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じゃあ普通の普通って何?

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「じゃあ、行ってくる。いい子に待ってるんだぞ?」
『チュっ』
「う、うん。いってらっしゃいジークお兄ちゃん」

 午後からは騎士団の稽古をつけに行くということで、訓練場に連れて来られた。はいいんだけどーー

「い、いつも冷静沈着で寡黙なあの団長が、禁欲的で仕事一筋だったはずのあの団長がぁー!クソーっ、女を腕に抱えて緩み切った笑みで歩いてくる団長なんて見たくなかった!目に見える距離なのに「いい子に待ってるんだぞ」とか言って額にキスする団長の姿なんて見たぐながっだーー!!俺の敬愛する団長を返せー!」

 騎士団の皆んなが居る訓練場の中央へと向かうジークお兄ちゃんの背中を眺めていると、後ろから護衛のグレンさんの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 うん、わたしもそんな姿他人に見られたくはなかった。でも仕方ないじゃん「恥ずかしいから降ろして」って言っても下ろしてくれなかったんだから。人前でキスしないでって言っても「無理だ。諦めてくれ」と真顔で返されたんだから。

「わたしはちゃんとやめてって言ったもん」

 わたしは悪くない。だから、わたしに文句を言われても困る。

「文句ならジークお兄ちゃんに直接言って下さい!」
「っい、言えるわけねぇだろー!あんなっ、あんな幸せそうな団長初めて見たわ!」

 とうとう地面に手をついて泣き崩れ、拳を地面に何度も叩きつけるグレンさん。

「どうした!何かあったのか?」

 その異常な光景に気付いたジークお兄ちゃんが心配して、慌てて戻って来てくれた。

「あ、それが……」
「こ、この度はご婚約おめでとうございます!今、その話をしてたんです!そ、そしたら、つ、つい感極まりまして、アハ、アハハハハ」

 ジークお兄ちゃんが近くまで来ると慌てて立ち上がり、わざとらしく声を張るグレンさん。

 その言い訳はかなり苦しいものがあると思う。笑ってるのは口先だけで全然喜んでる顔じゃないし、嬉しくて地面を叩くなんて聞いたことない。普通地面を叩くのは悔しい時とか何かに苛立ってる時でしょ?

 グレンさんの今の言葉が嘘だってわたしでも分かる。しかし、サアニャ曰く浮かれ切っている今のジークお兄ちゃんには、それが分からなかったのか、意表をつかれたように一瞬目を見開いただけで、次の瞬間にはニッと白い歯を見せ、まるで少年のような笑みを浮かべた。

「おう、ありがとな!」

 っま、眩しい!眩しすぎて直視できない!普段の穏やかで優しい笑みも暖かくて好きだけど、この笑みも良い!好き!大好き!

「い、いえ、団長がし、幸せそうで何よりです」

 わたしがトキメキに胸を抑えている隣で、グレンさんはあまりのショックに顔をひくつかせていた。そして、何とか返した言葉は所々裏返り震えていた。


 その後二、三言葉を交わすとジークお兄ちゃんは再び稽古をつけに戻って行ってしまった。


「あんたおかしいんじゃない?」
「……へ?」

 ジークお兄ちゃんの背中を眺めながら早くなった脈を整えていると、今度は後ろから不機嫌そうな声が聞こえて来た。しかし、今度のそれは明らかにグレンさんの声ではなくて、慌てて声のした方へ視線を向けると、その先にはなんとわたしを冷めた目で睨むアレクさんの姿があった。

 あのアレクさんが、あの日以降一度も話どころか目すらも合わせてくれなかったアレクさんが、自分から話しかけてきてくれた⁈

 そのことにわたしだけでなく、さっきまで悔し涙を流していたグレンさんまでもが、驚き目を丸くする。

「なんで逃げないの?馬鹿なの?」
「に、逃げる?」

 何の脈絡もなく突然そんなことを問われても何のことか理解出来るわけもなく、益々アレクさんを苛つかせてしまった。

「あんたは痛いのが見るのも無理なほど嫌いなんでしょ?なのになんで何度も何日もアレを受け入れ続けられるの?しかも骨にヒビまで入れられて、なのになんで平然としてられるの?今回は本当に死んでたかもしれないんだよ!なんでそこまで……」

 あぁ、逃げるって、クシェル様からってことか。

「もしかして、心配してくれたんですか?」

 最初は人を馬鹿にしたような言い方だったのが、徐々に真剣なものになっていき、最後は苦しみの混じったような声に変わった。

 もしかして、素直じゃないだけで、アレクさんも本当は良い人だったりーー

「はぁ?そんなわけないでしょ!何で僕が人族なんかの心配しないといけないのさ!」

 しなかったー!すっごい顔で睨まれた。やっぱりアレクさん怖い!

「で、ですよね!すみません勘違いしてすみません!」
「そんなことはどうでもいいから早く僕の質問に答えてくれない?」
「す、すみません。えと、何でクシェル様から逃げないのか?でしたよね?」
「……と、いうより、何であんな馬鹿みたいに吸血されても、酷い怪我を負わされても、命の危機にさらされても平然としてられるのか、何でそこまで魔王様に尽くせるのか、かな」

 先程までの不機嫌な態度から一転、急に声は落ち着きを取り戻し、眉間の皺も消え、わたしを見据える目は真剣そのものだ。

「それは……相手がクシェル様だからですかね」
「はぁ?ふざけてるの⁈それとも適当な答え言って誤魔化そうと」
「ふ、ふざけてないです!本気です!本気の答えです!」
「答えが大雑把過ぎて答えになってない」

 真剣に答えたはずなのに、グレンさんにまで冷たい目で見られた。

「え⁈でもそうとしか……吸血はクシェル様の愛なんです」
「「は?」」

 ヴァンパイアがヒート以外で血を求めるのは愛しい、愛してる人の血だけ。つまり、ヴァンパイアにとっての血は愛そのもの。そして吸血衝動はまさにーー

「愛を求めることと同義なんです。強い吸血欲はそれだけ愛を求めてるということで、血を求められるということはそれだけ愛されてるってことなんです」

 そして、クシェル様がその衝動を抑えられる血はわたしの血だけ。つまりそれは、クシェル様にとって愛を求める対象がわたしだけだということだ。わたししか要らないとそう言ってくれているのと同じ。

「全てを受け止めたいと思うのは普通のことでしょ?」
「じ、じゃあ、あんたは愛されれば、求められれば簡単に自分の身を差し出すってこと?その命さえも」

 そう問うアレクさんはわたしのことを信じられないものを見るような目で見る。

「わ、わたしだって痛いのも苦しいのも、勿論死ぬのも普通に嫌だし怖いです!簡単じゃない!でも、それは相手がクシェル様だからで、大好きな人からの愛なら全てを受け止めたいと思うでしょ?それを突っぱねることなんて出来るわけがない。でしょう?」

 同意を求めたが、二人は首を縦には振ってくれなかった。それどころか益々眉間の皺を深くする。何故に⁈

「魔王様も色々とぶっ飛んでるが、お前もお前だな。流石に引くわ……」
「え?何で!好きな人のためならって普通思うでしょう?」
「お前の普通は普通じゃない」
「ええー!じゃあ普通の普通って何?痛いから苦しいから無理って、伸ばされた手を払い除けるのが普通なの⁈好きな人のものでも?」
「……本当に、守ってもらうために媚びていたわけじゃないんだ。本当に魔王を想って、そのために、そのためだけにあそこまでっ!」
「えっ⁈あ、アレクさん?急にな、何を!」

 わたしとグレンさんが口論をしている隣で、口元を押さえ何やらつぶやいていたかと思ったら、急に頭を下げてきた。

 アレクさんのその行動にグレンさんもわたし同様目を見開き驚く。

「あ、アレク、おま、何して」
「見て分からないの?自分が間違っていたから頭を下げてるんだよ」
「は?間違い?」
「シイナ様」
「ふぇっ⁈は、はい!」

 あのアレクさんがわ、わたしのことを名前で、しかも敬称までつけて!な、何事⁈

「今まで大変失礼な態度をとり、誠に申し訳ありませんでした」
「え?な、何?本当急に何があったの⁈」
「僕は今までシイナ様のことを誤解していたんです。自分の意見を主張せず、いつも魔王様の言いなりなのも、こんな態度を取る自分や他の魔族達に文句の一つも言わず、誰にでもいい顔をするのも、血を吸われることを受け入れたのだって全ては魔王様に気に入られるための行動なんだと思っていました。魔王様を良いように使うために、そのために思わせぶりな態度をとって、欺いて、利用して嘲笑っているのかと思っていました」

 な、何それ……それこそ本物の悪女じゃん!え?てことはあのメイドさん達もわたしのことをそんなふうに思ってたってこと⁈で、見事魔王様を手玉に取ったその悪女が次に標的にしたのは魔王軍近衛騎士団の団長様?す、凄いなその人……て、わたしか⁈ 

「な、何でそんな誤解を」
「僕の知る人族は皆そんな奴らばかりだったからです。皆んな我が身可愛さに権力者に擦り寄り媚び諂い、他者を利用し、蹴落とし嘲笑うそんな奴らばかりでした。だから……」

 だから、同じ人族であるわたしも所詮はその人達と同じなんだと思い込んでいたらしい。
 でも、魔王様に気に入られるためとはいえ、侯爵家の令嬢に反抗し傷まで負わせる(しかも顔に)とかあり得ないし、自分の身を守りかつ快適な暮らしを手に入れるために魔王様に媚びを売っているはずなのに、そのために自らの命まで危険に晒すとか矛盾している。
 そこで自分の考えに自信が持てなくなったアレクさんはわたしを問いただした。で、返ってきたわたしの答えに納得してくれーーたわけではなく、呆れて⁈色々と考えるのが馬鹿らしくなったらしい。

 え?酷くない?

「なのに、真剣な顔で吸血は愛だとか言い出すし、かと思えば好きな人のためなら全てを受け止めるのが普通みたいなこと言うし……で、本人はその異常性に気付いてないし、ハァ、あんたの本性とか裏の顔とかありもしないものを探ろうと躍起になってた自分が馬鹿みたい。いや、みたいじゃなく本当に馬鹿でした。すみません」
「……んー、結局よく分からないけどつまりアレクさんはわたしのことをもう嫌ってないってことで良いの、かな?」
「そういうことになります、かね?って何ニヤついてんですか、気色の悪い」
「だ、だってアレクさんと仲良くなれたから嬉しくて」
「……やっぱりあんたおかしいんじゃない」

 アレクさんに嫌われていないと分かり思わずニヤついていると、またアレクさんに「おかしい」と言われてしまった。でも今回は最初のような不機嫌なものではなく、笑いの混じった軽い言い方だった。


「随分と仲良くなったみたいだな」
「あ、ジークお兄ちゃんお帰りなさい!」

 稽古から帰って来たジークお兄ちゃんは、楽しげに話を続けるわたし達を見て驚き目を瞬かせた。

「えへへ実は、アレクさんが友達になってくれたんです!」
「な、なってない!僕は嫌いじゃないって言っただけで!」
「そうか、良かったなコハク」
「はい!」

 わたしがアレクさんと友達になったことを笑顔で報告すると、良かったなって頭を撫でて笑い返してくれるジークお兄ちゃん。それがまた嬉しくて、顔のニヤケが治らない。

「いや、だから」
「改めて、コハクのことを頼んだぞアレク」
「は、はい!」

 ジークお兄ちゃんに肩をポンと叩かれ、あの少年のような笑みを向けられたアレクさんは声が裏返り、頬を赤く染めていた。

 分かる。分かるよ!好きな人に、憧れの人にあんな眩しい笑顔を向けられて、更には頼りになんかされたら、嬉し過ぎて惚けちゃうよね。

「あ、狡いぞアレクだけ!」
「うるさい!ちょっ、今肩に触んないでよ馬鹿!」

 ジークお兄ちゃんから肩を叩かれ、頼りにしてもらえた喜びを噛み締めていたアレクさんの、その肩を掴もうとしたグレンさんがアレクさんに盛大に蹴りを入れられ、倒れる。

「だ、大丈夫ですか⁈」
「気にするないつものことだ」
「いつも、あんななの⁈」
「あぁ、同じ平民の出というのもあってか、入団した時から割とあんな感じだ。アレがあいつらの素なんだろう」

 なるほど、アレクさんの口が悪いのも、別にわたしにだけ特別ということではなく、アレクさんは素であんな感じなのか。










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