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第四章 母の故国に暮らす

呼ばれた先は

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 屋台巡りを再開させ、たっぷり食事を楽しんだあと。時に徒歩で、時に辻馬車を拾って、ラッセやレナートの案内で、私は王都の色々な場所へと足を運んだ。
 クルードの礼拝堂、広場での露天商や大道芸、王都で最も古い石橋。そこから遊覧船で川沿いの王都の街並みを堪能し、降りた先では遷都の記念碑や当時の王、王城設計者などの銅像を見て歴史に思いを馳せ、王の名を冠した公園で小休止。
 景観が特に綺麗で有名だと言う地区の街並みをじっくり歩き、レナートお薦めのお洒落な喫茶店で美味しい珈琲と軽食、私好みの菓子で小腹を満たすと、続いて歌劇場の大きさと歴史の長さに目を瞠って、同じく建物だけは遷都以前からあると言う大きな本屋へと向かう。そこでは城の図書館にはなかった大衆向けの本に興味をそそられて、この本屋から、いよいよ景観ではなく店巡りが始まった。

 手始めに私が気になって手に取った本を数冊買ったかと思えば、繁華街では商人の本領を発揮したラッセがここぞとばかりに女性が好みそうな店や女性に人気の店、穴場の店など、時に変わり種を挟みながら案内をしてくれて、入店した店全てで、何かしらを購入してしまった。いや、正確にはさせられたと言うべきだろうか。「妹に何でも買ってあげたい兄さん」を夢見るラッセによって。

 けれど、ただ一つ。女性向けの装飾品を扱う店では、初めて私は自分で支払って、髪飾りを購入した。自分用ではなく、人への贈り物として。
 様々な商品が並ぶ中で、不思議と目を引かれたそれ。使われている素材やデザインに込められた意味についての店主の説明を聞いて、どうしても今度の茶会に招待されている相手に贈りたいと思ってしまったのだ。
 喜んでくれるかは分からないけれど、きっとこの先、頑張っている彼女の役に立つと思うから。

「せっかくなら、ミリアムも持ったらいいんじゃない? ミリアムの分は、今日の日の記念も兼ねて僕達から贈るよ」
「そんな、いいんですか?」
「駄目な理由はないと思うが?」

 私との両手繋ぎで早々に機嫌を直したラッセとレナートは、こう言う時ばかり意気投合して、私を甘やかそうとして来る。
 けれど、友人でもないのにお揃いのものを私が持つことを、彼女はどう思うだろう。せめて気に入ってくれたあとで買った方がいいのではないだろうか――そんなことを思って躊躇していた私だったけれど、続いたレナートの言葉に、あえなく購入の運びとなってしまったのだった。

「それに、この色ならミリアムの髪にだって映えるだろう。きっとよく似合う」

 私が髪飾りを付けた姿を想像するかのように目を細め、柔らかく微笑んでそんなことを言われては、私に断る選択肢などあろう筈もない。
 私が頷いたのを合図に、それぞれを贈答用の箱に入れて包んでもらい、仕上げに髪色と同じリボンを巻いてもらう。店員に提案したのはラッセだったけれど、ぐっと見た目が可愛らしくなったそれを前にして、私はどうしょうもなく頬が緩んでしまった。
 そうして二つの箱を袋に入れ、大事に抱えるようにして、私達は店を出る。
 その頃には、ラッセもレナートもその手に買ったものが詰まった袋を抱えていて、私と手を繋ごうとはしなくなっていた。けれど、私の右側にレナート、左側にラッセと言う、手を繋いでいた時の位置だけは不思議と変わることはなく。
 この日以降、三人で出掛けた際にはこの並びがすっかり定位置となるのだけれど、そのことに気が付くのは、もう少し後のこと。

 私の午後一杯を使っての王都観光は、その後、緩やかに太陽が傾き始めるまで続いたのだった。

 *

 それは、ラッセとレナートの案内で十二分に観光も買い物も楽しみ、三人並んで再び商業地区のフェルディーン商会を目指して歩いていた時だった。

「あ……」

 私の目が、不意に一軒の店に吸い寄せられたのだ。
 隣の通りへと抜ける為の横道の中ほどに構えられたその店は、一見、何の変哲もないものだった。店構えも出ている看板も両隣の店に比べて控え目で、良くも悪くも平凡で目立たない。景色に埋もれていると言ってもいい。それに、ここがエリューガルであることを考えれば、この国の民にとっては取り立てて珍しいものでもないだろう。
 ただし、外から来た人間である私にとっては非常に珍しく、ようやく初めて目にした店で。それと分かった瞬間に、私の目はその店に釘付けになってしまっていた。
 どこか民族的な趣の外観には温かみがあり、まるで店の方から私に向かって手招きしているような不思議な感覚も相まって、自然と私の足が止まる。そして私は、横道に入ることなく通りを直進しようとしていた兄弟に、思い切って声を掛けた。

「レナートさん、ラッセさん。商会に戻る前にもう一軒だけ、見てもいいですか?」

 振り返って私が指差す先の店を見た瞬間、何故かレナートは驚いたように微かに目を瞠り、ラッセはそんなレナートを窺うように顔を向けた。
 目にした二人の態度は、控えめに見てもいい反応とは言えない。

「駄目、でしたか……?」
「ううん、駄目ってことはないよ。ないんだけど……どうしよっか、兄さん?」
「どうもこうも。この位置であの店に気付いたなら、ミリアムが『呼ばれた』んだろう。そう言う時は従った方がいい。約束の日より早いが、俺から店主に話してみよう」

 ここで待っているようにと言うが早いか、レナートの足が店へと向かう。
 その際、笑って帽子越しにぽんと私の頭に触れて行ったレナートは、正しく私がこの状況で抱いた気持ちを見抜いたのだろう。言葉はなくとも、気にするなとのレナートの気持ちがはっきりと伝わって、私はその姿が店内へと消えるまでじっと見送ってしまった。
 そして、すっかりレナートの姿が見えなくなってから、ようやく隣に立つラッセを見上げる。

「ご迷惑をおかけしてすみません、ラッセさん」
「謝ることなんてないよ、迷惑なんて思ってないから。むしろ、ミリアムを変に不安にさせちゃって、こっちこそごめんね。実は、あの店には別の日に訪問する予定を入れてたんだ。だから、今日は案内するつもりがなくて」
「そうだったんですね」
「でも、まさかミリアムの方からお店を見つけちゃうなんて、驚いたよ。よく気付いたね」

 感心するように言って、ラッセが店へと顔を向ける。その体の向きは、先ほどまでの進行方向とは逆だ。その方向からであれば、店は苦もなく見える。けれど、逆から歩いて来た私達には、わざわざ横道にある店を確認しようと言う意思を持って顔を向けでもしない限りは、気付かず通り過ぎただろう。言われてみれば、私はよくあの店に気付いたものだと思う。
 先ほどレナートは、私が「呼ばれた」のだろうと言っていたけれど、それは私の目が店に吸い寄せられ、店から手招きをされているように感じたことを指すと考えていいのだろうか。
 いや、今もまだ、店へ視線を向ければどうしようもなく心が疼いてしまう辺り、呼ばれ続けているのだろう。これでもし、店主に今日は都合が悪いから約束した日に改めて、と断られたら、自分ではどうしようもないこの気持ちは、一体どうなるのだろうか。
 そんなことを思っていると、店の扉が開いてレナートが顔を出した。そして頷き、その手が店へ来るようにと示す。

「よかったね、ミリアム」
「はいっ」

 途端に、店から「ようこそ!」と聞こえる筈のない歓声が聞こえた気がして、私は逸る気持ちを押さえて店へ向かって足を踏み出した。
 レナートが待つ店の扉を潜れば、たちまち豊かな木の香りと微かな香油の香りが鼻を掠める。そして、外観と違わぬ温かみのある店内の内装が、私の目に飛び込んで来た。
 見る限り私達以外に客はおらず、扉が閉められた店内は心地よい静寂と温もりに包まれて、不思議とほっとする。その中で、陳列台だけでなく天井からも所狭しと商品が吊り下げられたそこは、これまでのどの店よりも独特な雰囲気があった。

 アルグライスにいたままであれば、決してお目にかからなかっただろう――お守りの数々。祈願祭で見た出店の何倍もの種類のお守りが並べられた店内は、他にも、布や糸、木片や石、留め具に革紐、細鎖など、一からお守りを作る人の為の材料と思しきものまで売られている。
 天井から下がっているものの多くは乾燥させた植物だったけれど、中には流木の欠片や猪の頭部の剥製、鹿の角、熊の毛皮、干からびた魚と言った用途不明のものまであり、そこだけは一種異様な空気を漂わせていた。
 けれど、恐らくはそれらもお守りの材料となるものなのだろう。だってここは、お守り屋なのだから。どう使うのかは、皆目見当がつかないけれど。

「いやはや……まさか、こんなに早くお目にかかれるとは」

 陳列棚の向こうから若い男性の声が掛かり、一拍を置いて、生成りのローブを纏った糸目の笑顔が私の前に現れた。

「いらっしゃいませ、リーテの愛し子」

 目覚めたばかりの朝の鮮やかな空の色を何倍にも薄めたような髪色、人よりわずかに先端の尖った耳。明らかに人とは異なる容姿が、真っ先に私の目に入る。そして、瞬間的に目の前に現れた人物が聖域の民だと理解した私の足が、私に対する呼び掛け以上の驚きで、反射的に半歩下がった。

「おっと、驚かせてしまいましたか。これは失敬」
「あ、いえ……」

 私が自分の行動を反省するより前に相手の方が一歩後ろに下がり、慇懃な態度で軽く頭を下げる。けれど、その態度が逆に私を申し訳ない気持ちにさせた。
 少し考えれば、この国にしかない、はっきりとした効力を宿したお守りを作り、販売する人がただの人間である筈がなかったのに。もしかしなくとも、今の私の反応は、彼らに対してとても失礼だったのではないだろうか。

「こちらこそ、失礼いたしました。聖域の民の方にお目にかかるのは、初めてだったので……」
「おや、初めて? それは……」

 私の言葉に何故か驚き、彼の糸目がわずかに私から逸れた。一拍、何かを考える間を置いて、私が瞬くと同時に気を取り直すように再びその口元に笑みを灯す。

「ああ、いや、失敬。あなた様の目に最初に映った聖域の者が私とは、実に光栄です。私はこの店の店主をしております、ウゥス・トゥウルと申します。以後お見知りおきを、リーテの愛し子」
「ウゥス、様」

 聖域の民は長命故に、その外見と実年齢とが等しいことは稀である――文献のそんな一文が不意に出て来て、私は緊張しながら差し出された手を握った。

「いやはや、実に礼儀正しいお方だ。ですが、一介の店主にそのような敬称は不要ですよ。必要以上に畏まられるのも、私の性に合いません」
「では、ウゥスさん……?」
「はい」

 糸目が実に嬉しそうに微笑む様に、私の中の緊張も解れていく。
 ウゥスのその見た目は、レナートよりいくらか年上のように見えた。けれど、彼が纏う雰囲気は遥かに年老いて感じられ、その見た目からは想像もできない長い年月を生きているのだろうと想像させる。それなのに、糸目が柔らかく笑んだ表情は優しく親しみに溢れて、私達人間と何ら変わりない存在のようにも思えた。あの日会ったとは、全く正反対で――

「さて、リーテの愛し子」
「――っ!」

 ウゥスに呼ばれて、私ははっと我に返る。気付けば握手をしていた手は既に解かれ、ウゥスも次の話題へ移るべく、私から一歩引いた位置に立っていた。

「もしや、一日観光されてお疲れですか?」
「い、いえ。そんなことは……ありません」
「そうですか。とは言え、女性をずっと立たせておくわけにもいきませんから、椅子をお持ちしましょう」

 止める間もなくウゥスがくるりと背を向けてしまったのを見て、私はわずかに項垂れる。
 思わずぼうっとして、思考をどこかに飛ばしてしまっていた。ウゥスの姿に何かを思い出したような気がしたのだけれど、自分が何を考えていたのか、呼び掛けられた時の驚きですっかり内容が飛んでしまって、さっぱり思い出せない。
 自分からこの店に行きたいと強請り店主にも快諾してもらったと言うのに、もしかすると、私は思った以上に実は観光で疲れてしまっているのだろうか。店の側に呼ばれたような気がしたとは言え、こんな状態で店を訪れては、逆に迷惑だったかもしれない。
 相変わらず、私はどうしてこうも周りに迷惑をかけることしかできないのか。ひっそりとため息を吐けば、私の背にレナートの暖かな手が触れた。

「ミリアム、本当に平気か? 君が『呼ばれた』なりの理由はあるんだろうが、君の体調を無視してまで、それに応える必要はないんだからな?」
「兄さんの言う通りだよ、ミリアム。この店には元々別の日に来る約束をしてたんだし、無理することないからね?」

 二人から口々に私の体調を心配する言葉を掛けられて、ますます申し訳なさが募る。けれど、二人が心配するほど、自覚する疲労があるわけではないのだ。むしろ、この店に来られて、こうしてウゥスと会えたことを嬉しいと感じている自分がいる。
 だから、私は二人に向かって大丈夫だと笑った。

「お二人共、ありがとうございます。でも、無理はしていません。体調も悪くありませんから」

 特に、私の表情から色々と読み取ってしまうレナートに向かっては、心からの気持ちを込めて大丈夫だと念を押す。そこに嘘はない。
 そんな私の気持ちが通じたのか、表情から無理をしていないことは本当だと読み取ってくれたのか。私と目を合わせたレナートは、一言「そうか」と頷いただけで、それ以上何かを言って来ることはなかった。
 そこに、ウゥスが椅子を持って戻って来る。

「あなた様を『呼んで』しまったのは、恐らく私の風でしょう。朝から随分そわそわと騒がしくて、聞いてみればリーテの愛し子が街を散歩していると。きっと、彼らはあなた様にお会いしてみたかったのでしょうね。昨日は息を潜めていたと言うのに……困った者達でして」

 やれやれと零したウゥスが、何もない中空に向かって手を掲げる。そうすれば、そこにあるものは見えない筈なのに、私には何かが集まっていく様子がはっきりと分かった。やがてすっかり集まり終えたところで、見えない何かが今度は一斉に私へと向かう。
 つむじ風のような柔らかな空気の流れを頬に感じたかと思ったら全身が風に包まれ、その流れに持ち上げられるように、私の体がふわりとその場に浮いた。

「えっ?」

 そしてウゥスが持って来た椅子の上へと音もなく座らされ、最後に、被っていた帽子が小さな突風に巻き上げられて、レナートの手の中に静かに納まる。
 あとには、店内へ最初に入った時のような穏やかな静寂だけが残された。

「まぁ……」

 あまりのことに、私は座ったまま目を丸くしてウゥスを見上げることしかできない。そのウゥスからは、悪戯が成功したと言うよりは私の反応に至極満足したような笑みが送られ、私はゆっくり目を瞬いた。

「お気に召していただけたようですね、リーテの愛し子」
「今、のは……?」
「何と説明いたしましょうか。私の祖は、揺蕩う東風ウゥーロスと申す神でして、風と少しばかり意思疎通ができるのです。今のは、それの応用……とでも思ってください」
「凄い……!」

 意思疎通の応用と言われてもいまいち理解はできないけれど、要は、ウゥスは風を自在に操れるのだろう。神の力を宿す者は、ただの人にはできないことが成せてしまうのだと言うことだけは、はっきり分かった。
 ウゥスは控えめに言うけれど、それはまるで、昔読んだ冒険小説に出て来る空想の人物が、そのまま目の前に現れたかのようだ。
 神の力を宿す聖域の民とは、こんなにも凄いことを成せてしまう存在だったとは。そんな人物を目の前にしていることに、私の中に今更感動が押し寄せる。

「凄いです、ウゥスさん!」
「いやはや、あなた様にそんなに喜んでいただけるとは光栄です。ではもう一つ特別に……と行きたいところですが、あまり脱線しすぎてもいけませんから本日はここまでにして、我が店を楽しんでいただきましょう」

 そうしてウゥスが示したのは、私のすぐ左手。お守りの材料が所狭しと並ぶ陳列台だった。
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