2 / 18
前編
1話 失われた絆
しおりを挟む
「やはり死んでいます、か」
はぁと雨音は大きな溜め息をついていた。今いるのは殺人事件の現場だ。同行していた時雨が死体を目の当たりにして嘔吐している。
ま、いくら時雨が人を殺したとはいえ一般人には一般人だ。一般人にはきつい光景だろうなと思うが、優しくしてやる義理はない。
「あなたも死ねばよかったのに」
兄を殺し、のうのうと生き延びている時雨に雨音は言葉の刃を投げつける。苦しそうにしている時雨は言い返す気力もなく、ぐったりとしていた。
周りの部下たちは自分たちの関係を知っているためか何も口出しする様子はない。むしろ雨音側の人間が多いくらいだった。これが通常の殺人事件で、結羽の庇護がなければ時雨は復讐をされていた可能性すらある。遥人も雨音と同じ警察官だった。部下に慕われる人だった。
「やめなさい」
銃を向ける部下を雨音が制止する。
「どんな理由があろうとも殺人は殺人です。彼には利用価値があります。それに……彼を殺すのは私の役目ですから」
なぜ神代はわざわざ自分を時雨と組ませるのだろう。相性はどう考えても最悪でしかない。自分たちの関係も知っているのにと恨めしく思うしかない。
決して雨音は立場が低い方ではない。むしろ高い方と言えるくらいだ。だが、神代はさらにその上を行く。常識の枠から外れた、所謂天才という人種だ。それ故に警察はこの不可解なウイルスによる殺人事件を解決するために彼女を頼らなければならないのだ。
だから組む相手が兄の仇であろうと上には関係ない。
「今日も収穫はなし、ですね」
後はお願いしますと部下に声をかけて、まだ呻いている時雨を連れ雨音は外に出た。
「……悪い」
「別に。私はあなたに何も期待していませんから」
蒼白な時雨に仕方ないなと水を渡す。
「口の中、気持ち悪いでしょうから」
「ありがとう」
「車の中で吐かれても困りますので」
雨音は目をあわすことなく先に進んでいく。
変わってしまった雨音を寂しく思うが、自分に不満を言う資格はない。不満に思うことさえも罪だ。寂しそうな背に手が伸びそうになるのをぎゅっと抑える。
ーー時雨兄さん。
瞼に浮かぶのは笑顔の雨音ばかり。
「着きましたよ。迎えが必要なら連絡してください」
神代に呼ばれているからと時雨は車から降りた。おそらく何らかの実験なんだろうと思う。
死んだ者はもう戻らない。
だから、実験に協力することが自分の出来る唯一の罪滅ぼしだ。
「……殺してくれてもよかったのに」
それで雨音の心が軽くなるなら。
笑顔で笑えるようになるなら。
喜んでこの命を差し出そう。
「死にたそうな顔をしているね?」
結羽が近づいてくる。
「君は死ねないよ?私が許さない」
結羽はさぁ行こうかと時雨の手を取り、笑った。
「それにしてもMIPVって変なウイルスだと思わない?ウイルスならば本来の目的は増殖することのはず。それが、殺人という宿主を殺す行為を促進し、あまつさえ感染者を死に至らしめるんだ。事件が増えているから増えてはいるんだけど、実に効率が悪い」
「ただ感染力が弱いだけじゃないのか?」
「時雨の意見もまぁ、間違いじゃないと思うよ。君と一緒にいる私や雨音が感染していないのが何よりの証拠だ。空気感染はしないようだし」
「じゃあどこからこのウイルスはきて、感染したんだ?」
「ウイルスは血液中に存在する。だから、おそらくは血液を経由しての感染だと想像できる」
「HIVみたいなものか?」
「ま、極めて近いかもしれないね。サンプルも少ないし、実験もまだだから何とも確定的なことは言えないけど」
結羽は採取した血液を調べながら時雨と話していた。
「うん。やっぱり増えてるね」
「増えるとどうなるのか?また、俺は人を殺すのか?」
「その可能性は高いとだけ言っておくよ。君が遥人を殺す前と殺した後とどう変化があったのか知らないからね。ただ、ウイルスの増殖を抑える方法は見つかりそうだけど」
手、出してと言われて時雨は手を差し出した。1本の注射が打たれる。
「この薬は?」
「精神安定剤。ストレスでこのウイルスは増殖が促進される。ここ何日か雨音といさせたり、いさせなかったりしただろう?雨音といた日は数字がかなり上がっていたよ」
結羽の言葉に時雨は目をふせた。
ストレスを感じてるのは俺なんかじゃない。雨音のはずなのに。
「ねぇ、時雨。試しにもう一度人を殺してみてくれない?あの理想論を語るだけのお嬢ちゃんを殺していいから。それで君が死ぬか、やはり生き残るのか実験したいんだよ」
その言葉に心臓が嫌なふうにどくんと鳴った。
気がつけば華奢な結羽の首をギリギリと絞め上げていた。足に痛みが走り、身体が動かなくなっていく。
「発動の鍵は“怒り”というところかな?あぁ、今打った薬は麻酔だから安心してくれていい。殺されるわけにはいかないからね」
身体が倒れ、身動きができない。意識が遠のいていく。
「あ、雨音?今日の実験が終わったから迎えに来てくれる?」
一方的に連絡を入れ、結羽は電話を切る。
「……俺は……雨音を……殺さない……なにがあっても……」
失いかける意識の中、呟く声にふわりと結羽が笑う。
「もし君が雨音を殺しそうになるなら、その時は私が君を殺してあげるよ。これ以上手は汚させないから安心して」
たぶんもう聞こえてないであろう時雨に結羽がそう囁いた。
☆
「ん……、あれ?」
目を覚ますとそこは雨音と暮らす家だった。
目を覚ましましたかと雨音が声をかけてくる。
「これを。目覚めたら飲ませてくれと頼まれていましたから」
「ありがとう」
「いえ、仕事ですから」
薬と水を受け取り、時雨が飲んだのを確認するとおやすみなさいと雨音が部屋を出ていく。
小さくおやすみと返して、結羽を絞めた自分の手にガリと爪を立てた。声を殺し、涙を流す。まだ、生々しい感覚がする。
「……どちらが、辛いのでしょうね……殺すのと、殺されないのと」
ドアの向こうに雨音は座り込んでいた。
彼女の目に今にも溢れてしまうくらい涙が溜まっていた。
はぁと雨音は大きな溜め息をついていた。今いるのは殺人事件の現場だ。同行していた時雨が死体を目の当たりにして嘔吐している。
ま、いくら時雨が人を殺したとはいえ一般人には一般人だ。一般人にはきつい光景だろうなと思うが、優しくしてやる義理はない。
「あなたも死ねばよかったのに」
兄を殺し、のうのうと生き延びている時雨に雨音は言葉の刃を投げつける。苦しそうにしている時雨は言い返す気力もなく、ぐったりとしていた。
周りの部下たちは自分たちの関係を知っているためか何も口出しする様子はない。むしろ雨音側の人間が多いくらいだった。これが通常の殺人事件で、結羽の庇護がなければ時雨は復讐をされていた可能性すらある。遥人も雨音と同じ警察官だった。部下に慕われる人だった。
「やめなさい」
銃を向ける部下を雨音が制止する。
「どんな理由があろうとも殺人は殺人です。彼には利用価値があります。それに……彼を殺すのは私の役目ですから」
なぜ神代はわざわざ自分を時雨と組ませるのだろう。相性はどう考えても最悪でしかない。自分たちの関係も知っているのにと恨めしく思うしかない。
決して雨音は立場が低い方ではない。むしろ高い方と言えるくらいだ。だが、神代はさらにその上を行く。常識の枠から外れた、所謂天才という人種だ。それ故に警察はこの不可解なウイルスによる殺人事件を解決するために彼女を頼らなければならないのだ。
だから組む相手が兄の仇であろうと上には関係ない。
「今日も収穫はなし、ですね」
後はお願いしますと部下に声をかけて、まだ呻いている時雨を連れ雨音は外に出た。
「……悪い」
「別に。私はあなたに何も期待していませんから」
蒼白な時雨に仕方ないなと水を渡す。
「口の中、気持ち悪いでしょうから」
「ありがとう」
「車の中で吐かれても困りますので」
雨音は目をあわすことなく先に進んでいく。
変わってしまった雨音を寂しく思うが、自分に不満を言う資格はない。不満に思うことさえも罪だ。寂しそうな背に手が伸びそうになるのをぎゅっと抑える。
ーー時雨兄さん。
瞼に浮かぶのは笑顔の雨音ばかり。
「着きましたよ。迎えが必要なら連絡してください」
神代に呼ばれているからと時雨は車から降りた。おそらく何らかの実験なんだろうと思う。
死んだ者はもう戻らない。
だから、実験に協力することが自分の出来る唯一の罪滅ぼしだ。
「……殺してくれてもよかったのに」
それで雨音の心が軽くなるなら。
笑顔で笑えるようになるなら。
喜んでこの命を差し出そう。
「死にたそうな顔をしているね?」
結羽が近づいてくる。
「君は死ねないよ?私が許さない」
結羽はさぁ行こうかと時雨の手を取り、笑った。
「それにしてもMIPVって変なウイルスだと思わない?ウイルスならば本来の目的は増殖することのはず。それが、殺人という宿主を殺す行為を促進し、あまつさえ感染者を死に至らしめるんだ。事件が増えているから増えてはいるんだけど、実に効率が悪い」
「ただ感染力が弱いだけじゃないのか?」
「時雨の意見もまぁ、間違いじゃないと思うよ。君と一緒にいる私や雨音が感染していないのが何よりの証拠だ。空気感染はしないようだし」
「じゃあどこからこのウイルスはきて、感染したんだ?」
「ウイルスは血液中に存在する。だから、おそらくは血液を経由しての感染だと想像できる」
「HIVみたいなものか?」
「ま、極めて近いかもしれないね。サンプルも少ないし、実験もまだだから何とも確定的なことは言えないけど」
結羽は採取した血液を調べながら時雨と話していた。
「うん。やっぱり増えてるね」
「増えるとどうなるのか?また、俺は人を殺すのか?」
「その可能性は高いとだけ言っておくよ。君が遥人を殺す前と殺した後とどう変化があったのか知らないからね。ただ、ウイルスの増殖を抑える方法は見つかりそうだけど」
手、出してと言われて時雨は手を差し出した。1本の注射が打たれる。
「この薬は?」
「精神安定剤。ストレスでこのウイルスは増殖が促進される。ここ何日か雨音といさせたり、いさせなかったりしただろう?雨音といた日は数字がかなり上がっていたよ」
結羽の言葉に時雨は目をふせた。
ストレスを感じてるのは俺なんかじゃない。雨音のはずなのに。
「ねぇ、時雨。試しにもう一度人を殺してみてくれない?あの理想論を語るだけのお嬢ちゃんを殺していいから。それで君が死ぬか、やはり生き残るのか実験したいんだよ」
その言葉に心臓が嫌なふうにどくんと鳴った。
気がつけば華奢な結羽の首をギリギリと絞め上げていた。足に痛みが走り、身体が動かなくなっていく。
「発動の鍵は“怒り”というところかな?あぁ、今打った薬は麻酔だから安心してくれていい。殺されるわけにはいかないからね」
身体が倒れ、身動きができない。意識が遠のいていく。
「あ、雨音?今日の実験が終わったから迎えに来てくれる?」
一方的に連絡を入れ、結羽は電話を切る。
「……俺は……雨音を……殺さない……なにがあっても……」
失いかける意識の中、呟く声にふわりと結羽が笑う。
「もし君が雨音を殺しそうになるなら、その時は私が君を殺してあげるよ。これ以上手は汚させないから安心して」
たぶんもう聞こえてないであろう時雨に結羽がそう囁いた。
☆
「ん……、あれ?」
目を覚ますとそこは雨音と暮らす家だった。
目を覚ましましたかと雨音が声をかけてくる。
「これを。目覚めたら飲ませてくれと頼まれていましたから」
「ありがとう」
「いえ、仕事ですから」
薬と水を受け取り、時雨が飲んだのを確認するとおやすみなさいと雨音が部屋を出ていく。
小さくおやすみと返して、結羽を絞めた自分の手にガリと爪を立てた。声を殺し、涙を流す。まだ、生々しい感覚がする。
「……どちらが、辛いのでしょうね……殺すのと、殺されないのと」
ドアの向こうに雨音は座り込んでいた。
彼女の目に今にも溢れてしまうくらい涙が溜まっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる