泡沫の記憶

鈴燈

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雨の記憶 翠雨

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 その後、LINEを交換したらすぐに帰してもらえた。
 家に帰ってすぐ歯を磨いて、液体歯磨きを使って何度も口を濯いだ。それでもキスの感触は消えない。なかったことにもできない。
 鏡に映る私は、涙を流している。キスをされたことが頭から離れない。どうして断れなかったのか、考えれば考えるほど、消えてしまいたくなる。
 気分を変えようとケータイを開くと、ホーム画面には『今日はありがとう。今度はもっといられるといいね』の文字がある。私は『そうだね』と気のない返事をしてSNSを開いた。
 しばらくSNSを見たのに、全く気分転換にならない。どんどん死にたいが膨らんで、本棚の奥の薬に手を伸ばす。そして、容器に残った三分の一の量を、なんの躊躇いもなく一気に飲んでしまった。
 
 気がつくと、外は明るくなっていた。時計の針は午前七時三七分を指している。学校の準備をしなければと思ったが、どうにも起き上がる気力が無く、布団に潜り込む。
 意識が薄れ始めた頃、ケータイの通知が鳴った。布団から手を伸ばし開いてみる。メッセージだ。いつも一緒にいさせられている四人組グループの一人からだった。
 『今日中に提出のレポートあるじゃん?何書いた?見せてくれない?』
 あぁ、私のレポート写すつもりだ。私の頑張りを自分のモノにしようとしてる。むかつく。
 私は嫌になって『ごめん、まだ終わってない。それに今日学校休む。気分悪い』と送った。本当はレポートも終わってるし、気分が悪い訳でも無い。自分の頑張りを取られたくないし、何より今、誰にも会いたくない。
 『そっかぁ。あ、もしかして仮病?笑 私も休もっかなぁ笑笑』
 こんな返事が来た。『違うから、勝手な勘違いすんな』思わず、そう送ってしまいそうになった。でも、これ以上長くチャットを続けたくなかったので『うん、まあね笑』と送り、ケータイを閉じた。
 誰も私のことなんて分かってくれない。知ろうともしてくれない。それどころか利用対象としか思ってない。私の存在価値なんて、無い...。
 枕が一瞬、冷たくなった。顔が熱くなって、息が苦しい。自分が泣いてることに気がつくのに、少し時間がかかった。
 
 次に気がついたのはお昼だった。いつの間にか寝ていたらしい。寝過ぎたからか、薬を飲んだからか、頭がズキズキする。
 起き上がって、窓の外を見る。真っ暗だった。窓には雨が打ち付けていて、雷も鳴っている。天気予報では曇りだったのに。
 テレビをつけて、何か面白い番組が無いか探してみたが、何も無い。直ぐにテレビを消して、ベッドに寝転がる。ケータイを開いて、SNSを徘徊している。暇潰しにとゲームをインストールしてやってみるが、どうも面白くない。
 小腹が空いて、ご飯を作ろうと思い立ったのは午後七時頃だった。それまではずっと、何をする訳でもなくただぼーっと意味の無い時間を過ごしていた。
 何を作ろうかと、冷蔵庫の中を見ているとケータイの通知が鳴る。手に取ってみると、晴一からだった。晴一とは、昨日の男の名前である。
 『これから会えない?』
 なんだか嫌な感じがした。今日はなにかされるんじゃないかと思った。
 『これから?』
 そう返すと、『うん笑』とすぐに返事が来た。そして『会いたい笑笑』とも。
 私は何故かOKしてしまった。そして再び駅で待ち合わせをし、傷付くだけの時間を求め、家を出た。
 私が駅に着いて十数分後、晴一が車で迎えに来た。助手席に座ると、「遅れてごめん。待った?」と晴一は言った。私は笑って全然と、答えると彼は笑った。
 「足元にお茶買ってるから、飲んでいいよ。遅れたお詫び」
 彼は笑って言った。足元を手探りで探してみると、扉についているホルダーに温かいお茶が入っていた。
 「わざわざありがとう」
 お茶を手に取り、開けて一口飲む。冷えた体にお茶が染み込んだ。元彼と別れて以来、初めて人に優しくされた。それが嬉しくて、いつも以上に心に染みる。そして何故か、晴一は私に多少なりとも気があるのではないかと思ってしまった。
 車で彼が連れて行ってくれたのは、少し高い所にある公園だった。駐車場に私たち以外の車は無く、街灯とトイレの光だけが公園を照らしていた。
 車を停めると、晴一は「少し歩こうか」と言って車を下りた。私も車を下りて、不意に空を見上げる。雲ひとつ無い空に、星が輝いている。民家の光も届かないため、より一層綺麗に見える。
 「わぁ、綺麗...」
 思わずそう言ってしまうほど、綺麗だったのだ。
 私が空を見上げていると、晴一が近づいてきた。どうしたんだろうと思い彼を見ていると、急に私を抱きしめてきた。温かい彼の体温が私を包んでいる。そして少しすると私の顔を見て微笑み、「じゃあ、行こうか」と言った。不覚にもときめいてしまった私は、彼から目を逸らし、小さな声で「うん」と答えた。彼は指を絡ませ手を繋ぎ、暗い階段に向かって歩き出した。
 階段を昇った先には、ベンチが等間隔で並んでいた。その中の一つに彼は座った。私は何だか照れ臭くて、彼から少し離れて座った。すると彼は私に近づき、手をぎゅっと握った。そして私の頭を撫で「膝枕しようか?」と言った。唐突だったので思わず「え?」と言ってしまう。
 「いや、昨日言ってたじゃん?膝枕されるの好きって」
 少し照れ臭そうに彼は言った。
 覚えててくれたんだ...。
 私はそれが嬉しくって、でも何だか恥ずかしかった。それでも誰かに甘えたい気持ちが恥ずかしさを勝り、少し遠慮がちに彼の腿に頭を乗せた。彼は私の頭をずっと撫でてくれた。それが心地よくて、私は眠ってしまいそうになった。
 少し経つと、彼が「寒いから戻ろう」と言った。私は重さを増す瞼を擦り、彼と手を繋いで車に戻った。
 彼は、車に戻ってそう経たないうちに動いた。
 彼が座席を倒したので、私もそれに習って座席を倒した。すると彼は、私に覆い被さるように跨った。そして、私が言葉を発する前にキスをした。彼の柔らかい唇が、私の唇に重なる。口の中に暖かくて柔らかい何かが入って来た。それは私の本性を引きずり出すかのように、舌に絡まる。だんだん息が苦しくなって、何も考えられなくなる。
 「ん...」
 こんなに気持ちいいキスは初めてで、思わず声が漏れてしまう。キスの最中、彼は私の胸に手を重ねていた。私は彼の手を胸から退る。すると彼はキスをやめ、私を見た。そして「ダメ...?」と、明らかに我慢しているような甘い声で言う。
 そんな声で、そんな顔で求められたら...。
 負けてしまいそうになったが、どうにか首を横に振る。もう痛い思いはしたくないから。
 「そっか」
 彼はそう言うと、再び激しくキスをした。私はもうとろけてしまいそうで、自分の理性を保つのに必死だった。彼は激しくキスをしたあと、唇を覆うようにキスをし、首筋、鎖骨にキスをした。そして耳に甘噛みをし、優しく舐めた。耳が弱点だから、思わず喘いでしまう。彼の身体を離そうとするが、腕に力が入らない。
 このまま彼を受け入れていいのだろうか?もしかしたらヤり捨てられるかもしれない。でも私を拒まないでくれる、求めてくれる。だからきっと、きっと...。
 理性を保とうと懸命に頭を働かせる。目の前の快楽に抗うことが、こんなに難しいことだなんて知らなかった。
 彼は耳元で「ねぇ、ダメ...?」と、今にもとろけてしまいそうな声で囁く。そして私の胸に再び手を重ねる。私は抵抗することを止め、彼を受け入れることにした。彼は私のシャツを優しく剥いだ。
 少しの間、車の中には私の喘ぎ声だけが響いていた。彼が急に手を止めたので、何かと思って彼を見た。暗くてよく見えないが、布が摩擦する音が聞こえた。そして音が止むと、彼は何も言わずに私の手を掴んだ。掴まれた手は彼によって“何か”に向かって伸ばされていく。私の手に触れたのは、何か熱くて、少し硬いでもヒトの柔らかさのあるもの。私は“それ”が何か分かった途端、思わず手を引っ込めてしまった。何だか悪い気がして「...ごめん」と小さく謝る。
 「俺こそごめん。嫌だったよね」
 彼はそう言って、私の頭を撫でた。
 初めてだった。当たり前なのかもしれないが、こういうことで謝られたのが、私は初めてだった。元彼と同じようなことがあった時、あの人は「そっか...」と少ししょぼくれた反応をした。「ごめん」なんて、言わなかった。
 そのせいか、私は晴一に対して悪い印象を持てなかった。
 その日は彼が満足するまでそれが続き、その後に帰してもらった。
 駅から帰っている時、何故か私はもっと彼といたかったと思っていた。蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものなのに、何故か不思議と心地良い。それどころか、食われてしまってもいいと思ってしまう。
 私はいつもより少し暗い道を、淡い街頭を頼りに進んで行った。
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