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前編
5話 交差する思惑
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「……あんた、ホントにどういうつもりなんだよ?」
「どういう意味だい?」
疲れて眠ってしまった雫の髪を愛しそうに撫でながら、顔をあげることなく満は質問に質問で返す。
「言い方を変える。約束を守る気はあるのか?」
「もちろんあるさ。君も健気だよね。大切な人を助けるために二重スパイなんかしてるんだから」
「MIPVの抗体を手にいれるためならなんだってやってやるさ」
「鏡夜のその姿勢は嫌いじゃないよ」
ふふと満は微笑んだ。
「早く雫を惑わせる存在を消してくれる?」
「そのつもりだ」
部屋を出ていく鏡夜に満は笑う。
彼は非常に頭が良い。ちゃんと雫に気づかれないように行動するところは好感が持てる。
「抗体はあげるけど、殺さないとは約束してないんだけどね。ま、彼のことだから気づいてるだろうけど。雫には僕だけがいればいいんだ」
☆
「冗談だろ?雨音が“感染者”だなんて」
ふらりとよろめく時雨を結羽が支える。
「冗談だよと言えれば良かったんだけど、残念ながら本当なんだ。雨音が泊まりにきたときにこっそり調べさせてもらったから。“感染者”じゃなかったら雨音は香月さんたちが保護してここにいないはずだからね」
「雨音、何か自覚症状はない?」
「いえ、特には。秋の言葉が嘘じゃないかと思うくらい私は元気です」
雨音はある程度予想していたのか冷静だった。
「神代さん。ずっと疑問だったことがあるんです」
「何?」
「MIPVはあんなに危険なウイルスなのに、なぜ管理されず放置されているんですか?わかりやすい例で言えばインフルエンザがあります。インフルエンザになれば学校を休まなければならない。病院なら、他の人にうつさないように違う場所に案内されます。インフルエンザでさえ、それだけ対策をするのに、これはおかしいです」
「確かに管理が杜撰だよね。感染経路も治療法も確立されていないのに、“感染者”の時雨は隔離されることもなく自由に出歩ける。これじゃ、ウイルスをばら蒔けと言っているようなものだ」
「やはりこれは意図的に?」
「だろうね。政府としてはどうなの、秋?」
「……上から圧力がかかっています」
「え、対策班まで出来ているのに?」
「所詮対策していますよ、という飾りでしかありません」
「じゃあ、俺たちは政府には狙われていない……?」
「厳密に言えばそうです。今回の行動は言ってしまえば香月さんの独断です。俺たちはピエロなんです」
「ま、香月の判断は感染の拡大を防ぐことを目的としてなら正しいだろうね。上にも少なからず賛同者はいるだろう」
「誰が上に圧力を…?」
ぼそりと呟いた時雨に秋と結羽は顔を見合わせて答える。
「「満さんだよ」」
☆
「う、わ。来た」
雫に邪魔をされ帰って来た真澄と香月は襲ってくる副作用に備えて仮眠室で横になっていた。
予想通りに副作用が襲ってくるが、雫にもらった薬のおかげかいつもよりは症状が軽かった。
自分より体力の少ない香月は眠りに落ちている。
真澄は何もできなかった悔しさに拳をぎゅっと握りしめる。
「真澄、香月いるか?……って眠ってるのか」
「あ、鏡夜じゃん。おかえり。ってか、久しぶり?」
「ずっと別行動してたからな」
「なんか収穫あった?」
ふるふると首を横に振る鏡夜にそっかと真澄は頷いた。
「眠れないのか?」
「うん」
「ホットミルク作ってきてやるからちょっと待ってろ。またあの薬飲んだんだろ?」
「ありがと。甘めでよろしく」
「お前は相変わらず甘党だなぁ」
くしゃりと真澄の空色の髪を撫で、鏡夜が笑う。給湯室に向かい、牛乳を温める。
「……悪く思うなよ」
甘めのホットミルクに鏡夜は睡眠薬を混ぜる。
「関係ない人間は巻き込みたくない。眠ってる間に終わってるよ、真澄」
できたホットミルクを渡してやり、真澄は嬉しそうに飲み干していく。眠くなってきたと言う真澄にお休みと告げ、鏡夜は香月に近づいていく。
ナイフを振り上げ、そのまま振り下ろそうとする。
が。
いつの間に起きていたのか視線が重なった。
ピタリと鏡夜の動きが止まる。
「どうしたの?僕を刺さないの?」
「……眠っていてくれれば良かったのに」
辛そうに鏡夜の顔はゆがんでいた。
雫さんはここまで予測して、薬をくれたのだろうか。
だとしたら恐ろしい。あの人の目にはどこまで先の未来が見えているのだろう。
身体は万全とはいかないが、なんとか戦えるくらいに副作用は抑えられていた。
できるなら戦いは避けたい。
会話で回避できないものだろうか。
「鏡夜。君はこちら側の人間じゃなかったの?」
「俺はどっちの味方でもねぇよ」
「じゃあ、なぜ僕の命を狙うのかな?余程美味しい餌があるんでしょう?」
「MIPVの抗体だ」
「なるほど。それは極上の餌だ。彼の治療ができる」
「俺からも質問だ。どうして彼を殺そうとした?そんな許可は出ていない」
「このままじゃ、“感染者”が増えていくばかりだからだよ。僕の独断なのはわかってる。どんな罰を受けても、感染を防げるなら良かったんだ。人は死んだら終わりだから。“感染者”も人を殺してしまう前に殺されるほうが良い。どのみち死んでしまうんだから」
「死にかたを香月が決める権利はない。どれだけ綺麗な理由を並べても殺人は殺人だ。それに俺たちは命を救う側の人間だ」
「……やっぱり、僕らの意見はあわないね。君だって、僕を殺す気でいるんだから同じ穴の狢だよ」
戦いは避けられないようだ。
お互いにナイフを構える。
「鏡夜は本当に満さんが抗体をくれると信じてるの?そもそも、抗体はちゃんと存在する?」
「存在するさ。上へ圧力をかけることが成功してるのが何よりの証拠だ。それに渡さなければ奪うまで」
「満さんは人間を滅ぼそうと考えているのに?抗体を手に入れて彼を助けても、どうせ命を狙われる」
できるだけ会話を引き伸ばす。鏡夜は頭が良い。自分が言ったことなど百も承知だろう。
「時間稼ぎはここまでだ、香月。お前のこと俺は結構好きだったよ。だから楽に殺してやる」
ナイフが襲いかかる。
戦闘はまずい。
香月はあまり戦闘が得意ではない。十分一般人よりは強いが、単独行動の可能な鏡夜とは相性が悪すぎる。
「ーーっ」
重い蹴りが飛んでくる。持っていた武器を取り落とす。そうだ。真澄に体術を教えたのも鏡夜だったっけ。
逃げ場を奪われ、部屋の隅に追いやられる。頬を掠めるようにナイフが突き立てられ、髪と皮膚が切れた。
くらりと目眩が訪れる。
睡眠薬…?いや、麻酔か…?
意識が遠のいていく。
身体が傾いていく。
負けた。
殺される。
あぁ、嫌だな。
真澄が泣いてしまう。
さよならもありがとうも言えて、ない。
雫を助けたかった。
優しかったあの頃に戻したかったのにーー。
ちらと視界に金糸が見えた。
倒れる身体をそっと抱き止める腕がある。
「私がきたからもう大丈夫。ゆっくりやすみなさい」
「レイ…ラ……?」
美女はふわりと微笑んで、香月をベッドに横たえる。香月はくたりと意識を失った。
「あんた、まだ帰ってくるはずじゃ……」
「嫌な予感がしたのですよ。帰って来て正解でしたね」
「香月を殺すのなら、私を倒してからにしなさい。尤も君が私を追い詰めたことなど一度たりともありませんがね」
レイラはそう不敵に笑う。
「鏡夜。こんなことをしたら真澄が悲しみます。私もとても悲しいです。どうして仲間で争わなければならないのです?」
武器を構えた鏡夜に対し、レイラは丸腰で話しかける。ピリッとした空気を纏う鏡夜に対し、レイラの空気は包み込むように暖かく穏やかだ。
「香月の独断行動は私に責任があります。香月に任せて長い間不在にしてしまった。そんな悲しい顔をしないで。あなたも香月を傷つけたいわけじゃないでしょう?」
「俺はスパイをしてた。ここの情報を流してた」
「知っていますよ。けど向こうの情報も流してくれていた。あなたは自分の居場所を見失っている。違いますか?」
刃を持っているのも気にせずにレイラがそっと鏡夜を抱きしめる。カラリとナイフが落ちた。
「あなたはどちら側でいたいですか?」
声を押し殺し鏡夜が咽び泣く。優しい彼のことだ。悩んで悩んで、苦しんで苦しんで。
そして香月を狙ったのだろう。
「こちら側にいたいのなら私の手を握って?あちら側を望むなら私を拒絶して?」
ぎゅっとレイラの手が握られる。ふわりとレイラは整った顔で笑う。
「……あなたは抗体が欲しいんですよね?ちょっと出掛けてきます。部下が世話になったお礼をしてこなくては」
え?と顔をあげる鏡夜の目の前にはもうレイラの姿はなかった。
ずるずると鏡夜はその場に座り込む。
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
良かった。
香月を殺さずに済んで。
止めてくれてありがとう、レイラーー。
☆
「ま、満さんをどうにかするのが一番手っ取り早いだろうね。できるか、できないは置いといてだけど」
「満さん本人は強くない。問題は雫さんだ」
「……どうにかできると思うか?」
率直な時雨の言葉に頷く者はいない。
「勝てるイメージさえ沸かない、ですね」
「戦うことになっても時雨と雨音は置いていくよ?ウイルスは血を媒介に感染する。君たちが怪我をする可能性はなくさないといけない」
「なら実質動けるのは俺と結羽ってわけだね」
「そういうこと」
「俺はある程度訓練受けてるけど、結羽は戦えるの?」
「生憎身体を使う戦いは向いてないかな。頭脳で勝負するしかないね。で、秋に提案があるんだけど」
「嫌な予感しかしないんだけど、何?」
「君たちのトップと話はできる?君たちと手を組むのが一番良い」
「あー……話は聞いてくれて、たぶん協力もしてくれるとは思うんだけど」
歯切れの悪い秋に結羽が続きを促す。
「あの人がどこにいるのか探すのが大変だと思う……」
「それは参ったな」
「香月さんでさえ、把握できないレベルだから」
「なら、違う作戦を考えましょう。雫が厄介なら彼女が動けない状態を作れば良いんです。班をふたつにわけて、片方が雫を引き付け、満さんを誘拐する。そうすれば彼女は動けない」
雨音の言葉に結羽は良いねとニヤリと笑う。
「良いね。それでいこう」
すやすやと眠っていた雫がパチリと目を覚ます。横で微睡んでいた満が不思議そうに目を向ける。
「満。逃げて。すごく嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
満の長い髪が傾げた動きにつられてさらりと落ちる。
「人が来るよ」
「こんな時間に誰だろうね?」
「招かれざる客だろうね」
そんな会話をしている間に窓から雨のように多数の銃弾が降り注いだ。
「ーーっ!」
雫は満を庇いながら転がり紙一重のところで避ける。嫌な汗がつうと流れていく。
「こんばんは。部下がお世話になったので、お礼に伺わせていただきました」
ふわりと窓から部屋にレイラは入る。月の光に金の髪がキラキラと照らされ、彼女の持ち前の美貌も相まってどこか幻想的な光景が広がる。しかし、美しい瞳は怒りをたたえて荒れ狂う嵐のようだった。
「無傷とは流石です。鏡夜が力で解決しようとしないのも頷けるものです」
「鏡夜?」
きょとんとする雫と目を反らす満。レイラはカツカツと歩を進めていく。なるほど。部下を傷つけたのは長髪の男のほうかと目を細めた。
「雨宮雫殿。あなたに用はありません。私が用があるのは、こちらの日狩満。どうぞ、お下がりを」
「どういった用事かにもよるんだけど?」
「少し部下同士で争いが起きまして。唆したのが彼とのことなので、少しばかりお礼に来ただけなのですよ。大丈夫。殺しはしませんから」
「思いっきり物騒だし、事情もよくわからないけど、とりあえず満を傷つけるってわけだよね?なら、あたしは退かないよ」
「わかりやすく言いましょうか。その男は鏡夜が香月を殺すように仕向けたんですよ」
「ーーえ?」
その言葉に雫は思わず満を振り返る。余計なことをと満の顔には怒りが滲んでいた。雫が見たことのない顔だった。
「あなたは香月に優しくしてくれました。だから巻き込みたくないのです。最後の警告です。下がってください」
女の言葉に雫は目を閉じる。
聞きたいことはいっぱいある。
頭の中で“なぜ”が渦巻いている。
“ーー雫は雫だよ。“天才”じゃなくて良い。ただの“雫”でいい。僕が“雫”を愛してあげる”
傷ついた自分にかけてくれた言葉。
抱き締めてくれた優しい温もり。
何があっても変わらないかけがえのない宝物。
「ーーごめんね。やっぱり退けないや。満が悪いんだとしても、あたしは満の味方でいたいから」
雫は満を抱き上げて、隣の部屋に入れて鍵をかける。やめろと叫ぶ声が聞こえるが気にしない。
「綺麗なお姉さん、名前は?」
「レイラ・ホワイト」
「レイラ。鍵が欲しいならあたしを倒すんだね」
ぐっと距離を詰めて襲う刃をレイラは軽くかわす。
「やっぱり強いね」
「あなたこそ」
お互いの視線が絡まり、二人は攻撃のためにまた動き出すーー。
「どういう意味だい?」
疲れて眠ってしまった雫の髪を愛しそうに撫でながら、顔をあげることなく満は質問に質問で返す。
「言い方を変える。約束を守る気はあるのか?」
「もちろんあるさ。君も健気だよね。大切な人を助けるために二重スパイなんかしてるんだから」
「MIPVの抗体を手にいれるためならなんだってやってやるさ」
「鏡夜のその姿勢は嫌いじゃないよ」
ふふと満は微笑んだ。
「早く雫を惑わせる存在を消してくれる?」
「そのつもりだ」
部屋を出ていく鏡夜に満は笑う。
彼は非常に頭が良い。ちゃんと雫に気づかれないように行動するところは好感が持てる。
「抗体はあげるけど、殺さないとは約束してないんだけどね。ま、彼のことだから気づいてるだろうけど。雫には僕だけがいればいいんだ」
☆
「冗談だろ?雨音が“感染者”だなんて」
ふらりとよろめく時雨を結羽が支える。
「冗談だよと言えれば良かったんだけど、残念ながら本当なんだ。雨音が泊まりにきたときにこっそり調べさせてもらったから。“感染者”じゃなかったら雨音は香月さんたちが保護してここにいないはずだからね」
「雨音、何か自覚症状はない?」
「いえ、特には。秋の言葉が嘘じゃないかと思うくらい私は元気です」
雨音はある程度予想していたのか冷静だった。
「神代さん。ずっと疑問だったことがあるんです」
「何?」
「MIPVはあんなに危険なウイルスなのに、なぜ管理されず放置されているんですか?わかりやすい例で言えばインフルエンザがあります。インフルエンザになれば学校を休まなければならない。病院なら、他の人にうつさないように違う場所に案内されます。インフルエンザでさえ、それだけ対策をするのに、これはおかしいです」
「確かに管理が杜撰だよね。感染経路も治療法も確立されていないのに、“感染者”の時雨は隔離されることもなく自由に出歩ける。これじゃ、ウイルスをばら蒔けと言っているようなものだ」
「やはりこれは意図的に?」
「だろうね。政府としてはどうなの、秋?」
「……上から圧力がかかっています」
「え、対策班まで出来ているのに?」
「所詮対策していますよ、という飾りでしかありません」
「じゃあ、俺たちは政府には狙われていない……?」
「厳密に言えばそうです。今回の行動は言ってしまえば香月さんの独断です。俺たちはピエロなんです」
「ま、香月の判断は感染の拡大を防ぐことを目的としてなら正しいだろうね。上にも少なからず賛同者はいるだろう」
「誰が上に圧力を…?」
ぼそりと呟いた時雨に秋と結羽は顔を見合わせて答える。
「「満さんだよ」」
☆
「う、わ。来た」
雫に邪魔をされ帰って来た真澄と香月は襲ってくる副作用に備えて仮眠室で横になっていた。
予想通りに副作用が襲ってくるが、雫にもらった薬のおかげかいつもよりは症状が軽かった。
自分より体力の少ない香月は眠りに落ちている。
真澄は何もできなかった悔しさに拳をぎゅっと握りしめる。
「真澄、香月いるか?……って眠ってるのか」
「あ、鏡夜じゃん。おかえり。ってか、久しぶり?」
「ずっと別行動してたからな」
「なんか収穫あった?」
ふるふると首を横に振る鏡夜にそっかと真澄は頷いた。
「眠れないのか?」
「うん」
「ホットミルク作ってきてやるからちょっと待ってろ。またあの薬飲んだんだろ?」
「ありがと。甘めでよろしく」
「お前は相変わらず甘党だなぁ」
くしゃりと真澄の空色の髪を撫で、鏡夜が笑う。給湯室に向かい、牛乳を温める。
「……悪く思うなよ」
甘めのホットミルクに鏡夜は睡眠薬を混ぜる。
「関係ない人間は巻き込みたくない。眠ってる間に終わってるよ、真澄」
できたホットミルクを渡してやり、真澄は嬉しそうに飲み干していく。眠くなってきたと言う真澄にお休みと告げ、鏡夜は香月に近づいていく。
ナイフを振り上げ、そのまま振り下ろそうとする。
が。
いつの間に起きていたのか視線が重なった。
ピタリと鏡夜の動きが止まる。
「どうしたの?僕を刺さないの?」
「……眠っていてくれれば良かったのに」
辛そうに鏡夜の顔はゆがんでいた。
雫さんはここまで予測して、薬をくれたのだろうか。
だとしたら恐ろしい。あの人の目にはどこまで先の未来が見えているのだろう。
身体は万全とはいかないが、なんとか戦えるくらいに副作用は抑えられていた。
できるなら戦いは避けたい。
会話で回避できないものだろうか。
「鏡夜。君はこちら側の人間じゃなかったの?」
「俺はどっちの味方でもねぇよ」
「じゃあ、なぜ僕の命を狙うのかな?余程美味しい餌があるんでしょう?」
「MIPVの抗体だ」
「なるほど。それは極上の餌だ。彼の治療ができる」
「俺からも質問だ。どうして彼を殺そうとした?そんな許可は出ていない」
「このままじゃ、“感染者”が増えていくばかりだからだよ。僕の独断なのはわかってる。どんな罰を受けても、感染を防げるなら良かったんだ。人は死んだら終わりだから。“感染者”も人を殺してしまう前に殺されるほうが良い。どのみち死んでしまうんだから」
「死にかたを香月が決める権利はない。どれだけ綺麗な理由を並べても殺人は殺人だ。それに俺たちは命を救う側の人間だ」
「……やっぱり、僕らの意見はあわないね。君だって、僕を殺す気でいるんだから同じ穴の狢だよ」
戦いは避けられないようだ。
お互いにナイフを構える。
「鏡夜は本当に満さんが抗体をくれると信じてるの?そもそも、抗体はちゃんと存在する?」
「存在するさ。上へ圧力をかけることが成功してるのが何よりの証拠だ。それに渡さなければ奪うまで」
「満さんは人間を滅ぼそうと考えているのに?抗体を手に入れて彼を助けても、どうせ命を狙われる」
できるだけ会話を引き伸ばす。鏡夜は頭が良い。自分が言ったことなど百も承知だろう。
「時間稼ぎはここまでだ、香月。お前のこと俺は結構好きだったよ。だから楽に殺してやる」
ナイフが襲いかかる。
戦闘はまずい。
香月はあまり戦闘が得意ではない。十分一般人よりは強いが、単独行動の可能な鏡夜とは相性が悪すぎる。
「ーーっ」
重い蹴りが飛んでくる。持っていた武器を取り落とす。そうだ。真澄に体術を教えたのも鏡夜だったっけ。
逃げ場を奪われ、部屋の隅に追いやられる。頬を掠めるようにナイフが突き立てられ、髪と皮膚が切れた。
くらりと目眩が訪れる。
睡眠薬…?いや、麻酔か…?
意識が遠のいていく。
身体が傾いていく。
負けた。
殺される。
あぁ、嫌だな。
真澄が泣いてしまう。
さよならもありがとうも言えて、ない。
雫を助けたかった。
優しかったあの頃に戻したかったのにーー。
ちらと視界に金糸が見えた。
倒れる身体をそっと抱き止める腕がある。
「私がきたからもう大丈夫。ゆっくりやすみなさい」
「レイ…ラ……?」
美女はふわりと微笑んで、香月をベッドに横たえる。香月はくたりと意識を失った。
「あんた、まだ帰ってくるはずじゃ……」
「嫌な予感がしたのですよ。帰って来て正解でしたね」
「香月を殺すのなら、私を倒してからにしなさい。尤も君が私を追い詰めたことなど一度たりともありませんがね」
レイラはそう不敵に笑う。
「鏡夜。こんなことをしたら真澄が悲しみます。私もとても悲しいです。どうして仲間で争わなければならないのです?」
武器を構えた鏡夜に対し、レイラは丸腰で話しかける。ピリッとした空気を纏う鏡夜に対し、レイラの空気は包み込むように暖かく穏やかだ。
「香月の独断行動は私に責任があります。香月に任せて長い間不在にしてしまった。そんな悲しい顔をしないで。あなたも香月を傷つけたいわけじゃないでしょう?」
「俺はスパイをしてた。ここの情報を流してた」
「知っていますよ。けど向こうの情報も流してくれていた。あなたは自分の居場所を見失っている。違いますか?」
刃を持っているのも気にせずにレイラがそっと鏡夜を抱きしめる。カラリとナイフが落ちた。
「あなたはどちら側でいたいですか?」
声を押し殺し鏡夜が咽び泣く。優しい彼のことだ。悩んで悩んで、苦しんで苦しんで。
そして香月を狙ったのだろう。
「こちら側にいたいのなら私の手を握って?あちら側を望むなら私を拒絶して?」
ぎゅっとレイラの手が握られる。ふわりとレイラは整った顔で笑う。
「……あなたは抗体が欲しいんですよね?ちょっと出掛けてきます。部下が世話になったお礼をしてこなくては」
え?と顔をあげる鏡夜の目の前にはもうレイラの姿はなかった。
ずるずると鏡夜はその場に座り込む。
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
良かった。
香月を殺さずに済んで。
止めてくれてありがとう、レイラーー。
☆
「ま、満さんをどうにかするのが一番手っ取り早いだろうね。できるか、できないは置いといてだけど」
「満さん本人は強くない。問題は雫さんだ」
「……どうにかできると思うか?」
率直な時雨の言葉に頷く者はいない。
「勝てるイメージさえ沸かない、ですね」
「戦うことになっても時雨と雨音は置いていくよ?ウイルスは血を媒介に感染する。君たちが怪我をする可能性はなくさないといけない」
「なら実質動けるのは俺と結羽ってわけだね」
「そういうこと」
「俺はある程度訓練受けてるけど、結羽は戦えるの?」
「生憎身体を使う戦いは向いてないかな。頭脳で勝負するしかないね。で、秋に提案があるんだけど」
「嫌な予感しかしないんだけど、何?」
「君たちのトップと話はできる?君たちと手を組むのが一番良い」
「あー……話は聞いてくれて、たぶん協力もしてくれるとは思うんだけど」
歯切れの悪い秋に結羽が続きを促す。
「あの人がどこにいるのか探すのが大変だと思う……」
「それは参ったな」
「香月さんでさえ、把握できないレベルだから」
「なら、違う作戦を考えましょう。雫が厄介なら彼女が動けない状態を作れば良いんです。班をふたつにわけて、片方が雫を引き付け、満さんを誘拐する。そうすれば彼女は動けない」
雨音の言葉に結羽は良いねとニヤリと笑う。
「良いね。それでいこう」
すやすやと眠っていた雫がパチリと目を覚ます。横で微睡んでいた満が不思議そうに目を向ける。
「満。逃げて。すごく嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
満の長い髪が傾げた動きにつられてさらりと落ちる。
「人が来るよ」
「こんな時間に誰だろうね?」
「招かれざる客だろうね」
そんな会話をしている間に窓から雨のように多数の銃弾が降り注いだ。
「ーーっ!」
雫は満を庇いながら転がり紙一重のところで避ける。嫌な汗がつうと流れていく。
「こんばんは。部下がお世話になったので、お礼に伺わせていただきました」
ふわりと窓から部屋にレイラは入る。月の光に金の髪がキラキラと照らされ、彼女の持ち前の美貌も相まってどこか幻想的な光景が広がる。しかし、美しい瞳は怒りをたたえて荒れ狂う嵐のようだった。
「無傷とは流石です。鏡夜が力で解決しようとしないのも頷けるものです」
「鏡夜?」
きょとんとする雫と目を反らす満。レイラはカツカツと歩を進めていく。なるほど。部下を傷つけたのは長髪の男のほうかと目を細めた。
「雨宮雫殿。あなたに用はありません。私が用があるのは、こちらの日狩満。どうぞ、お下がりを」
「どういった用事かにもよるんだけど?」
「少し部下同士で争いが起きまして。唆したのが彼とのことなので、少しばかりお礼に来ただけなのですよ。大丈夫。殺しはしませんから」
「思いっきり物騒だし、事情もよくわからないけど、とりあえず満を傷つけるってわけだよね?なら、あたしは退かないよ」
「わかりやすく言いましょうか。その男は鏡夜が香月を殺すように仕向けたんですよ」
「ーーえ?」
その言葉に雫は思わず満を振り返る。余計なことをと満の顔には怒りが滲んでいた。雫が見たことのない顔だった。
「あなたは香月に優しくしてくれました。だから巻き込みたくないのです。最後の警告です。下がってください」
女の言葉に雫は目を閉じる。
聞きたいことはいっぱいある。
頭の中で“なぜ”が渦巻いている。
“ーー雫は雫だよ。“天才”じゃなくて良い。ただの“雫”でいい。僕が“雫”を愛してあげる”
傷ついた自分にかけてくれた言葉。
抱き締めてくれた優しい温もり。
何があっても変わらないかけがえのない宝物。
「ーーごめんね。やっぱり退けないや。満が悪いんだとしても、あたしは満の味方でいたいから」
雫は満を抱き上げて、隣の部屋に入れて鍵をかける。やめろと叫ぶ声が聞こえるが気にしない。
「綺麗なお姉さん、名前は?」
「レイラ・ホワイト」
「レイラ。鍵が欲しいならあたしを倒すんだね」
ぐっと距離を詰めて襲う刃をレイラは軽くかわす。
「やっぱり強いね」
「あなたこそ」
お互いの視線が絡まり、二人は攻撃のためにまた動き出すーー。
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再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
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※小説家になろうにも投稿しています。
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