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5話 シャーロット、命を狙われる?
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シャーロットは中庭の片隅にあるベンチに腰掛け、訓練中の騎士たちを凝視していた。
騎士たちはどことなく落ち着かない様子である。
そのうち訓練が始まった。
かけ声に、剣と剣がぶつかりあう金属音が重なる。
中庭にジョナサンの姿はない。
「奥様がこうしてお部屋の外へ出られているというのに、坊ちゃまはご不在とは……残念がられますね」
「……ねえ、その奥様って呼ぶの、やめてくれないかしら」
そばに控える侍女のアネモネが、首を傾げた。
後頭部でひとつにまとめた黒髪が、しなやかに揺れる。
人形のように整った顔に、感情の色はない。
歳の頃は、シャーロットの二つ下、十六である。
「坊ちゃまには、奥様は奥様とお呼びするように、言い付かっておりますので」
主人に忠実な使用人に、とやかく言っても無駄だ。
シャーロットは「……そう」と納得のいかないまま、話を終わらせた。
空はシャーロットの憂鬱な気分などおかまいなしに、晴れ渡っている。
アネモネがシャーロットの頭上に傘を差し掛けた。
すらりとした体躯に黒いドレスをまとった彼女は、侍女というより、騎士の風格を漂わせている。
アネモネは、シャーロットの身の回りの世話を、事細かにこなした。
「奥様、城内を散策なさってはいかがでしょうか」
「奥様、本日のご昼食を残されていましたが、ご気分が優れませんか?」
「奥様、明日は雨です。底冷えしますので、こちらの寝衣をお召しください」
ジョナサンに何を命じられているのか知らないが、過保護にもほどがある。
王宮で、これほど熱心にシャーロットに心を砕く者はいない。侍女たちは、シャーロットの顔色をうかがい、機嫌を損ねないよう細心の注意を払っていた。
アネモネは真逆だ。
ジョナサンの命に誠実に従い、シャーロットの世話を焼いた。
仕事熱心なアネモネに好感を抱いたシャーロットは、彼女をそばにおき、城内を散策するようになった。
訓練を見学し始めて数分後。
騎士たちの模擬試合は、素人目には、ただ乱暴に木の棒を打ち合っているようにしか見えず、シャーロットは扇で口元を隠し、あくびを噛み殺した。
灰色髪の青年が、脳裏にちらついた。
複数人を相手にした稽古で、ジョナサンは果敢に剣を振るい、勝利していた。
灰色の髪がたなびく姿は、まさに勇猛果敢な狼のようである。
剣舞は好まないシャーロットでも、彼の所作は滑らかで、見ていて飽きなかった。
勝利するたび、ジョナサンは窓辺にいるシャーロットの視線に気づき、手を振る。
赤い瞳に射貫かれると、胸騒ぎがした。
――っ、私ったら何を思い出しているのかしら。
わざわざジョナサンの居ない隙を狙って部屋から出てきたというのに……。
「……戻るわよ」
アネモネを引き連れ、回廊に脚を向けた矢先――中庭が騒がしくなった。
「魔狼だ!」
「どこから現れやがったんだ!」
中庭に見たことのない獣がいた。
犬のような見た目だが、人よりも大きい。
黒々とした毛並みを逆立て、獣は中庭にいる騎士たちに襲い掛かっている。
巨大な牙や爪を思う存分振るう魔狼に、騎士たちが果敢に斬りかかった。
『グウオオオオオオオ!』
刺されようが切られようが、魔狼は倒れない。
魔狼と目が合った。
理性の欠片もない真っ黒な瞳に、背筋が粟立つ。
魔狼はよだれを垂らしながら、シャーロットたちに狙いを定めた。騎士たちを振り切り、シャーロットたちへむかって地を蹴る。
「……奥様、背中を見せませぬよう」
アネモネは傘を閉じると、剣のように身体の前で構えた。
シャーロットはアネモネにしがみついて、ギュッと目を閉じた、その時。
「人様の縄張りで、何してくれてんだ」
聞き慣れた声でいて、初めて耳にする口調。
間近に迫った魔狼とアネモネの間に、灰色髪の青年が躍り出た。
ジョナサンが目にもとまらぬ速さで、剣を鞘走らせる。
次の瞬間には、魔狼の首が宙に放物線を描いていた。
ドスンと、鈍い音をたて、魔狼の首が地面に落ちる。
首になっても地を這う獣の脳天に、ジョナサンは剣を突き刺した。頭蓋から剣を抜き、血を払う。
黒い血が地面に飛び散った。
魔狼にも劣らない殺気をまとった赤い瞳が、シャーロットに向けられた。
獣に魅入られた時の比ではない怖気が、シャーロットを硬直させる。
しかし、一瞬で、ジョナサンは表情をやわらげた。
「殿下! お怪我は」
「……ないわ」
「よかった~。アネモネ、殿下を守ってくれてありがとう」
「もったいなきお言葉です」
シャーロットはジョナサンとアネモネが会話するのを右から左に聞き流す。
ジョナサンの魔獣めいた横顔が瞼の裏から離れない。
「殿下」
ジョナサンがシャーロットに手を差し出した。
その手には、どす黒い血がこびりついている。
シャーロットは両手を胸に引き寄せた。
戸惑うシャーロットを目にし、ジョナサンはハッとした様子で手を引っ込める。
――違うの、これは……。
「……アネモネ、殿下を部屋までお送りしろ」
ジョナサンは寂しそうに赤い瞳を伏せた。
その日の夜、ジョナサンがシャーロットの部屋を訪ねてきた。
「魔獣討伐?」
「ええ。昼間、城内に現れた魔狼は、本来であれば、もっと隣国寄りに棲息しているのです」
ヴォルフガルト城塞は、ぐるりを深い森に囲まれている。
男爵の命の下、定期的に魔獣狩りが行われていた。魔獣に人間は危険な生き物だと知らしめるためだ。
地道な活動のお陰で、城塞周辺に魔獣は少ない。
一方、城塞から離れれば離れるほど、森の奥地には凶暴な魔獣が棲息している。
「魔狼は知能が高いため、俺たちに敵わないと学習しています。ですが、今回、城内に侵入しました」
「すべての魔獣が、貴殿たちを恐れているとは限らないでしょう」
「だとしても、城塞周辺は常に衛兵たちが、我らの手で手懐けた魔犬とともに警備にあたっております。厳重な警戒網を抜け、魔獣が城内に侵入するなどありえないのです」
皆が皆、ジョナサンのように強靱な身体能力を持ち合わせているわけでない。
魔犬だって、魔獣だ。どこまで人に協力するのかと、シャーロットは疑問に思う。
「それで魔狼がなぜ城塞を襲ったのか納得できない貴殿が、直々に魔獣討伐に赴くと?」
――魔獣討伐など、部下に任せればよくなくて?
ジョナサンは男爵子息だ。領主は領民を導く存在である。
些事にかまけていては、身体がいくつあっても足りない。
シャーロットは紅茶のカップに口を付けながら、ちらりとジョナサンに目をやる。
ジョナサンは、にこりと微笑み、
「根絶やしにするためです」
と、物騒な発言をした。
「……?」
シャーロットは眉を顰めた。聞き間違いだろうか。
「殿下に牙をむけたのです。一体残らず奴らを狩り尽くします」
聞き間違いではなかった。
「……魔狼は森の王者なのでしょう。彼らがいなければ、森の生態系を崩すことになるのじゃないかしら」
「さすが殿下。我が領地に棲息する魔獣を、すでに把握されているとは、頭が下がります」
「世辞は結構よ。……話を戻すけれど、貴殿たちヴォルフガルト家は狼を崇めているのではなくて?」
「そうではありますが、魔獣は魔獣。人に仇成すのであれば、こちらが牙を剥いても問題ありません」
ジョナサンは微笑みを崩さないまま、赤い瞳に剣呑な光を孕ませている。
シャーロットは、こくりと小さく喉を鳴らした。
「貴殿でも集団で襲いかかられたら、分が悪いのじゃなくて?」
「この際、部下を連れて訓練も兼ねようかと」
「……そう」
「殿下が俺の身を案じてくださるとは。光栄です」
ジョナサンは感慨深いと言わんばかりに、天井に向かって満足げに頬を緩めた。
「し、心配なんてしていないわ」
異国の地に連れてこられて早々、一人取り残されては堪らないだけである。
――彼とはまだちゃんと向き合えていないのよ。このまま物言わぬ死者にでもなったらタダじゃ置かないのだから。
「……必ず帰って参ります」
ジョナサンはシャーロットの前に跪き、白魚のような手のひらにキスを落とした。
騎士たちはどことなく落ち着かない様子である。
そのうち訓練が始まった。
かけ声に、剣と剣がぶつかりあう金属音が重なる。
中庭にジョナサンの姿はない。
「奥様がこうしてお部屋の外へ出られているというのに、坊ちゃまはご不在とは……残念がられますね」
「……ねえ、その奥様って呼ぶの、やめてくれないかしら」
そばに控える侍女のアネモネが、首を傾げた。
後頭部でひとつにまとめた黒髪が、しなやかに揺れる。
人形のように整った顔に、感情の色はない。
歳の頃は、シャーロットの二つ下、十六である。
「坊ちゃまには、奥様は奥様とお呼びするように、言い付かっておりますので」
主人に忠実な使用人に、とやかく言っても無駄だ。
シャーロットは「……そう」と納得のいかないまま、話を終わらせた。
空はシャーロットの憂鬱な気分などおかまいなしに、晴れ渡っている。
アネモネがシャーロットの頭上に傘を差し掛けた。
すらりとした体躯に黒いドレスをまとった彼女は、侍女というより、騎士の風格を漂わせている。
アネモネは、シャーロットの身の回りの世話を、事細かにこなした。
「奥様、城内を散策なさってはいかがでしょうか」
「奥様、本日のご昼食を残されていましたが、ご気分が優れませんか?」
「奥様、明日は雨です。底冷えしますので、こちらの寝衣をお召しください」
ジョナサンに何を命じられているのか知らないが、過保護にもほどがある。
王宮で、これほど熱心にシャーロットに心を砕く者はいない。侍女たちは、シャーロットの顔色をうかがい、機嫌を損ねないよう細心の注意を払っていた。
アネモネは真逆だ。
ジョナサンの命に誠実に従い、シャーロットの世話を焼いた。
仕事熱心なアネモネに好感を抱いたシャーロットは、彼女をそばにおき、城内を散策するようになった。
訓練を見学し始めて数分後。
騎士たちの模擬試合は、素人目には、ただ乱暴に木の棒を打ち合っているようにしか見えず、シャーロットは扇で口元を隠し、あくびを噛み殺した。
灰色髪の青年が、脳裏にちらついた。
複数人を相手にした稽古で、ジョナサンは果敢に剣を振るい、勝利していた。
灰色の髪がたなびく姿は、まさに勇猛果敢な狼のようである。
剣舞は好まないシャーロットでも、彼の所作は滑らかで、見ていて飽きなかった。
勝利するたび、ジョナサンは窓辺にいるシャーロットの視線に気づき、手を振る。
赤い瞳に射貫かれると、胸騒ぎがした。
――っ、私ったら何を思い出しているのかしら。
わざわざジョナサンの居ない隙を狙って部屋から出てきたというのに……。
「……戻るわよ」
アネモネを引き連れ、回廊に脚を向けた矢先――中庭が騒がしくなった。
「魔狼だ!」
「どこから現れやがったんだ!」
中庭に見たことのない獣がいた。
犬のような見た目だが、人よりも大きい。
黒々とした毛並みを逆立て、獣は中庭にいる騎士たちに襲い掛かっている。
巨大な牙や爪を思う存分振るう魔狼に、騎士たちが果敢に斬りかかった。
『グウオオオオオオオ!』
刺されようが切られようが、魔狼は倒れない。
魔狼と目が合った。
理性の欠片もない真っ黒な瞳に、背筋が粟立つ。
魔狼はよだれを垂らしながら、シャーロットたちに狙いを定めた。騎士たちを振り切り、シャーロットたちへむかって地を蹴る。
「……奥様、背中を見せませぬよう」
アネモネは傘を閉じると、剣のように身体の前で構えた。
シャーロットはアネモネにしがみついて、ギュッと目を閉じた、その時。
「人様の縄張りで、何してくれてんだ」
聞き慣れた声でいて、初めて耳にする口調。
間近に迫った魔狼とアネモネの間に、灰色髪の青年が躍り出た。
ジョナサンが目にもとまらぬ速さで、剣を鞘走らせる。
次の瞬間には、魔狼の首が宙に放物線を描いていた。
ドスンと、鈍い音をたて、魔狼の首が地面に落ちる。
首になっても地を這う獣の脳天に、ジョナサンは剣を突き刺した。頭蓋から剣を抜き、血を払う。
黒い血が地面に飛び散った。
魔狼にも劣らない殺気をまとった赤い瞳が、シャーロットに向けられた。
獣に魅入られた時の比ではない怖気が、シャーロットを硬直させる。
しかし、一瞬で、ジョナサンは表情をやわらげた。
「殿下! お怪我は」
「……ないわ」
「よかった~。アネモネ、殿下を守ってくれてありがとう」
「もったいなきお言葉です」
シャーロットはジョナサンとアネモネが会話するのを右から左に聞き流す。
ジョナサンの魔獣めいた横顔が瞼の裏から離れない。
「殿下」
ジョナサンがシャーロットに手を差し出した。
その手には、どす黒い血がこびりついている。
シャーロットは両手を胸に引き寄せた。
戸惑うシャーロットを目にし、ジョナサンはハッとした様子で手を引っ込める。
――違うの、これは……。
「……アネモネ、殿下を部屋までお送りしろ」
ジョナサンは寂しそうに赤い瞳を伏せた。
その日の夜、ジョナサンがシャーロットの部屋を訪ねてきた。
「魔獣討伐?」
「ええ。昼間、城内に現れた魔狼は、本来であれば、もっと隣国寄りに棲息しているのです」
ヴォルフガルト城塞は、ぐるりを深い森に囲まれている。
男爵の命の下、定期的に魔獣狩りが行われていた。魔獣に人間は危険な生き物だと知らしめるためだ。
地道な活動のお陰で、城塞周辺に魔獣は少ない。
一方、城塞から離れれば離れるほど、森の奥地には凶暴な魔獣が棲息している。
「魔狼は知能が高いため、俺たちに敵わないと学習しています。ですが、今回、城内に侵入しました」
「すべての魔獣が、貴殿たちを恐れているとは限らないでしょう」
「だとしても、城塞周辺は常に衛兵たちが、我らの手で手懐けた魔犬とともに警備にあたっております。厳重な警戒網を抜け、魔獣が城内に侵入するなどありえないのです」
皆が皆、ジョナサンのように強靱な身体能力を持ち合わせているわけでない。
魔犬だって、魔獣だ。どこまで人に協力するのかと、シャーロットは疑問に思う。
「それで魔狼がなぜ城塞を襲ったのか納得できない貴殿が、直々に魔獣討伐に赴くと?」
――魔獣討伐など、部下に任せればよくなくて?
ジョナサンは男爵子息だ。領主は領民を導く存在である。
些事にかまけていては、身体がいくつあっても足りない。
シャーロットは紅茶のカップに口を付けながら、ちらりとジョナサンに目をやる。
ジョナサンは、にこりと微笑み、
「根絶やしにするためです」
と、物騒な発言をした。
「……?」
シャーロットは眉を顰めた。聞き間違いだろうか。
「殿下に牙をむけたのです。一体残らず奴らを狩り尽くします」
聞き間違いではなかった。
「……魔狼は森の王者なのでしょう。彼らがいなければ、森の生態系を崩すことになるのじゃないかしら」
「さすが殿下。我が領地に棲息する魔獣を、すでに把握されているとは、頭が下がります」
「世辞は結構よ。……話を戻すけれど、貴殿たちヴォルフガルト家は狼を崇めているのではなくて?」
「そうではありますが、魔獣は魔獣。人に仇成すのであれば、こちらが牙を剥いても問題ありません」
ジョナサンは微笑みを崩さないまま、赤い瞳に剣呑な光を孕ませている。
シャーロットは、こくりと小さく喉を鳴らした。
「貴殿でも集団で襲いかかられたら、分が悪いのじゃなくて?」
「この際、部下を連れて訓練も兼ねようかと」
「……そう」
「殿下が俺の身を案じてくださるとは。光栄です」
ジョナサンは感慨深いと言わんばかりに、天井に向かって満足げに頬を緩めた。
「し、心配なんてしていないわ」
異国の地に連れてこられて早々、一人取り残されては堪らないだけである。
――彼とはまだちゃんと向き合えていないのよ。このまま物言わぬ死者にでもなったらタダじゃ置かないのだから。
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