怪談

馬骨

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山の禁忌シリーズ

山の禁忌 -終-

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 途切れた意識が、しばらくして復活した。
 視界の全体にはまだモザイクがかかっている。ゆっくりと、そのモヤは晴れていく。

 父が俺の肩を強引にゆさぶっていた。そその傍らでは母が、涙を流しながら必死の形相で俺の名前を叫んでいた。

 親によれば、あの後から自分はそのままの姿勢で気を失っていたらしい。

 呆けた老人のように口をあんぐりと空けていて、垂らした涎が枕を濡らしていたのだと。
 開いたままの目は焦点を定めておらず、いくら呼びかけても何も反応しなかったと。

 母親から泣きながらそう言われた。

 体には何の異常もなさそうだった。
 吐き気も、めまいも、頭痛もない。
 だが。

 明晩の出来事は、鮮明に頭の中にこびりついていた。

 その日の十時半頃、両親は俺を病院に連れていこうとしたが、本当に何も無いからと、無理にふりきって、友達と遊びに行くと言って家を出た。

 無論、友達との約束などはない。
 急いで身支度をして家を飛び出すと、俺は一目散に最寄り駅へ向かった。

 目的地につくと、深呼吸をして空を見上げる。既に日は高く登り、登山客が駅前に多く人集りを作っていた。
 眼前にそびえる山は、昨日と何ら変哲のない姿で、悠然とそびえ立っている。



 今朝、意識を取り戻した俺は、昨日の夜にかかってきた橋本からの電話を思い出して、携帯を開いた。

 すると、あの電話の以前に、何件もメールが届いていたことが分かった。
 その中には、いくつかの奇妙な文言が書かれていた。



 17:54 『ゆうとー』

 17:59『バッグの中みた?』

 18:15『返事しろよー』

 18:51『既読遅いから先にネタバレしとくわ笑笑』

 18:53『今日登った山の途中で、けもの道あったじゃん。あそこの石っころ、お前のバッグに入れちゃった!笑笑笑』

 19:24『お前既読遅いって』

 19:43『見たら連絡よろ笑笑』



 0:00『行ってくる』



 これを見た俺は急いでバッグの中を確認したが、そんなものはどこにもなかった。

 幾分冷静になった頭の中で、俺は考えを整理した。
 大方、昨日来たナニカは、それを取り返しに来たのだろう。
 そう考えれば、『オレノ…』という発言にも、なんとなく合点が行く。

 そして、一番気になるのは今日の午前零時きっかりに、『行ってくる』とだけ書かれたメールだった。
 嫌な胸騒ぎがした。

 今日この山に来る途中で、俺は橋本の家を尋ねた。
 アパートのチャイムを鳴らすと、出てきたのは彼の母親だった。

 俺が橋本がいるかと尋ねると、


『それがね、今日の朝気づいたらいなくってね。まぁどうせまた夜遊びして昼頃戻ってくるんだろうけど。』


 適当に返事を返したが、顔は青ざめていたんだろう。調子が悪いのと聞かれたが、大丈夫ですからとその場を後にした。

 なぜかは分からないが、橋本がこの山に向かったような気がした。

 登山客の群れをすり抜け、山の中腹を目指す。

 あのけもの道があったところまで、そろそろといったところか。緩い傾斜をひたすらに登っていく。

 だが、もうすぐのはずとと登り続け五分、十分経てど、それは姿を表さなかった。

 登れども登れども、あのけもの道も、小石の列すら影も形も見当たらなかった。

 嫌な汗が滲んできた。
 ふと足を止める。
 なんとはなしに空を見上げると、着いた頃に空を覆っていた灰色の雲はどこへやら、昨日にもまして快晴の陽気になっていた。

 それを見ていると、何となくさっきまでの陰気な気分が薄れてきた。
 そうすると、やはりまだ熱にうなされていたようだった頭が冷えてきた。

 そうだ、昨日のことも夢に違いない。
 あいつの事だ。どうせ母親が言うように夜遊びでもしてるんだろう。
 あいつがここに一人で来るなんて、有り得るはずもないんだから。

 そう思うと、急にここが登山道であることを自覚しだした。
 せっかくだから、山頂まで登ってから帰ろうかと、歩みを始めようとすると、視界の端にきらりと光るものがあった。

 土と雑草で埋め尽くされた山肌の細枝に、何か光るものが引っかかっている。

 緑と焦げ茶で塗りつぶされた空間には不釣り合いな、派手な蛍光色の紫と銀色の。

『あ…あれ…』

 絶句した。

 片方だけのスニーカーが、薄汚れた靴底を青空に向けて埋もれるように落ちていた。

 昨日、橋本が履いていた靴だった。

 急いで駆け下りて、確認する。

 何人かの登山客の白い目線が、上下の山道から突き刺さるが、そんなことどうでもよかった。

 間近で見ると、確かにそれは昨日見た橋本のものだった。
 土塊を払い、手に取って確かめる。

 べちゃ。

 手のひらに嫌な感触が伝わった。
 湿った泥か。

 そう思って拭こうとすると、手のひらには真っ赤な鮮血が付着していた。
 声にならない叫び声を上げて、スニーカーを放り投げる。

 宙を舞ったそれは地べたに垂直に、履き口を上にしてストンと落ちた。
 その時初めて、スニーカーには血が付いていたのではないことに気がついた。

 それを拾いあげた時の、変に重たい感触と、鼻腔にひっそりと漂った鉄棒のような匂い。

 スニーカーの中には、持ち主の足のくるぶしから先が入っていた。

 ちぎれた断面から、食いちぎられたような白い骨と肉が覗いていた。

 もはや、限界だった。

 その日俺は、山頂から山の麓まで達するほどの絶叫を上げた。

 警察が現場にやってきたのは、それからすぐの事だった。
 放心している俺を気にかけた登山客の何人かが、そのままの状態で置かれたスニーカーを目にして、急いで通報した。

 辺りには規制線が引かれ、登山客は別のルートで昇り降りを命じられた。

 山のすぐ麓の交番に連れていかれた俺は、警察官の質問に事細かに答えた。

 昨日の夜、橋本から不可解なメールと電話が掛かってきたこと。
 その直後、得体の知れない何かが部屋に入ってきたこと。
 それから山道を歩いていると、恐らく彼であろう足が入った靴を見つけたこと。

 意外にも、第三者からすれば戯言以外の何物でもない俺の話を、年配であろうその警察官は何度も首を傾け、真剣に聞いてくれた。

 全て話しをし終わると、その人はゆっくりと目をつぶり、
「奥田くん、ちょっと待っててくれ」
 と、奥の部屋へ姿を消した。

 どうやら誰かと電話で喋っているらしい。

 途切れ途切れに警察官の心配そうな声と、焦るようにまくし立てる声が交互に聞こえてくる。

 ぽつんと一人その場に、取り残されたような不安を感じた。
 手にはまだ、あのスニーカーの生々しい重さの感触が残っている。

 悪寒に襲われ、思わず身震いをするとちょうど警官が部屋に戻ってきた。

「ごめんね、待たせてしまって。」
「いえ、大丈夫です。」
「奥田くんは何歳だったかな。」
「今年で十六になりました。」
「そうかい」

 そう言って警官は、皺だらけの顔で微笑んだ。
 少し安堵した俺は、思い切って気になっていたことを尋ねてみた。

「あの、なんなんですか、あれ。」
「あれって言うのは、君の部屋に現れたそいつかい?」
「それもそうですし、僕らが見たけもの道も。あんなもの前に登った時はなかったし、今日だって散々探したけど、なかった。あれは…あれ…」

 言いかけて、おぞましい記憶がフラッシュバックして、首から頬にかけて鳥肌がたち始め、体の震えがよみがえってきた。

 言葉に詰まっていると、警官がゆっくりと口を開いた。

「申し訳ないけど、その質問には答えられないんだ。それに加えて、君に二、三伝えておくことがある。君は二度とこの山に来てはならない。そして、その理由、ここで起きたこと、その全てを、詮索しちゃならない。」

 さっきの温和な顔が失せ、脅迫するような形相になっていた。
 気迫に押され、首を縦に振る。
 身震いがいつの間にか治まっていた。

「今日はもう帰りなさい。そして、二度とここには来るな。」

 言われるがままだった。

 それから数日して、怪事件の被害者として日本中にその名が知れ渡った橋本は、結局行方不明のまま処理された。
 第一発見者はあの警官で、山道を巡回中にたまたま見つけたということになっていた。

 事故発覚後、あれだけ取り立てたマスコミも、一ヶ月ほどすれば呑気に都市部の新しいブランド品の紹介などしている。

 橋本の家族が住んでいたアパートの部屋は、しばらく報道関係者がおしよせていたが、二週間後には、嵐が去ったように空き部屋となっていた。

 そうしてまた、普通の生活が戻った。
 まるで、橋本など最初からいなかったように。



 橋本の靴を見つけたあの日の、帰りの電車の中でふと、思い出したことがある。

 昨日、けもの道をみつけ、携帯を構えたあの時、その奥から吹いてきた風。

 あの、嫌な湿り気を含んだ、淀んだ空気は。

『吐息…?』

 今もあの山では、何かがどこかで、ひっそりと大口を開け垂らしたヨダレをそのままに、誰かを待ち構えているだろうか。

 その奥では、旅人を待ち受ける何かが、息を潜めているのだろうか。

 これまでも、これからも。
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