感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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前編

4話 感染者

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「ま、予想通りと言えば予想通りの展開だよね」

椿雨音が感染者だと雫が告げると満はそう答えた。その表情はどこか楽しげに見える。

「椿遥人と西野時雨のふたりといたなら感染してしまうのも仕方ない」
「時雨も遥人から感染してたからね~」
「僕が感染したらすぐ雫にうつるね」
「あたしが感染してもだよね」

笑いあう二人の距離は近い。

「どうやって感染者って知ったの?」
「秋がいたからね」
「あぁ、秋か」
なるほどと満は頷く。
「ということは彼らも動いているということ、か」
「そういうこと」
「それは、ちょっと、いや、かなり面倒くさいね」
「あ、でもどうだろ?利害を考えたらあたしらと同じじゃない?目的は真逆だけど」
「秋がどう動くかだ」
「彼らと敵対するか否か、だね」
「雫はどっちに賭ける?」
「雨音の味方、だね」
「ふふ。僕もそっちだ」
「じゃあ賭けになんないじゃん」
「仕方ないよ。考え方も僕らは同じなんだから」

楽しそうに満が笑う。

「何を敵に回しても僕は雫の味方だからね」




「なー、香月かづき。これからどうすんの?」

スーツを着崩した長身の男がふぁとあくびをしながら隣にいる華奢な体格の男に問う。

「そうだね。これ以上傍観するわけにはいかないし、状況も悪化しつつあるし、僕らも動くしかないかな」
「え、マジ!?外、出れんの!?」
「秋くんが頼りないわけじゃないけど、さすがに僕と真澄くんが動くレベルだからね」

香月はとんとんと書類を片付けながら苦笑する。相方は本当にじっとしているのが苦手な質だなぁと笑わずにはいられなかった。

「秋に指示はどうする?」
「退けともう言ってあるよ。納得はしてなかったけれどね。まぁ、無理もない」
「んじゃ、俺が力づくで回収する?」
「まぁ、そうなるね。感情を優先させたくはあるけど、犠牲を広げるわけにはいかないし、彼を離脱させるのが彼にとっても最善だろうから」
「あいつら、来るかな?」
「まぁ、雫は来るだろうね。満は読めないけど」
「んじゃ、暴れられるな!」

嬉しそうに笑う真澄を頼もしく思っていいのやら、不安に思えばいいのやら。香月の胸中は複雑だ。


「手、出して」

差し出された手にじゃらと薬がのせられる。

「二錠飲んで」
「ん」

ごくりと二人は感染抑制剤を飲んだ。これはMIPV感染に対する予防に使われる薬だ。ただし、副作用があまりにきついので飲んだ翌日は動けなくなってしまう。一日最大使用は三錠まで。


「これで明日は休みだな?」
「ま、動けないからね」


さ、行こうかと香月は足を進める。りょーかいと真澄は香月の後ろをついていく。


「かわいそうだな“感染者”は」
「感情は捨てて。辛くなるよ?」
「ん」
「殺してあげるのも優しさだ。“感染者”は殺人を犯したら死んでしまう。なら、罪を犯す前に死ぬ方が幸せだよ」
「……うん」
「君が命を奪うのが苦手なのは知ってるから弱らせてくれるだけで良い。とどめは僕がさすから」
「んーん。俺もやる。香月にだけ辛い思いはさせられねーし」


こつんと拳をあわせ、ふたりは笑顔で頷いた。



久しぶりに穏やかな空気が流れていた。
遥人がいないことが嘘のように雨音も時雨も笑っていた。


「ウイルスはどうなんです?」
「結羽が作ってくれた薬で安定してるよ。感情を落ち着けていればとりあえずは大丈夫だろうって」
「ならよかった」


そう優しく雨音が微笑んだ。


「俺、憎まれててもいいと思ってたけど、やっぱり今のほうがいいなぁ」
「誰だってそうですよ。嫌われるよりも好かれたいです」


「そうそう。誰もが愛されたいと思うよね。わかる!」


不意に会話に混ざる明るい声に、時雨と雨音が硬直する。


「雨音ちゃんは久しぶり~時雨くんははじめまして、かな?あたしは雨宮雫だよ」
「またあなたですか。不法侵入ですよ」
「いや、ちょっと急ぎで用があってね。怒らない怒らない」


雨音を宥める雫が声のトーンを落とす。


「君らは厚生労働省直轄MIPV対策班に狙われてる。奴らは君らを殺すつもりだよ。早く逃げたほうがいい。信じるか信じないかは君たち次第だけど」


そう言い終わるのが早いかドアのチャイムが鳴る。びくりと雨音と時雨は飛び上がった。


「出てきます」


緊張の面持ちで雨音が玄関へと向かっていく。


「あんたはどう思う?」
「ま、件の奴じゃないだろうね。さすがに早すぎる。けど、用心に越したことはないさ」
「あんたが俺らを助ける理由は?」
「あいつらに君らを殺されるのはちょっと都合が悪いだけさ」


「秋!どうしたの?こんな朝早くに」


玄関にいたのは秋だった。走ってきたのだろう。肩で息をしながらぐいと雨音を引っ張る。


「何も聞かずに一緒に来て!」
「……厚生労働省直轄MIPV対策班、ですか?」
「ーーっ!なんで、それを……これって!」
「あたしがバラしたからね~で、秋ちゃんは連れていってどうするつもりだったの?」
「……わたりさんと、青空あおぞらさんから逃がす」
「つまり裏切る、と?」
「親友を見殺しにはできない」
「そかそか。あたしはそういうの好きだよ。じゃあ今回に限り、秋に免じて力を貸そうか。三人共、逃げて!」


雫の合図と共にリビングから窓の割れる音がする。逃げ道を塞ぐように細身の綺麗な男ーー渡香月が玄関先に立っている。


「秋くん。退けとは言いましたが、逃がせとは言ってませんよ?」
「俺は、親友は殺せません!」
「えぇ。だから君を離脱させたんですよ」
「秋。逃げろ。香月の相手は俺がするからさ」

雫が秋を庇うように香月の前に立ちはだかる。

「香月ー。中、誰もいないんだけど」

後方から長身の男ーー青空真澄が近づいてくる。

「真澄!秋を逃がすな!」
「りょーかい」
「そうはさせないよ?」

にやりと笑いながら雫が真澄から秋を守る。秋は頷いて、雨音と時雨を連れて逃げていく。


「お。雫じゃん。邪魔すんの?」
「ま、あたしは君らの敵だからね~今、彼らを殺されるのはこっちとしても困るんだよ」
「邪魔するなら暴れてもいいよな?香月」
「相手が相手だから僕も加勢するよ」


お互いが睨みあう。


真澄の蹴りが雫を直撃した。

真澄の重い蹴りを雫は後ろに跳ぶことで威力を殺した。そうされることは予測済みだったようで、すぐに次の攻撃が連続で襲いかかる。雫は避けたり流したりと余裕綽々だ。


「なんで医者がこんなに強いんだよっ!」
「医者じゃないってば~。あたしはただの助手だし」


よっと雫の蹴りが真澄に入る。体格差をもろともせず、真澄は少しよろめいた。


「真澄も強いじゃん。普通の人なら今の蹴りでノックアウトだよ?」


笑う雫の頬を香月のメスがかすめ、つうと血が流れる。


「あなたは強い。だからこちらは二人がかりですよ」
「本命は香月、ね。真澄を囮にするなんてなかなかやるじゃん」


かくりと雫の膝が落ちる。


「……ん、痺れ薬、塗ってたね?」
「あなたに無策で挑むほど愚かではありませんよ」
「薬はあたしの専売特許なのにな~」


雫から笑みが消える。あ、とふたりが声をあげたときには喉元にナイフが突きつけられていた。香月も真澄も動きを止める。少しでも動いたら殺られる。つぅと嫌な汗が流れ落ちていく。


「今日のところは退いてくれるかな?これは“お願い”だよ」
「嫌だと言ったら?」
「君たちの身体が冷たくなるだけだよ。これから邪魔されなくなるし、あたしとしてはどっちでも良いけど?」
「香月ー、なんで雫に薬利かねーの?」
「あはは。真澄、そんなの簡単だよ~効果を打ち消す薬を使ったからね。薬はあたしの専門分野だって言ったでしょ?」
「……神代結羽の師はあなたでしたね」
「ありゃ。よく知ってるね?ただの政府の犬かと思ってたけど、思ってたよりずっと優秀みたいだ」


すっと雫が刃を収める。


「ほら、帰りなよ。あたしの気が変わらないうちに。あたしも裏切られたとはいえ、可愛い弟子を手にかけたいわけじゃないからね~」


追いかけようとする真澄を香月が制する。


「……あなたの考えはあれから変わらないのですか?」
「残念ながら、ね」


ほらと雫がぽんと薬を香月に放り投げる。


「副作用止め。どうせあの抑制剤飲んだんでしょ?それ飲んだら動けるくらいまでには副作用緩和されるから」


じゃあねと笑顔で雫は去っていく。


「……香月」
「うん?」
「雫って一体何者なんだ……?」
「そうだね……底の見えない天才、かな?」


ごくりと香月は渡された薬を飲む。敵に渡された物を飲む香月の行動に真澄は驚くが、大丈夫だよと笑う香月を見て真澄も薬を飲む。


「あー、帰って始末書かぁ……」
「彼女が現れたと知れば上も強くは言わないよ。……秋は連れ去られたとでも報告しておくよ。いつでも帰って来られるように」


寂しげに笑う瞳は複雑に揺れていた。



「何がどうなっているんです!?」

混乱ここに極まれり。

冷静に見えて意外と突発的なトラブルに弱い雨音がパニックを起こしていた。


「事情は後でちゃんと説明するから、今はとにかく走って。雫さんがとりあえず味方してくれたから香月さんと真澄さんはきっと追って来れない。逃げるなら今のうちなんだ」
「雫って奴は強いのか?」
「強いってもんじゃない。格が違いすぎる」
「そんなに?」

時雨の言葉に秋は大きく頷く。

「逃げるってどこに?」
「昔いた研究所がある。今はもう使われていないはずだから」
「研究所?」

秋に不釣り合いな言葉に雨音が反応するが、今は聞くべき時じゃないと押し黙る。

「そこは誰が使っていた研究所?」
「雫さんと香月さんです」
「ならすぐに居場所がわかるんじゃないのか?」
「……嫌な思い出の場所なんです。だから来ないと思います」
「いや、それなら結羽を頼ったほうが良いだろう」


時雨が目的地を変える。秋は納得はしていないが、反対もしないという感じだった。


「結羽と何かあるのか?」
「少し、ね」


結羽と名を聞いた瞬間に揺らいだ瞳を時雨は見逃さなかった。


「正確には何かあったわけじゃない。悲しい思い出に彼女も関わっているだけだから心配は要らない」


そっかと頷き、三人は結羽の家を目指した。


「ーーやっと来たね」


結羽は全てを知っているという顔で三人を招き入れる。


「秋。久しぶりだね」
「再会するとは思わなかった」
「私もだよ。話は大体雫さんから聞いてるから、少し身体を休めたらいい。大丈夫。私は君たちの味方だから」


逃げ込む場所まで雫に読まれていたことに時雨はぞっとする。今回は味方をしてくれたが、敵にまわるとどんなに恐ろしいだろう。


「せっかく雨音と時雨の関係が修復されてホッとしてたのに忙しないね」


ふわりと笑う結羽の顔が物悲しい。


「遥人も安心しただろうに」


目を伏せる結羽にもしかしてと時雨は口を開く。


「結羽は遥人と仲良かったのか?」
「時雨ほどじゃないけど、仲良かったよ。だから、私は彼が守りたかったものを守ると決めてるんだ。私は何があっても君と雨音の味方だから」


思わぬ親友の意思を感じてぽろりと涙が零れ落ちる。


「君は私が冷たい人間だと思ってたでしょう?あれは君が自分を責めて、罰を求めていたから冷たく接していたんだよ。そもそも君は加害者じゃなくて被害者だ。自分を責めて、真実を偽るのはもう終わりにしよう。秋の話もある。これから運命を共にする相手に秘密は不要だよ」


秋と結羽は頷きあう。


「先に俺の話をするね。俺は特殊な血を持ってる。なんのウイルスに対しても抗体を作ることができる。だから、ワクチン開発のために俺は研究所にいた。研究をしていたのが雫さんと、彼女の弟子の香月さんだった。まだ結羽が天才と騒がれる前、雫さんが天才と騒がれていた。俺の血を使って天才は医学を進歩させると言われていて期待されていた。けど、できたのはワクチンじゃなくて“毒”だったんだよ。天才のくせにと雫さんがどんどん追い詰められていったよ。それと同時期に結羽が現れた。結羽が天才だと騒がれるようになった。雫さんはもう自分は必要ないと行方をくらませたんだ。けど、雫さんはふらりと戻ってきた。満さんを連れて。帰ってきた雫さんは別人になっていたよ。人を助けたいと願っていた優しい雫さんはいなくなってしまっていた。人を殺すウイルスを作るように雫さんは変わってしまった。だから香月さんは俺を連れ、雫さんから逃げた。雫さんを裏切ったんだ」
「秋の血からつくられた“毒”の名は言わなくてもわかるね?」


「ーー“MIPV”だよ」





耳が痛くなるような静寂がその場を支配していた。

「つまりMIPVは意図的に作られたウイルスなのか?」
「そうだね。生物兵器と言っても良いくらいの代物だと思う」

時雨の言葉に結羽が頷く。

「私は時雨の血を使って研究してた。雫さんはよく研究成果を聞きに来てたね。私の師匠だからか、妨害するつもりだったのかはわからないけど。ヒントをくれたこともあったかな」
「雫さんは迷っているのかもしれません。無意識なのかもしれませんけど…結羽さんを弟子にしたのは俺と香月さんがいなくなってから、ですよね?」


思い出すのは雫の屈託のない明るい笑顔だ。


「俺はもともと他の研究所にいて人間扱いされてなかったんです。それを救いだして、人間にしてくれたのは雫さんなんです。雫さんはとても優しくて、いや、優しすぎて繊細な人なんです。俺は自分を止めてくれる人を求めて結羽を育てたんだと思うんです……!」


泣く秋を雨音がそっと抱き締めた。


「……ごめん。親友だって言いながら何も知らなくて」
「普通でいたくて隠してたから……こっちこそ、黙っててごめん」


涙を拭い二人は笑いあう。


「……正直、俺は結羽を憎んでた。結羽がいなければ雫さんは居場所を追われなかった。変わってしまうこともなかったんだって」
「それは違うだろう。結羽は悪くない。悪いのは天才と呼ぶ周りの人間だ」
「理屈ではわかってるんだ、ちゃんと」
「決定的に変えてしまったのは満さんの存在だろうね。私もほとんど会ったことはないけれど、あの人は“生きてる”って感じがしない。ただ綺麗な人形を見ているだけの気分になる」
「でも、満さんだけが今の雫さんの支えだから」


シンと静かになる場に時雨が咳払いをする。


「昔話はこれくらいにしよう。大体事情はわかった。問題はこれからのことだ」
「私たちが追われた理由を説明してください」


そうだねと秋は頷いて、深呼吸をする。
そして雨音を見据える。


「ーー雨音。君も“MIPV”の感染者だ」


「ーーえ?」


予想外の言葉に時雨と雨音は絶句し、結羽は目を反らした。




「満。ただいま~」


ベッドの上の満の横に雫はごろんと転がった。
満の白い手がそっと心配そうに雫の頬にできた傷に触れる。


「誰にやられたの?」
「ん、香月に」
「雫を捨てた裏切り者だね」
「ふたりがかりだから少し大変だったよ」
「よく、頑張ったね」

満が優しく雫の髪を撫でる。

「秋は香月を裏切った」
「予想通りだね」
「だから今日はそれに免じて、逃げる手伝いをしてきたよ」
「次からは敵、だからね」
「そうだね」
「人を滅ぼし、二人きりになった世界で、それでも生きるのが辛かったなら一緒に死のう?」
「うん。そういう約束だから、ね」


柔らかくふたりは笑い、互いを確かめるように強く相手を抱き締めた。

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