天蕾神記

神夢久羅の章

現人神、顕現。

その時、地の底に網のように絡まった神樹の根が、静かに蠢き始めた。
まるで呼吸をするかのように、ゆるやかに、しかし確かに。

「ここに撒き散った。八千矛の血肉、骨粉、髪の毛一本に至るまで。集めよ、神樹」

神樹が呻くような軋みをあげる。
やがて、根の一本一本が地を割り、土を割いて、何かを探るように伸び広がった。

ヤチホコの霧散した肉体の破片。
血肉、骨、爪、髪の一本に至るまで、神樹の根は探り当て、それらを絡め取っていく。

地の中から、神樹の根まで吸い寄せられたのは、赤黒く染まった粘土。

それがひとつ、またひとつと積み上げられ、まるで陶工が神像を彫るように、ヤチホコの姿を象っていく。

血管には根が這い、神経には蔓が溶け込み、骨には神樹の芯が通される。
地神の神威が、それらを支え、繋ぎ、命の形へと組み上げる。

「これは我が依代となる肉。されど、意志は己の物。努努ゆめゆめ忘れるな、八千矛。」

血溜まりの中、徐々に形を成した八千矛の眼が、ゆっくりと開いた。

かつてのそれよりも深く、燃えるような黒が、中心に宿っている。

再構築され、神威を帯びた身体は、かつてよりも遥かに重く、熱く、強く。

やがて静寂の底に、心音のような脈動が走った。

どくん。

神樹の根がうねるたび、かつて八千矛であったものの肉体が震えた。

まだそれは仮初の器にすぎない。だが、すでに人知到達しうるその枠を超越していた。

血は根から吸い上げた神威と混ざり合い、骨は霊木の芯を受け入れて硬質の輝きを帯びる。

荒覇吐の声が、神域全体に染み渡るように響いた。

「成れ。」

神樹の根が最後の一筋を引き寄せる。

八千矛の心の臓、霧散の瞬間に散り散りに砕けたそれが。

根の芯で強かに織り上げた繭に包まれ、神器の中心へと据えられた。

そして。

御魂は神の依り代となって、脈動を取り戻した。

その瞬間、神夢久羅の地下に奔る神気が炸裂する。

根は唸りをあげ、地脈が鳴き、光なき深淵に稲妻が奔る。

封じられていた狂い神の一片が、ヤチホコの魂に降り立つ。

ヤチホコの両瞼が、ゆっくりと開いた。

荒覇吐の神威が静かに、八千矛に重ねられていく。

体の隅々が灼けつくような痛みに軋み、脈動が爆ぜる。

その度に、肉体が、魂が、溢れんばかりの神威に値する神器へと鍛え上げられていく。

神に壊された童子はいま、神を穿つ矛として、転生するのである。

「名を問うな。意志を問え。貴様は、我が依代にして、斬り裂き貫く矛。神を、穿つと誓う、叛逆の核そのものである。」

神と人の狭間に産まれ落ちた、忌まわしくも美しき、神剣。
その再誕の瞬間に、森が、風が、微かに身を震わせていた。

神夢久羅の闇が、引き裂かれた。

森の地下深く、かつて命も届かぬとされた地の底から、一筋の太い神根が、地上に向かって貫きあがった。

地表を覆っていた腐敗と瘴気が、根の出現とともに逆流し始める。朽ち果てていた大樹の骸が軋みを上げ、枯れかけた葉がざわめいた。

神々しいさざめきが、暫く後穏やかに落ち着きをみせた頃。

夜刀神が立ち尽くす黒き瘴霧漂う神夢久羅の地に、もう一つの影が、根の上に立っていた。

神夢久羅より顕現せし現人神あらひとがみ、八千矛である。