神は生贄に愛を宿す

丑三とき

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第一章:生贄

2.ともだち

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 話は変わるが私には友達がいる。前の世界の同級生や同僚のことじゃない。


——ガサッ……ヒョコッ

 この犬のことだ。

 柔らかい毛は触り心地がいい。
 二年前は豆柴ほどの大きさをしていたけど、二年間でシベリアンハスキーのさらに大きいのくらいになった。

 見違うほど成長したけど、私にはこの子が二年前の子と同じとわかる。何となくわかる。
 ちなみに名前をつけたら愛着が湧くから犬と呼んでいる。

「また、来たの……?」

 この犬は鳴かない。体育座りをする私の隣に座って、静かに過ごすだけ。今日もただただ隣にいてくれた。
 体力尽きてもう動けない私のほっぺを一度だけ舐めて、あとはいつものようにじっと座っていた。

「君はいつも、どこから来るんだい……」

 暗くてわかりづらいけれど、白っぽい毛を撫でると違和感に気がついた。

「君、怪我してるのかい?」

 暗いのでよく見えない。
 顔を近づけて腕を見ると、深く裂けた皮膚から血が流れている。

「大変……え、と……そうだ、これ」

 来ていたシャツの裾を破って細長い包帯を作る。

「シャツ、汚いし……直接傷に当てない方がいいよね」

 傷口よりも心臓に近い場所を包帯で縛り、止血を試みた。

「どこで怪我したの?  痛いでしょう、早く優しい人間に、手当てしてもらってね」

 犬の頭を撫でながら言う。犬はやっぱり何も言わない。いつもみたいに私の隣に座って静かにしているだけだ。

 犬は大きく欠伸をした。私もつられて欠伸をした。

 眠気を感じてその場に寝転ぶと、犬は私に向き合うようにして寝転んだ。

「ふふっ、君もねむたい?  一緒に、おひるねしよっか」

 彼の柔らかいお腹を撫で撫ですると、もっともっとと言うように腹を差し出した。

「かわいいねえ、きみは」

 私はたまらなくなって、わしゃわしゃわしゃ撫でる手でそのまま彼を抱きしめ、抱き枕にした。



 その日は穏やかな夢を見た。

 犬と青天の空を飛んでいた。ふわふわの白色の毛を靡かせる犬と一緒に空を散歩した。それから草原に降り立ち、犬のお腹を枕に寝かせてもらった。気持ちよかった。

 この夢楽しいなあ。ずっとここに居れたらいいのにな。わたあめみたいなふわふわのお腹で、ずっと寝ていたい。


 もちろん現実はそうはいかなかった。

 次の日も、その次の日も、ずっと真っ暗な塔の中。硬い床の上。唯一の楽しみは犬が来て隣にいてくれることだけ。私にとってはそれだけで充分だった。

 君がいなかったら私の心はとっくに死んでいたよ。寂しくて辛くてたまらなくて、一人ぼっちのままだった。

「ありがとね……」

 犬は鳴かない。いっつも、すん、として佇んでいる。

「つれないなあ、……あ、腕の傷、治ったんだね。よかった、よかった」

 わしゃわしゃわしゃ。

「んー、なんか……君、大きくなるの早いねえ」

 撫でる面積が日に日に大きくなっている。動物の成長は早いって言うしなあ。

「たくさん食べてもっと大きくなるんだよ、そしたら、もふもふの枕みたいになるかなぁ」

 犬は何も言わずに私を見るだけ。

「きみ……うちの狛犬に似て、勇ましいね」

 静かに、ただ寄り添って見つめるだけ。

「うちの狛犬、男前なんだよ。どこか狼に似てるんだ。あ…こまいぬ、っていうのはね、神社を守ってくれる獣のことだよ……神社は兄が継いだから、わたしは、たまーに帰る、だけなんだけどね」

 鳴いてはくれないけれど、寄り添って話し相手になってくれているのが心の支えだった。

「そうだ、うちの狛犬ね、ちょっと変わってるの。きみに似て勇ましい犬とね、あと、鳥もいるんだ……狛鳥、珍しいでしょ」

 狛犬に似ている彼を見つめていると、幼い頃から言い聞かせられていた昔話を思い出した。

「むかしむかし、ある神社に、さまがいたの。みこさまっていうのは、神様にご奉仕したりする人のことなんだけど……そのみこさまは、神様のことを、好きになっちゃったんだって」

 祖父母からも、両親からも、兄からも同じ話を眠る前に聞かされて「またその昔話かあ」なんて辟易していたけど、今思うと取り戻せない平和な時間だったんだな。

「ご奉仕するべき神様に、下心を抱いてしまったみこさまは、反省して、満月の夜中にやしろを抜け出して……鳥居の向こうへ行っちゃったの。もう、神様にお仕えする資格がない、自分は愚かな人間だ、そう考えて、鳥居の向こうへ行ってしまったんだ。それから、みこさまの姿を見た人は、居ないんだって」

 要するに「夜中に外に出たら怖い目に遭いますよ」と子供に躾けるための昔話だ。
 シンプルだけど効果は覿面だった。私の生まれた神社は森の中にあって、夜になるとより一層鬱蒼とした雰囲気を増した。

 昔からその話を聞かされていたので、子供の時は「人が消える」と本気で怯えていたし、大人になってもしばらく夜中の鳥居のそばは怖くて、夜遊びなどもすることなく早く家に帰っていた。

 なのにあの日は気まぐれで近づいてしまった。あの言い伝えはやはり本物だったのだろうか。

「それにしても、神様のこと、好きになっちゃうなんて……子供には愛なんて、よくわからないのにね。好きなのに、ダメなことなのかなって、昔は不思議だったな。誰が考えたんだろうね、この昔話」

 いくら問いかけても、何を語りかけても、犬は私をじっと見つめるだけ。

「ねえ、きみは、どんな声をしているの?」

「………」

「好きな食べ物、ある?」

「…………」

「わたしは、きみをもふもふするのが好きだよ」

 お腹の辺りを、顔の周りを、もふもふわしゃわしゃわしゃ何度も撫で撫でする。鬱陶しいだろうに、犬はおとなしく私の撫で撫で攻撃を甘受してくれる。

「………」

「ふふっ、ポーカーフェイスなんだね、やっぱり男前だ」

 私は、犬に話し相手になってもらいこの日を乗り切った。それからしばらくは、犬に色々な昔話をするのがマイブームになった。






 それにしても、

「やっぱり……大きいねえ」

 数日間でどんだけ大きくなるんだ。怪我した日からまだ1週間そこらなのに。

 今日も。

 また今日も。


 日が経つにつれ犬の体はどんどん大きくなる。反比例して私の体はどんどん貧相になる。
 豊かな毛を撫でる骨ばった手が何とも情けない。

「今日は、何のおはなしする?」

「………」

「犬が出てくるお話は、桃太郎と、あとははなさかじいさん……は、やめとこう。あれ、いぬかわいそうだから」

「…………」

「んー、なににしよ…っ、けほっ、ゲホゲホッ!」

 彼に聞かせる昔話を頭の中で選んでいると、急に肺に異物が入った感覚がして咳き込んだ。あたりの埃や塵に対して最近粘膜が弱くなっている気もする。

 喉に突きあげる渇いた咳を止めようと蹲ると、犬が私の背に前足を乗せて私の顔を覗き込むようにぴたりとくっつけた。

「!  ゲホ、ゲホゲホッ……」

 心配してくれているのだろうか。
 まるで彼に背中をさすられているような感覚に安堵を感じながらも、一回咳き込むごとに少しずつ体力が削られるのを実感していた。


 犬の協力もあって無事に咳が止まる。

 私が再び話そうとすると、膝へ足を乗せてきて口元をぺろぺろ舐められた。無理に話すなってこと…?
 彼の優しさに甘え、この日は静かに犬を抱き枕にし、温もりを堪能するだけにした。

 咳はまだ出ちゃうけど、次の日も、その次の日も犬が一緒にいてくれたので退屈ではなかった。



 それにしても、だ。

「ライオン……みたいに大きくなったねぇ。ホント、どこから入ってきてるの?」

 犬はいつも、気がつけばそこにいる。そして気がつけば大きくなっている。

 塔の中はとっても暗いし広いし、出入り口なんて探せない。

 体力も無くてもう歩けないし。

 いつもみたいに隣に座る犬はとても……ん? 犬……?

「きみ……もしかして狼、だったりする……?」

狼にしたって大きいけどね。
この暗闇で光る鋭い目、鋭い歯。もしかして犬じゃなくて狼だったの?

「……ま、どっちでもいっか。君は君だものね」

 勝手に納得して冷たい床にゆっくり横になる。

 最近は座る元気もないのだ。

 犬は、横たわる私と床の隙間に体を入れようとしてくる。いつも静かに隣に座るのに今日は頑なに体を捩じ込もうとしてくる。

「わ、……ん、ん? もしかして、枕になってくれるの?」

 体を少し起こすと、頭のちょうどいいところに大きなもふもふっとしたお腹を滑り込ませてくれた。

 わーい。

「嬉しいなあ。私はね、実はね、これしてもらうの、ずっと夢だったんだ……」

 ふわふわの毛が顔に当たってくすぐったい。
でもあったかい。

「このまま、しぬのかなあ……ま、いっか……」


 この日も幸せな夢を見た。
 雲の上で寝っ転がって犬と( 狼だけど )遊んでいた。楽しかった。体が軽くて、犬を追いかけまわす足が軽やかに動くのが愉快だった。
ついに天国に来れたのかと思った。


 でも違った。いつものように目が覚めた。

 犬はいつも、いつのまにか居なくなってる。
いつのまにか来ていて、いつのまにか居なくなる。

 自由人だね。
 そういうところが好きだよ。






「寒い……」

 この国には寒い時期もある。暑い時期もあるけど、寒いほうが嫌いだ。骨がキシキシするから。
 ここは日本みたいに四季があるのかもしれない。

 これでも寒さの峠は越えた。一月ほど前はもっともっと寒くて、死にそうだったところを犬がたくさん温めてくれた。

 あたたかくなって来たとはいえ、頭に光の入らない時間、つまり朝や夜はとても寒い。

 体を丸めて暖をとる。
 歯がガチガチ震える。

 ついに死ぬらしい。
 せっかく若くして死ぬならもっと綺麗な状態で死にたかったな。

 今なんてきっと伸び切った髪はぐしゃぐしゃで、肌も汚れてて、服も汚い。

 ご飯も食べる気にならなくて、痩せ細っている。

「さむい、よ……」


——ツタ、ツタ、ツタ、

「犬…? きたの…?」

 灰色のふわふわが目の前に訪れる。僕はもう体を動かす気力が無い。

 ごめんね、撫でてあげられなくて。

 犬はあたりを見回して、私が手をつけなかったご飯の器を口でズルズルと引きずっている。そのまま僕の目の前に持ってきた。

「ふふふ、ありがと、でもね、今ちょっとお腹空いてないんだよね」

 だめだ、食べろ、と言わんばかりにいつまで経っても押し付けてくる。

「君は優しいね……ありがとう。じゃあ、少しだけいただこうかな……」

 ガタガタと震える手を伸ばして、パンをひとかけら口に含む。

「ふふ…、ん、美味しいねえ」

 味なんて分からない。
 でも犬の前ではいつも明るく居たいと思った。

 犬は、私の頬をぺろぺろ舐めた。
 体が大きければ舌も大きい。本気を出せば僕なんてペロリと食べられてしまいそうだ。

 だけど犬は優しく優しく、それはもう優しく僕の頬を舐めた。

「ん、くすぐったい、ふふふ、もう、君は甘えん坊だなあ」

 舐められたほっぺが気持ちよくて、いつの間にか気を失うように眠っていた。

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