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王都
ガーとケソ茸のスープ
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—————————side JILL—————————
アキオの診察を終え、私は仕事に戻った。
執務室には、各地に派遣した駐在隊員から届いた報告書が山積みになっている。全てに目を通す頃には日が昇っているだろう。
父のように遠くの精霊とも疎通が取れれば、もう少し楽に遠方の状況把握が出来るのだが……
いつもより集中が疎かになるのは、仕事に戻ると告げた時のアキオの顔が私の脳裏を占めているせいだろう。
せっかく彼の中の心の霧がひとつ晴れたというのに、そばにいられないのは大変不本意だ。
あんな顔はさせたくなかった。
「お仕事、頑張ってください!」
と健気に微笑むその目の奥には、確かな悲しみが映し出されていた。
今日に限って大量に報告書が届くとは。
町の再建や学問の普及など、喜ばしい知らせもあるがそればかりではない。人攫いの被害や飢餓に苦しむ人間は未だ絶えない。
私が国中の状況を把握しておかなくては、必要な時に必要な采配ができない。
にもかかわらず、いつものような集中が続かない。
彼は、私の作った杖を手放さずいられることを喜んでくれた。あのように健気な子に、悲しい顔をさせてしまった。
アキオひとり幸せにできず、国中の人間を救えるのだろうか。
一度頭を冷やそうと立ちあがろうとした時、執務室の外の空気が歪んだ。
「ッ……誰だ…」
人の気配だ。
——コン、コン……ガチャ
「あ、あのぅ……」
「アキオ……!?」
彼を思う私の念が強すぎるあまり生き霊となって現れたのかと錯覚するほど、それは信じがたい光景だった。
日付が変わって既に数分が経過している。
そんな時間に、会いたいと願い続けたアキオが目の前にいる。喜びも束の間、彼に何か良くないことが起きたのではという焦りが頭を埋め尽くした。
「どうした、何かあったのか!」
「いえ、違うん、ですけど……その……」
「……?アキオ、その手に持っているのは何だ?」
モジモジと扉付近から動こうとしないアキオに近づけば、彼は杖を持っていない方の手で大切そうに何かを抱えていた。
「ごめんなさい。お仕事中なのに勝手に来てしまって」
「いや、私の方こそ帰れなくてすまない。それにしても、よくここが分かったな」
訓練棟の最上部にあるのが最高司令官室。こんなところに彼1人で来たわけではあるまい。おおよそユリッタハーツフェルドかメテあたりが……
「そ、そんなことはいいんです!ジルさん、あの、これ」
珍しくむきになるアキオが愛らしい。
小さな腕から差し出された包みを受け取り、彼を部屋の中に招き入れ、ソファに座らせる。
「これは何だ? あたたかいな……」
風呂敷越しに伝わる熱が、少々冷え込んだ指先を温める。
「開けてみて下さい」
「ああ」
はらりと包みを開くと、小さな鍋が姿を見せた。
蓋を開けた瞬間、湯気と同時に舞い上がる香りについ顔が綻ぶ。
鍋の中には澄んだスープが注がれていた。
「これは……まさか、アキオが?」
「はい。ガシモワさんに教えてもらいながら。
ジルさんに……喜んでほしいと思って」
アキオの言葉を聞いた瞬間、これまでになく強く胸を締め付けられた。
つい先日人生で最大の褒美を貰い受けたばかりなのに、彼はいつも私に味わったことのない多幸感を与えてくれる。温もりが、体の奥深くから押し広げられるような感覚だ。
「ジルさん……?」
アキオの声に呼び戻される。
どうやら私は今まさに言葉を失っていたらしい。
「……君は、私をどれほど喜ばせれば気が済むんだ?」
「ジルさん……うれしいですか?」
アキオの声が弾み、目には和やかな光が生まれる。
「当たり前だろう。アキオが私のために一生懸命料理を作ってくれた。これがどれほど幸せなことか、君に分かるか?」
「………」
私の言葉を聞いた途端、アキオは俯いて黙ってしまった。何か失言でもしてしまったかと焦る私に、彼はこう言った。
「ジルさんより、僕の方が幸せかもしれません。
ジルさんが喜んでくれた…よかった……うれしい」
無意識のうちに、小さな体を腕の中に抱き込んでいた。心なしか泣きそうな声で、しかし喜ばし気に呟く彼が愛おしくてたまらない。
「ジ、ジルさん、スープ、こぼれちゃいますよ」
「ああ、すぐにいただこう。しかしもう数秒だけ、こうさせておいてくれ」
「早くしないと、冷めちゃうのに」
苦言を呈しながらも、いつものように柔らかい手つきで私の頭を撫でるアキオ。
そのまま私の背に両手をまわし、私を閉じ込める。いたずら好きのような顔がこちらを見上げる。
「冷める前に、食べてほしいのになー」
私がアキオを手放せないことを理解しての言葉だろうか。だとしたら彼も案外とタチが悪い。しかし彼にならどれだけ弄ばれても悪い気ひとつしない。
「あ…いいこと思いつきました……!」
急にそう言った彼はパッといとも簡単に私を腕から解放する。そして私から鍋を取ると、風呂敷をごそごそと探り、スプーンを取り出した。
スプーンで鍋の中をかき混ぜたかと思えば、そのままひとすくい。
味見がまだだったのだろうか。
どんな味でも、この世の料理の中で最もうまく感じる自信はあるが……
「ふー、ふー、
………はいジルさん、あーん…」
「………………ん、とてもうまい……!」
口元に運ばれるスプーン。若干の背徳感を抱きつつも口を開けると、その旨みが体全体に染み渡る。
「これは……ガーの肉とケソ茸で出汁をとったのか?」
「さすが、ジルさん。分かるんですか?」
「ああ。私が君に初めて作った料理だ。あれを料理と言うには少々苦しいか……。私のとは比べ物にならないほどうまい。アキオ、ありがとう。もう一口貰おう」
「はい……!
ふーー、ふー…あついので、きを、つけて…」
アキオは、溢すまいと手元に集中するあまり舌足らずになる。彼は料理の手つきも危うく、一度包丁を取り上げたこともあった。ここまで作り上げるのに、どれほどの努力をしたのだろう。
彼がこそこそと何かをやっているのには気がついていた。
危険なことでは無さそうだったし、ユリッタが協力をしているらしかったので好きにさせた。
まさか、こんなことを企んでいたとは。
「野菜もよく煮込まれているな。肉の旨みが溶け出して絶妙な味だ」
「本当ですか?じゃあもうひとくちどうぞ。
ふー、ふー………あーん………
ジルさん、美味しいですか?」
「ああ。とてもおいしい。疲労など何処かへ行ってしまったようだ」
私の言葉に、一層顔を明るくさせるアキオ。
そしてまた張り切ってスプーンに掬う。
「ふー、ふー、………おいしい?」
一口ごとに私に感想を求める彼は、その度に眉尻を下げて不安そうにする。そして分かりきった返事を聞くたびに、無邪気に頬を緩ませ喜ぶ。
結局ほぼ全てのスープをそうやって平らげた。
いつの間にか、仕事が進まぬ焦燥感から来る苛立ちはすっかり消え去っていた。
———スー、スー、
アキオの寝息を聞きながら仕事をする日が来るとは思わなかった。なるべく彼の前では業務から解放された自分でありたかった。
アキオを保護したのは任務の一環に過ぎなかったが、今こうして彼といる時間は、最高司令官ではなく、軍人としてではなく、ただひとりの”私”として生きたい。
一定のリズムで小さく上下する彼の胸。あの小さな体にどれほどの幸せを与えられるだろうか。
彼の柔らかく澄んだ呼吸音を聞いているだけで、資料の内容は拍子抜けするほどするりと頭に入ってゆく。
まるで何か大きいものに包まれているような、背中を押されているような、そういう安心感が彼の寝息にこもっているみたいだ。
「ジ、ルさ……」
彼の夢の中にも私がいるのだろうか。それともどこかにいる私を探してくれているのだろうか。
「アキオ、ありがとう……」
彼が夢の中の彼に見つけ出してもらえるように、小さく呟いた。
アキオの診察を終え、私は仕事に戻った。
執務室には、各地に派遣した駐在隊員から届いた報告書が山積みになっている。全てに目を通す頃には日が昇っているだろう。
父のように遠くの精霊とも疎通が取れれば、もう少し楽に遠方の状況把握が出来るのだが……
いつもより集中が疎かになるのは、仕事に戻ると告げた時のアキオの顔が私の脳裏を占めているせいだろう。
せっかく彼の中の心の霧がひとつ晴れたというのに、そばにいられないのは大変不本意だ。
あんな顔はさせたくなかった。
「お仕事、頑張ってください!」
と健気に微笑むその目の奥には、確かな悲しみが映し出されていた。
今日に限って大量に報告書が届くとは。
町の再建や学問の普及など、喜ばしい知らせもあるがそればかりではない。人攫いの被害や飢餓に苦しむ人間は未だ絶えない。
私が国中の状況を把握しておかなくては、必要な時に必要な采配ができない。
にもかかわらず、いつものような集中が続かない。
彼は、私の作った杖を手放さずいられることを喜んでくれた。あのように健気な子に、悲しい顔をさせてしまった。
アキオひとり幸せにできず、国中の人間を救えるのだろうか。
一度頭を冷やそうと立ちあがろうとした時、執務室の外の空気が歪んだ。
「ッ……誰だ…」
人の気配だ。
——コン、コン……ガチャ
「あ、あのぅ……」
「アキオ……!?」
彼を思う私の念が強すぎるあまり生き霊となって現れたのかと錯覚するほど、それは信じがたい光景だった。
日付が変わって既に数分が経過している。
そんな時間に、会いたいと願い続けたアキオが目の前にいる。喜びも束の間、彼に何か良くないことが起きたのではという焦りが頭を埋め尽くした。
「どうした、何かあったのか!」
「いえ、違うん、ですけど……その……」
「……?アキオ、その手に持っているのは何だ?」
モジモジと扉付近から動こうとしないアキオに近づけば、彼は杖を持っていない方の手で大切そうに何かを抱えていた。
「ごめんなさい。お仕事中なのに勝手に来てしまって」
「いや、私の方こそ帰れなくてすまない。それにしても、よくここが分かったな」
訓練棟の最上部にあるのが最高司令官室。こんなところに彼1人で来たわけではあるまい。おおよそユリッタハーツフェルドかメテあたりが……
「そ、そんなことはいいんです!ジルさん、あの、これ」
珍しくむきになるアキオが愛らしい。
小さな腕から差し出された包みを受け取り、彼を部屋の中に招き入れ、ソファに座らせる。
「これは何だ? あたたかいな……」
風呂敷越しに伝わる熱が、少々冷え込んだ指先を温める。
「開けてみて下さい」
「ああ」
はらりと包みを開くと、小さな鍋が姿を見せた。
蓋を開けた瞬間、湯気と同時に舞い上がる香りについ顔が綻ぶ。
鍋の中には澄んだスープが注がれていた。
「これは……まさか、アキオが?」
「はい。ガシモワさんに教えてもらいながら。
ジルさんに……喜んでほしいと思って」
アキオの言葉を聞いた瞬間、これまでになく強く胸を締め付けられた。
つい先日人生で最大の褒美を貰い受けたばかりなのに、彼はいつも私に味わったことのない多幸感を与えてくれる。温もりが、体の奥深くから押し広げられるような感覚だ。
「ジルさん……?」
アキオの声に呼び戻される。
どうやら私は今まさに言葉を失っていたらしい。
「……君は、私をどれほど喜ばせれば気が済むんだ?」
「ジルさん……うれしいですか?」
アキオの声が弾み、目には和やかな光が生まれる。
「当たり前だろう。アキオが私のために一生懸命料理を作ってくれた。これがどれほど幸せなことか、君に分かるか?」
「………」
私の言葉を聞いた途端、アキオは俯いて黙ってしまった。何か失言でもしてしまったかと焦る私に、彼はこう言った。
「ジルさんより、僕の方が幸せかもしれません。
ジルさんが喜んでくれた…よかった……うれしい」
無意識のうちに、小さな体を腕の中に抱き込んでいた。心なしか泣きそうな声で、しかし喜ばし気に呟く彼が愛おしくてたまらない。
「ジ、ジルさん、スープ、こぼれちゃいますよ」
「ああ、すぐにいただこう。しかしもう数秒だけ、こうさせておいてくれ」
「早くしないと、冷めちゃうのに」
苦言を呈しながらも、いつものように柔らかい手つきで私の頭を撫でるアキオ。
そのまま私の背に両手をまわし、私を閉じ込める。いたずら好きのような顔がこちらを見上げる。
「冷める前に、食べてほしいのになー」
私がアキオを手放せないことを理解しての言葉だろうか。だとしたら彼も案外とタチが悪い。しかし彼にならどれだけ弄ばれても悪い気ひとつしない。
「あ…いいこと思いつきました……!」
急にそう言った彼はパッといとも簡単に私を腕から解放する。そして私から鍋を取ると、風呂敷をごそごそと探り、スプーンを取り出した。
スプーンで鍋の中をかき混ぜたかと思えば、そのままひとすくい。
味見がまだだったのだろうか。
どんな味でも、この世の料理の中で最もうまく感じる自信はあるが……
「ふー、ふー、
………はいジルさん、あーん…」
「………………ん、とてもうまい……!」
口元に運ばれるスプーン。若干の背徳感を抱きつつも口を開けると、その旨みが体全体に染み渡る。
「これは……ガーの肉とケソ茸で出汁をとったのか?」
「さすが、ジルさん。分かるんですか?」
「ああ。私が君に初めて作った料理だ。あれを料理と言うには少々苦しいか……。私のとは比べ物にならないほどうまい。アキオ、ありがとう。もう一口貰おう」
「はい……!
ふーー、ふー…あついので、きを、つけて…」
アキオは、溢すまいと手元に集中するあまり舌足らずになる。彼は料理の手つきも危うく、一度包丁を取り上げたこともあった。ここまで作り上げるのに、どれほどの努力をしたのだろう。
彼がこそこそと何かをやっているのには気がついていた。
危険なことでは無さそうだったし、ユリッタが協力をしているらしかったので好きにさせた。
まさか、こんなことを企んでいたとは。
「野菜もよく煮込まれているな。肉の旨みが溶け出して絶妙な味だ」
「本当ですか?じゃあもうひとくちどうぞ。
ふー、ふー………あーん………
ジルさん、美味しいですか?」
「ああ。とてもおいしい。疲労など何処かへ行ってしまったようだ」
私の言葉に、一層顔を明るくさせるアキオ。
そしてまた張り切ってスプーンに掬う。
「ふー、ふー、………おいしい?」
一口ごとに私に感想を求める彼は、その度に眉尻を下げて不安そうにする。そして分かりきった返事を聞くたびに、無邪気に頬を緩ませ喜ぶ。
結局ほぼ全てのスープをそうやって平らげた。
いつの間にか、仕事が進まぬ焦燥感から来る苛立ちはすっかり消え去っていた。
———スー、スー、
アキオの寝息を聞きながら仕事をする日が来るとは思わなかった。なるべく彼の前では業務から解放された自分でありたかった。
アキオを保護したのは任務の一環に過ぎなかったが、今こうして彼といる時間は、最高司令官ではなく、軍人としてではなく、ただひとりの”私”として生きたい。
一定のリズムで小さく上下する彼の胸。あの小さな体にどれほどの幸せを与えられるだろうか。
彼の柔らかく澄んだ呼吸音を聞いているだけで、資料の内容は拍子抜けするほどするりと頭に入ってゆく。
まるで何か大きいものに包まれているような、背中を押されているような、そういう安心感が彼の寝息にこもっているみたいだ。
「ジ、ルさ……」
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