自分を省みることができるヴィオラは優しい子よ。だから俯くのはお止めなさい。それより、セルシスが病で寝込んでると知ったお義兄さま……皇帝陛下から書簡が届いたの。一刻も早い快癒を心から願っているって」
「まあ! お義兄さまから? ローズ姉さまではなくて?」
皇帝陛下の妻で皇妃であるローズ姉さまは歳の離れた病弱なセルシスを嫁いでからも心配して度々、セルシスを心配するお手紙をくださるけれど、何故、ローズ姉さまに先んじて皇帝であらせられるお義兄さまから書簡が届くのか訝しんでいるとダリア姉さまが微笑みながら教えてくれた。
「お義兄さまとセルシスは文通をしていて親しいのよ。ローズお姉さまが杖でお義兄さまを殴りそうなタイミングをセルシスは読めるみたいで、ローズお姉さまをなだめるお手紙を度々送っているわ。ローズお姉さまはセルシスの説得ならば耳を貸すからお義兄さまは撲殺されず済んでいるの」
「知らなかったわ。セルシス……ニンファをお母さまから庇って、お手紙を通じてお義兄さまをローズ姉さまから庇って。身体はご丈夫ではないけれど、全力で撲殺を防いでいたのね」
優しい義弟が庇ってくれているから皇帝陛下はローズ姉さまから致命傷をうけず、何とか生存しているのだ。そんな背景があるのならば皇帝陛下が義弟であるセルシスの快癒を心から祈るのも腑に落ちる。セルシスが死ぬと云うことはローズ姉さまの歯止め役が消えるのも同然であり、皇帝陛下にとっては命の危機だ。
「お義兄さま、いまは毎日断食をなさってセルシスの快癒を祈ってくださっているわ。愛犬のポピーも餌を食べないそうよ」
なんて義弟想いでお優しい皇帝陛下なのかしらとダリア姉さまは感激なさっているけれど、私は心でこんなことを考えてしまった。
(お義兄さまはセルシスの病状を本気で案じてくださっていると思うけれど、お心のどこかでセルシスが亡くなった後のことが怖くて食事が喉を通らないのではないかしら? 愛犬のポピーも)
皇帝陛下の最低限の安全はセルシスにかかっていると言っても過言ではないらしい。病弱で性格も控え目だけれど、もしかしたら王家で最も気丈で強い影響力を持っているのはセルシスなのかもしれない。そんなことをひっそりダリア姉さまにお話しするとダリア姉さまは久々に優しい声で笑ってくださった。
「ミモザお父さまもそういうお人柄だったわ。お父さまと容姿が最も似ているのはニンファだけれども、内面を1番濃く受け継いだのはセルシスなのかもね」
そう告げるダリア姉さまのお顔は幼い頃に優しいお父さまを失った悲しみをたしかに浮かべていた。
高熱でうなされている双子の兄の額に冷水で湿らせた布をのせながらニンファは強い不安に襲われていた。セルシスが病で寝込むことは頻繁でその度にもうダメかもしれないと絶望的な気持ちになる。侍女たちはニンファを心配して看病を止めて休むよう勧めてきたがニンファは頑なにそれを拒んだ。
「セルシスがいなくなったら俺はどうなる? 1人になる。それは絶対に嫌だ……」
兄と姉と妹はいるがやはり双子の片割れであるセルシスは別格の存在で、ニンファにとって心の支えであった。容貌は美しいと持て囃されるニンファだが、その実、己にはセルシスのような優しさも聡明さも持ち合わせていないとニンファは自覚していた。セルシスには生来の高い知性と思慮深さがある。控え目だからそれをひけらかすこともせず、いつもニンファの陰に隠れ穏やかに微笑んでいるのでセルシスは病弱で内気な王子だと誤解されているが大間違いだ。ニンファはセルシスとチェスなど盤上遊戯をして遊ぶことがあるがセルシスが手加減しているのは明らかだった。
「いつも俺を勝たせて花を持たせる。少し本気出せば圧勝できるのに」
ニンファは確信していた。王太子は現状では長兄のライラックだが、セルシスが健康体であったら王位継承者候補にセルシスは挙がっただろう。
セルシスが大病で死にかけ、後遺症で顔に痕が残ってしまったのは5歳の頃だ。ニンファはセルシスを失う恐怖で泣き叫び、母であるダイアナに杖でぶん殴られた。ちなみにこの杖での撲打がニンファの人生で初の母からの制裁である。5歳のニンファを本気で杖で殴り飛ばした母ダイアナはこう怒鳴り付けた。
「狼狽えるでない! ニンファエア、あなたがいくら泣いてもセルシスは回復しません。セルシスを真に想うのであれば黙りなさい!」
女王らしい迫力でニンファを叱りつけた母を見ていてニンファは悟ったのだ。母上はおそらく父上が死んだときも泣くことさえも許されなかったのだと。
「でも、普通5歳のガキを杖で殴らねーだろ。母上の虐待……もとい教育的指導が始まったのはあの時からだ」
幸いにもセルシスは5歳で死ぬことはなかったがニンファと同じく整った綺麗な顔に病気の厄介な置き土産である痕が残り、それ以降は病弱な身体になってしまった。それでもニンファを含め家族はセルシスの命が助かったことを心から喜び、病弱なセルシスを何とか健康にしようと心を配るようになる。王太子のライラックは万病に効能があるという怪しい薬をどこからか入手してセルシスに飲ませ逆に殺しかけ、母ダイアナにぶん殴られていた。軍人を志していた次兄のイリスはセルシスに無茶な鍛練をさせやはり殺しかけ、まだ輿入れ前だった長姉ローズに前歯が折れるほど激しく殴られていたのをニンファは憶えている。
「兄上たちが母上やローズ姉上に次々殴られている。僕が病ばかりするから」
心優しいセルシスは兄2人に2度も殺されかけてもなお、兄たちを怒るどころか自分のせいだと苦悩していた。そして、双子なのに病らしい病に罹らず、健康で容姿も美しいと口々に褒められるニンファに一切嫉妬をしなかった。
こんなセルシスをニンファは誰よりも大切にして、内心では敬意を持って接している。セルシスに付きまとう顔の痕もどこか神聖な聖痕のようで公式行事でセルシスが貴族や民衆の前に姿を見せても誰1人としてセルシスの顔の痕を醜いと嘲る者はいない。むしろ病に負けず穏やかに微笑むセルシスの芯の強さを賞賛する者は多いのだ。
「並外れた知性に加えて穏やかそうで外交力も強い。皇帝陛下である義兄殿もセルシスを単なる義弟じゃなく国同士を結びつける鍵だと頼りにしてやがる」
本来ならば国同士の結び付きの為に姉のローズは政略結婚したのに、その同盟関係の証である当の姉ローズは滅法気が強く、皇帝さえも尻に敷いている恐妻なので実質、皇帝一族とニンファたち王家の人間の関係性が破綻しないよう陰で働きかけているのはセルシスであった。病弱な身体を引きずりながらも王家の繁栄に一役買っているセルシスを母ダイアナが溺愛するのは無理もないことだとニンファは思う。
「俺はいずれ政略結婚の駒にさせられる。そうなったらセルシスとも離ればなれになるのか」
セルシスは健康上の理由で結婚はせず、聖職者になる道を選択している。ニンファだってセルシスと一緒にいるためならば聖職者になりたいが母であり女王であるダイアナがそれを許さないだろう。セルシスが隣にいない未来なんてニンファにとっては絶望でしかないと鬱々としていたらセルシスの居室に侍女が急ぎ足で駆け込んできた。
「ニンファエア王子! 女王陛下のお成りです」
そう侍女が告げて間もなく女王ダイアナが姿を現したのでニンファは椅子から立ち上がり跪いた。女王はニンファの姿を見ると一言「楽にせよ」と声を出す。
「セルシスの容態は?」
「熱が下がりませぬ。母上、杖で殴り殺されるの覚悟でお願いがございます」
生意気な態度を取らず、頭を下げるニンファに女王ダイアナは「申してみよ」と言ってくれたのでニンファは正直に本心を告げた。
「俺は、セルシスほど才知がなく凡庸な息子です。政略結婚しても役に立たない。だから! 俺も聖職者になりたいのです!」
ニンファがそう願った瞬間には女王ダイアナの杖が炸裂していた。
「愚か者が! 凡庸で才知がないから聖職者になる!? 戯言もいい加減になさい! ニンファエア、聖職者は甘くないのです。あなたのように容姿意外に何も取り柄がない子どもがなれるようなものではない。恥を知れ!」
女王ダイアナの杖での激しい撲打を見ていた侍女はニンファが撲殺されるのではないかと悲鳴をあげかけたが、ニンファは危機一髪で撲殺を免れた。
「母上……。ニンファを殴るのは止めてください。これ以上、ニンファを殴るのなら僕は死にます」
なんと、高熱で意識が朦朧としながらもセルシスの意識が戻って母ダイアナを諌めている。セルシスの意識が回復したのでダイアナはニンファを殴るのを止めてセルシスを抱き締めた。
「可愛いセルシス! 少しは落ち着いたのですね。あなたのお願いならば母はニンファをこれ以上は打ちませんよ」
「ありがとうございます……母上」
ニンファを殴らないという確約を手にするとセルシスは安心したように微笑み、眠ってしまった。顔色もよくなり、寝息も正常に戻っている。
「高熱をおしてまで俺を庇ってくれるのか」
やはりセルシスに自分は敵わないと改めて思い知ったニンファの横で母ダイアナは静かに告げた。
「ニンファエア、あなたにはあなたの役割と責任があります。セルシスが築いた他国との信頼関係を活かすも殺すもあなたであると心得なさい」
それだけ言い聞かせると女王ダイアナは侍女がひれ伏すなかセルシスの居室から去っていった。未来の国王である王太子ライラックでなく4男である自分がセルシスの陰での献身を左右するとはどういう意味なのか。
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