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第一章:生贄
3.分かれ道
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「———、——っ、~~」
「——? ——、——」
……意識の向こうでかすかな音がする。
徐々に覚醒するにつれ、それが人の声だと分かった。
「おいっ、バレたらやべえんじゃねえのか?」
「大丈夫だって、ちょっーと具合を確かめるだけじゃねえか」
軍人かな。また次のご飯の時間かな。でももう食べる元気も無いんだよね。
体力も残っていなくて、目を開けるのが精一杯。だけど霞んで暗い視界じゃ状況を把握することはできなくて、ただ耳を傾ける。
「こんな上物ほっとけるかよ。どうせ明日生贄になるんだから、ヤッたって同じだろ」
「まぁ、確かに気にはなってたけどよ……」
「だろ? どうせ土地神様に食われちまうなら最後に楽しんどこうぜ。ほら見ろ。もう動く力も残ってねえらしい。お前は脚を掴んでろ」
「はぁ……わかったよ」
——グイッ
「!?」
足を持ち上げられ、着ていた薄い穿き物を脱がされる。何をされているのか分からなくて、ただただおそろしい。
「…んっ、」
「っおいこら動くな」
いやだ。逃げたい。
自分にまだこんな気持ちが残っていたことに驚いた。
「ゃ……だ」
痛い、怖い、恥ずかしい、恐ろしい。
やめて、やめてやめてやめて。
今まで麻痺していた恐怖が一気に身体中を駆け巡った。露わになった下腹部を軍人二人が舌なめずりをしながら見ている。屈辱的で、掴まれた脚は痛くて、気持ちがぐちゃぐちゃ音を立てて捻り潰されるようだ。
しかし残念ながら抵抗する体力は残っておらず、身じろぐので精一杯だ。
「おいおいおい逃げんなって、気持ちよくしてやるから」
「おい早くしろよ? 押さえててやるから、次俺にかわれよ」
「分かった分かった、そう急かすな」
「ん!んん"っ」
口に布を噛まされた。恐怖でギリギリと食いしばった歯が砕けそうだ。どこにこんな力が残っていたのだろうか。
最後の最後の力を振り絞り、軍人の腹を思い切り蹴った。
「っ! コイツ……まだ動けんのかよ、生贄のくせに」
与えられたダメージなんてたかが知れている。しかし彼の癪はしっかりと触ってしまったようで、私の数倍の力で頬を殴られた。
「っ、ん"……!」
そして背後にいる軍人から有り余る力でギリギリと地面に押さえつけられ、骨も悲鳴をあげていた。後ろから体を押さえつけられ、目の前の軍人に脚を思い切り開かれる。彼は自らの穿き物を寛げ下腹部を晒そうとしていた。
何をしようとしているかは、この草臥れた脳でも理解できた。
「ん"ーー、んっ、!」
「おい騒ぐな、人が来るだろ」
余裕そうに笑いながら私を押さえつけるのがとても不愉快だ。むかつく。けれどそれ以上の恐怖が体を固めてしまって思うように動かないのだ。
早く死んだほうがよかった。
こんなに恐ろしく惨めな思いをするのなら与えられる粗末な食事など取らず早々に生き絶えて仕舞えば良かった。
体も動かない、もう抵抗もできない。
硬い床が骨に当たって痛い。
自分の力の限界を感じ、私は諦めることにした。
目の前の軍人が僕を穿とうとしたその時、彼の顔が青ざめたのが暗闇の中でもうっすらと分かった。
「っっ!!」
そのほんの一瞬の後、犬が目の前の軍人に噛みつき咥えたまま遠くへ吹き飛んだ。
「ゔわぁぁああああっ!!」
軍人の悲痛な叫びが響く。
後ろで私を押さえつけていたもう一人は咄嗟に僕から体を離した。
「ぐハッッ、あ"ぁあああっ」
犬は逃げようとしたもう一人に思い切り飛びつき、腕に噛みつく。
悲痛な叫びがだんだんと遠のく。意識はいつのまにか、またあのふわふわの雲の上へ飛んでいったのである。
◆◆◆
体が痛くない。
浮遊感に包まれて非常に楽だ。
真っ白でふわふわの雲が私の周りを私を支えてくれている。ぷかぷかお空に浮かんで、非常に心地よい。
グルルッと低い声が頭の方から聞こえて身じろぐと、犬が私の枕になってくれていた。
ねぇ犬。私はどうやら死んだみたいだ。ごめんねせっかく助けてくれたのに。
ありがとう。かっこよかったよ。私のピンチに登場してくれて、スーパーマンみたいだった。
これからはずっと天国で犬と一緒に過ごせるのかな。
……って、いやいや、だめだめ。
この子は亡くなっていないのだから、ここで過ごすのは私だけなのだ。犬は死んだわけじゃないよね?
なんで犬がここに居るの? ここは天国じゃないのかな?
分かれ道、的な?
私は地獄に行くのかな、それとも天国に行くのかな。
この世界へ来てからは良くない人生だった。でも最後に友達ができたのは嬉しかった。暗い闇に晒され孤独に打ちひしがれている時に出会った犬は、間違いなく僕の宝物だ。
犬にぺろぺろ頬を舐められるのがくすぐったくて、まるでまだ自分が生きているみたいにリアルな温もりを感じる。
ありがとう犬。
君に出会えて幸せだったよ。
死んだ実感が湧かないまま、私は再びゆっくりと意識を手放し、天国行きか地獄行きかの裁判を待った。
◆◆◆
私が来たのは地獄の方だった。
体が痛い。
食いしばった顎が痛い。
気持ちもどんよりしている。
少しずつ覚醒する意識。でも目だけはなかなか開かない。眩しいのが瞼越しにもわかって、開こうにも開けないのだ。数年間暗がりの中にいたので、眩しさを体が拒否しているらしかった。
体に力を入れようとするが、全身に触れる感触が地獄にしてはおかしい。
なんか、ふっかふかの布団に包まれてる気がする。ふっかふかの地獄ってあるんだなあ。しかもなんかあったかい。全然寒くない。
ここはどこだ? こんなに体が痛いのに地獄じゃないとしたら、もしかして……死んでない?
ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて目を開ける。差し込む光が眩しくてとても目が痛かった。
「ん………」
部屋はさっぱりとしていて簡素な小屋のようだ。暖炉の火が心をほっこりとあたためた。
「ぁ……」
喉も痛い。あの時恐怖に晒されて発声がうまくいかず、声を出そうと力んでしまったのだろうか。
腕には包帯が巻かれている感覚がある。顔もガーゼなどで処置されている感覚がある。誰かが手当をしてくれたことは明白だ。
心が暖かいのに体は痛くて痛くて、生理的な涙が出そうだった。だけどなんとか堪えて、頭を動かして周りを見てみる。
自分の置かれている状況が分からないけど、あの時犬が助けてくれたのは確実に覚えてる。犬がここまで連れてきてくれたのかな。犬の飼い主さんが手当をしてくれたのかな。
探してお礼をしなきゃ。
体を起こそうと踏んばるが、身体中が痛くて、力がすぐに抜けてしまう。それに何年間もかたい床の上で過ごしていたから、ふわふわのお布団の上ではバランスが取りづらい。
ベッドの端に移動してから姿勢を変えて立ちあがろうと試み、全身の力を振り絞って寝返りを打ってみる。
「ゎ、……」
——ドタッッッ!
手をつく場所やら体重の掛け方やら、全部間違えて、ベッドの下へと転げ落ちてしまった。
身体の使い方がわからなくなっている……。
「っ、いたい……はぁ……」
しかも変なふうに手をついてしまったから、ちょっと捻った気もする。
せっかく誰かが手当をしてくれたのに怪我を増やしてしまった。
転げ落ちた場所から動けないでいると、背後から"ガチャ"と扉が開く音が聞こえた。
ゆっくり音の方を見ると、二十代後半ほどの見た目をした白髪の大きな体躯の人間が立っていた。
「——っ!?」
私は自分自身に驚愕し息を呑んだ。
飼い主さんに会ったらきちんとお礼を言いたいと思っていたのに、恐怖で震えて体も心も言うことを聞かないのだ。
本能が、"人間"を拒否している。
また襲われる。体を掴まれて服を脱がされ、屈辱に晒される。もしくは再び牢か塔に閉じ込められ、苦痛を与えられる。
そんなイメージばかり脳裏に浮かび、いつしか呼吸をコントロール出来なくなっていた。
「はっ、ハァッ、はぁ……」
「っ、おい、大丈夫か」
「ゃ……」
近づいてくる人間から遠ざかろうと体を捻るも、背後にはベッドがあり逃げ道がない。
「……悪い。怖がらせるつもりは無かった」
私の様子を見て、彼はバツが悪そうにその場にとどまり、どうしたものかと思案し出した。
私は自分のとった態度がいかに無礼だったかやっと気づいた。きっとこの人が助けてくれたに違いない。なのにこんなふうに拒否して……いけないって分かっているのに、どうしても恐怖を取り払うことができなかった。
心すらもコントロールできなくなっていたのだ。
大きな人間はたくさん考え、
「そうだな……これなら平気か?」
と言って光に包まれた。
……光に包まれた? なんで?
人間が発光する場面は生まれて初めて見るので混乱してしまい、ともすれば恐怖よりも混乱の方が大きくなった。
光はどんどん小さくなっていき、発光がおさまった時には、白い豆柴が目の前に居た。
「え……?」
キュルンとしたお顔。
愛らしいつぶらな目。
……見たことある。
犬だ。若かりし頃の犬だ。
出会った頃は豆柴だったのに、あっという間にシベリアンハスキーになったんだ。うちの狛犬似てるねってお話ししたあの犬だ。
塔の中では暗くて正確な色まではわからなかったけど、こんなに綺麗な白色だったんだね。
でもなんであの頃の犬が……もしかしてタイムスリップ?
…………いや、それよりおかしいことが起きたよね。今、あの人間が犬になったよね!?
キュルルンとした犬に癒されていて一瞬思考が遅れてしまったけど、犬、え……人間?
目の前にそれはそれは可愛い犬がいるのに混乱して固まったままでいると、犬も私を見て固まった。そして何かに納得したように「ああ、そうか」と呟いた。
きゅるっきゅるんの犬がひっっくい声で呟いた……。
そして「そうか、お前は成体のほうが好みだったな」と呟いて(また呟いた…)、再び光を放った。
先ほどとは逆に光は少しずつ大きくなり、ライオンほど体躯のある白い狼が出現した。
「狭いのでな。完全体にはなれんが、こちらの姿の方が馴染みがあるだろう」
塔の中で見たよりも一回りほど小さいけれど、私の体よりも大きく、また狭い小屋の中だとより迫力を増して見えた。
「い…ぬ……なの、ですか……」
私の吐息のように弱々しい声も犬はしっかりと聞き取ったようだ。「ああ」と言いながら、床に転がったままの私を獣の姿で器用にその背に乗せ、ベッドの上へと戻してくれた。
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