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牡丹
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ペオニア・ラフティフロラ王家の王女として誕生したダイアナが自分の許嫁を見たのは忘れもしない5歳の春であった。物心ついた時には既に自分は将来の女王陛下だと周囲の大人に教え込まれ、父王の命令で自由とは無縁ともいえる生活を強いられてきた。父王はダイアナの顔を見る度、呪文のように言い聞かせてきた。
「おまえに王家の命運がかかっている。国民のため、王家のために生きることこそが使命と自覚せよ。父が言いたいことは理解しているな?」
1人娘であるダイアナを父王は決して甘やかすこともなく、優しい言葉をかけることも稀であった。世継ぎとしての自覚を持ち、自分の幸せなど求めず、ただひたすらに国のために生きろ。
それが父王が王女であるダイアナに求めたすべてであり、そこには1人娘への多大なる期待はあれども父親としての愛情は皆無に等しかった。ダイアナは父王の言葉に従い、期待に応えて理想の後継者となり、女王となることこそが使命だと幼い頃から理解し、そこに疑問や反発などという感情が入り込む余地は無かったのである。
「父上、わたくしのすべてを国家に捧げます。それがわたくしの使命と心得てございます」
そう告げると父王は黙って頷き、まだ幼いダイアナの頭を撫でることもなく政務へと戻ってしまう。素っ気ない父王の態度だが、ダイアナは寂しさを感じなかった。自分は偉大なる父王の唯一の子であり、将来の女王陛下なのだという責任感がダイアナから無邪気さを奪い、親の愛情を欲する感情さえも封印させた。わたくしの肩に国家と国民の将来がかかっている。王女だからといって傲ってはならない。父上のような模範的な統治者となり、死ぬまで国家に尽くして生きていくのだ。
それが幼いダイアナの矜持となり、生涯縛られる責務となるはずであったが彼女が5歳になってすぐ運命的な出逢いが訪れる。
王宮にある庭園は花盛りで、ダイアナは宮殿の窓から時折、春めいた気配を眺めていた。5歳を迎えたダイアナは遊ぶ暇もなく教育係から帝王学をはじめ様々な学問を施され、王女として、将来の為政者としての立ち振舞いから作法、教養としてのダンスや管弦を学ぶことに励んでいた。遊び相手は存在せず、身のまわりの世話をする侍女や監督する女官、多数の家庭教師に囲まれた生活が当時のダイアナの全てであり、お友達や話し相手が欲しいなんて気持ちもわかなかった。
「わたくしは女王陛下になるのだもの。お友達とか特別な存在を作ってはいけないわ」
特別な存在が出来れば、それは好意を生み、贔屓に繋がる。自分はすべての国民に対して公平であらなくてはならぬという自覚がダイアナのなかで既に完成され、揺るぎない意思となっていた。
しかし、そのあまりにストイックなダイアナの態度に彼女の女官や侍女は哀れみを抱き、心配していた。将来の女王陛下とはいえ、同じ年頃の子供と話すことも遊ぶこともなく成長するのは問題ではないかと。そこで、ダイアナを案じた女官長が国王に進言してみたのだ。
「王女さまにはご兄弟もおりません。将来、国を治めるお立場となるお方が同年代の子とまったく接しないままご成長なされるのは如何かと」
信頼できそうな貴族の令嬢をダイアナの話し相手にしてはと提案した女官長であったが、国王からすげなく却下されてしまった。
「ダイアナに話し相手や友など必要ない。王とは孤独なものだ。甘えは許さぬ」
「お言葉ですが陛下。他者とまったく交わらず、会話もしなければ、どんなにご聡明に成長なされても他人の思惑を読むという能力が欠如します。それは外交の場で不利益と存じますが?」
やはり幼少期から大人だけでなく同年代の子供とも交流しなくては、いざというときに相手の企みや思惑が見抜けず裏をかかれてしまう恐れがあると女官長は切々と国王を説得した。最初こそは娘に話し相手など必要ないと相手にしなかった国王だったが、たしかに将来の女王が限られた大人とだけしか交流なく成長するのは逆に危険だと考えを改めた。そして、少し思案後に女官長に命じたのだ。
「よかろう。ならば、ダイアナをミモザのところにつれて行け」
国王の一言に女官長は思わず声をあげた。
「ミ、ミモザさま? しかし、あのお方は王女さまにとっては許嫁! 将来の花婿と婚礼前に顔を合わせるは王家の掟に背くことになります!」
「掟などよりミモザがダイアナに従順かを確かめる方が重要だ。あれが問題なく王家で使い物になるかも見定める必要がある」
国王の命令に女官長は跪いて「はっ! 承知しました」と返事はしたが、内心では気が進まなかった。西の離宮に半ば幽閉状態にあるミモザはダイアナとは血縁的に従姉弟同士となるが単なる親戚では語れない深い因縁がある。なんと言ってもミモザという男児はダイアナが女王となるのに必要だから生まれた経緯があり、生後すぐに生母とも実家とも引き離され、王宮の敷地内で厳しい監視下に置かれている。王家の存続のためとはいえ誕生したと同時に囚人のように離宮に監禁されている幼子の境遇を女官長は立場を抜きにしても哀れに感じていた。
「王女さまと同様にミモザさまもお可哀想だわ」
女官長は深い溜息を吐きながら幼いダイアナ王女にどう説明したものかと悩んでいたが、当のダイアナはアッサリ応じた。
「わたくしの婿になる子に会えばよろしいのね。父上のご命令ならお会いするわ」
「ダイアナ王女さま、ミモザさまはまだ3歳でございます。それをお忘れにならずお話しくださいね」
西の離宮には国王が選んだ養育係と従者に護衛が付けられている。全員がミモザに余計なことを教えてはならず、淡々と世話をするよう国王直々に厳命されているとのことだ。ミモザが少しでも自分の境遇に疑問を抱いたり、反抗的な様子がみられたら容赦なく始末せよと国王は離宮付の者たちに命令しているので、ミモザは離宮内にも味方がおらず孤立無援な状態に置かれている。
「3歳の幼子に対してなんとむごいことを」
誰からも愛情をもらえず、ただ意思のない無害な存在に徹することを強要されているミモザの精神状態は果たして大丈夫なのかと女官長は心配であったが、ダイアナは特にミモザの存在に興味がなかった。王家を存続させ国家を繁栄させる為にミモザが必要なのだから仕方ないくらいの気持ちしかなく将来の王婿とか許嫁だからといって別段愛情なんてわかなかったのである。
こうして、ダイアナは女官長に連れられて初めて王宮内にある西の離宮に住んでいるミモザを訪ねたのだ。ポツンと建っている離宮は純白で庭園には大輪の美しい花が咲いており、華やかな王宮の敷地内でも何処か異彩を放っている。将来の王婿のための離宮なので瀟洒で立派なのだが、少ない窓には鉄格子が隙もなくとりつけられ物々しい。
「囚人が暮らしているみたいなところね」
無感動に呟くダイアナの顔を見て、女官長は言葉が出てこなかった。ダイアナの感想とおりここには将来の王婿という名の囚人が閉じ込められている。王女の誕生によって一切の自由を絶たれたミモザという囚人が。
「王女さま、時間が迫っているのでなかにお入りくださいませ」
「分かったわ。少し顔を見たら帰るわよ」
離宮付の者たちが総じて跪くなかダイアナは王女らしく堂々と西の離宮に入っていった。そして、無表情な養育係に連行されるように現れたミモザと対面したのである。
将来の花婿となるミモザを目にしたダイアナはミモザを監視する養育係に訊ねた。
「どうして、この子に首輪をつけているの?」
養育係はミモザに触れることもせず、首輪に紐を結ばせ当然の如く引っ張ってきた。まるで幼い獣でも使役するかのように。想像以上に悲惨な養育環境に女官長は寒気がしたがミモザの養育係は無感情に答えた。
「私どもはミモザさまに触れることは許されておりません。なので首輪に紐を付けお連れしております」
つまり、手を繋ぐ、頭を撫でるなど愛情や好意を示す行動をするなと予め国王から厳しく命じられているのだろう。只でさえ実母や生家と引き離され孤立している3歳の子供に対して非道だと女官長は密かに憤ったが、ダイアナは何も気にしていない様子で首輪に繋がれたミモザに声をかけた。
「ミモザ、あなたはわたくしに仕えるしか生きていく道がないの。そして、わたくしは国に仕えるしか道がない。首輪を嵌められた者同士ね」
「王女さま! まだミモザさまにそのようなお話は理解できませんよ」
女官長がやりきれない思いで苦言を呈してもダイアナは相手にせず、ミモザに話を続けた。
「あなたは死ぬまで王家の囚人として過ごすのよ。それがあなたが生まれた意味なの。分かるわね?」
幼い王女の残酷な問いかけに終始無言で俯いていたミモザが可哀想で女官長が口を挟もうとした瞬間だった。
「心得ております。ダイアナ王女さま」
3歳のミモザの声は心身ともに枷を強いられた者とは思えないほど凛としていた。女官長はその毅然とした声色にハッとして改めてミモザの顔を観察したが、首輪をされた身であってもミモザは惨めさや悲愴感など負の雰囲気を微塵も放っていなかった。諦めている訳でも、自分の危うい立場を理解していない訳でもなく、3歳なりに自分の責務を全うしようと決意しているような利発な表情である。
単に哀れな王家の犠牲者としかミモザを評価していなかった女官長は顔には出さなかったが、ミモザの幼いながらも高貴で整った顔立ちと金髪よりも濃い夕焼けのような美しい髪色、そして囚人のように扱われながらも凛とした笑みを湛えているミモザの気丈さに感服してしまった。この子ならばダイアナ王女の花婿に相応しいと確信していた。
そして、ダイアナも自分を悲観せず、潔く答えるミモザの利発さに感じるものがあった。少し様子を見たら帰る予定だったが、ミモザと話してみたくなった。
「ミモザ、あなたはわたくしの許嫁だけど、従弟でもあるわ。婚礼まではわたくしのことは『姉』だと思いなさい」
「かしこまりました。ダイアナ王女さま」
「もう王女さまなんて呼ぶ必要ないわ。今日からあなたはわたくしの弟。お姉さまでいいわよ」
ダイアナ王女のこの発言に女官長は驚愕し、離宮付の召使いや養育係も顔色を変えたが、ミモザはまったく動揺することもなく跪くと丁寧な口調で応じてみせた。
「はっ! 王女さまのご命令ならば従います。「姉上さま」とお呼びしてもよろしいですか?」
「よろしくてよ。ミモザ、お庭に大輪の美しい花がたくさん咲いていたわね。薔薇とも違うけれど、あの花の名前はなぁに? 姉上に教えて」
「庭に咲いている花は『牡丹』という花です。『西の離宮』の庭にだけ咲くのですよ」
「そうなの。わたくし、あのお花がとても気に入ったわ。ミモザ、お庭を案内して」
そう命じるとダイアナはミモザの首輪の紐ではなくミモザの小さな手を握ったのだ。離宮付の者たちは慌てて「なりませぬ! 王女さま!」と止めたがダイアナは相手にせず、ついでに邪魔な首輪をミモザから外すよう要求した。
「父上……。国王陛下の命令でもミモザはわたくしの花婿になるの。この子の所有権はわたくしだわ。首輪は不要。外しなさい!」
離宮付の者が躊躇している隙に女官長はダイアナの目配せに気づいて素早くミモザから重々しい首輪を取り外した。3歳の子供に嵌められていた首輪は予想以上に重く、女官長は国王の命令とはいえこんな枷を幼子にと改めて離宮付の者たちに怒りがわいた。
「ミモザはわたくしにとても従順だわ。この子の所有権と責任は王女であるわたくしが持つ。そう国王陛下に言っておきなさい。ミモザ、お庭に行きましょう」
ダイアナがミモザを連れ出すと離宮付の養育係がどうしたものかと頭を抱えだしたので女官長はピシャリと言い放った。
「ミモザさまは、ダイアナ王女さまに決して逆らわず、従順でしたわ。国王陛下にはダイアナ王女さま付の女官長である私が説明しますので。では、ごめんあそばせ」
女官長がそう言い捨てて離宮を出ると、庭に咲き誇る牡丹の花をダイアナとミモザが手を繋いで眺めていた。将来の女王陛下と王婿というよりは幼い姉と弟のような打ち解けた雰囲気である。
「ミモザ、わたくしはこれから必ず決まった日にここに来るわ。あなたともっとお話しがしたい」
「はい。姉上さま」
何気ない会話だが、女官長は気付いていた。ダイアナはミモザが西の離宮で今までのような酷い扱いを受けないよう監督するつもりなのだろう。
ミモザに付けられた首輪が外されても、ミモザはお咎め無しとなり、国王はダイアナ王女にミモザの所有権があることを認めた。その結果、ダイアナ王女の女官長がミモザの監督も兼任することとなり、西の離宮の窓の鉄格子は外され、養育係などはすべて解任となった。ミモザは重い首輪を付けられていた後遺症で首筋に痣が出来てしまい、国王は命令でも王女の許嫁に傷を付けた離宮の者に対して激怒し追い出したのだ。
「ミモザは生きていてもらわねば困る。過剰な拘束が続けば命が危うかった。ダイアナの機転は流石である」
「陛下、僭越ながら申し上げます。首輪などもろともせずミモザさまはご立派でした。ダイアナ王女さまの婿に相応しいとお見受けします」
女官長の言葉に国王は「ふむ……」と呟くと閃いたかのように告げたのだ。
「ミモザを余の養子とし正式な王家の一員と認めよう。あれにペオニア・サフルティコサ公爵の爵位と『殿下』の称号を与える」
こうしてミモザは生家であるペオニア・サフルティコサ家の家督を継いで王宮では『サフルティコサ公・ミモザ殿下』と呼ばれるようになる。
住まいは変わらず西の離宮だが、ダイアナを姉と慕いながらミモザは次第に聡明で凛々しくも美しい貴公子に成長し、将来の王婿として申し分ない存在となった。
しかし、14歳となったミモザの運命は奇妙な歪みに巻き込まれ、その歪みが後々まで王家に影を落とすとになる。
ミモザ殿下のことを疎んでいたのはダイアナ王女でも国王陛下でもなかったのだ。ミモザ殿下を最も憎み始末したかった者は皮肉にも彼の生家に潜んでいた。
女官長……かつてダイアナ王女付の筆頭女官だった私が見てきたミモザ殿下は幼いながらも毅然とした態度を貫く高潔なお方であった。己を悲観することも周りを憎むこともない心映え豊かな御仁である。それが何故、哀れな囚人としてダイアナ王女……いや、女王陛下の御子さま方に伝えられてしまったのだろう。
私ならばその謎を解くことができる。
セルシス殿下が何を吹き込まれたか知らないが、ダイアナ女王はセルシス殿下が勘違いしているような暗愚ではないし、ミモザ殿下は哀れなお人形では決してないのだ!
この書簡をセルシス殿下に気付かれぬようニンファエア殿下に送ることが私のこの世での最後の使命となる。
「ミモザ殿下、あなた様の御子が……いいえ、あなた様を騙った紛い物が成した子供が王家を……ダイアナ女王を追い詰めてしまう」
過去に何があったかを私は命を賭けて白日のもとに晒すのだ。
それが14歳で罪もなく殺されてしまった正真正銘のミモザ殿下の名誉を回復することになるかもしれぬ。
to be continued
「おまえに王家の命運がかかっている。国民のため、王家のために生きることこそが使命と自覚せよ。父が言いたいことは理解しているな?」
1人娘であるダイアナを父王は決して甘やかすこともなく、優しい言葉をかけることも稀であった。世継ぎとしての自覚を持ち、自分の幸せなど求めず、ただひたすらに国のために生きろ。
それが父王が王女であるダイアナに求めたすべてであり、そこには1人娘への多大なる期待はあれども父親としての愛情は皆無に等しかった。ダイアナは父王の言葉に従い、期待に応えて理想の後継者となり、女王となることこそが使命だと幼い頃から理解し、そこに疑問や反発などという感情が入り込む余地は無かったのである。
「父上、わたくしのすべてを国家に捧げます。それがわたくしの使命と心得てございます」
そう告げると父王は黙って頷き、まだ幼いダイアナの頭を撫でることもなく政務へと戻ってしまう。素っ気ない父王の態度だが、ダイアナは寂しさを感じなかった。自分は偉大なる父王の唯一の子であり、将来の女王陛下なのだという責任感がダイアナから無邪気さを奪い、親の愛情を欲する感情さえも封印させた。わたくしの肩に国家と国民の将来がかかっている。王女だからといって傲ってはならない。父上のような模範的な統治者となり、死ぬまで国家に尽くして生きていくのだ。
それが幼いダイアナの矜持となり、生涯縛られる責務となるはずであったが彼女が5歳になってすぐ運命的な出逢いが訪れる。
王宮にある庭園は花盛りで、ダイアナは宮殿の窓から時折、春めいた気配を眺めていた。5歳を迎えたダイアナは遊ぶ暇もなく教育係から帝王学をはじめ様々な学問を施され、王女として、将来の為政者としての立ち振舞いから作法、教養としてのダンスや管弦を学ぶことに励んでいた。遊び相手は存在せず、身のまわりの世話をする侍女や監督する女官、多数の家庭教師に囲まれた生活が当時のダイアナの全てであり、お友達や話し相手が欲しいなんて気持ちもわかなかった。
「わたくしは女王陛下になるのだもの。お友達とか特別な存在を作ってはいけないわ」
特別な存在が出来れば、それは好意を生み、贔屓に繋がる。自分はすべての国民に対して公平であらなくてはならぬという自覚がダイアナのなかで既に完成され、揺るぎない意思となっていた。
しかし、そのあまりにストイックなダイアナの態度に彼女の女官や侍女は哀れみを抱き、心配していた。将来の女王陛下とはいえ、同じ年頃の子供と話すことも遊ぶこともなく成長するのは問題ではないかと。そこで、ダイアナを案じた女官長が国王に進言してみたのだ。
「王女さまにはご兄弟もおりません。将来、国を治めるお立場となるお方が同年代の子とまったく接しないままご成長なされるのは如何かと」
信頼できそうな貴族の令嬢をダイアナの話し相手にしてはと提案した女官長であったが、国王からすげなく却下されてしまった。
「ダイアナに話し相手や友など必要ない。王とは孤独なものだ。甘えは許さぬ」
「お言葉ですが陛下。他者とまったく交わらず、会話もしなければ、どんなにご聡明に成長なされても他人の思惑を読むという能力が欠如します。それは外交の場で不利益と存じますが?」
やはり幼少期から大人だけでなく同年代の子供とも交流しなくては、いざというときに相手の企みや思惑が見抜けず裏をかかれてしまう恐れがあると女官長は切々と国王を説得した。最初こそは娘に話し相手など必要ないと相手にしなかった国王だったが、たしかに将来の女王が限られた大人とだけしか交流なく成長するのは逆に危険だと考えを改めた。そして、少し思案後に女官長に命じたのだ。
「よかろう。ならば、ダイアナをミモザのところにつれて行け」
国王の一言に女官長は思わず声をあげた。
「ミ、ミモザさま? しかし、あのお方は王女さまにとっては許嫁! 将来の花婿と婚礼前に顔を合わせるは王家の掟に背くことになります!」
「掟などよりミモザがダイアナに従順かを確かめる方が重要だ。あれが問題なく王家で使い物になるかも見定める必要がある」
国王の命令に女官長は跪いて「はっ! 承知しました」と返事はしたが、内心では気が進まなかった。西の離宮に半ば幽閉状態にあるミモザはダイアナとは血縁的に従姉弟同士となるが単なる親戚では語れない深い因縁がある。なんと言ってもミモザという男児はダイアナが女王となるのに必要だから生まれた経緯があり、生後すぐに生母とも実家とも引き離され、王宮の敷地内で厳しい監視下に置かれている。王家の存続のためとはいえ誕生したと同時に囚人のように離宮に監禁されている幼子の境遇を女官長は立場を抜きにしても哀れに感じていた。
「王女さまと同様にミモザさまもお可哀想だわ」
女官長は深い溜息を吐きながら幼いダイアナ王女にどう説明したものかと悩んでいたが、当のダイアナはアッサリ応じた。
「わたくしの婿になる子に会えばよろしいのね。父上のご命令ならお会いするわ」
「ダイアナ王女さま、ミモザさまはまだ3歳でございます。それをお忘れにならずお話しくださいね」
西の離宮には国王が選んだ養育係と従者に護衛が付けられている。全員がミモザに余計なことを教えてはならず、淡々と世話をするよう国王直々に厳命されているとのことだ。ミモザが少しでも自分の境遇に疑問を抱いたり、反抗的な様子がみられたら容赦なく始末せよと国王は離宮付の者たちに命令しているので、ミモザは離宮内にも味方がおらず孤立無援な状態に置かれている。
「3歳の幼子に対してなんとむごいことを」
誰からも愛情をもらえず、ただ意思のない無害な存在に徹することを強要されているミモザの精神状態は果たして大丈夫なのかと女官長は心配であったが、ダイアナは特にミモザの存在に興味がなかった。王家を存続させ国家を繁栄させる為にミモザが必要なのだから仕方ないくらいの気持ちしかなく将来の王婿とか許嫁だからといって別段愛情なんてわかなかったのである。
こうして、ダイアナは女官長に連れられて初めて王宮内にある西の離宮に住んでいるミモザを訪ねたのだ。ポツンと建っている離宮は純白で庭園には大輪の美しい花が咲いており、華やかな王宮の敷地内でも何処か異彩を放っている。将来の王婿のための離宮なので瀟洒で立派なのだが、少ない窓には鉄格子が隙もなくとりつけられ物々しい。
「囚人が暮らしているみたいなところね」
無感動に呟くダイアナの顔を見て、女官長は言葉が出てこなかった。ダイアナの感想とおりここには将来の王婿という名の囚人が閉じ込められている。王女の誕生によって一切の自由を絶たれたミモザという囚人が。
「王女さま、時間が迫っているのでなかにお入りくださいませ」
「分かったわ。少し顔を見たら帰るわよ」
離宮付の者たちが総じて跪くなかダイアナは王女らしく堂々と西の離宮に入っていった。そして、無表情な養育係に連行されるように現れたミモザと対面したのである。
将来の花婿となるミモザを目にしたダイアナはミモザを監視する養育係に訊ねた。
「どうして、この子に首輪をつけているの?」
養育係はミモザに触れることもせず、首輪に紐を結ばせ当然の如く引っ張ってきた。まるで幼い獣でも使役するかのように。想像以上に悲惨な養育環境に女官長は寒気がしたがミモザの養育係は無感情に答えた。
「私どもはミモザさまに触れることは許されておりません。なので首輪に紐を付けお連れしております」
つまり、手を繋ぐ、頭を撫でるなど愛情や好意を示す行動をするなと予め国王から厳しく命じられているのだろう。只でさえ実母や生家と引き離され孤立している3歳の子供に対して非道だと女官長は密かに憤ったが、ダイアナは何も気にしていない様子で首輪に繋がれたミモザに声をかけた。
「ミモザ、あなたはわたくしに仕えるしか生きていく道がないの。そして、わたくしは国に仕えるしか道がない。首輪を嵌められた者同士ね」
「王女さま! まだミモザさまにそのようなお話は理解できませんよ」
女官長がやりきれない思いで苦言を呈してもダイアナは相手にせず、ミモザに話を続けた。
「あなたは死ぬまで王家の囚人として過ごすのよ。それがあなたが生まれた意味なの。分かるわね?」
幼い王女の残酷な問いかけに終始無言で俯いていたミモザが可哀想で女官長が口を挟もうとした瞬間だった。
「心得ております。ダイアナ王女さま」
3歳のミモザの声は心身ともに枷を強いられた者とは思えないほど凛としていた。女官長はその毅然とした声色にハッとして改めてミモザの顔を観察したが、首輪をされた身であってもミモザは惨めさや悲愴感など負の雰囲気を微塵も放っていなかった。諦めている訳でも、自分の危うい立場を理解していない訳でもなく、3歳なりに自分の責務を全うしようと決意しているような利発な表情である。
単に哀れな王家の犠牲者としかミモザを評価していなかった女官長は顔には出さなかったが、ミモザの幼いながらも高貴で整った顔立ちと金髪よりも濃い夕焼けのような美しい髪色、そして囚人のように扱われながらも凛とした笑みを湛えているミモザの気丈さに感服してしまった。この子ならばダイアナ王女の花婿に相応しいと確信していた。
そして、ダイアナも自分を悲観せず、潔く答えるミモザの利発さに感じるものがあった。少し様子を見たら帰る予定だったが、ミモザと話してみたくなった。
「ミモザ、あなたはわたくしの許嫁だけど、従弟でもあるわ。婚礼まではわたくしのことは『姉』だと思いなさい」
「かしこまりました。ダイアナ王女さま」
「もう王女さまなんて呼ぶ必要ないわ。今日からあなたはわたくしの弟。お姉さまでいいわよ」
ダイアナ王女のこの発言に女官長は驚愕し、離宮付の召使いや養育係も顔色を変えたが、ミモザはまったく動揺することもなく跪くと丁寧な口調で応じてみせた。
「はっ! 王女さまのご命令ならば従います。「姉上さま」とお呼びしてもよろしいですか?」
「よろしくてよ。ミモザ、お庭に大輪の美しい花がたくさん咲いていたわね。薔薇とも違うけれど、あの花の名前はなぁに? 姉上に教えて」
「庭に咲いている花は『牡丹』という花です。『西の離宮』の庭にだけ咲くのですよ」
「そうなの。わたくし、あのお花がとても気に入ったわ。ミモザ、お庭を案内して」
そう命じるとダイアナはミモザの首輪の紐ではなくミモザの小さな手を握ったのだ。離宮付の者たちは慌てて「なりませぬ! 王女さま!」と止めたがダイアナは相手にせず、ついでに邪魔な首輪をミモザから外すよう要求した。
「父上……。国王陛下の命令でもミモザはわたくしの花婿になるの。この子の所有権はわたくしだわ。首輪は不要。外しなさい!」
離宮付の者が躊躇している隙に女官長はダイアナの目配せに気づいて素早くミモザから重々しい首輪を取り外した。3歳の子供に嵌められていた首輪は予想以上に重く、女官長は国王の命令とはいえこんな枷を幼子にと改めて離宮付の者たちに怒りがわいた。
「ミモザはわたくしにとても従順だわ。この子の所有権と責任は王女であるわたくしが持つ。そう国王陛下に言っておきなさい。ミモザ、お庭に行きましょう」
ダイアナがミモザを連れ出すと離宮付の養育係がどうしたものかと頭を抱えだしたので女官長はピシャリと言い放った。
「ミモザさまは、ダイアナ王女さまに決して逆らわず、従順でしたわ。国王陛下にはダイアナ王女さま付の女官長である私が説明しますので。では、ごめんあそばせ」
女官長がそう言い捨てて離宮を出ると、庭に咲き誇る牡丹の花をダイアナとミモザが手を繋いで眺めていた。将来の女王陛下と王婿というよりは幼い姉と弟のような打ち解けた雰囲気である。
「ミモザ、わたくしはこれから必ず決まった日にここに来るわ。あなたともっとお話しがしたい」
「はい。姉上さま」
何気ない会話だが、女官長は気付いていた。ダイアナはミモザが西の離宮で今までのような酷い扱いを受けないよう監督するつもりなのだろう。
ミモザに付けられた首輪が外されても、ミモザはお咎め無しとなり、国王はダイアナ王女にミモザの所有権があることを認めた。その結果、ダイアナ王女の女官長がミモザの監督も兼任することとなり、西の離宮の窓の鉄格子は外され、養育係などはすべて解任となった。ミモザは重い首輪を付けられていた後遺症で首筋に痣が出来てしまい、国王は命令でも王女の許嫁に傷を付けた離宮の者に対して激怒し追い出したのだ。
「ミモザは生きていてもらわねば困る。過剰な拘束が続けば命が危うかった。ダイアナの機転は流石である」
「陛下、僭越ながら申し上げます。首輪などもろともせずミモザさまはご立派でした。ダイアナ王女さまの婿に相応しいとお見受けします」
女官長の言葉に国王は「ふむ……」と呟くと閃いたかのように告げたのだ。
「ミモザを余の養子とし正式な王家の一員と認めよう。あれにペオニア・サフルティコサ公爵の爵位と『殿下』の称号を与える」
こうしてミモザは生家であるペオニア・サフルティコサ家の家督を継いで王宮では『サフルティコサ公・ミモザ殿下』と呼ばれるようになる。
住まいは変わらず西の離宮だが、ダイアナを姉と慕いながらミモザは次第に聡明で凛々しくも美しい貴公子に成長し、将来の王婿として申し分ない存在となった。
しかし、14歳となったミモザの運命は奇妙な歪みに巻き込まれ、その歪みが後々まで王家に影を落とすとになる。
ミモザ殿下のことを疎んでいたのはダイアナ王女でも国王陛下でもなかったのだ。ミモザ殿下を最も憎み始末したかった者は皮肉にも彼の生家に潜んでいた。
女官長……かつてダイアナ王女付の筆頭女官だった私が見てきたミモザ殿下は幼いながらも毅然とした態度を貫く高潔なお方であった。己を悲観することも周りを憎むこともない心映え豊かな御仁である。それが何故、哀れな囚人としてダイアナ王女……いや、女王陛下の御子さま方に伝えられてしまったのだろう。
私ならばその謎を解くことができる。
セルシス殿下が何を吹き込まれたか知らないが、ダイアナ女王はセルシス殿下が勘違いしているような暗愚ではないし、ミモザ殿下は哀れなお人形では決してないのだ!
この書簡をセルシス殿下に気付かれぬようニンファエア殿下に送ることが私のこの世での最後の使命となる。
「ミモザ殿下、あなた様の御子が……いいえ、あなた様を騙った紛い物が成した子供が王家を……ダイアナ女王を追い詰めてしまう」
過去に何があったかを私は命を賭けて白日のもとに晒すのだ。
それが14歳で罪もなく殺されてしまった正真正銘のミモザ殿下の名誉を回復することになるかもしれぬ。
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