怪談

馬骨

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丹後新太シリーズ

****は、霊能者。

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「…終わったか」

歩道橋の端に繋がる石段の中腹に腰を下ろしていた都筑が煙草を吹かしている。

紫煙をひらひらと手で仰ぎながら、そこら中にばらまいた。煙は吸い込まれるように石段の上へ連なる低山の入口へと、消え失せた。

「通話が切れた。着信履歴にも痕跡無し。LINEの連絡先からもきれいさっぱり、伊藤のだけ無くなってる」

「ほー。初めて見たがこりゃ面白い。立つ鳥跡を濁さずってやつだな」

「胸糞の悪さは残ったけどな」

「ケハハ」

痛快な笑い声で都筑の細長いシルエットが街灯に浮かび上がった。

俺は今まで立って喋っていた歩道橋の道筋を振り返る。がらんどうのさびれたアスファルトの上には、何もいない。

「結局何処からかけてきてたんだろうな」

吹き抜ける風が秋の訪れを告げている。
車の走り去る音の中で都筑が呟いた。

「もしかしたら、あの教室からかもな」

都筑は俺の返答に何の反応も見せなかった。ただ、石段のすぐ下で、俺の後ろにまっすぐ伸びる歩道橋の先を眺めている。

「おい、帰ってきたぞ」

都筑の声が、駆け抜ける車の走行音の中、こだまする。

すぐに振り返った、その向こうから足音が聞こえてきた。

十、二十、もっと多くの雑然とした足音。

何かが近づいてきた、近づいて、近づいて、通り過ぎて、過ぎ去った。

その中に、微かに伊藤の気配がする。思わず、山への道を振り返りそうになる。

「連れていかれるぞ」

すぐ後ろで都筑が呟いた。わかっている。
視線をそのままに、その場で足音が収まるのをただ待っていた。


伊藤は俺に出会った頃から、とっくに死んでいた。


顔も見たことの無い同級生が死んだという知らせを聞いたのは、去年の末頃だった。全校集会で沈鬱な面持ちをした校長が、隣のクラスの伊藤康太が亡くなった事を告げた。

町はずれの豪勢な一軒家で火事があったことは知っていたが、焼け跡の中で見つかった遺体が、伊藤康太であったことを知るのは、それからしばらくしてだった。

その日も、翌日も、翌々日も、そして半月が経って尚、校内は彼の話題で持ちきりだった。

無理もない、伊藤康太の死因は『自殺』だったというのだから。加えてそれが、彼のクラス内で彼に対して行われていた『いじめ』が原因だったのだから。

彼は自分が死んだあと、時間差で家に火が付くような細工をして死んだという。
自室で首を吊った後、自分の死体のすぐ下に放置されていた衣類が巻きつけられたアイロンから生まれた出火は、彼の遺体を養分として伊藤邸を侵食し、その三分の二を灰塵と化した。

彼が自殺したといの一番に知ったのは、検察でもなければ、家族でもない。彼のクラスメート、二年二組の全員である。彼は、自分の遺書をグループラインに公開していたのだった。

加えて進級した後も、彼に対する話題が止むことはなかった。彼を取り巻く話題に、新たな火種が生まれたのだ。

「三年二組には、伊藤康太の霊が出没する」という、格好の火種が。

新クラスにばらばらと点在していた元二年二組の連中の話では、昨年末に亡くなった伊藤が化けて出るというのは、どうやら本当であるらしかった。

授業中、手を挙げていた生徒がいつまでたっても名乗り出なかったり、センサー式の男子トイレで誰もいないのに水の流れる音やらがしていたり、新クラスのグループラインでは「ITOdesu」というユーザー名のアカウントが時折発言していたりと、怪奇現象に事欠かなかったらしい。

そして運の悪い事に、伊藤の霊が出没する三年二組のクラス担任は、旧クラスの引継ぎである気の弱い女教師だった。

自分のクラスでいじめによる自殺者が出たことでただでさえ参っていた精神に、彼女は最悪の追い打ちを食らった。死んだはずの生徒が何食わぬ顔で自分の授業を受けている異様な有様を、教壇からまざまざと見せられたのだ。

結局、彼女は半狂乱になって授業中に失踪。

当時の現場を知る生徒が言うには、彼女は教室の隅を指さして、『真っ黒な伊藤君がいる!』と、叫びだしたそうだ。

いくらお堅い学年主任と言えど、この特別極まりない状況に、何かしら対策を講じる必要に迫られていた。そこで当初三年四組に編入していた俺と、三年二組のなる眼鏡生徒とを入れ替えるという暴挙に及んだ。

建前としては大人の都合というやつだったが、本音のところでは、まことしやかにささやかれていた噂に、藁へもすがる思いで飛びついたのだろう。

『三年四組には、本物の霊能者がいるらしい』

俺が三年二組に編入して最初に受けた印象は、『暗い』だった。

単に雰囲気が暗いというより、何か人間の陰鬱な感情からくる気持ちの悪い空気が蔓延っていた。それは単に、伊藤が出没するから言うより、伊藤に対する一種の恨みのようなものを、ほぼ全員が抱えているように思えた、

恐らくは、伊藤が亡くなる前から。

それから俺は、生前全く関わりがなかった伊藤康太という男の人物像をなぞっていった。

彼を知る人間から出たのは、彼に対する悪評の数々だった。

「空気が読めない」、「粗野で乱暴」、「頭が悪い上に底意地も悪い」、「能力がないくせにプライドだけは一丁前」、「無意識に他人を見下す癖がある」、「嘘つきで見栄っ張り」etc.

途中からまとめていたノートを鼻紙にでも使ってやろうかというぐらい、彼に対する評価は一転して、「嫌な奴」だった。

ただそんな中でも、一人だけ彼を擁護したものがいる。吉川葵だった。

吉川もまた、その地味で目立たない特徴か、はたまたどもり気味の喋り方からか、学年の群れの中では伊藤とは別の意味で浮いており、旧クラスでは唯一の話し相手が彼だったらしい。

「い、伊藤君は、悪い人じゃないよ」
「いい奴だったか?」
「少なくとも、わ、私にとってはね」

まごついた手つきで何とか言葉を紡ぐ吉川に嘘は感じられなかった。ニッチな趣味を持つ彼女にとって、伊藤は良き話し相手だったらしい。

ただ伊藤がそう思っていたかというと、それもまた謎である。

伊藤が死ぬ前に残した件の遺書に、吉川に残した言葉は一つとしてなかった。

にもかかわらず初めて伊藤が俺に話しかけた時、奴は自然と俺のことを「吉川君」と、そう呼んだのだ。当の俺は、吉川がいた席に座っていただけなのに。

地獄の只中に蜘蛛の糸を垂らされたカンダタが、良心を取り戻さなかったように、奴もまた、吉川を自分が群れの中で孤立しないための道具としてしか見ていなかったようだ。

吉川は、オカルトマニアではない。吉川は、裸眼ではない。吉川は、背丈が自分と同じくらいではない。吉川はそもそも、男ではない。

そんなことでさえも、伊藤は忘れていた。

死ぬ直前、伊藤はただひたすらに、自分を自殺に追い込んだ周囲の人間に対する悪罵を遺書としてグループラインにぶちまけていた。唯一彼に寄り添っていた吉川でさえ、伊藤にとっては自分の話に都合よく相槌を打つのみの赤べこ人形のようなものだったのだろう。

加えて、彼が文中に使った『いじめ』というものが行われていたかと言うと、実の所それは伊藤の勘違い、もしくは被害妄想である可能性が高い。

というのも、聞き込みの結果、昨年彼のクラスであり、彼が言ういじめの主犯格であった者たちは、彼に対してなにか攻撃を加えたりした事が一切なく、単純にウマが合わないから避けていたに過ぎないと話してた。

それを裏付けるように遺書の中身も、具体性に欠けており、『陰で悪口を言っているに違いない』だとか、『俺を悪者に仕立てあげている』などの、ほぼ彼の憶測による記述がそこかしこに見られた。

そんな、己の行動で自ら周りを遠ざけた者が、逆恨みによって三文芝居のような末路を辿り、さんざ掻き回した挙句、また何事も無かったかのような顔をして、席に座っているのである。

最初こそ驚いたであろうが、慣れてくると三年二組諸君の怒りたるや、甚だしいものであっただろう。

恐らくは、彼らの尋常ならざる瘴気に触れて、具体的な形を持ってしまった伊藤が、いつからか、怨みを忘れ、復讐ではなく、日常を望むようになってしまい、その場に居座るようになった。

都築は俺同様、霊感を持ち、幼い頃からそういった物を見てきたらしい。ただ、俺と都築が徹底的に違うのは彼がそれらとの邂逅を楽しむ点にあった。

都築はこの話を聞いた当初から、『俺も一枚噛ませろ』と言って聞かなかった。

もちろん、俺の友人であるというだけで、全く俺の高校との接点がない彼に協力の術はなかったので、一人で解決する気でいた。

ただ伊藤は、何度誘ってもあの教室から離れていて、かつ人の念が届かない僻地に赴くのを良しとしなかった。それどころか最近は自分との対話すら嫌うようになっていた。どうやら、本物の吉川と違って、うまく言いくるめることができない存在は好みではないらしい。

気付けば伊藤と対面してから、三か月が経っていた。はたから見ればだれも座っていない席に、饒舌に語り掛ける俺を見る、三年二組一同の白い目がそろそろ気になっていたころだった。

仕方なく俺は、除霊のプランを全て都筑に一任することにした。

都築は言った。
「舞台は町外れにある、山と山を繋ぐ国道の歩道橋だ。今日まで何も目立った噂は無いが、あそこはガチだぞ。行って確かめてみたが、かなりヤバい」

実際は、歩道橋がと言うより、東側に連なる山が肝だった。足を踏み入れる前の、少し視界に入った程度で、あそこには何かがいると、肌感で感じた。

なにかがとぐろを巻いて、ヨダレを垂らしながら次の犠牲者を待っているのだと。そんな不吉な予感があった。

「いいか。もし何かが聞こえたり、呼ばれたりしても絶対に反応するなよ。いくらお前とは言え」

「わかってる」

そうして、妙な除霊が始まったのは九時きっかりの時間だった。

携帯から不愉快なノイズ音が流れ始めた。着信音でもない、通知の音声でもない、低い雄たけびのような声。

都筑のマッチをこする手が、少し震えている。寒さのせいではないのがすぐにわかった。

いつのまにか鳴り始めていた騒々しい足音の最中、俺は携帯の端末を耳に当てた。

「もしもーし!聞こえてるー?」

*********************

「さ、事が済んだことだし、もう帰るとするか」

都筑があくびを噛み殺しつつ、帰路に就こうとしている。

俺はというと、少しだけまだその場に留まりたい気もしていた。

振り返った先には、さっきの影すら差さない闇はとっくに薄まっていた。何の変哲もない石段の先には、ぽつりぽつりと街灯の光が差している。

俺のしたことは、果たして正しい事だったのだろうか。

社会の嫌われ者を、それでも最後まで縋り付いていた除け者を、魑魅魍魎渦巻く怪闇の中へ、永遠に追放したのだ。



「なぁ伊藤、俺の名前。最後に教えておくよ」



吉川



暗闇の中、声が聞こえる。



おいで



呼んでいる、俺を。



おいで。おいで。おいで。



誘っている。常闇の深淵へ。



おいで。おいで。おいで。おいで。おいで。おいで。おいで。おいで。おいで。



丹後新太たんごあらただ。じゃあな、伊藤」



燻ぶった紫煙の中、伊藤の顔がぼんやりと浮かんで、消えた。
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