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11話 シャーロット、ジョナサンの策略に嵌まる
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夢うつつに領地巡りを願い出た、数日後。
ジョナサンはさっそくシャーロットを連れ出した。
森の中、美しい湖を堪能するはずが、シャーロットは馬上で太腿を痛めた。
ジョナサンはシャーロットのやせ我慢を見抜いた。
結果、シャーロットは彼に散々身体を嬲られたのである。
数時間後。
シャーロットは自力で立ち上がることができなくなった。
馬がゆっくりと歩みを進める、湖からの帰り道。
ジョナサンの胸に背をあずけ、ウトウトしていたシャーロットにジョナサンが切り出した。
「このたび、貧民を対象とした学び舎を建てようと思いまして……殿下、教師になっていただけませんか?」
――何を言い出すかと思えば……王族である私に、市井で働けというの?
シャーロットは、盛大にため息をつき、声を絞り出す。
「……なんの冗談かしら」
「冗談ではありません」
労働を馬鹿にするつもりはない。
人には定められた役割があるのだから。
シャーロットは王族として、民のため身を粉にする義務がある。
しかし領民と同じ目線で事を成す必要はあるまい。
――落ち着くのよ、シャーロット。
ジョナサンはシャーロットを侮辱しているわけではない。
話は最後まで聞かなくては。
震える右手を左手で押さえ、深呼吸をした。
ヴォルフガルト家は、騎士の育成に力を入れている。
自領で訓練所を運営し、優秀な騎士を領外へ派遣した。
周辺地の領主と武装力を高めあえれば、隣国や魔獣へのけん制になる、という打算もへったくれもない理由で、ヴォルフガルト男爵は己が編み出した指揮系統術を、惜しみなく隣接地の領主へ広めている。
息子であるジョナサンは、騎士や一部の富裕層にだけ教養を与えるのではなく、領民全体に教育を施そうと画策しているようだ。
「騎士の育成に関しては、ヴォルフガルト領主の管轄でしょうけれど……城下街の自治は、主に商人たちに一任しているのではなくて?」
ヴォルフガルト領の城下街では、商人をはじめとした庶民たちによる自治が重んじられているはずだ。
元来血気盛んな土地柄故、商人、職人たちは独立心の強い者が多い。
彼らは領主からの資金援助を毛嫌いする傾向があり、勝手に学舎など建ててしまったら、黙っていないのではないか。
「俺の私財で進めていますので、心配はご無用です」
「ますます反感を買うわよ」
次期領主が、己に忠実な人材を育てようとしている、と勘繰られても、文句は言えないだろう。
「だからこそ、殿下にご協力願いたいのです」
「王家の後ろ盾が欲しと?」
「そんな恐れ多いことは……ただ、我が領地の現状を知っていただきたいだけです」
「……お断りするわ」
「領内の政にご興味があられるのですよね」
「あくまで王女としてよ。教育者になるつもりはないわ」
賢き者の意見を反芻し、よりよい治世を導く役目は果たすつもりだ。
みずからが教え導く気は、さらさらない。
――子どもは苦手だもの。
公務の一環として、孤児院訪問を行っていたが、本音では行きたくなかった。
当たり前だが、幼子に道理は通じない。
思うままに泣き、わめき、暴れる。
制御できない生物を前にした時の恐怖といったら……シャーロットはぶるりと身震いした。
「では、殿下の麗しいご尊顔だけでも、子らに拝する機会を与えてはもらえませんか」
シャーロットが引き受けるまで、この話題を止める気はないようだ。
顔が見たいと言われれば、断る理由もない。
馬の足並みが、規則正しくシャーロットの上半身を揺らした。蹄が奏でる足音が、子守歌のように眠気を誘う。
「……考えておくわ」
「感謝致します」
ジョナサンは華奢な肢体を胸に引き寄せる。
細身で固い胸板に、シャーロットは、否応なく背中を預けた。
翌日。
城下街は、城塞を起点に、谷間に張り付くように広がっている。街の外れの路地には、いまにも崩れ落ちそうな建物が多くひしめいていた。
薄暗くて、湿った道からは饐えた臭いがする。
「随分、ひどい有様ね」
シャーロットは扇で鼻を隠しながら、一歩、一歩慎重に歩みを進めた。
「お恥ずかしながら、この辺りはいまだ整備が行き届いておりません」
辺り一帯は、訳ありの流れ者をヴォルフガルト男爵が見て見ぬフリをし、受け入れている地域なのだという。
なかには犯罪を犯した者がいるとかいないとか。
「脛に傷のある者と我らの違いは紙一重ですからね。手出しできない他領で暴れられるよりはマシ……。というのが父上――ヴォルフガルト男爵の考えです」
腕に絶対的な自信があるからこそ、できる気チガイじみた施政である。
地味な色合いのドレスを身につけていようと、プラチナブロンドの髪は隠せない。
月の光をたたえるシャーロットを、住人たちは食い入るように見つめている。
肩が自然と震えた。すると、ジョナサンが横に寄り添い、腕を差し出す。
「どうぞ」
シャーロットはおずおずとジョナサンに腕を絡めた。
「馬車の通れない道でして、申し訳ありません」
「平気よ」
シャーロットは背筋をのばし、まっすぐ前を見据えた。
路地を抜けた先で川に突き当たる。
その手前、川岸に、こじんまりとした木造家屋が建っていた。
「あちらが学び舎になります」
ジョナサンに手を引かれ、建物に近付く。
すると、怒鳴り声が聞こえてきた。
「俺は許可した覚えはないぞ!」
「ここは貴方の土地ではありませんので、口出しされる謂れはありませんよ……」
小太りの中年男が、細身の若い青年にむかって声を荒げている。
青年は弱り切った様子で、額の汗をハンカチで拭っていた。
「ハンス先生、どうなさいましたか?」
ジョナサンが空気を読まず、颯爽と二人の間に割って入る。
ハンスと呼ばれた青年の表情が、パッと明るくなった。
「ジョン様、よかった。実は――」
ジョナサンに話しかけるハンスを、小太りの中年男が押しのける。
「これはこれは男爵子息殿、このような卑しい場に、わざわざ足を運ばれて、どうされましたかな」
中年男は揉み手をしながら、ジョナサンにすり寄った。
「ドロリス殿こそ、今日は商人総会の日ですよね。こちらにいてよろしいので?」
ジョナサンはニコニコと微笑む。
小太りの中年男――ドロリスも満面の笑みを崩さない。
「ええ、ええ。そうなんでございますが、聞き捨てならない噂を耳にしましてね」
「噂、ですか」
「ええ、ええ。なんでも、貧民どもに教育を施そうとする酔狂者がいると伝え聞きましてね」
「さすが、我が領きっての情報通。俺が出資した学び舎の門出を祝いに来てくださり、ありがとうございます」
ジョナサンは建物に顔をむけた。清々しい表情である。
――嫌味を受けても堂々としているのは、さすがというか、図太いというか……。
希望に満ちた横顔を、シャーロットは広げた扇の縁から垣間見た。
それにしてもドロリスという男、領主に対してやたら尊大である。
――人としての礼儀がなっていなくてよ。
一言物申してやろうと前に出ようとしたのだが、ジョナサンが身体をずらして行く手を阻んだ。
片目を茶目っ気たっぷりに瞑る。
任せろと言われている気がした。
「なんと! 坊ちゃまが、貧民どもに学をつけさせるですって!」
ドロリスは精一杯、小さな目を見開く。
「何か問題でも?」
「大ありでございます。ただでさえ、ずる賢い貧民どもに知恵を付けさせましたら、どんな悪行を働くか……おお、考えただけで寒気がいたします」
ドロリスは芝居がかった様子で両腕をさすった。
「俺は逆だと思う」
「はい?」
「正しい知識を得た人間は、善き行いをすると、信じているのです」
「なるほど、なるほど。面白い発想ですな」
ドロリスが大きく口を開け、ガハハハハ、と笑った。
顎の肉がぶるんぶるんと震える。
「しかし、世の中はそれほど甘くはありませんよ」
ドロリスは声を低くし、上目遣いでジョナサンを睨めつける。
「坊ちゃんは人の心を読みなさるから、そんなことが言えるんですよ」
ジョナサンは赤い瞳を柔和に細めた。
「我々下々の者が気づいていないとお思いでしたかな。嘘が通用しない相手に逆らう奴なんか、いやしません。皆、坊ちゃんを恐れているからこそ、従うのです」
ドロリスはニタリと歯をみせ笑った。
黄ばんだ前歯が露わになる。
「が、しかし、私は坊ちゃんを恐れてなどいませんよ。尊敬すらしております。だからといって、おとなしく従うつもりはありませんがね」
ジョナサンを敬う言葉を並べながら、貶している。
ドロリスが垂れ流す悪意に気づかないはずがなかろうに、ジョナサンは興味深そうに男の演説に耳をすませていた。
領主の息子という立場を振りかざし、ドロリスを断罪することは可能だ。
しかしそれでは暴君のレッテルを貼られてしまう。
よって、笑顔でやり過ごす。
正しい選択だ。
男のどんぐり眼が、ジョナサンの背後にいるシャーロットに注がれる。
視線が上から下へ舐めるように動いた。まるで品定めしているようである。
シャーロットは菫色の瞳で中年男を迎え撃った。
澄んだまなざしを前にしても、小太りの男は下卑た笑みを崩さない。
我慢できなかった。
「子供たちに知識を授けるのは私よ」
「……へ?」
シャーロットはジョナサンを押しのけ、ドロリスと真正面から対峙する。
胸の下で腕を組んで、背筋を伸ばし、宣言する。
「彼は私の計画を実行しただけ。貧民たちに学びの機会を与えるよう命じたのは、この私、アマグスタニア王国第三王女であるシャーロット・ヴェルデ・アマグスタニアよ」
「シャーロット……殿下?」
「お前、ドロリスと言ったわね。お前の商会ではどのような品を扱うのかしら」
「は……?」
「今度、城へ来なさいな。気に入った品があれば買わせていただくわ」
「へ? はあ……」
ドロリスは丸い顔全体に汗を浮かべ、ジョナサンにちらちらと視線を送った。
ジョナサンは微笑むばかりで、静観を決め込んでいる。
「ところで、先ほどのヴォルフガルト卿の言葉なのだけれど」
シャーロットはスッと目を細めた。
ドロリスは蛇に睨まれた蛙のごとく、身を縮こまらせる。
「すべて、私が口にした言葉なの。彼はただ、繰り返しただけ。この意味がお分かりになって?」
ドロリスの顔色が、青を通り越して土気色に変わっていく。
今までの暴言はシャーロットに対しての発言も同然だと匂わせる。
商人であるなら、言葉の裏を読めるだろう。
案の定、「そ、そうでございましたか……」と借りてきた猫よろしく、ドロリスは大人しくなった。
「で、文句があるなら私に言ってくださる?」
「い、いえ、滅相もございません。……用事を思い出しました。私めはこれにて失礼を」
礼もそこそこに、ドロリスはえっちら、おっちらと小太りな身体を揺らし、路地の暗がりに消えていった。
隣で、くすくすと笑い声がする。
「……謀ったわね」
「偶然です」
ジョナサンはこほんと咳払いをした。
シャーロットは腰に手をあて、
「はじめからあの男を黙らせるために、私を連れてきたのでしょう。趣味が悪いこと。……やるならちゃんと根回ししてから事を起こしなさいよ」
「したのですがね。今日とて、わざと総会の日に合わせて、殿下をここへご案内したのですが……どこかにネズミがいるようです」
城塞内に内通者がいる、ということか。
使用人の誰か、もしくは出入りするドロリスの同業者か。
どちらにしろ気分のいい話ではない。
シャーロットは顔をしかめた。
「人の口に戸は立てられないと言いますから。そんなことより……どうぞ、中をご覧ください」
ジョナサンは何事もなかったかのように、シャーロットの手を取り、建物へと誘った。
ジョナサンはさっそくシャーロットを連れ出した。
森の中、美しい湖を堪能するはずが、シャーロットは馬上で太腿を痛めた。
ジョナサンはシャーロットのやせ我慢を見抜いた。
結果、シャーロットは彼に散々身体を嬲られたのである。
数時間後。
シャーロットは自力で立ち上がることができなくなった。
馬がゆっくりと歩みを進める、湖からの帰り道。
ジョナサンの胸に背をあずけ、ウトウトしていたシャーロットにジョナサンが切り出した。
「このたび、貧民を対象とした学び舎を建てようと思いまして……殿下、教師になっていただけませんか?」
――何を言い出すかと思えば……王族である私に、市井で働けというの?
シャーロットは、盛大にため息をつき、声を絞り出す。
「……なんの冗談かしら」
「冗談ではありません」
労働を馬鹿にするつもりはない。
人には定められた役割があるのだから。
シャーロットは王族として、民のため身を粉にする義務がある。
しかし領民と同じ目線で事を成す必要はあるまい。
――落ち着くのよ、シャーロット。
ジョナサンはシャーロットを侮辱しているわけではない。
話は最後まで聞かなくては。
震える右手を左手で押さえ、深呼吸をした。
ヴォルフガルト家は、騎士の育成に力を入れている。
自領で訓練所を運営し、優秀な騎士を領外へ派遣した。
周辺地の領主と武装力を高めあえれば、隣国や魔獣へのけん制になる、という打算もへったくれもない理由で、ヴォルフガルト男爵は己が編み出した指揮系統術を、惜しみなく隣接地の領主へ広めている。
息子であるジョナサンは、騎士や一部の富裕層にだけ教養を与えるのではなく、領民全体に教育を施そうと画策しているようだ。
「騎士の育成に関しては、ヴォルフガルト領主の管轄でしょうけれど……城下街の自治は、主に商人たちに一任しているのではなくて?」
ヴォルフガルト領の城下街では、商人をはじめとした庶民たちによる自治が重んじられているはずだ。
元来血気盛んな土地柄故、商人、職人たちは独立心の強い者が多い。
彼らは領主からの資金援助を毛嫌いする傾向があり、勝手に学舎など建ててしまったら、黙っていないのではないか。
「俺の私財で進めていますので、心配はご無用です」
「ますます反感を買うわよ」
次期領主が、己に忠実な人材を育てようとしている、と勘繰られても、文句は言えないだろう。
「だからこそ、殿下にご協力願いたいのです」
「王家の後ろ盾が欲しと?」
「そんな恐れ多いことは……ただ、我が領地の現状を知っていただきたいだけです」
「……お断りするわ」
「領内の政にご興味があられるのですよね」
「あくまで王女としてよ。教育者になるつもりはないわ」
賢き者の意見を反芻し、よりよい治世を導く役目は果たすつもりだ。
みずからが教え導く気は、さらさらない。
――子どもは苦手だもの。
公務の一環として、孤児院訪問を行っていたが、本音では行きたくなかった。
当たり前だが、幼子に道理は通じない。
思うままに泣き、わめき、暴れる。
制御できない生物を前にした時の恐怖といったら……シャーロットはぶるりと身震いした。
「では、殿下の麗しいご尊顔だけでも、子らに拝する機会を与えてはもらえませんか」
シャーロットが引き受けるまで、この話題を止める気はないようだ。
顔が見たいと言われれば、断る理由もない。
馬の足並みが、規則正しくシャーロットの上半身を揺らした。蹄が奏でる足音が、子守歌のように眠気を誘う。
「……考えておくわ」
「感謝致します」
ジョナサンは華奢な肢体を胸に引き寄せる。
細身で固い胸板に、シャーロットは、否応なく背中を預けた。
翌日。
城下街は、城塞を起点に、谷間に張り付くように広がっている。街の外れの路地には、いまにも崩れ落ちそうな建物が多くひしめいていた。
薄暗くて、湿った道からは饐えた臭いがする。
「随分、ひどい有様ね」
シャーロットは扇で鼻を隠しながら、一歩、一歩慎重に歩みを進めた。
「お恥ずかしながら、この辺りはいまだ整備が行き届いておりません」
辺り一帯は、訳ありの流れ者をヴォルフガルト男爵が見て見ぬフリをし、受け入れている地域なのだという。
なかには犯罪を犯した者がいるとかいないとか。
「脛に傷のある者と我らの違いは紙一重ですからね。手出しできない他領で暴れられるよりはマシ……。というのが父上――ヴォルフガルト男爵の考えです」
腕に絶対的な自信があるからこそ、できる気チガイじみた施政である。
地味な色合いのドレスを身につけていようと、プラチナブロンドの髪は隠せない。
月の光をたたえるシャーロットを、住人たちは食い入るように見つめている。
肩が自然と震えた。すると、ジョナサンが横に寄り添い、腕を差し出す。
「どうぞ」
シャーロットはおずおずとジョナサンに腕を絡めた。
「馬車の通れない道でして、申し訳ありません」
「平気よ」
シャーロットは背筋をのばし、まっすぐ前を見据えた。
路地を抜けた先で川に突き当たる。
その手前、川岸に、こじんまりとした木造家屋が建っていた。
「あちらが学び舎になります」
ジョナサンに手を引かれ、建物に近付く。
すると、怒鳴り声が聞こえてきた。
「俺は許可した覚えはないぞ!」
「ここは貴方の土地ではありませんので、口出しされる謂れはありませんよ……」
小太りの中年男が、細身の若い青年にむかって声を荒げている。
青年は弱り切った様子で、額の汗をハンカチで拭っていた。
「ハンス先生、どうなさいましたか?」
ジョナサンが空気を読まず、颯爽と二人の間に割って入る。
ハンスと呼ばれた青年の表情が、パッと明るくなった。
「ジョン様、よかった。実は――」
ジョナサンに話しかけるハンスを、小太りの中年男が押しのける。
「これはこれは男爵子息殿、このような卑しい場に、わざわざ足を運ばれて、どうされましたかな」
中年男は揉み手をしながら、ジョナサンにすり寄った。
「ドロリス殿こそ、今日は商人総会の日ですよね。こちらにいてよろしいので?」
ジョナサンはニコニコと微笑む。
小太りの中年男――ドロリスも満面の笑みを崩さない。
「ええ、ええ。そうなんでございますが、聞き捨てならない噂を耳にしましてね」
「噂、ですか」
「ええ、ええ。なんでも、貧民どもに教育を施そうとする酔狂者がいると伝え聞きましてね」
「さすが、我が領きっての情報通。俺が出資した学び舎の門出を祝いに来てくださり、ありがとうございます」
ジョナサンは建物に顔をむけた。清々しい表情である。
――嫌味を受けても堂々としているのは、さすがというか、図太いというか……。
希望に満ちた横顔を、シャーロットは広げた扇の縁から垣間見た。
それにしてもドロリスという男、領主に対してやたら尊大である。
――人としての礼儀がなっていなくてよ。
一言物申してやろうと前に出ようとしたのだが、ジョナサンが身体をずらして行く手を阻んだ。
片目を茶目っ気たっぷりに瞑る。
任せろと言われている気がした。
「なんと! 坊ちゃまが、貧民どもに学をつけさせるですって!」
ドロリスは精一杯、小さな目を見開く。
「何か問題でも?」
「大ありでございます。ただでさえ、ずる賢い貧民どもに知恵を付けさせましたら、どんな悪行を働くか……おお、考えただけで寒気がいたします」
ドロリスは芝居がかった様子で両腕をさすった。
「俺は逆だと思う」
「はい?」
「正しい知識を得た人間は、善き行いをすると、信じているのです」
「なるほど、なるほど。面白い発想ですな」
ドロリスが大きく口を開け、ガハハハハ、と笑った。
顎の肉がぶるんぶるんと震える。
「しかし、世の中はそれほど甘くはありませんよ」
ドロリスは声を低くし、上目遣いでジョナサンを睨めつける。
「坊ちゃんは人の心を読みなさるから、そんなことが言えるんですよ」
ジョナサンは赤い瞳を柔和に細めた。
「我々下々の者が気づいていないとお思いでしたかな。嘘が通用しない相手に逆らう奴なんか、いやしません。皆、坊ちゃんを恐れているからこそ、従うのです」
ドロリスはニタリと歯をみせ笑った。
黄ばんだ前歯が露わになる。
「が、しかし、私は坊ちゃんを恐れてなどいませんよ。尊敬すらしております。だからといって、おとなしく従うつもりはありませんがね」
ジョナサンを敬う言葉を並べながら、貶している。
ドロリスが垂れ流す悪意に気づかないはずがなかろうに、ジョナサンは興味深そうに男の演説に耳をすませていた。
領主の息子という立場を振りかざし、ドロリスを断罪することは可能だ。
しかしそれでは暴君のレッテルを貼られてしまう。
よって、笑顔でやり過ごす。
正しい選択だ。
男のどんぐり眼が、ジョナサンの背後にいるシャーロットに注がれる。
視線が上から下へ舐めるように動いた。まるで品定めしているようである。
シャーロットは菫色の瞳で中年男を迎え撃った。
澄んだまなざしを前にしても、小太りの男は下卑た笑みを崩さない。
我慢できなかった。
「子供たちに知識を授けるのは私よ」
「……へ?」
シャーロットはジョナサンを押しのけ、ドロリスと真正面から対峙する。
胸の下で腕を組んで、背筋を伸ばし、宣言する。
「彼は私の計画を実行しただけ。貧民たちに学びの機会を与えるよう命じたのは、この私、アマグスタニア王国第三王女であるシャーロット・ヴェルデ・アマグスタニアよ」
「シャーロット……殿下?」
「お前、ドロリスと言ったわね。お前の商会ではどのような品を扱うのかしら」
「は……?」
「今度、城へ来なさいな。気に入った品があれば買わせていただくわ」
「へ? はあ……」
ドロリスは丸い顔全体に汗を浮かべ、ジョナサンにちらちらと視線を送った。
ジョナサンは微笑むばかりで、静観を決め込んでいる。
「ところで、先ほどのヴォルフガルト卿の言葉なのだけれど」
シャーロットはスッと目を細めた。
ドロリスは蛇に睨まれた蛙のごとく、身を縮こまらせる。
「すべて、私が口にした言葉なの。彼はただ、繰り返しただけ。この意味がお分かりになって?」
ドロリスの顔色が、青を通り越して土気色に変わっていく。
今までの暴言はシャーロットに対しての発言も同然だと匂わせる。
商人であるなら、言葉の裏を読めるだろう。
案の定、「そ、そうでございましたか……」と借りてきた猫よろしく、ドロリスは大人しくなった。
「で、文句があるなら私に言ってくださる?」
「い、いえ、滅相もございません。……用事を思い出しました。私めはこれにて失礼を」
礼もそこそこに、ドロリスはえっちら、おっちらと小太りな身体を揺らし、路地の暗がりに消えていった。
隣で、くすくすと笑い声がする。
「……謀ったわね」
「偶然です」
ジョナサンはこほんと咳払いをした。
シャーロットは腰に手をあて、
「はじめからあの男を黙らせるために、私を連れてきたのでしょう。趣味が悪いこと。……やるならちゃんと根回ししてから事を起こしなさいよ」
「したのですがね。今日とて、わざと総会の日に合わせて、殿下をここへご案内したのですが……どこかにネズミがいるようです」
城塞内に内通者がいる、ということか。
使用人の誰か、もしくは出入りするドロリスの同業者か。
どちらにしろ気分のいい話ではない。
シャーロットは顔をしかめた。
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