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1話 シャーロット、ジョナサンと出会う
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「殿下、俺との婚約を破棄していただけませんか?」
王族の住まう内宮殿。
シャーロット・ヴェルデ・アマグスタニアは自室で好物の菓子と紅茶に舌鼓を打っていた。
テーブルを挟んだ向かいには、婚約者であるサイラス・シドル・バッハシュタイン公爵がいる。
彼は王家の血を引く由緒正しい人物であり、なおかつ王国騎士団の団長を務める男だ。
生涯をともするのに、申し分のない貴公子である。
穏やかな会話の最中、婚約者に告げられた言葉を、シャーロットは咀嚼する。
――婚約……破棄?
カップを傾けながら薄紫色の瞳を眇めた。
「……なんの冗談かしら」
「冗談などではありません」
サイラスはモスグリーンの瞳を伏せる。
冗談でないのなら、なおさら具合が悪い。
二人の関係は、周知の事実である。
反国王派以外の貴族たちは、第三王女と筆頭貴族の結婚を今か今かと待ち望んでいるというのに。
「王家の顔に泥を塗るつもり?」
「すべての非は俺にあります。どんな処罰でもお与えください」
シャーロットは思わず立ち上がった。テーブルが揺れ、カップから紅茶が溢れる。
姉姫二人の求婚を断り、さらにシャーロットまで拒むとは……。
「罰なんてどうでもいいわ。理由を述べなさい」
サイラスとは、順調に交流を重ねている。
仲睦まじいとまで噂されるほど穏やかな時を共に過ごしていた。それなのに……。
――私の何が気に入らないのかしら。
社交の場では、出しゃばらずサイラスを立てるように気を配っていた。
華美な装いを苦手とするサイラスに合わせて、肌の露出を控えたシンプルなドレスに身を包んでいる。
――私にここまで譲歩させておいて、許せないわ。
「殿下と俺では釣り合いが取れません」
「……公爵家という身分でありながら、そんな言い訳は通用しないわよ」
サイラスは真摯な表情で、
「殿下を、派閥争いに巻き込みたくはないのです」
「……」
あまりにもな理由にシャーロットは絶句する。
シャーロットを危険に晒したくない。
一見、騎士然とした立派な理由だ。
しかし、王家は権力争いの渦中にあるもの。
シャーロットが降嫁することで、派閥の勢力図に影響を及ぼすのは、想像に難くない。
バッハシュタイン公爵夫人として、務めを果たす覚悟はできている。
覚悟ある者を拒絶するということはすなわち、お前は公爵家の責務に耐えることができないと見限られたようなものである。
サイラスがその事実に気づいていないわけがない。
――私を侮辱してまでそばに置きたくない、ということね。
お前は公爵夫人として、ふさわしくない。
シャーロットにとって、婚約破棄は、死刑宣告同然だった。
それから数年。
シャンデリアの光が反射する舞踏会場。
シャーロットは会場の中心で、ダンスに興じていた。
ふんだんにレースをあしらった白いドレスの裾が、軽やかな足捌きにあわせて、ふわりふわりと舞い上がる。
ダンスの相手はシャーロットの豊満な胸元にちらちらと視線を走らせた。
彼は反国王派に属する侯爵子息だ。遠慮のないまなざしでシャーロットを値踏みしている。
彼はシャーロットの細腰をみずからに引き寄せ、紺碧の瞳を機嫌よさげに細めた。
「まさか私ごとき身の上で、殿下と踊れる日が来ようとは……感激の極みであります」
「ふふ。ご謙遜を。王都と各商業都市を結ぶ流通網拡大事業への貢献……貴殿の活躍はよく耳にしていてよ」
「商売の名声など、バッハシュタイン公の武勲とは比べものになりません」
――まるで狐狸の化かし合いね。
シャーロットは微笑みを絶やさず、侯爵子息の下手なエスコートに付き合った。
シャーロットが目の前を優雅に舞うたび、令嬢たちが口々に囀る。
「【日陰の佳人】にお目にかかれるとは……今日は運が良いですわ」
「【妖精姫】の名に違わぬ美しさ。……ステキね」
「やっと王女という自覚をお持ちになられたようで、なによりですわ」
シャーロットは背筋を伸ばし、顎をそらした。
宮廷行事には基本、顔を出さないシャーロットである。宮廷での評判は芳しくない。
王女である自分を諫めることができるのは、父王のみだ。
シャーロットは気にすることなく、己のやりたいように生きてきた。
――王の真似事をして政に口を出すのはいかがなものか。
――見目麗しい美貌を活かして、外交するならまだしも、部屋に籠もり書物を読みあさるなど、立場を弁えていらっしゃるとは思えない。
政に注力しようとすれば、釘を刺され、無関心を決め込めば、己の身体を活かす振る舞いをしろと、宮廷の有象無象どもは言いたい放題だ。
すべては宙に漂う戯言。
窓の隙間から忍び込む寒風のような心ない囁きは、シャーロットの心を凍らせるに十分だった。
プラチナブランドの髪に、アメジストを彷彿とさせる瞳が神秘的な印象を人々に与える。
シャーロットとひとたび目を合わせれば、たいていの貴公子は、シャーロットに夢中になった。
魅力的な淑女だと自負するには充分な環境が揃っている。
だからこそ、長年想い続けたバッハシュタイン公爵――サイラスにアプローチした。
豊満な肉体を誇示せず、サイラスの好む清廉とした淑女であろうと努め、己の価値を示した。
それなのに――。
――猿のごとき野生児に負けるなんて……。
サイラスは辺境の男爵令嬢を妻に選んだ。
男勝りで上品さに欠ける女騎士である。
派閥の調和を保つために、中立派である男爵の娘を相手に選んだのは納得できる。
けれど。
――もっと公爵家にふさわしい娘がいたでしょうに……。
剣を振るうことしか能のない者を、公爵夫人に仕立てようとする元婚約者の考えが、シャーロットには理解できなかった。
胸の内で嫉妬の嵐が吹き荒れようが、ゆるやかな楽器の音にあわせて、シャーロットは軽やかなステップを踏む。
下卑た視線を投げかけるダンスの相手に、儚げな微笑みを取り繕うことは造作もない。
音楽が終わった。
侯爵子息はシャーロットの手を離そうとしない。
「クラウス様、私、外で風に当たってきますわ。引き続き、宴をお楽しみになって」
もう誰とも踊らない。
そう匂わせると、シャーロットとダンスをしようと待ち構えていた貴公子たちは、ゆるやかにその場を離れていった。
侯爵子息――クラウスはといえば、「では私もご一緒します」とシャーロットの手を引いた。
シャーロットは扇を口元に当てる。
「強引な殿方だこと」
「商売に勢いは大事ですから」
クラウスは悪びれることなく、シャーロットの耳元に囁きかける。
「殿下の愛しの君――バッハシュタイン公の武勇伝を語り合おうではありませんか」
クラウスは国王に近しい筆頭貴族を引き合いに、王女である自分を堂々と誘った。
シャーロットは扇の影で思案する。
――国王派に寝返らせようと思ったけれど……。どうしたものかしら。
今回の夜会を開いた目的は、気分転換が半分、王族の権力を盤石にするための人脈作りが半分である。あえて反王国派を誘ったのは、彼らからの反感を買わないためだ。
クラウスの父親――ロンディア侯爵は反国王派だが、クラウス自身はどちらの派閥にも興味がないという。
侯爵家は大農園を多数抱える大領主である。
クラウスは自領で収穫した品を国内へ手広く流通させていた。
国王派に組みさせれば、領地から収穫できる農産物を、北の帝国との交渉材料にするのが容易となるだろう。
「ささっ、殿下こちらへ」
クラウスは、悪びれることなくシャーロットをエスコートする。
狡猾かと思いきや、視線はあいかわらず胸元に注がれていた。
サイラスの名を出せば、シャーロットを容易に連れ出せると踏んだのだろう。
――色仕掛けで堕ちるのなら、試してみる価値はありそうね。
多少の危険を冒さなければ、利は得られない。
しかし。
テラスに足を踏み出したクラウスが振り返る。
シャンデリアの明かりを受け、彼の瞳は脂ぎった輝きを放っていた。獲物を狙う猛禽類のようである。
――嫌な目だわ。
勇敢であることと、無謀であることは異なる。
このまま連れ出されるのはよろしくない。
シャーロットは手を引こうとするも、一瞬遅く、クラウスに手首を掴まれる。
湿った体温が心地悪く、背筋に悪寒が走った。
「……そう警戒なされずともいいではありませんか。夜空を見上げながら、今後について語り合いましょう」
にたりと笑みを浮かべるクラウス。
恐怖が頂点に達した、その時。
「はい、そこまでです」
パンパンと手を打ち鳴らす軽快な音と、場違いな明るい声が、暗い庭先から響いた。
低いのによく通るテノールである。
庭を横切りテラスに現れたのは、灰色髪に紅い瞳を持つ青年だ。
「な、なんだ貴様。人の逢瀬の邪魔をするな」
「逢瀬……? シャーロット殿下は、すごく怯えてるご様子ですが」
「な、名を名乗らん者に、とやかく言われる筋合いはない」
「これは失礼致しました」
青年は胸に片手を添え、優雅にお辞儀をした。
ひとつに結った長髪が優雅な動きにあわせて毛先を揺らす。
「王国北部を預かっておりますヴォルフガルト男爵が子息、ジョナサン・ラウネ・ヴォルフガルトと申します。以後お見知りおきを」
――サイラスの婚約者の兄上だわ。
妹を溺愛するあまり、彼は妹の婚約者であるバッハシュタイン公爵に決闘を申し込んだ。
決闘前、どちらが勝つのか王宮内で話題になったものである。
シャーロットはサイラスに怪我を負わせた彼に、よい印象を抱いていない。
ジョナサンはクラウスにむけ、にこやかに微笑んだ。
一方クラウスは額に汗をにじませている。
「ヴォルフガルト……北部の狼か。飼い主へ貢ぐ獲物でも探しているのか?」
クラウスはジョナサンを挑発した。
けれどジョナサンは笑みを絶やさない。
腰に帯びた剣の柄に手を置き、
「持ち帰る獲物に指定はありませんので、口には気をつけてくださいね」
「――っ、獣め……覚えておけ」
シャーロットの横をすり抜け、クラウスは広間へ戻るなり、足音荒く去っていった。
「殿下、お怪我は?」
「……平気よ」
シャーロットの背後に、顔を青ざめさせた護衛騎士たちが駆けつけた。
「ジョン殿、助かりました」
「ちゃんと殿下をお守りしないと、団長サマに叱られるんじゃないか」
「いやその……」
「まあ、奔放な御方に仕えるのは、気苦労が絶えないよな」
――なんですって!
シャーロットは己をわがまま呼ばわりするジョナサンをキッと睨みあげた。
しかし、ジョナサンはどこ吹く風、口角を緩ませ、
「お怪我がなくて、本当によかった」
と、片膝をつき、シャーロットを仰ぎ見る。
ガーネットのような瞳とかち合った。
あまりの美しさに、怒りが霧散する。
シャーロットに宝石類を集める趣味はない。けれども、己の部屋に飾りたいと思わずにいられないほど、ジョナサンの瞳は、妖しい色香を漂わせていた。
見つめ合った直後、ジョナサンは柔和な笑みを凍りつかせる。
感情というものを拭い去った人形のような無表情だ。
シャーロットは思わずジョナサンに声を掛けた。
「……どうなさったの?」
「いえ、あまりの美しさに見とれてしまいました。……シャーロット殿下」
感情を失った表情は一瞬のことで、ジョナサンは微笑み、歯の浮くような台詞を口にした。見間違いかと疑いたくなるような早変わりである。
「お初にお目にかかりますわ。ヴォルフガルト男爵子息殿」
「殿下は私を御存じなのですか?」
「バッハシュタイン公爵に喧嘩を売った勇敢な殿方を知らぬ者など、この場におりませんわ」
「お恥ずかしい限りです」
――ヴォルフガルト領は帝国と隣接しているわね。目立った特産品はないけれど、軍事力という面では魅力的だわ。
彼は次期ヴォルフガルト領領主。
この機会に縁を作るのは悪くない考えだ。
このまま舞踏会場に招き入れ、ダンスを数曲踊りながら、距離を縮めればいい。
「一曲、お相手していただけなくて?」
シャーロットは、ジョナサンに手を差し伸べた。
テラスの静けさと打って変わり、屋内には陽気な音楽と人々のざわめきが満ちている。
――こちらにいらっしゃい。
シャーロットは目を伏せる。長い睫が菫色の瞳に影を落とした。
唇を震わせれば儚い妖精姫の出来上がりである。
ジョナサンはシャーロットの指先を握り締めた。誘いに乗ろうか考えあぐねている様子である。
――もう一押しだわ。
シャーロットが桃色の唇を開きかけた、その瞬間――。
「今夜は、これにて失礼させていただきます」
ジョナサンはシャーロットの手を離し、お辞儀をした。
まさか誘いを断られるとは。
「……慰めてはくれないのね」
か細い声で取りすがってみるものの、
「殿下は俺との縁をお喜びになられているご様子。お慰めする必要はないかと」
間髪入れずに本心を言い当てられ、シャーロットは心臓が止まりそうになった。
「――愚妹をよろしくお願いいたします」
ジョナサンはにこりと微笑み、暗闇へと消えていった。
己の色香に惑わされなかった男爵子息に興味を覚えたものの、翌日には彼のことを忘れた。
ジョナサンのほうもシャーロットに良い印象は抱いていないだろうから、二度と巡り合うことはないだろう。
なんせ、シャーロットは王女の護衛騎士を務める彼の妹に、つらく当たったのだから。
――別にあの娘が嫌いだから、無理難題を言いつけたわけじゃないわ。サイラスにふさわしいか見極めるためよ。
ミアがサイラス――バッハシュタイン公爵を支えるにふさわしいか試す権利がシャーロットにはある。
――彼の妻になるということは、王家を支える一員になるということ。気になるに決まってるじゃない。
決して嫉妬からではない。
そう言い聞かせるも、サイラスがミアを宝物のように愛でる場面に遭遇すれば、胸がざわついた。
シャーロットには決して向けられることのない、甘いまなざし。
決定的だったのは、先の舞踏会でだ。
シャーロットとは義務的に踊りをすませ、ミアを連れさっさと会場を後にしたサイラス。
ミアを他の男たちの目に触れさせたくないといわんばかりである。
勝負には勝ったが、試合には負け、シャーロットのプライドはズタズタに切り裂かれた。
これ以上惨めになりたくはない。
シャーロットはサイラスへの執着心を捨てることにした。
とはいってもすぐさま気持ちを切り替えられるわけではない。
気分転換にと夜会を開けば、碌でもない男に目をつけられるわ、自分を恨んでいるであろう男と出会うわで、気が滅入るばかりだ。
――しばらくは静かに過ごすべきだわ……。
シャーロットは内宮殿の自室に籠もることにした。
しかし、殊勝な心がけは裏切られることになる。
数日後、ジョナサンが内宮殿に侵入したのである。
警護の目をかい潜り、ご機嫌うかがいに訪れた彼が、シャーロットには、化け物のように思えた。
王族の住まう内宮殿。
シャーロット・ヴェルデ・アマグスタニアは自室で好物の菓子と紅茶に舌鼓を打っていた。
テーブルを挟んだ向かいには、婚約者であるサイラス・シドル・バッハシュタイン公爵がいる。
彼は王家の血を引く由緒正しい人物であり、なおかつ王国騎士団の団長を務める男だ。
生涯をともするのに、申し分のない貴公子である。
穏やかな会話の最中、婚約者に告げられた言葉を、シャーロットは咀嚼する。
――婚約……破棄?
カップを傾けながら薄紫色の瞳を眇めた。
「……なんの冗談かしら」
「冗談などではありません」
サイラスはモスグリーンの瞳を伏せる。
冗談でないのなら、なおさら具合が悪い。
二人の関係は、周知の事実である。
反国王派以外の貴族たちは、第三王女と筆頭貴族の結婚を今か今かと待ち望んでいるというのに。
「王家の顔に泥を塗るつもり?」
「すべての非は俺にあります。どんな処罰でもお与えください」
シャーロットは思わず立ち上がった。テーブルが揺れ、カップから紅茶が溢れる。
姉姫二人の求婚を断り、さらにシャーロットまで拒むとは……。
「罰なんてどうでもいいわ。理由を述べなさい」
サイラスとは、順調に交流を重ねている。
仲睦まじいとまで噂されるほど穏やかな時を共に過ごしていた。それなのに……。
――私の何が気に入らないのかしら。
社交の場では、出しゃばらずサイラスを立てるように気を配っていた。
華美な装いを苦手とするサイラスに合わせて、肌の露出を控えたシンプルなドレスに身を包んでいる。
――私にここまで譲歩させておいて、許せないわ。
「殿下と俺では釣り合いが取れません」
「……公爵家という身分でありながら、そんな言い訳は通用しないわよ」
サイラスは真摯な表情で、
「殿下を、派閥争いに巻き込みたくはないのです」
「……」
あまりにもな理由にシャーロットは絶句する。
シャーロットを危険に晒したくない。
一見、騎士然とした立派な理由だ。
しかし、王家は権力争いの渦中にあるもの。
シャーロットが降嫁することで、派閥の勢力図に影響を及ぼすのは、想像に難くない。
バッハシュタイン公爵夫人として、務めを果たす覚悟はできている。
覚悟ある者を拒絶するということはすなわち、お前は公爵家の責務に耐えることができないと見限られたようなものである。
サイラスがその事実に気づいていないわけがない。
――私を侮辱してまでそばに置きたくない、ということね。
お前は公爵夫人として、ふさわしくない。
シャーロットにとって、婚約破棄は、死刑宣告同然だった。
それから数年。
シャンデリアの光が反射する舞踏会場。
シャーロットは会場の中心で、ダンスに興じていた。
ふんだんにレースをあしらった白いドレスの裾が、軽やかな足捌きにあわせて、ふわりふわりと舞い上がる。
ダンスの相手はシャーロットの豊満な胸元にちらちらと視線を走らせた。
彼は反国王派に属する侯爵子息だ。遠慮のないまなざしでシャーロットを値踏みしている。
彼はシャーロットの細腰をみずからに引き寄せ、紺碧の瞳を機嫌よさげに細めた。
「まさか私ごとき身の上で、殿下と踊れる日が来ようとは……感激の極みであります」
「ふふ。ご謙遜を。王都と各商業都市を結ぶ流通網拡大事業への貢献……貴殿の活躍はよく耳にしていてよ」
「商売の名声など、バッハシュタイン公の武勲とは比べものになりません」
――まるで狐狸の化かし合いね。
シャーロットは微笑みを絶やさず、侯爵子息の下手なエスコートに付き合った。
シャーロットが目の前を優雅に舞うたび、令嬢たちが口々に囀る。
「【日陰の佳人】にお目にかかれるとは……今日は運が良いですわ」
「【妖精姫】の名に違わぬ美しさ。……ステキね」
「やっと王女という自覚をお持ちになられたようで、なによりですわ」
シャーロットは背筋を伸ばし、顎をそらした。
宮廷行事には基本、顔を出さないシャーロットである。宮廷での評判は芳しくない。
王女である自分を諫めることができるのは、父王のみだ。
シャーロットは気にすることなく、己のやりたいように生きてきた。
――王の真似事をして政に口を出すのはいかがなものか。
――見目麗しい美貌を活かして、外交するならまだしも、部屋に籠もり書物を読みあさるなど、立場を弁えていらっしゃるとは思えない。
政に注力しようとすれば、釘を刺され、無関心を決め込めば、己の身体を活かす振る舞いをしろと、宮廷の有象無象どもは言いたい放題だ。
すべては宙に漂う戯言。
窓の隙間から忍び込む寒風のような心ない囁きは、シャーロットの心を凍らせるに十分だった。
プラチナブランドの髪に、アメジストを彷彿とさせる瞳が神秘的な印象を人々に与える。
シャーロットとひとたび目を合わせれば、たいていの貴公子は、シャーロットに夢中になった。
魅力的な淑女だと自負するには充分な環境が揃っている。
だからこそ、長年想い続けたバッハシュタイン公爵――サイラスにアプローチした。
豊満な肉体を誇示せず、サイラスの好む清廉とした淑女であろうと努め、己の価値を示した。
それなのに――。
――猿のごとき野生児に負けるなんて……。
サイラスは辺境の男爵令嬢を妻に選んだ。
男勝りで上品さに欠ける女騎士である。
派閥の調和を保つために、中立派である男爵の娘を相手に選んだのは納得できる。
けれど。
――もっと公爵家にふさわしい娘がいたでしょうに……。
剣を振るうことしか能のない者を、公爵夫人に仕立てようとする元婚約者の考えが、シャーロットには理解できなかった。
胸の内で嫉妬の嵐が吹き荒れようが、ゆるやかな楽器の音にあわせて、シャーロットは軽やかなステップを踏む。
下卑た視線を投げかけるダンスの相手に、儚げな微笑みを取り繕うことは造作もない。
音楽が終わった。
侯爵子息はシャーロットの手を離そうとしない。
「クラウス様、私、外で風に当たってきますわ。引き続き、宴をお楽しみになって」
もう誰とも踊らない。
そう匂わせると、シャーロットとダンスをしようと待ち構えていた貴公子たちは、ゆるやかにその場を離れていった。
侯爵子息――クラウスはといえば、「では私もご一緒します」とシャーロットの手を引いた。
シャーロットは扇を口元に当てる。
「強引な殿方だこと」
「商売に勢いは大事ですから」
クラウスは悪びれることなく、シャーロットの耳元に囁きかける。
「殿下の愛しの君――バッハシュタイン公の武勇伝を語り合おうではありませんか」
クラウスは国王に近しい筆頭貴族を引き合いに、王女である自分を堂々と誘った。
シャーロットは扇の影で思案する。
――国王派に寝返らせようと思ったけれど……。どうしたものかしら。
今回の夜会を開いた目的は、気分転換が半分、王族の権力を盤石にするための人脈作りが半分である。あえて反王国派を誘ったのは、彼らからの反感を買わないためだ。
クラウスの父親――ロンディア侯爵は反国王派だが、クラウス自身はどちらの派閥にも興味がないという。
侯爵家は大農園を多数抱える大領主である。
クラウスは自領で収穫した品を国内へ手広く流通させていた。
国王派に組みさせれば、領地から収穫できる農産物を、北の帝国との交渉材料にするのが容易となるだろう。
「ささっ、殿下こちらへ」
クラウスは、悪びれることなくシャーロットをエスコートする。
狡猾かと思いきや、視線はあいかわらず胸元に注がれていた。
サイラスの名を出せば、シャーロットを容易に連れ出せると踏んだのだろう。
――色仕掛けで堕ちるのなら、試してみる価値はありそうね。
多少の危険を冒さなければ、利は得られない。
しかし。
テラスに足を踏み出したクラウスが振り返る。
シャンデリアの明かりを受け、彼の瞳は脂ぎった輝きを放っていた。獲物を狙う猛禽類のようである。
――嫌な目だわ。
勇敢であることと、無謀であることは異なる。
このまま連れ出されるのはよろしくない。
シャーロットは手を引こうとするも、一瞬遅く、クラウスに手首を掴まれる。
湿った体温が心地悪く、背筋に悪寒が走った。
「……そう警戒なされずともいいではありませんか。夜空を見上げながら、今後について語り合いましょう」
にたりと笑みを浮かべるクラウス。
恐怖が頂点に達した、その時。
「はい、そこまでです」
パンパンと手を打ち鳴らす軽快な音と、場違いな明るい声が、暗い庭先から響いた。
低いのによく通るテノールである。
庭を横切りテラスに現れたのは、灰色髪に紅い瞳を持つ青年だ。
「な、なんだ貴様。人の逢瀬の邪魔をするな」
「逢瀬……? シャーロット殿下は、すごく怯えてるご様子ですが」
「な、名を名乗らん者に、とやかく言われる筋合いはない」
「これは失礼致しました」
青年は胸に片手を添え、優雅にお辞儀をした。
ひとつに結った長髪が優雅な動きにあわせて毛先を揺らす。
「王国北部を預かっておりますヴォルフガルト男爵が子息、ジョナサン・ラウネ・ヴォルフガルトと申します。以後お見知りおきを」
――サイラスの婚約者の兄上だわ。
妹を溺愛するあまり、彼は妹の婚約者であるバッハシュタイン公爵に決闘を申し込んだ。
決闘前、どちらが勝つのか王宮内で話題になったものである。
シャーロットはサイラスに怪我を負わせた彼に、よい印象を抱いていない。
ジョナサンはクラウスにむけ、にこやかに微笑んだ。
一方クラウスは額に汗をにじませている。
「ヴォルフガルト……北部の狼か。飼い主へ貢ぐ獲物でも探しているのか?」
クラウスはジョナサンを挑発した。
けれどジョナサンは笑みを絶やさない。
腰に帯びた剣の柄に手を置き、
「持ち帰る獲物に指定はありませんので、口には気をつけてくださいね」
「――っ、獣め……覚えておけ」
シャーロットの横をすり抜け、クラウスは広間へ戻るなり、足音荒く去っていった。
「殿下、お怪我は?」
「……平気よ」
シャーロットの背後に、顔を青ざめさせた護衛騎士たちが駆けつけた。
「ジョン殿、助かりました」
「ちゃんと殿下をお守りしないと、団長サマに叱られるんじゃないか」
「いやその……」
「まあ、奔放な御方に仕えるのは、気苦労が絶えないよな」
――なんですって!
シャーロットは己をわがまま呼ばわりするジョナサンをキッと睨みあげた。
しかし、ジョナサンはどこ吹く風、口角を緩ませ、
「お怪我がなくて、本当によかった」
と、片膝をつき、シャーロットを仰ぎ見る。
ガーネットのような瞳とかち合った。
あまりの美しさに、怒りが霧散する。
シャーロットに宝石類を集める趣味はない。けれども、己の部屋に飾りたいと思わずにいられないほど、ジョナサンの瞳は、妖しい色香を漂わせていた。
見つめ合った直後、ジョナサンは柔和な笑みを凍りつかせる。
感情というものを拭い去った人形のような無表情だ。
シャーロットは思わずジョナサンに声を掛けた。
「……どうなさったの?」
「いえ、あまりの美しさに見とれてしまいました。……シャーロット殿下」
感情を失った表情は一瞬のことで、ジョナサンは微笑み、歯の浮くような台詞を口にした。見間違いかと疑いたくなるような早変わりである。
「お初にお目にかかりますわ。ヴォルフガルト男爵子息殿」
「殿下は私を御存じなのですか?」
「バッハシュタイン公爵に喧嘩を売った勇敢な殿方を知らぬ者など、この場におりませんわ」
「お恥ずかしい限りです」
――ヴォルフガルト領は帝国と隣接しているわね。目立った特産品はないけれど、軍事力という面では魅力的だわ。
彼は次期ヴォルフガルト領領主。
この機会に縁を作るのは悪くない考えだ。
このまま舞踏会場に招き入れ、ダンスを数曲踊りながら、距離を縮めればいい。
「一曲、お相手していただけなくて?」
シャーロットは、ジョナサンに手を差し伸べた。
テラスの静けさと打って変わり、屋内には陽気な音楽と人々のざわめきが満ちている。
――こちらにいらっしゃい。
シャーロットは目を伏せる。長い睫が菫色の瞳に影を落とした。
唇を震わせれば儚い妖精姫の出来上がりである。
ジョナサンはシャーロットの指先を握り締めた。誘いに乗ろうか考えあぐねている様子である。
――もう一押しだわ。
シャーロットが桃色の唇を開きかけた、その瞬間――。
「今夜は、これにて失礼させていただきます」
ジョナサンはシャーロットの手を離し、お辞儀をした。
まさか誘いを断られるとは。
「……慰めてはくれないのね」
か細い声で取りすがってみるものの、
「殿下は俺との縁をお喜びになられているご様子。お慰めする必要はないかと」
間髪入れずに本心を言い当てられ、シャーロットは心臓が止まりそうになった。
「――愚妹をよろしくお願いいたします」
ジョナサンはにこりと微笑み、暗闇へと消えていった。
己の色香に惑わされなかった男爵子息に興味を覚えたものの、翌日には彼のことを忘れた。
ジョナサンのほうもシャーロットに良い印象は抱いていないだろうから、二度と巡り合うことはないだろう。
なんせ、シャーロットは王女の護衛騎士を務める彼の妹に、つらく当たったのだから。
――別にあの娘が嫌いだから、無理難題を言いつけたわけじゃないわ。サイラスにふさわしいか見極めるためよ。
ミアがサイラス――バッハシュタイン公爵を支えるにふさわしいか試す権利がシャーロットにはある。
――彼の妻になるということは、王家を支える一員になるということ。気になるに決まってるじゃない。
決して嫉妬からではない。
そう言い聞かせるも、サイラスがミアを宝物のように愛でる場面に遭遇すれば、胸がざわついた。
シャーロットには決して向けられることのない、甘いまなざし。
決定的だったのは、先の舞踏会でだ。
シャーロットとは義務的に踊りをすませ、ミアを連れさっさと会場を後にしたサイラス。
ミアを他の男たちの目に触れさせたくないといわんばかりである。
勝負には勝ったが、試合には負け、シャーロットのプライドはズタズタに切り裂かれた。
これ以上惨めになりたくはない。
シャーロットはサイラスへの執着心を捨てることにした。
とはいってもすぐさま気持ちを切り替えられるわけではない。
気分転換にと夜会を開けば、碌でもない男に目をつけられるわ、自分を恨んでいるであろう男と出会うわで、気が滅入るばかりだ。
――しばらくは静かに過ごすべきだわ……。
シャーロットは内宮殿の自室に籠もることにした。
しかし、殊勝な心がけは裏切られることになる。
数日後、ジョナサンが内宮殿に侵入したのである。
警護の目をかい潜り、ご機嫌うかがいに訪れた彼が、シャーロットには、化け物のように思えた。
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