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第一章 北海道編
青い調律
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もう、喉の奥が引き攣れて、声にならない。
なにが起きているのか、理解できない。
いや、僕は刺された。
御子柴《みこしば》家の使用人である、久世に。
僕は、殺されるんだ。
そう思った。
なのに、ぱっくりと開いた傷口に、久世が唇を押し当ててきたのだ。
僕の頭の中は、もう、真っ白だ。
久世がしていることのすべてが、僕の理解を越えていた。
それだけじゃない。
僕の傷口から溢れ出る血は、赤ではなく、鮮やかな「青」に発光していた。
信じられるか。
でも、僕の目には、やっぱり「青」く見える。
「……はっ……はっ……はっ……」
僕の呼吸は、浅く、引き攣り始めた。
そして、僕の「青」が、久世の絹のような滑らか肌を、顎を、唇を、汚していく。
熱い。もう、痛みは感じなかった。
代わりに、知らない感覚が、右腕の神経の、奥の方に生まれた。
なんだ……これ。
「……っ、ん、あ……、や、め……」
抵抗する力が、入らない。
久世の舌が、何度も僕の肌を撫でる。
傷口からは、氷のような冷気と、焼けるような熱が交互にやってきて――僕の血管を駆け巡る。
心臓を直接触られたような感覚と。
ぞわぞわしたものが、背筋を這い上がった。
瞬間。視界が青く染まり、脳の奥で幾何学的な模様が、万華鏡のように弾けた。
「……お逃げになってはいけません、怜央《れお》様」
久世が、顔を上げた。
整ったその肌に、僕から吸い出した青い光が、飛沫となって散っている。
「久――世……」
「はい」
返事をしたその顔は、いつもの冷静な執事のものとは思えないほど、どこか陶酔し、艶めいて見えた――と、思った自分の感覚そのものが、ひどく、気味が悪かった。
なにかが、急速に冷めていく。
ようやく動くようになった手で、僕は久世の肩を突き飛ばした。
「近い――!」
だが久世は、微動だにしない。それどころか、久世は僕の混乱を楽しむように、指先で、僕の喉元を優しく撫でた。
「もう、大丈夫です」
「――なにが!?」
理解が追い付いていない僕に、久世が言う。
「『調律』は済みました」
「……は?」
なんだか分からないけど、体が少し、重い気がする。
「これで坊ちゃまは、この崩壊した世界でも、『形』を保つことができます」
そう言って、僕の腕を離した久世の瞳が、一瞬、縦に歪んだ気がした。
だが、それが錯覚なのかどうか、確かめる余裕など、僕にはなかった。
「……感謝していただきたいものです」
跪《ひざまず》き、僕を見上げる久世は、自分の唇についた青い残滓を、たっぷりと時間をかけて舌で舐めとった。
その仕草は、獲物の味を確かめるような――理性ではなく本能に基づいた、なにかの儀式のように、僕には見えた。
「理由を知る必要はありません。今は、私の言葉に従っておけばよいのです」
……意味が、分からない。
「僕は、お前を――信じていいのか?」
僕の震える問いに、久世は立ち上がり、いつもの完璧な一礼で答えた。
「ええ。私は坊ちゃまだけの、忠実な下僕です」
本当だろうか。
――パパが雇った、ただの使用人なのに?
「……さあ、お出かけの準備を。この邸も、もうすぐ『孵化』します」
その言葉と同時に、寝室の床が大きく盛り上がった。壁の隙間からは、意志を持ったかのような「青い蔦」が、蛇のように鎌首をもたげている。
これは、現実なのか。
だとしたら――最早ここは、安眠できる場所ではない。
ここは、僕を飲み込もうとする、異界の入り口に変わり果てたのだ。
なら……
「……パパは? 他のみんなは、どうなったんだよ!」
久世はそれには答えず、僕の腰を引き寄せた。守るように、僕の体に腕を回す。
なぜだろう――その熱が肌越しに伝わったきた瞬間、脳の端で火花を散らしていた混乱が、嘘のように凪いでいった。
久世の腕の中にいる時だけ、僕という「個」の境界線が、この狂った世界に溶け出さずに済んでいるような……。
――僕は、何を言っているんだ。
そして、地獄のような新世界への最初の「行軍」が、今まさに、始まろうとしていた。
なにが起きているのか、理解できない。
いや、僕は刺された。
御子柴《みこしば》家の使用人である、久世に。
僕は、殺されるんだ。
そう思った。
なのに、ぱっくりと開いた傷口に、久世が唇を押し当ててきたのだ。
僕の頭の中は、もう、真っ白だ。
久世がしていることのすべてが、僕の理解を越えていた。
それだけじゃない。
僕の傷口から溢れ出る血は、赤ではなく、鮮やかな「青」に発光していた。
信じられるか。
でも、僕の目には、やっぱり「青」く見える。
「……はっ……はっ……はっ……」
僕の呼吸は、浅く、引き攣り始めた。
そして、僕の「青」が、久世の絹のような滑らか肌を、顎を、唇を、汚していく。
熱い。もう、痛みは感じなかった。
代わりに、知らない感覚が、右腕の神経の、奥の方に生まれた。
なんだ……これ。
「……っ、ん、あ……、や、め……」
抵抗する力が、入らない。
久世の舌が、何度も僕の肌を撫でる。
傷口からは、氷のような冷気と、焼けるような熱が交互にやってきて――僕の血管を駆け巡る。
心臓を直接触られたような感覚と。
ぞわぞわしたものが、背筋を這い上がった。
瞬間。視界が青く染まり、脳の奥で幾何学的な模様が、万華鏡のように弾けた。
「……お逃げになってはいけません、怜央《れお》様」
久世が、顔を上げた。
整ったその肌に、僕から吸い出した青い光が、飛沫となって散っている。
「久――世……」
「はい」
返事をしたその顔は、いつもの冷静な執事のものとは思えないほど、どこか陶酔し、艶めいて見えた――と、思った自分の感覚そのものが、ひどく、気味が悪かった。
なにかが、急速に冷めていく。
ようやく動くようになった手で、僕は久世の肩を突き飛ばした。
「近い――!」
だが久世は、微動だにしない。それどころか、久世は僕の混乱を楽しむように、指先で、僕の喉元を優しく撫でた。
「もう、大丈夫です」
「――なにが!?」
理解が追い付いていない僕に、久世が言う。
「『調律』は済みました」
「……は?」
なんだか分からないけど、体が少し、重い気がする。
「これで坊ちゃまは、この崩壊した世界でも、『形』を保つことができます」
そう言って、僕の腕を離した久世の瞳が、一瞬、縦に歪んだ気がした。
だが、それが錯覚なのかどうか、確かめる余裕など、僕にはなかった。
「……感謝していただきたいものです」
跪《ひざまず》き、僕を見上げる久世は、自分の唇についた青い残滓を、たっぷりと時間をかけて舌で舐めとった。
その仕草は、獲物の味を確かめるような――理性ではなく本能に基づいた、なにかの儀式のように、僕には見えた。
「理由を知る必要はありません。今は、私の言葉に従っておけばよいのです」
……意味が、分からない。
「僕は、お前を――信じていいのか?」
僕の震える問いに、久世は立ち上がり、いつもの完璧な一礼で答えた。
「ええ。私は坊ちゃまだけの、忠実な下僕です」
本当だろうか。
――パパが雇った、ただの使用人なのに?
「……さあ、お出かけの準備を。この邸も、もうすぐ『孵化』します」
その言葉と同時に、寝室の床が大きく盛り上がった。壁の隙間からは、意志を持ったかのような「青い蔦」が、蛇のように鎌首をもたげている。
これは、現実なのか。
だとしたら――最早ここは、安眠できる場所ではない。
ここは、僕を飲み込もうとする、異界の入り口に変わり果てたのだ。
なら……
「……パパは? 他のみんなは、どうなったんだよ!」
久世はそれには答えず、僕の腰を引き寄せた。守るように、僕の体に腕を回す。
なぜだろう――その熱が肌越しに伝わったきた瞬間、脳の端で火花を散らしていた混乱が、嘘のように凪いでいった。
久世の腕の中にいる時だけ、僕という「個」の境界線が、この狂った世界に溶け出さずに済んでいるような……。
――僕は、何を言っているんだ。
そして、地獄のような新世界への最初の「行軍」が、今まさに、始まろうとしていた。
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