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#11 境界線
#11.2 愛の要求
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ほんの数メートル歩いただけでフラッシュバックの襲来である。いきなり明るくなるので目には堪えるが、それよりも灼熱の暑さである。厚着をしているせいで余計に暑苦しい。そこで上着を脱ごうとすると上演の終了である。今度は元に戻って、震え上がるほどの寒さである。これはどう考えても遊ばれていると考えるのが正しいだろう。こんなことをする奴は相当、根性がネジ曲がっているに違いない。
その後、平穏な時が続いている。が、既に俺の足は棒のようにカチカチのパンパンである。そこでリンダに手を引いてもらっていたが、それもいつの間にか離れ、ロープに引かれている俺である。はたから見れば駄々をこねている犬を散歩させているリンダ、にも見えなくはない。
だが、俺も黙ってロープに引かれている訳ではない。これだけリンダが俺を力強く引っ張ることが出来るのなら、一層のこと車を引いてもらっても良かったのではないかと良からぬことを考えてしまった。それは中々の名案と思えたが、子供に車を引かせるような、そんな鬼畜の真似は出来ないだろう。たとえ世間が許したとしても俺は許せない。どんなにそれが楽チンで快適だとしてもだ。
俺とリンダ、二人の間には伸びきったロープで繋がれている。それも伸びに伸びて10mくらいにはなっただろうか。その間に誰かが入れば縄跳びが出来そうではあるが、これ以上伸びるとリンダの姿が見えなくなってしまう恐れがある。そこでツンツンとロープを引くとリンダが立ち止まるように合図を考案した次第だ。我ながらナイスである。では早速、ツンツンとな。
ここでまたフラッシュバックである。今度は暑くはないが、なんと、俺とリンダを繋ぐ命綱に、こともあろうか自転車に乗った若者が前方不注意で突入してくるではないか。このままではああ~、と言う間もなく自転車がロープを引っ張り、その勢いで自転車がとんぼ返りしたではないか。それも、それだけでは終わらない。そのロープに繋がれている俺も引っ張られ大きく前方にジャンプして倒れてしまったではないか。おー痛てー、と声を出す前に上映時間の終了である。
凍える夜空に引き倒された俺と、それを見ているリンダである。勿論、このくらいの衝撃では微動だにしないリンダである。相当、腰が据わっているとみた。
これは本格的にフラッシュバックが、ただ見えているだけではないということだろう。光景どころか切り替わった時間帯に俺達も存在しているようである。これを科学的に説明することが可能であろうか。いや、このような現象は、ある筋の方に任せるのが良いだろう。
それにしても俺達二人の間に割り込むとは不敬千万である。そうならないためにも二人の距離を縮める必要があるだろう。ということで立ち止まっているリンダの元に馳せ参じる俺である。
「リンダ、怪我はないか」
「無いわ。日頃鍛えているから平気、よ」
と無邪気なリンダ、のようである。だがそれは、やせ我慢ではないだろうか。どこか怪我、いや故障していなければ良いのだが。俺を気遣って無理をしていたら困ったものである。
二人を繋ぐロープを短くし、さあ行こうとした時である。周囲が明るくはなったが、大雨である。どうやらまた始まったようだが、どうも今までの法則と違うようだ。それは移動している最中に起こる現象と思っていたが、今は歩き出そうとしただけである。もしかして俺がリンダまで歩いた分をカウントしているのだろうか。だが、今はアレコレと考えている場合ではない、雨が降っているのだ。
急いでフードを被るが、リンダは何もせず立ち尽くすばかりである。これではいくらリンダとはいえ、ショートして故障してしまうかもしれない。それに濡れた髪が不気味に雨雫を垂らしているではないか。
「リンダ、フードを被るんだ」
「フード? ああ、これね」
と素直に指示に従うリンダである。生憎、ドライヤーは持ち合わせてはいない。雨が止んだら拭いてやろう。
何故か降り続く雨である。今までのフラッシュバックは数秒で終わっていたはずだが、今回はやけに長いようだ。どうしても雨を堪能してほしい、そんな心遣いを感じる俺である。しかし、止まない雨なぞ、この世には存在しないのだよ。雨は何時か必ず止むものである。ただ、それが何時なのかが問題ではあるが。
暫く降り続いた雨であるが、心の中で『いい加減にしてくれ』と念じたところで止んだようである。そこでリンダのフードを外し、タオルで拭いてやろうと思ったのだが、そんな洒落たものを持ち合わせる俺ではないことに、ショックを隠せない俺である。仕方なしにハンカチを取り出したが、こんな薄い布では話にならない。しかし無いよりはマシと、リンダの頭をゴシゴシとしたわけである。
その後、リンダが頭を左右に降り雨粒を吹き飛ばして完了である。これが左右ではなく360度回転していたら、それはかなり恐ろしい光景であったことだろう。それが出来ても何ら不思議ではないが、そうならなかったことは幸いである。
雨が止んだところでショウも終わり、また暗闇の世界に戻ってきた。だがその間、黙って雨に打たれていたわけではない。それなりに収穫を得ての帰還である。
俺達は既に街中に入っていることが分かった。それは周りの建物が増えたことでも分かるが、それよりも遠くに国境の検問所らしき施設が見えたことだろう。ということでリンダやジョンが消失した場所は既に通り過ぎていたようだ。それには気が付かなかったが、我ながら、ここまで歩いてこれるとは思ってもいなかったので、自分を褒めてやりたいところである。
検問所とはD国側にある国境検問所のことである。そこをジョンと共にC国から橋を渡り検問所を通過し、その直後にジョンが神隠しにあった場所でもある。このご時世なので検問所に行ったところで何も起こらないことが予想されるが、それは行ってみないことには分からないだろう。というか、その先のプランが思いつかない俺である。
◇◇
寒さと疲労に耐えながら、誰も居ない検問所に到着である。ここは最終目的地ではなく、本来の目的地を通り過ぎてしまっているが、やはり目印としては相応しい場所であろう。この先は暗くて見えないが、渡ってきた橋があるはずである。その橋を渡るか、それとも引き返すか。悩み多き俺である。
先程の雨で飽きてしまったのか、例のフラッシュバックは起きてはいない。暗闇の中、ひっそりと佇む検問所は、もはやその役目を果たすことはないだろう。なにせ堰き止める車も人も居ないのであるから通り放題である。それはそれで良しとするが、何をするにも自由となると案外、不自由なものである。長らく檻に閉じ込められた猛獣が開かれた扉を躊躇するのに似ている感じだ。
検問所の先を見つめても見えるわけではないが、自然とその方向に体を向けてしまう俺である。まだ心はどうするか決めかねているようだが、体の方が行きたくてウズウズしている。ならばここは本能に従い動くのが正解だろう。
「リンダ、あの橋を渡って、」
俺が言いかけている最中にリンダに引かれる俺である。まだリンダとはロープで繋がれているのだが、俺の本能とは逆の方向、つまり歩いて来た方に歩き出したリンダである。よりによって戻るとは如何なものか。
「リンダ、待ってくれ。もしかして戻るつもりなのか」
「私に付いてきなさい、よ」
と強引に俺を引っ張るリンダである。俺の本能が勝つかリンダの馬鹿力が勝るのか。答えは簡単、リンダの勝利である。
ここでリンダの気まぐれを許しても良いものだろうか。力では対抗できないが話せば分かり合えるはずである。しかしリンダの、初めて見せるこの意志はなんであろうか。今まで素直に従っていたリンダとは大違いである。これが少女から大人の女性になるということだろうか。
俺が勘だけで導いた答えよりも優先される理由とは何であろうか。そもそも勘よりも、それなりの理由があれば、その方が説得力があるというもの。だがリンダのことである。忘れてはいけない大事なこと、それはリンダが計算によって答えを導いたことだろう。この現状の全てをパラメーターにして計算し尽くしたに違いない。そうなると俺の勘などイカれた思考回路に過ぎないではないか。ここはリンダに従うしかあるまいて。
◇◇
リンダと共に歩くこと数十分。正確には既にロープに引かれながら歩く俺である。その俺の足がお疲れである。『共に』とあるが、こちらも正確にはリンダとは5mくらいは離れてしまっている。これは俺が少しずつロープを伸ばしているのが主な原因だ。そんな俺に容赦なく歩き続けるリンダであった。
大して歩いていない俺ではあるが、お疲れの俺である。そこで歩みを止めないリンダに対してロープをツンツンしたところで例のフラッシュバックのお出ましである。場所はまだまだ街中である。それなりに人や車が往来している。そこの歩道で、リンダに引かれている俺の出現だ。これではイヤイヤをしている老人のように世間から見えているかもしれない。それとも嫌がる老人を無理やり引き廻す、意地の悪い娘に見えるかもしれない。
運良くフラッシュバックと同時に立ち止まったリンダである。その隙に急いで歩き、リンダの前に出ることに成功した俺である。これで娘を連れて歩く父親のようになったであろうか。いや、娘にしては俺は若すぎるだろう。それでは誘拐でもしてきたか、それともいっそうのことリンダの兄としておくべきか。それが一番、無難のようだ。
せっかくリンダの前に躍り出たので、今度はこちらがリンダをリードする番である。フラッシュバックが続いている明るい内に移動しておくのが良いだろう。疲れた体に鞭打って歩き出す俺である。それにしても明るくなっただけで元気を取り戻した俺は、どこかで光合成でもしているのかもしれないと思う今日この頃である。
俺が三歩進んだところで一歩戻ることになった。それはリンダが動かなかったからである。おまけに下を向いたまま停止である。今度はリンダがお疲れのようだ。それも無理はないだろう。暫く歩きづめの俺達である。明るい内にとは思うが休憩も必要である。
「リンダ、疲れたのか? ここらで休んでいくか」
何故か反応の無いリンダである。これは反抗期というのだろうか。せめて良い悪いの反応だけでもして欲しいところだが、反抗期は難しい年頃と噂に聞く。ここは本人が納得するまで放置しておくのが賢明だろう。
「ケイ」
「なんだ、リンダ……えっ! なんだって」
下を向いていたリンダがいきなり俺の名を呼んだ? ようだ。今まで一度も声を出したことがないリンダである。話せるのか、それとも空耳か。直ぐには信じられないことである。誰かが通りすがりに俺をからかったのかも。いや、そんな人は居なかったはずだ。それに頭を上げたリンダが俺を下から注視しているようにも見える。その目は本物ではない。カメラのレンズのように、そこに俺の顔が、驚いた俺の顔が映り込んでいるではないか。
「ケイ、私は貴方を愛している。だから私を愛して」
「なんだって?」
話すだけでも驚きだというのに、よりによってなんてことを。これは何かの練習なのか、それとも俺をからかっているのか、試しているのか、それとも、なんだろう。ここはリンダに恥をかかせないためにも調子を合わせておいた方が良さそうだ。これが反抗期のなせるワザなのだろうか。
「勿論だ、俺はリンダが大好きだぞ。これでいいか」
これで納得してくれるだろう。困ったお嬢さんである。これ以上、何かを聞かれたら、お兄さんはどうしてよいやら分からなくなってしまうではないか。
普通ならこの辺でフラッシュバックが終わるのだが、何故か何時まで経っても終わる気配がない。シーンが変わればこの状況も終われると思うが、肝心な時にはしつこいようだ。全く意地悪でいけない。
「ケイ、私にキスをして」
「なんだって?」
まだ何かが続いているようだ。何故この話からキスになるのだろう。はいそうですか、と出来るものではなかろう。それともリンダは故障してしまったのだろうか。それが一番しっくりとする原因のような気がする。
「リンダ、戻ってからでいいか? ここでは人目もある」
「今すぐ、時間がないの」
リンダの言っていることが理解不能である。今しなければいけないことなのか、時間がないとは、どういう意味であろうか。それとも何かの冗談か。いや、リンダの目は真剣そのものである、のような気がする。そのパチクリした目がオートフォーカスよろしく俺に焦点を合わせている、ような気がする。
俺がモタモタしているとリンダからの攻撃、俺の顔を両手で掴み顔を近づけてくるではないかい。こうなっては仕方あるまい。どこまでもリンダに付き合うまでである。それに女の子の方からキスをされるのは男の名が廃るというもの。俺の方から唇を近づけて。……
それは硬いものであった。壁か、そう、マネキンにキスをしたのと同様だろう。柔らかく温かく情熱的なもの。それとは程遠いが、キスをした、ということには変わりはないだろう。俺の初体験がリンダだとは、一生忘れないぜ。
俺の顔から離れていくリンダである。その瞳は涙で潤んでいる、ように見えたのは気のせいだろうか。そしてまた下を向くリンダである。これでは俺がとんでもな事をしでかしたような、罪悪感を背負ってしまうではないか。してはいけない事をしてしまったのかもしれない。もしそうならリンダ、俺とのことは忘れてくれ。
オロオロする俺に、また顔を向けるリンダである。その顔は何かの覚悟を決めたような、いや、怒りの眼差しそのものであろう。お怒りのリンダである。その証拠に、両手で俺の胸の辺りを突き飛ばし、数メートル後方に吹き飛ばされた俺である。
これは当然の報いなのか因果応報とでもいうのか。精神的にもぶっ飛ばされて立ち上がれない俺である。そしてリンダはというと、その場で立ちつくしたままである。なんという修羅場であろうか。ハレンチこの上ない俺ではないか。
アレコレと懺悔の言葉を考え、アレか、コレかと頭をフル回転させたその瞬間、何の前触れもなく『それ』は訪れた。
フラッシュバックが終了するように俺の背後から暗くなり、その闇はリンダの足元で止まった。今までは周囲全体が暗くなって終了であるが、この時はそれが途中で止まったのである。リンダの足元には、はっきりとした明暗による境界線が引かれ、俺だけが暗闇に取り残されると思われた。このままではリンダとはぐれてしまう、そう思う間もなく、今度は逆に俺の背後から明るくなり、境界線から先が闇に消えていく。
勿論、その闇の中にはリンダが含まれているのだ。俺は急いでロープを手繰り寄せたが、全ては一瞬で終わっている。それはまるで走馬灯を見たかのように、実際は一瞬でも俺にはスローモーションに見えていた。
リンダの足元で区切られた境界線、その先の闇は一瞬で消え、手繰り寄せたロープの先だけが俺の手元に残された。そこにリンダの姿はなく、周囲全てが明るく、日常が戻っている。
もしリンダが俺を突き飛ばさなければ、俺も一緒に、どこかに消えていたのだろうか。それを予測していたのかどうかは分からない。しかし結果から言えば、そうだとしか言えないだろう。どうしてリンダがそうしたのか、何故自分だけが犠牲になるようなことをしたのか。リンダならこちらの世界に残ることも出来たはずだ。それなのに何故、何故俺はまた一人になってしまったのだろうか。何のためにロープをしたのか、何のためにここまで来たのか。何のために俺はここにいるのだろうか。
「リンダァァァァァ」
叫ぶ俺を誰かが不思議そうに見ている。倒れたまま起き上がれない俺を誰かが不思議そうに見ている。でもそんなことはどうでもいい。どうでもいいんだ。
◇◇
その後、平穏な時が続いている。が、既に俺の足は棒のようにカチカチのパンパンである。そこでリンダに手を引いてもらっていたが、それもいつの間にか離れ、ロープに引かれている俺である。はたから見れば駄々をこねている犬を散歩させているリンダ、にも見えなくはない。
だが、俺も黙ってロープに引かれている訳ではない。これだけリンダが俺を力強く引っ張ることが出来るのなら、一層のこと車を引いてもらっても良かったのではないかと良からぬことを考えてしまった。それは中々の名案と思えたが、子供に車を引かせるような、そんな鬼畜の真似は出来ないだろう。たとえ世間が許したとしても俺は許せない。どんなにそれが楽チンで快適だとしてもだ。
俺とリンダ、二人の間には伸びきったロープで繋がれている。それも伸びに伸びて10mくらいにはなっただろうか。その間に誰かが入れば縄跳びが出来そうではあるが、これ以上伸びるとリンダの姿が見えなくなってしまう恐れがある。そこでツンツンとロープを引くとリンダが立ち止まるように合図を考案した次第だ。我ながらナイスである。では早速、ツンツンとな。
ここでまたフラッシュバックである。今度は暑くはないが、なんと、俺とリンダを繋ぐ命綱に、こともあろうか自転車に乗った若者が前方不注意で突入してくるではないか。このままではああ~、と言う間もなく自転車がロープを引っ張り、その勢いで自転車がとんぼ返りしたではないか。それも、それだけでは終わらない。そのロープに繋がれている俺も引っ張られ大きく前方にジャンプして倒れてしまったではないか。おー痛てー、と声を出す前に上映時間の終了である。
凍える夜空に引き倒された俺と、それを見ているリンダである。勿論、このくらいの衝撃では微動だにしないリンダである。相当、腰が据わっているとみた。
これは本格的にフラッシュバックが、ただ見えているだけではないということだろう。光景どころか切り替わった時間帯に俺達も存在しているようである。これを科学的に説明することが可能であろうか。いや、このような現象は、ある筋の方に任せるのが良いだろう。
それにしても俺達二人の間に割り込むとは不敬千万である。そうならないためにも二人の距離を縮める必要があるだろう。ということで立ち止まっているリンダの元に馳せ参じる俺である。
「リンダ、怪我はないか」
「無いわ。日頃鍛えているから平気、よ」
と無邪気なリンダ、のようである。だがそれは、やせ我慢ではないだろうか。どこか怪我、いや故障していなければ良いのだが。俺を気遣って無理をしていたら困ったものである。
二人を繋ぐロープを短くし、さあ行こうとした時である。周囲が明るくはなったが、大雨である。どうやらまた始まったようだが、どうも今までの法則と違うようだ。それは移動している最中に起こる現象と思っていたが、今は歩き出そうとしただけである。もしかして俺がリンダまで歩いた分をカウントしているのだろうか。だが、今はアレコレと考えている場合ではない、雨が降っているのだ。
急いでフードを被るが、リンダは何もせず立ち尽くすばかりである。これではいくらリンダとはいえ、ショートして故障してしまうかもしれない。それに濡れた髪が不気味に雨雫を垂らしているではないか。
「リンダ、フードを被るんだ」
「フード? ああ、これね」
と素直に指示に従うリンダである。生憎、ドライヤーは持ち合わせてはいない。雨が止んだら拭いてやろう。
何故か降り続く雨である。今までのフラッシュバックは数秒で終わっていたはずだが、今回はやけに長いようだ。どうしても雨を堪能してほしい、そんな心遣いを感じる俺である。しかし、止まない雨なぞ、この世には存在しないのだよ。雨は何時か必ず止むものである。ただ、それが何時なのかが問題ではあるが。
暫く降り続いた雨であるが、心の中で『いい加減にしてくれ』と念じたところで止んだようである。そこでリンダのフードを外し、タオルで拭いてやろうと思ったのだが、そんな洒落たものを持ち合わせる俺ではないことに、ショックを隠せない俺である。仕方なしにハンカチを取り出したが、こんな薄い布では話にならない。しかし無いよりはマシと、リンダの頭をゴシゴシとしたわけである。
その後、リンダが頭を左右に降り雨粒を吹き飛ばして完了である。これが左右ではなく360度回転していたら、それはかなり恐ろしい光景であったことだろう。それが出来ても何ら不思議ではないが、そうならなかったことは幸いである。
雨が止んだところでショウも終わり、また暗闇の世界に戻ってきた。だがその間、黙って雨に打たれていたわけではない。それなりに収穫を得ての帰還である。
俺達は既に街中に入っていることが分かった。それは周りの建物が増えたことでも分かるが、それよりも遠くに国境の検問所らしき施設が見えたことだろう。ということでリンダやジョンが消失した場所は既に通り過ぎていたようだ。それには気が付かなかったが、我ながら、ここまで歩いてこれるとは思ってもいなかったので、自分を褒めてやりたいところである。
検問所とはD国側にある国境検問所のことである。そこをジョンと共にC国から橋を渡り検問所を通過し、その直後にジョンが神隠しにあった場所でもある。このご時世なので検問所に行ったところで何も起こらないことが予想されるが、それは行ってみないことには分からないだろう。というか、その先のプランが思いつかない俺である。
◇◇
寒さと疲労に耐えながら、誰も居ない検問所に到着である。ここは最終目的地ではなく、本来の目的地を通り過ぎてしまっているが、やはり目印としては相応しい場所であろう。この先は暗くて見えないが、渡ってきた橋があるはずである。その橋を渡るか、それとも引き返すか。悩み多き俺である。
先程の雨で飽きてしまったのか、例のフラッシュバックは起きてはいない。暗闇の中、ひっそりと佇む検問所は、もはやその役目を果たすことはないだろう。なにせ堰き止める車も人も居ないのであるから通り放題である。それはそれで良しとするが、何をするにも自由となると案外、不自由なものである。長らく檻に閉じ込められた猛獣が開かれた扉を躊躇するのに似ている感じだ。
検問所の先を見つめても見えるわけではないが、自然とその方向に体を向けてしまう俺である。まだ心はどうするか決めかねているようだが、体の方が行きたくてウズウズしている。ならばここは本能に従い動くのが正解だろう。
「リンダ、あの橋を渡って、」
俺が言いかけている最中にリンダに引かれる俺である。まだリンダとはロープで繋がれているのだが、俺の本能とは逆の方向、つまり歩いて来た方に歩き出したリンダである。よりによって戻るとは如何なものか。
「リンダ、待ってくれ。もしかして戻るつもりなのか」
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と強引に俺を引っ張るリンダである。俺の本能が勝つかリンダの馬鹿力が勝るのか。答えは簡単、リンダの勝利である。
ここでリンダの気まぐれを許しても良いものだろうか。力では対抗できないが話せば分かり合えるはずである。しかしリンダの、初めて見せるこの意志はなんであろうか。今まで素直に従っていたリンダとは大違いである。これが少女から大人の女性になるということだろうか。
俺が勘だけで導いた答えよりも優先される理由とは何であろうか。そもそも勘よりも、それなりの理由があれば、その方が説得力があるというもの。だがリンダのことである。忘れてはいけない大事なこと、それはリンダが計算によって答えを導いたことだろう。この現状の全てをパラメーターにして計算し尽くしたに違いない。そうなると俺の勘などイカれた思考回路に過ぎないではないか。ここはリンダに従うしかあるまいて。
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リンダと共に歩くこと数十分。正確には既にロープに引かれながら歩く俺である。その俺の足がお疲れである。『共に』とあるが、こちらも正確にはリンダとは5mくらいは離れてしまっている。これは俺が少しずつロープを伸ばしているのが主な原因だ。そんな俺に容赦なく歩き続けるリンダであった。
大して歩いていない俺ではあるが、お疲れの俺である。そこで歩みを止めないリンダに対してロープをツンツンしたところで例のフラッシュバックのお出ましである。場所はまだまだ街中である。それなりに人や車が往来している。そこの歩道で、リンダに引かれている俺の出現だ。これではイヤイヤをしている老人のように世間から見えているかもしれない。それとも嫌がる老人を無理やり引き廻す、意地の悪い娘に見えるかもしれない。
運良くフラッシュバックと同時に立ち止まったリンダである。その隙に急いで歩き、リンダの前に出ることに成功した俺である。これで娘を連れて歩く父親のようになったであろうか。いや、娘にしては俺は若すぎるだろう。それでは誘拐でもしてきたか、それともいっそうのことリンダの兄としておくべきか。それが一番、無難のようだ。
せっかくリンダの前に躍り出たので、今度はこちらがリンダをリードする番である。フラッシュバックが続いている明るい内に移動しておくのが良いだろう。疲れた体に鞭打って歩き出す俺である。それにしても明るくなっただけで元気を取り戻した俺は、どこかで光合成でもしているのかもしれないと思う今日この頃である。
俺が三歩進んだところで一歩戻ることになった。それはリンダが動かなかったからである。おまけに下を向いたまま停止である。今度はリンダがお疲れのようだ。それも無理はないだろう。暫く歩きづめの俺達である。明るい内にとは思うが休憩も必要である。
「リンダ、疲れたのか? ここらで休んでいくか」
何故か反応の無いリンダである。これは反抗期というのだろうか。せめて良い悪いの反応だけでもして欲しいところだが、反抗期は難しい年頃と噂に聞く。ここは本人が納得するまで放置しておくのが賢明だろう。
「ケイ」
「なんだ、リンダ……えっ! なんだって」
下を向いていたリンダがいきなり俺の名を呼んだ? ようだ。今まで一度も声を出したことがないリンダである。話せるのか、それとも空耳か。直ぐには信じられないことである。誰かが通りすがりに俺をからかったのかも。いや、そんな人は居なかったはずだ。それに頭を上げたリンダが俺を下から注視しているようにも見える。その目は本物ではない。カメラのレンズのように、そこに俺の顔が、驚いた俺の顔が映り込んでいるではないか。
「ケイ、私は貴方を愛している。だから私を愛して」
「なんだって?」
話すだけでも驚きだというのに、よりによってなんてことを。これは何かの練習なのか、それとも俺をからかっているのか、試しているのか、それとも、なんだろう。ここはリンダに恥をかかせないためにも調子を合わせておいた方が良さそうだ。これが反抗期のなせるワザなのだろうか。
「勿論だ、俺はリンダが大好きだぞ。これでいいか」
これで納得してくれるだろう。困ったお嬢さんである。これ以上、何かを聞かれたら、お兄さんはどうしてよいやら分からなくなってしまうではないか。
普通ならこの辺でフラッシュバックが終わるのだが、何故か何時まで経っても終わる気配がない。シーンが変わればこの状況も終われると思うが、肝心な時にはしつこいようだ。全く意地悪でいけない。
「ケイ、私にキスをして」
「なんだって?」
まだ何かが続いているようだ。何故この話からキスになるのだろう。はいそうですか、と出来るものではなかろう。それともリンダは故障してしまったのだろうか。それが一番しっくりとする原因のような気がする。
「リンダ、戻ってからでいいか? ここでは人目もある」
「今すぐ、時間がないの」
リンダの言っていることが理解不能である。今しなければいけないことなのか、時間がないとは、どういう意味であろうか。それとも何かの冗談か。いや、リンダの目は真剣そのものである、のような気がする。そのパチクリした目がオートフォーカスよろしく俺に焦点を合わせている、ような気がする。
俺がモタモタしているとリンダからの攻撃、俺の顔を両手で掴み顔を近づけてくるではないかい。こうなっては仕方あるまい。どこまでもリンダに付き合うまでである。それに女の子の方からキスをされるのは男の名が廃るというもの。俺の方から唇を近づけて。……
それは硬いものであった。壁か、そう、マネキンにキスをしたのと同様だろう。柔らかく温かく情熱的なもの。それとは程遠いが、キスをした、ということには変わりはないだろう。俺の初体験がリンダだとは、一生忘れないぜ。
俺の顔から離れていくリンダである。その瞳は涙で潤んでいる、ように見えたのは気のせいだろうか。そしてまた下を向くリンダである。これでは俺がとんでもな事をしでかしたような、罪悪感を背負ってしまうではないか。してはいけない事をしてしまったのかもしれない。もしそうならリンダ、俺とのことは忘れてくれ。
オロオロする俺に、また顔を向けるリンダである。その顔は何かの覚悟を決めたような、いや、怒りの眼差しそのものであろう。お怒りのリンダである。その証拠に、両手で俺の胸の辺りを突き飛ばし、数メートル後方に吹き飛ばされた俺である。
これは当然の報いなのか因果応報とでもいうのか。精神的にもぶっ飛ばされて立ち上がれない俺である。そしてリンダはというと、その場で立ちつくしたままである。なんという修羅場であろうか。ハレンチこの上ない俺ではないか。
アレコレと懺悔の言葉を考え、アレか、コレかと頭をフル回転させたその瞬間、何の前触れもなく『それ』は訪れた。
フラッシュバックが終了するように俺の背後から暗くなり、その闇はリンダの足元で止まった。今までは周囲全体が暗くなって終了であるが、この時はそれが途中で止まったのである。リンダの足元には、はっきりとした明暗による境界線が引かれ、俺だけが暗闇に取り残されると思われた。このままではリンダとはぐれてしまう、そう思う間もなく、今度は逆に俺の背後から明るくなり、境界線から先が闇に消えていく。
勿論、その闇の中にはリンダが含まれているのだ。俺は急いでロープを手繰り寄せたが、全ては一瞬で終わっている。それはまるで走馬灯を見たかのように、実際は一瞬でも俺にはスローモーションに見えていた。
リンダの足元で区切られた境界線、その先の闇は一瞬で消え、手繰り寄せたロープの先だけが俺の手元に残された。そこにリンダの姿はなく、周囲全てが明るく、日常が戻っている。
もしリンダが俺を突き飛ばさなければ、俺も一緒に、どこかに消えていたのだろうか。それを予測していたのかどうかは分からない。しかし結果から言えば、そうだとしか言えないだろう。どうしてリンダがそうしたのか、何故自分だけが犠牲になるようなことをしたのか。リンダならこちらの世界に残ることも出来たはずだ。それなのに何故、何故俺はまた一人になってしまったのだろうか。何のためにロープをしたのか、何のためにここまで来たのか。何のために俺はここにいるのだろうか。
「リンダァァァァァ」
叫ぶ俺を誰かが不思議そうに見ている。倒れたまま起き上がれない俺を誰かが不思議そうに見ている。でもそんなことはどうでもいい。どうでもいいんだ。
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
僕らの10パーセントは無限大
華子
青春
10%の確率でしか未来を生きられない少女と
過去に辛い経験をしたことがある幼ななじみと
やたらとポジティブなホームレス
「あり得ない今を生きてるんだったら、あり得ない未来だってあるんじゃねえの?」
「そうやって、信じたいものを信じて生きる人生って、楽しいもんだよ」
もし、あたなら。
10パーセントの確率で訪れる幸せな未来と
90パーセントの確率で訪れる悲惨な未来。
そのどちらを信じますか。
***
心臓に病を患う和子(わこ)は、医者からアメリカでの手術を勧められるが、成功率10パーセントというあまりにも酷な現実に打ちひしがれ、渡米する勇気が出ずにいる。しかしこのまま日本にいても、死を待つだけ。
追い詰められた和子は、誰に何をされても気に食わない日々が続くが、そんな時出逢ったやたらとポジティブなホームレスに、段々と影響を受けていく。
幼ななじみの裕一にも支えられながら、彼女が前を向くまでの物語。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
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