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七章 鞆の浦幕府の誕生
作られた大岡裁き
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結論から言えば、俺が三好宗家を甘く見ていた。その一言に尽きる。
戦というのは、何も兵を派遣して正々堂々と戦うだけではない。時として非正規戦という不真面目な選択もある。例えば細川 晴元が京の町を放火するようなやり方だ。形振り構っていないとも言えるが、こういった戦いはされる側からすれば堪ったものではない。
要するに森 元村は、俺達のお膝元である撫養港の施設を燃やすという破壊工作を敢行していた。それも少数で。
阿波水軍は当家が阿波国併合の際、完膚なきまでに潰した。その後、再結成されたという話は聞いていない。また、淡路水軍その他に残党が合流したという話も聞いていなかった。
そこが油断に繋がっていたのだと思う。本山 梅慶が討ち死にしたのは、その油断を突かれた形だ。
敵は数にして二〇人程度。上陸をして火を付けた途端に逃げ帰ってしまうような連中だ。こうした手合いならば、慣れない船戦でも何とかなると判断したのも分かる。また、「舐められたら殺す」のがこの時代の価値観である以上、黙って見過ごす訳にはいかなかったのではなかろうか。
しかしながら森 元村率いる阿波水軍残党は、追手が船で出たのを確認すると逃げるのを止め、艦首を返して迎撃の姿勢を見せたという。まるで最初から、この展開を待っていたと言わんばかりの行動であったとか。
この時点で追撃を止めていれば、誰もが幸せだったろう。
そうは言ってもこちら側の将は、土佐にその人ありと言われた本山 梅慶だ。この程度で怯むような男ではない。阿波水軍残党が迎撃のために弓を構えても、揺れる海上ではそうそう矢は当たらないとばかりに更に速度を上げて距離を詰める行動に出た。
降りしきる矢を物ともしない大胆さが功を奏したのか、時を置かず船同士が接触する。まるで突撃を敢行したかのような強い当たりであったという。
そこから一気に乱戦へと流れ込んだ。
ここまでを聞けば、誰もが本山 梅慶に軍配を上げるだろう。見事な状況判断と言うしかない。
だが、問題はここからとなる。足場の安定しない船の上での白兵戦だったというのが本山 梅慶の落ち度であった。加えて年齢による体力の衰えも重なったのではないだろうか。
結果として、本山 梅慶は森 元村の攻撃を捌ききれずに腹に致命傷の一撃を喰らう。それでもただでは死なない所が流石だ。お返しとばかりに、伸ばした敵の腕を掴んで自らの懐へと引き寄せた刹那、森 元村の胸に抉るように刃を突き立てる。鳴門海峡での戦いは、両軍の将が相討ちするという形で幕を閉じた。
他の残党は、本山 梅慶を討たれた怒りで兵達がめった刺しにして、全員討ち取ったという話である。
生存者が残っていない以上は背後関係も分からない。かくしてこの事件の真相は、闇の中へと葬り去られてしまった。
差し向けたのは十中八九三好だとは分かっている。それでもこの有様では、こちらが何を言おうとも「三好宗家は関与していない。悪いのは勝手な真似をした阿波水軍の残党だ。だからこれまで通りの友好関係を続けよう」と、そんな白々しい嘘が返ってくるのが目に見えている。
そもそもこの阿波水軍残党自体がトカゲのしっぽ切りの役割だ。生きて戻って来たとしても、口封じとして殺された未来が見えている。
とは言え、それで泣き寝入りをしては相手を調子付かせてしまう。こちらの強い意思を示すためにも今回の事件は三好宗家へ詰問状を送った。
その一〇日後に送られてきた返事は、「調査の結果、淡路国の豪族の一つが阿波水軍の残党を匿っていたと判明した。その豪族の当主には責任を取らして腹を切らせた。此度の一件はこれで不問にして欲しい」という内容が書かれていた。
まるで最初から決められていたかのような筋書きである。ここまで見事だと証拠隠滅も完璧だと考えた方が良い。真相を知っている者も三好宗家内のごく一部に限られる。そんな緻密さを感じさせる結末となる。
しかしそれは、俺だからこその受け取り方だ。
悔しいが多くの者にとって、この見事な終わらせ方は三好宗家が当家に対して筋を通したという見方となる。ここでごねると、今度は逆に当家が非難を浴びかねない。本当にしてやられた。
だからこそ今回は素直に負けを認めて、いずれ何らかの形で仕返しをすると心に決めておく。今の俺にできるのは、これが精一杯だった。
ただ一つ気になる点がある。こういった嫌がらせは先の備前国遠征の際でもできたというのに、何故今になって仕掛けてきたのかが分からなかった。
その答えは三日後に判明する。俺の現在の居城である阿波国撫養城にある男が訪問してきた。
名を安宅 冬康という。三好 長慶の弟であり、且つ淡路水軍を率いる立場にある三好宗家の重鎮の一人であった。
「こうした場では初めてですな。何度か姿をお見掛けする機会はありましたが、話をするまでには至りませんでしたからな。此度は我等の管理不行き届きによって、結果的に細川様の重臣がお命を落とされた事をお悔やみ申す」
人の良さそうな顔をしてこの白々しさ。俺に喧嘩を売りに来たのかと疑いたくなるが、ここでそれを言っても始まらない。まずは相手の出方を見るのがこの場合は得策だ。
「ご丁寧にありがとうございます。この度は当方を訴えに真摯に対応して頂き、感謝しております。討ち死にした本山 梅慶も、これで浮かばれるでしょう。それで今回の訪問はどういった要件でしょうか?」
「いや何、此度細川様が手に入れた芸予叢島の扱いをどうされるのかと思いましてな。その確認に参った次第です」
「どう扱うかと言われましても、特に何かを変えるつもりはありませんよ。管理が伊予安芸家になるだけですね。関料 (通行税)も津料 (入港税)もそのままです。もしかしたら、多少の値下げがあるかもしれないという程度です」
「そ、それは誠ですか! いや失礼。予想外のお言葉に取り乱してしまいました。良ければ値下げになる理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
「難しい話ではありませんよ。管理が伊予安芸家に統一されましたので、余分な費用が掛からなくなるだけです」
この時点で、阿波水軍残党による襲撃事件の理由が判明した。
要は脅しだったのだ。
芸予叢島の掌握によって、遠州細川が四国と九州を繋ぐ新南海道並びに瀬戸内海の制海権を確保する。これは市場の独占と同じだ。そうなれば関料の値上げに通行拒否、入港拒否と思いのままとなる。これでは淡路国を拠点とする水軍は商売あがったりとなり、生きてはいけない。
それを何とか阻止するために危ない橋を渡ったのだろう。最悪当家との全面戦争となるのも覚悟していたのではないだろうか?
だが蓋を開ければ、俺は報復行動さえ起こさない。当然ながら家臣達からは散々に突き上げを喰らった。それでも、「今はその時ではない」と無理に納得させた経緯がある。
三好宗家も馬鹿ではない。あの見事な対応を見れば、次のこちらの対応如何によっては大きく踏み込んでくるのは確実だ。
ただでさえ俺達は周防大内家と事を構えている。加えて出雲尼子家や豊後大内家、堺という敵対勢力までいる有様だ。ここで三好宗家との戦いに舵を切れば、大喜びで包囲網を敷かれてしまうだろう。
繋ぎ役は当然ながら堺の商家だ。耳元でこう囁くのが見えている。「遠州細川の領地にはお宝がザクザクですよ。皆でそのお宝を奪い去りましょう」と。
安い誘い文句だが、それだけに効果てきめんだ。
それだけはさせてはならない。三好打倒という目標が完全に遠のいてしまう。
だからこそ値上げもできない。報復行動と受け取られてしまうからだ。それが分かっているからこそ敢えて「値下げ」の言葉を混ぜて、値上げに対する疑念を払しょくしておいた。
「確かに。それは道理ですな。細川様の寛大なご処置に感謝致しまする」
「とは言え、当面は現状維持でしょうね。値下げがあるとしても、先々の話とお考えくださ……あっー、もしかして、値上げがあると思いましたか?」
「……恥ずかしながら。実は此度参ったのは、何とか淡路水軍所属の船だけでも値上げ対象から外して欲しいと願いからなのです」
「それをしても何の意味も無い、とだけお伝えしておきます。これで納得されるのではないでしょうか?」
「まさにその通りですな。さすがは兄上二人が認める細川様です。他の者とは器量が違う。これで我等も安心して日々の役目に精進できましようぞ」
一度こうした印象を植え付けておけば、後は楽なものである。平気で軽口まで叩けてしまう。この一言で空気が大きく変化していた。
かと言って三好の思惑通りに事を運ぶつもりはない。瀬戸内海の関料に付いてはきちんと対応策を考えている。
それは、これまで俺達が新南海道と呼んでいる太平洋航路で採用しているのと同じく、瀬戸内の海でも遠州細川関係の船からは関料を取らないという優遇策だ。伊予安芸家が芸予叢島を管理下に置いた今、この優遇策が可能となる。実行は正式に安芸国や備後国が当家の勢力下となり、備中国の細川 通董殿や備前国の宇喜多 直家と話し合ってからになる。
この時点で畿内で物品の価格破壊が起きるのは確実だ。ただ残念ながら、その恩恵には堺も淡路水軍も預かれない。
即効性のある策でないとしても、こういった遅効性の毒は気付いた時には終わりである。瀬戸内と太平洋側の物流そのものを当家が握り、他は衰退するのをただ指を咥えて見ているだけ。巨大資本によって地域の商店街を廃業に追い込む、某企業のやり口をこの戦国時代で再現させてもらうつもりだ。
あくどいとは思いつつも、これくらいやらないと気が済まない。堺にはイオ〇に価格競争で負けて立ち行かなくなり、店を閉めざるを得ない商店街店主の気持ちを味わってもらおう。本願寺教団貝塚店が数年後に空前の売り上げを叩き出すのが楽しみだ。
……瀬戸内海の制海権確保の意味が当初の予定と大きく変わる羽目となったが、全ては三好が悪いという事にしておく。俺は悪くない。
こういった時にふと思う。組んだ相手が堺ではなく、本願寺教団で本当に良かったと。この時代の商家は倫理観が足りないために、平気で暴利を貪る。しかし本願寺教団は、まず第一に信者の利益を考える。正確には大敵日蓮宗に対抗するためと言った方が良いだろう。一向門徒になれば良い品が安く手に入るというのは、信者獲得の良い宣伝材料だ。貝塚道場は今後それを前面に押し出せる。
宗教間対立を利用して安売りをさせる……つくづくこの時代の仏教は現世利益であり、生活に密接に関わっていると言わざるを得ない。坊主は経を唱えていれば良いというのは、嘘っぱちだと分かる。
「ですので芸予叢島の件に付いては、悪事を働く能島村上家が誅殺されたという認識で構わないと思いますよ」
「まさにまさに。これで瀬戸内の海に平和が訪れましたな」
ここからはある意味オチとなるかもしれない。
実は天文二一年 (一五五二年)後半から、瀬戸内の海は荒れていた。この時期を境にして能島村上家の水軍が京や堺の商家の船を襲いまくり、航行自体ができなくなっていたという事件がある。
発端は長年京や堺の商家が周防大内家に瀬戸内海の関料の免除を求めたもので、大寧寺の変が起きた翌年の天文二一年 (一五五二年)に陶 晴賢が「安堵料」の支払いを条件として関料の免除を認めた。
だがこの取り決めは、京や堺の商家と陶 晴賢が勝手に行ったものである。そこに瀬戸内の海で活動する海賊達の事情は一切鑑みていない。
結果「やってられるか」とばかりに能島村上水軍が暴れ出したという顛末だ。なお、これまで通りにきちんと関料を支払う船に付いては、何事も無く通過できている。
何が言いたいかというと、要はふりだしに戻っただけだ。折角京や堺の商家が関料の負担から解放されたというのに、当事者の陶 晴賢も能島村上家もいなくなった。当家の家臣である正統能島村上家はこの件に関わっていない。瀬戸内海での関料は復活し、「安堵料」の支払い損という顛末である。
最早笑い話であろう。
当家と伊予安芸家の活躍により、瀬戸内の海の平和は守られた。
「話も纏まったようですので、ここからは場所を変えて食事と行きましょう。当家自慢の酒を是非堪能ください」
「これはかたじけない。細川様と食事ができるとは身に余る光栄ですな。長慶兄上に自慢できまする」
「大袈裟ですよ。同じ氏綱派の仲間ではないですか。今後もこういった機会は幾らでもあるでしょう」
当然嘘だ。二度とこんな機会は来ないで欲しいと思っている。それでも笑顔を貼り付けてやらなければならないのが外交だと言うしかない。
杉谷家の忍びという綺麗どころを淡路安宅家御一行様の隣に付かせて酌をさせる。山葡萄酒や梅酒といった珍しい酒を飲ませて、美味い食事に舌鼓を打たせる。
安宅 冬康殿が言っていた。俺との会食が身に余る光栄だと。
ならこの会食で、今回の交渉は成功と判断されるだろう。その裏で俺は、しっかりと爪を研がさせてもらう。
外交というのは、所詮狐と狸の化かし合いだ。
この部屋に溢れる笑い声が、いずれ大嘘だと気付かせてやる。
戦というのは、何も兵を派遣して正々堂々と戦うだけではない。時として非正規戦という不真面目な選択もある。例えば細川 晴元が京の町を放火するようなやり方だ。形振り構っていないとも言えるが、こういった戦いはされる側からすれば堪ったものではない。
要するに森 元村は、俺達のお膝元である撫養港の施設を燃やすという破壊工作を敢行していた。それも少数で。
阿波水軍は当家が阿波国併合の際、完膚なきまでに潰した。その後、再結成されたという話は聞いていない。また、淡路水軍その他に残党が合流したという話も聞いていなかった。
そこが油断に繋がっていたのだと思う。本山 梅慶が討ち死にしたのは、その油断を突かれた形だ。
敵は数にして二〇人程度。上陸をして火を付けた途端に逃げ帰ってしまうような連中だ。こうした手合いならば、慣れない船戦でも何とかなると判断したのも分かる。また、「舐められたら殺す」のがこの時代の価値観である以上、黙って見過ごす訳にはいかなかったのではなかろうか。
しかしながら森 元村率いる阿波水軍残党は、追手が船で出たのを確認すると逃げるのを止め、艦首を返して迎撃の姿勢を見せたという。まるで最初から、この展開を待っていたと言わんばかりの行動であったとか。
この時点で追撃を止めていれば、誰もが幸せだったろう。
そうは言ってもこちら側の将は、土佐にその人ありと言われた本山 梅慶だ。この程度で怯むような男ではない。阿波水軍残党が迎撃のために弓を構えても、揺れる海上ではそうそう矢は当たらないとばかりに更に速度を上げて距離を詰める行動に出た。
降りしきる矢を物ともしない大胆さが功を奏したのか、時を置かず船同士が接触する。まるで突撃を敢行したかのような強い当たりであったという。
そこから一気に乱戦へと流れ込んだ。
ここまでを聞けば、誰もが本山 梅慶に軍配を上げるだろう。見事な状況判断と言うしかない。
だが、問題はここからとなる。足場の安定しない船の上での白兵戦だったというのが本山 梅慶の落ち度であった。加えて年齢による体力の衰えも重なったのではないだろうか。
結果として、本山 梅慶は森 元村の攻撃を捌ききれずに腹に致命傷の一撃を喰らう。それでもただでは死なない所が流石だ。お返しとばかりに、伸ばした敵の腕を掴んで自らの懐へと引き寄せた刹那、森 元村の胸に抉るように刃を突き立てる。鳴門海峡での戦いは、両軍の将が相討ちするという形で幕を閉じた。
他の残党は、本山 梅慶を討たれた怒りで兵達がめった刺しにして、全員討ち取ったという話である。
生存者が残っていない以上は背後関係も分からない。かくしてこの事件の真相は、闇の中へと葬り去られてしまった。
差し向けたのは十中八九三好だとは分かっている。それでもこの有様では、こちらが何を言おうとも「三好宗家は関与していない。悪いのは勝手な真似をした阿波水軍の残党だ。だからこれまで通りの友好関係を続けよう」と、そんな白々しい嘘が返ってくるのが目に見えている。
そもそもこの阿波水軍残党自体がトカゲのしっぽ切りの役割だ。生きて戻って来たとしても、口封じとして殺された未来が見えている。
とは言え、それで泣き寝入りをしては相手を調子付かせてしまう。こちらの強い意思を示すためにも今回の事件は三好宗家へ詰問状を送った。
その一〇日後に送られてきた返事は、「調査の結果、淡路国の豪族の一つが阿波水軍の残党を匿っていたと判明した。その豪族の当主には責任を取らして腹を切らせた。此度の一件はこれで不問にして欲しい」という内容が書かれていた。
まるで最初から決められていたかのような筋書きである。ここまで見事だと証拠隠滅も完璧だと考えた方が良い。真相を知っている者も三好宗家内のごく一部に限られる。そんな緻密さを感じさせる結末となる。
しかしそれは、俺だからこその受け取り方だ。
悔しいが多くの者にとって、この見事な終わらせ方は三好宗家が当家に対して筋を通したという見方となる。ここでごねると、今度は逆に当家が非難を浴びかねない。本当にしてやられた。
だからこそ今回は素直に負けを認めて、いずれ何らかの形で仕返しをすると心に決めておく。今の俺にできるのは、これが精一杯だった。
ただ一つ気になる点がある。こういった嫌がらせは先の備前国遠征の際でもできたというのに、何故今になって仕掛けてきたのかが分からなかった。
その答えは三日後に判明する。俺の現在の居城である阿波国撫養城にある男が訪問してきた。
名を安宅 冬康という。三好 長慶の弟であり、且つ淡路水軍を率いる立場にある三好宗家の重鎮の一人であった。
「こうした場では初めてですな。何度か姿をお見掛けする機会はありましたが、話をするまでには至りませんでしたからな。此度は我等の管理不行き届きによって、結果的に細川様の重臣がお命を落とされた事をお悔やみ申す」
人の良さそうな顔をしてこの白々しさ。俺に喧嘩を売りに来たのかと疑いたくなるが、ここでそれを言っても始まらない。まずは相手の出方を見るのがこの場合は得策だ。
「ご丁寧にありがとうございます。この度は当方を訴えに真摯に対応して頂き、感謝しております。討ち死にした本山 梅慶も、これで浮かばれるでしょう。それで今回の訪問はどういった要件でしょうか?」
「いや何、此度細川様が手に入れた芸予叢島の扱いをどうされるのかと思いましてな。その確認に参った次第です」
「どう扱うかと言われましても、特に何かを変えるつもりはありませんよ。管理が伊予安芸家になるだけですね。関料 (通行税)も津料 (入港税)もそのままです。もしかしたら、多少の値下げがあるかもしれないという程度です」
「そ、それは誠ですか! いや失礼。予想外のお言葉に取り乱してしまいました。良ければ値下げになる理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
「難しい話ではありませんよ。管理が伊予安芸家に統一されましたので、余分な費用が掛からなくなるだけです」
この時点で、阿波水軍残党による襲撃事件の理由が判明した。
要は脅しだったのだ。
芸予叢島の掌握によって、遠州細川が四国と九州を繋ぐ新南海道並びに瀬戸内海の制海権を確保する。これは市場の独占と同じだ。そうなれば関料の値上げに通行拒否、入港拒否と思いのままとなる。これでは淡路国を拠点とする水軍は商売あがったりとなり、生きてはいけない。
それを何とか阻止するために危ない橋を渡ったのだろう。最悪当家との全面戦争となるのも覚悟していたのではないだろうか?
だが蓋を開ければ、俺は報復行動さえ起こさない。当然ながら家臣達からは散々に突き上げを喰らった。それでも、「今はその時ではない」と無理に納得させた経緯がある。
三好宗家も馬鹿ではない。あの見事な対応を見れば、次のこちらの対応如何によっては大きく踏み込んでくるのは確実だ。
ただでさえ俺達は周防大内家と事を構えている。加えて出雲尼子家や豊後大内家、堺という敵対勢力までいる有様だ。ここで三好宗家との戦いに舵を切れば、大喜びで包囲網を敷かれてしまうだろう。
繋ぎ役は当然ながら堺の商家だ。耳元でこう囁くのが見えている。「遠州細川の領地にはお宝がザクザクですよ。皆でそのお宝を奪い去りましょう」と。
安い誘い文句だが、それだけに効果てきめんだ。
それだけはさせてはならない。三好打倒という目標が完全に遠のいてしまう。
だからこそ値上げもできない。報復行動と受け取られてしまうからだ。それが分かっているからこそ敢えて「値下げ」の言葉を混ぜて、値上げに対する疑念を払しょくしておいた。
「確かに。それは道理ですな。細川様の寛大なご処置に感謝致しまする」
「とは言え、当面は現状維持でしょうね。値下げがあるとしても、先々の話とお考えくださ……あっー、もしかして、値上げがあると思いましたか?」
「……恥ずかしながら。実は此度参ったのは、何とか淡路水軍所属の船だけでも値上げ対象から外して欲しいと願いからなのです」
「それをしても何の意味も無い、とだけお伝えしておきます。これで納得されるのではないでしょうか?」
「まさにその通りですな。さすがは兄上二人が認める細川様です。他の者とは器量が違う。これで我等も安心して日々の役目に精進できましようぞ」
一度こうした印象を植え付けておけば、後は楽なものである。平気で軽口まで叩けてしまう。この一言で空気が大きく変化していた。
かと言って三好の思惑通りに事を運ぶつもりはない。瀬戸内海の関料に付いてはきちんと対応策を考えている。
それは、これまで俺達が新南海道と呼んでいる太平洋航路で採用しているのと同じく、瀬戸内の海でも遠州細川関係の船からは関料を取らないという優遇策だ。伊予安芸家が芸予叢島を管理下に置いた今、この優遇策が可能となる。実行は正式に安芸国や備後国が当家の勢力下となり、備中国の細川 通董殿や備前国の宇喜多 直家と話し合ってからになる。
この時点で畿内で物品の価格破壊が起きるのは確実だ。ただ残念ながら、その恩恵には堺も淡路水軍も預かれない。
即効性のある策でないとしても、こういった遅効性の毒は気付いた時には終わりである。瀬戸内と太平洋側の物流そのものを当家が握り、他は衰退するのをただ指を咥えて見ているだけ。巨大資本によって地域の商店街を廃業に追い込む、某企業のやり口をこの戦国時代で再現させてもらうつもりだ。
あくどいとは思いつつも、これくらいやらないと気が済まない。堺にはイオ〇に価格競争で負けて立ち行かなくなり、店を閉めざるを得ない商店街店主の気持ちを味わってもらおう。本願寺教団貝塚店が数年後に空前の売り上げを叩き出すのが楽しみだ。
……瀬戸内海の制海権確保の意味が当初の予定と大きく変わる羽目となったが、全ては三好が悪いという事にしておく。俺は悪くない。
こういった時にふと思う。組んだ相手が堺ではなく、本願寺教団で本当に良かったと。この時代の商家は倫理観が足りないために、平気で暴利を貪る。しかし本願寺教団は、まず第一に信者の利益を考える。正確には大敵日蓮宗に対抗するためと言った方が良いだろう。一向門徒になれば良い品が安く手に入るというのは、信者獲得の良い宣伝材料だ。貝塚道場は今後それを前面に押し出せる。
宗教間対立を利用して安売りをさせる……つくづくこの時代の仏教は現世利益であり、生活に密接に関わっていると言わざるを得ない。坊主は経を唱えていれば良いというのは、嘘っぱちだと分かる。
「ですので芸予叢島の件に付いては、悪事を働く能島村上家が誅殺されたという認識で構わないと思いますよ」
「まさにまさに。これで瀬戸内の海に平和が訪れましたな」
ここからはある意味オチとなるかもしれない。
実は天文二一年 (一五五二年)後半から、瀬戸内の海は荒れていた。この時期を境にして能島村上家の水軍が京や堺の商家の船を襲いまくり、航行自体ができなくなっていたという事件がある。
発端は長年京や堺の商家が周防大内家に瀬戸内海の関料の免除を求めたもので、大寧寺の変が起きた翌年の天文二一年 (一五五二年)に陶 晴賢が「安堵料」の支払いを条件として関料の免除を認めた。
だがこの取り決めは、京や堺の商家と陶 晴賢が勝手に行ったものである。そこに瀬戸内の海で活動する海賊達の事情は一切鑑みていない。
結果「やってられるか」とばかりに能島村上水軍が暴れ出したという顛末だ。なお、これまで通りにきちんと関料を支払う船に付いては、何事も無く通過できている。
何が言いたいかというと、要はふりだしに戻っただけだ。折角京や堺の商家が関料の負担から解放されたというのに、当事者の陶 晴賢も能島村上家もいなくなった。当家の家臣である正統能島村上家はこの件に関わっていない。瀬戸内海での関料は復活し、「安堵料」の支払い損という顛末である。
最早笑い話であろう。
当家と伊予安芸家の活躍により、瀬戸内の海の平和は守られた。
「話も纏まったようですので、ここからは場所を変えて食事と行きましょう。当家自慢の酒を是非堪能ください」
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「大袈裟ですよ。同じ氏綱派の仲間ではないですか。今後もこういった機会は幾らでもあるでしょう」
当然嘘だ。二度とこんな機会は来ないで欲しいと思っている。それでも笑顔を貼り付けてやらなければならないのが外交だと言うしかない。
杉谷家の忍びという綺麗どころを淡路安宅家御一行様の隣に付かせて酌をさせる。山葡萄酒や梅酒といった珍しい酒を飲ませて、美味い食事に舌鼓を打たせる。
安宅 冬康殿が言っていた。俺との会食が身に余る光栄だと。
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沈黙のまま命を捨てた男と、
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そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
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