感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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前編

1話 失われた絆

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「やはり死んでいます、か」

はぁと雨音あまねは大きな溜め息をついていた。今いるのは殺人事件の現場だ。同行していた時雨が死体を目の当たりにして嘔吐している。
ま、いくら時雨が人を殺したとはいえ一般人には一般人だ。一般人にはきつい光景だろうなと思うが、優しくしてやる義理はない。


「あなたも死ねばよかったのに」


兄を殺し、のうのうと生き延びている時雨に雨音は言葉の刃を投げつける。苦しそうにしている時雨は言い返す気力もなく、ぐったりとしていた。
周りの部下たちは自分たちの関係を知っているためか何も口出しする様子はない。むしろ雨音側の人間が多いくらいだった。これが通常の殺人事件で、結羽の庇護がなければ時雨は復讐をされていた可能性すらある。遥人も雨音と同じ警察官だった。部下に慕われる人だった。


「やめなさい」


銃を向ける部下を雨音が制止する。


「どんな理由があろうとも殺人は殺人です。彼には利用価値があります。それに……彼を殺すのは私の役目ですから」


なぜ神代はわざわざ自分を時雨と組ませるのだろう。相性はどう考えても最悪でしかない。自分たちの関係も知っているのにと恨めしく思うしかない。

決して雨音は立場が低い方ではない。むしろ高い方と言えるくらいだ。だが、神代はさらにその上を行く。常識の枠から外れた、所謂天才という人種だ。それ故に警察はこの不可解なウイルスによる殺人事件を解決するために彼女を頼らなければならないのだ。
だから組む相手が兄の仇であろうと上には関係ない。


「今日も収穫はなし、ですね」


後はお願いしますと部下に声をかけて、まだ呻いている時雨を連れ雨音は外に出た。


「……悪い」
「別に。私はあなたに何も期待していませんから」


蒼白な時雨に仕方ないなと水を渡す。


「口の中、気持ち悪いでしょうから」
「ありがとう」
「車の中で吐かれても困りますので」


雨音は目をあわすことなく先に進んでいく。


変わってしまった雨音を寂しく思うが、自分に不満を言う資格はない。不満に思うことさえも罪だ。寂しそうな背に手が伸びそうになるのをぎゅっと抑える。


ーー時雨兄さん。


瞼に浮かぶのは笑顔の雨音ばかり。



「着きましたよ。迎えが必要なら連絡してください」


神代に呼ばれているからと時雨は車から降りた。おそらく何らかの実験なんだろうと思う。


死んだ者はもう戻らない。
だから、実験に協力することが自分の出来る唯一の罪滅ぼしだ。


「……殺してくれてもよかったのに」


それで雨音の心が軽くなるなら。
笑顔で笑えるようになるなら。
喜んでこの命を差し出そう。



「死にたそうな顔をしているね?」


結羽が近づいてくる。



「君は死ねないよ?私が許さない」



結羽はさぁ行こうかと時雨の手を取り、笑った。


「それにしてもMIPVって変なウイルスだと思わない?ウイルスならば本来の目的は増殖することのはず。それが、殺人という宿主を殺す行為を促進し、あまつさえ感染者を死に至らしめるんだ。事件が増えているから増えてはいるんだけど、実に効率が悪い」
「ただ感染力が弱いだけじゃないのか?」
「時雨の意見もまぁ、間違いじゃないと思うよ。君と一緒にいる私や雨音が感染していないのが何よりの証拠だ。空気感染はしないようだし」
「じゃあどこからこのウイルスはきて、感染したんだ?」
「ウイルスは血液中に存在する。だから、おそらくは血液を経由しての感染だと想像できる」
「HIVみたいなものか?」
「ま、極めて近いかもしれないね。サンプルも少ないし、実験もまだだから何とも確定的なことは言えないけど」


結羽は採取した血液を調べながら時雨と話していた。


「うん。やっぱり増えてるね」
「増えるとどうなるのか?また、俺は人を殺すのか?」
「その可能性は高いとだけ言っておくよ。君が遥人を殺す前と殺した後とどう変化があったのか知らないからね。ただ、ウイルスの増殖を抑える方法は見つかりそうだけど」


手、出してと言われて時雨は手を差し出した。1本の注射が打たれる。


「この薬は?」
「精神安定剤。ストレスでこのウイルスは増殖が促進される。ここ何日か雨音といさせたり、いさせなかったりしただろう?雨音といた日は数字がかなり上がっていたよ」


結羽の言葉に時雨は目をふせた。
ストレスを感じてるのは俺なんかじゃない。雨音のはずなのに。


「ねぇ、時雨。試しにもう一度人を殺してみてくれない?あの理想論を語るだけのお嬢ちゃんを殺していいから。それで君が死ぬか、やはり生き残るのか実験したいんだよ」


その言葉に心臓が嫌なふうにどくんと鳴った。


気がつけば華奢な結羽の首をギリギリと絞め上げていた。足に痛みが走り、身体が動かなくなっていく。


「発動の鍵は“怒り”というところかな?あぁ、今打った薬は麻酔だから安心してくれていい。殺されるわけにはいかないからね」


身体が倒れ、身動きができない。意識が遠のいていく。


「あ、雨音?今日の実験が終わったから迎えに来てくれる?」

一方的に連絡を入れ、結羽は電話を切る。


「……俺は……雨音を……殺さない……なにがあっても……」


失いかける意識の中、呟く声にふわりと結羽が笑う。


「もし君が雨音を殺しそうになるなら、その時は私が君を殺してあげるよ。これ以上手は汚させないから安心して」


たぶんもう聞こえてないであろう時雨に結羽がそう囁いた。




「ん……、あれ?」


目を覚ますとそこは雨音と暮らす家だった。
目を覚ましましたかと雨音が声をかけてくる。


「これを。目覚めたら飲ませてくれと頼まれていましたから」
「ありがとう」
「いえ、仕事ですから」


薬と水を受け取り、時雨が飲んだのを確認するとおやすみなさいと雨音が部屋を出ていく。


小さくおやすみと返して、結羽を絞めた自分の手にガリと爪を立てた。声を殺し、涙を流す。まだ、生々しい感覚がする。


「……どちらが、辛いのでしょうね……殺すのと、殺されないのと」


ドアの向こうに雨音は座り込んでいた。
彼女の目に今にも溢れてしまうくらい涙が溜まっていた。


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