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【クシェル】絶望の色
しおりを挟むコハクは誰にも渡さない。死んでも離さない。元の世界になんて絶対に帰さない!
その為なら、俺は何だってする。そう、コハクを俺の手元に繋ぎ止めておくためなら何だって。
大丈夫、コハクならきっと分かってくれる。今回も仕方ないなって笑って許してくれる。
コハクに余計な情報を与えるのが怖くて理由も話せない俺を、拒否されるのが嫌で事前に「ヴァンパイアになってくれ」とお願いする事も出来ない俺を、コハクならきっと全部受け止めて、許してくれる。
この時の俺は本気でそう思っていた。
そうしてまた、コハクに自分の都合を押し付けたのだ。
で、その結果がーー
「ゴフっ!ゴホゴッぅ⁈……っぁああ゛あ゛!!」
俺に血を飲まされたコハクは、ジークの腕の中で口から血の混じる唾液を何度も吐き、断末魔のような叫び声を上げた。
そして、吐き出した血で赤く濡れた手で首を掻きむしり、胸を押さえ蹲りうめき声をあげながら涙を流す。
こんなのは、知らない。こんなになるなんて聞いてない!
「なん……で、く、クシェルっ……さ、ま」
コハクの弱々しく消え入りそうな声が耳に届く。しかし俺は、その声に答える事が出来なかった。今自分に向けられているであろうコハクからの視線に応じる事が出来なかった。
つまり俺は、目の前の痛々しい光景と、コハクから向けられる感情から目を逸らしたのだ。
前にもこんな事があった。
あれは確か、コハクに初めて会った日のことだ。あの日も俺は、目の前で床に膝から崩れ落ち「帰りたい」「助けて」「ごめんなさいお父さん」と泣き叫ぶコハクから目を逸らした。あの時コハクは俺の発言のせいで涙を流していたのに。
それに引き換えジークは、そんなコハクから目を逸らす事なく寄り添い、コハクが落ち着くのを待ってから優しく肩を支え、扉へと向かって行った。
そして今も、お前はーー
「ふざけんなよ!!」
最後までコハクを抱きとめたまま支え、寄り添い、意識を手放したコハクをソッとベッドに寝かせてから、俺の胸ぐらを掴み怒りを露わにする。
いついかなる時もお前は全てにおいてコハクを優先させる。それを守るためならお前はきっと何だってするのだろう。
本当にお前には敵わない。そう在れるお前が心底羨ましい。俺もお前みたいになりたい。お前みたいに、自分の感情や願いよりも、自分の幸せよりも何よりも愛する人の幸せを一番に考えられるような人間に俺もなりたい。
ーーでも無理だ。
「逃げずにちゃんと説明して下さい!」
俺には無理なんだ!
「目を逸らさないで下さい」
「っい、嫌だ。見たくっ、ない」
先程部屋で目が合った時、コハクが怒りの感情を抱いていることが分かった。それだけじゃない。今のこの(腹の上に乗られ両肩に手を置かれ床に押さえ付けられるという)状況や声の強さからコハクが怒っている事がひしひしと伝わってくる。
なのに逃げずに、目を逸らさずにコレと向き合えって?無理だ。そんなの無理に決まってる!
「ダメです。ちゃんとわたしの目を見て、自分のしでかした事の重大さを、現実を受け止めてください」
無理だ!嫌だ!見たくない!コハクに負の感情を向けられているなんて現実、受け止めたくない!はずなのにーー
俺の身体は俺の意思を無視し、コハクの言葉に従い動く。
なん、だ⁈いったい何が起きて……っ!!
必死の抵抗虚しく、ついにコハクと目が合ってしまった。そしてこの時初めて俺は、獣人の国でジークが言っていた事を正しく理解した。
『言葉にしたことを現実のものとするなんて魔法あるはずがない』
『それはもはや神の力としか考えられない』
文字通り、身をもって理解したのだ。と同時に未だかつてない恐怖を感じた。それはコハク自身にではない。その力が今、自分に向けられているという事実にだ。
今まででその力が向けられたのは、俺との婚約を破棄しろとか宣った挙句、俺とコハクのことを侮辱した貴族の女と、俺からコハクを奪おうとした獣人族の奴らだけだ。どちらもコハクの怒りの感情が引き金となっていた。
ーーつまりコハクは今、その時と同じだけの怒りを俺に抱いている⁈
うっ、嘘だ。嫌だ、嫌だ!嫌だ!嫌だ!逃げたい!こんな現実受け止めたくない!
しかし、いくら身体を動かそうとしても指先一つ動かない。
「何が見えますか?」
「お、怒って……コハクが、すごく、怒って」
なのに、コハクの問いに答えるために口は、俺の意思関係なく動く。
「……いやだ、嫌だ!怖い!見たくない!」
その後も必死に言葉と行動で自分の意思を示そうとしたが、首を微かに横に振れただけで、どうしても視線だけはコハクの目から外す事が出来なかった。
「なんで怒っているか分かりますか?」
そんなの言葉になんてしたくない。したくないのにーー
「お、俺がっ、コハクを……ヴァンパイアにっ、した、から。苦しい思いを、させたから」
どうしても、コハクの言葉には逆らえない。
「違います…………分かりませんか?」
「わか、らないっ、分からない。ごめんなさい。ごめんなさい!」
ヴァンパイアにしたからでも苦しい思いをさせてしまったからでもないなら、俺にはもう分からない。コハクが何に怒っているのか、何に対して謝ればいいのか、どうすればコハクが許してくれるのか分からない。
「別に、ヴァンパイアにした事自体は怒っていません。わたしも考えていた事なので」
コハクも考えていた?なら、尚更どうして⁈
「なんでわたし達に何の相談もなく、理由すら告げずにこんなことしたんですか」
眉間に皺がより、飴色の瞳が薄く光る。その瞳に映るのは強い強い怒りの感情と、その奥に隠れた呆れ。
「っ!!い、嫌だコハクっ、見捨てないで!嫌だ!コハク!」
コハクの腕を掴み繋ぎ止めたくても、しがみ付いて縋りたくても、今の俺にはそれが出来ない。コハクの許しがないと何も出来ない!
「それと、わたし前に言いましたよね?理由もわからずに怒られるのが怖いって、痛いのがすっごく嫌いだって……言いましたよね?」
「ごめっなさい、ごめんなさい!しらっ、知らなかったんだ!あ、あんなになるなんて知らなかったんだ!!」
だから俺は必死に言葉で訴えた。どうにかして、許してもらおうと必死に言葉を探した。しかし、コハクが求める答えが見つからない。
「だからあの時わたしから目を逸らしたんですか?」
とうとうコハクの瞳には怒りだけでなく、悲しみ、困惑、不信などの負の感情が次々と写され、それらが交じり合い増長しーー絶望の色を写した。
「っ…………」
声が出なかった。
確かにコハクから問いかけられているはずなのに、今俺の口はコハクの問いに答える為にあるようなものなのにーー
頭の中が真っ白で、何も出てこなかった。何も考えられなかった。
俺のその反応をコハクがどう受け取ったのか、ポタリと頬にコハクの涙が降ってきた。
「もういい」
その言葉をコハクが口にした瞬間、自分の身体に自由が戻ると同時に、コハクの目から全ての感情が消え失せたのが見えた。
ーーえ?
俺の目は皮肉なことに人の負の感情しか拾えない。だからいつもコハクからは何も見えない。それが普通で、それに安堵する毎日だった。でも、コレは違う。
その瞳は俺を映しているようで、何も映していない。
コハクは諦めたんだ。考えるのをやめ、感情を放棄した。俺への感情を捨てたんだ。
「っーー!?!ぃ嫌だ!行かないで!俺を捨てないでくれ!嫌だ!言う!全部言う!もう二度と隠し事はしない!勝手なこともしない!全部コハクの言う通りにするから!するって誓うから、だからそんな目で見ないでくれ!ちゃんと俺を見て!お願いだコハク!コハク!!」
嫌だ!何でもするから捨てないで!
怒りでも恐怖でも憤りでも何でもいい!何でもいいから俺を見て!俺をコハクの世界から捨てないで!
「言っている意味が、よく分かりません」
コハクは眉ひとつ動かさない。ただ感情のない瞳を、俺が掴んだ手首へと動かすだけだ。
「嫌だっ!!」
今ここでこの手を離したらきっともう二度と俺を見てくれない!捨てられる。コハクに捨てられる!
「っ……またヒビを、入れる気ですか?」
氷のように冷たい声が上から降ってくる。
「ぁ、ぁああ゛!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
俺はまた間違った。またコハクに痛い思いをさせた。またコハクを傷付けるとこだった。またコハクの嫌がることをしてしまった。
は、早くこの手を離さないと。早く早く早くっ!じゃないと今度こそ嫌われる!でもっ、でもそうしたらコハクが、コハクが俺から離れて行ってしまう!捨てられる!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ、離したくない!!
結局俺はまた自分の感情を優先し、手を離すことが出来ず、コハクが振り払おうと思えば振り払われる程度の力に抑えるのがやっとだった。
そして浅ましくも願う。振り払わないで、俺を捨てないでくれ!と。神に祈るかのように、目を瞑りコハクに願い祈った。
「すみません。言い方を間違えました」
短くも長い沈黙の後に聞こえたその声は、先程までとは明らかに違っていた。俺への想いが、感情が込められた声だった。それに、振り払われなかった。離せって言われなかった!良かった。良かった!
声にならない喜びが全身を駆け巡る。
俺は喜びに涙を流すことしか出来なくて、コハクの言葉に首を横に振って答えた。
抱きつきたい。今すぐ抱きしめてコハクの温もりを感じたい。そしてコハクに優しく抱きしめ返されて、いつものように名前を呼んでほしい。
でもまだ許されてない。まだコハクから許しの言葉も合図も、もらえていない。
だから俺は祈る想いで、縋るような気持ちで、コハクの服を掴んだ。するとコハクの身体から力が抜け、俺のお腹の上に完全に座り込んでくれた。俺に身を預けてくれた!
「……もう逃げませんか?」
嗚呼っ、その声はコハクが俺を許す時の声だ!嬉しくて言葉が出ない。
「何がいけなかったのか、分かりましたか?」
これはコハクが俺に優しく間違いを指摘する時の声!
「反省してますか?」
「……してる」
嬉しくて声が震える。
「わたしの目、ちゃんと見れますか?」
「見れる、ちゃんと見る!」
もう怒らないでとか、呆れないでとかそんな贅沢は言わない!見たくないなんて二度と言わない!コハクの目に俺を映してくれるなら、俺に感情を向けてくれるならもうそれだけでーー
「っ!!」
あ、ぁ嗚呼っ~!!コハクの瞳にちゃんと俺が映ってる。コハクが俺を見てる。コハクが、コハクがっ、俺を見て微笑んでくれてる!!
「あ、ありがとっ、ありがとうコハク!」
俺は喜びに身を任せて、コハクに抱きつき、腕の中にある温もりに感謝した。
しかし、コハクからの返しがない。それどころか何の反応もーー
恐る恐る包容を緩め、コハクの顔をのぞくと、そこにはいつもと同じ幼なげで可愛らしい天使の寝顔があった。
嗚呼本当に、コハクは『疲れたから休みたい』だけだったんだな。俺を置いて行くための方便ではなかった。良かった。本当に、コハクは最初から最後まで俺を捨てる気はなかったんだ。良かった。本当に良かった。
その後、俺の腕の中で安心した表情で眠るコハクをいつものように横抱きで抱え上げ、少し離れた所で見守っていた親父と合流して、母さんとジークがいるであろう俺の部屋へと向かった。
勿論、今回の件について説明と謝罪をするために。
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